続・七姫物語 牧編

07

牧の意識が戻ったのは、が先生の誘導で3日分の仕事を数時間で片付けた翌日のことだった。

その時は「見合い目的の謁見願い特別担当官」が門前払いした某国の地主が逆上してその担当官を脅したため、城下の控室に乗り込んでいって喧嘩をしているところだった。今にも剣を抜き放ってしまいそうな額に血管の浮き出た清田と共に話は終わりだ帰れと言っていたは、城から飛んできた侍女の報告で控室を飛び出した。

「紳一!!!」
「陛下、お静かに願います」

病室に飛び込んだと清田は神の声に慌てて足を止め、息を整えて静かにベッドに近付いていった。意識が戻ったとは言うが、まだぼんやりと重い瞼を開いたばかり、といった様子だ。ベッドの周りを囲んでいる医師たちが下がるので、はそっと屈み込む。

「紳一、お帰りなさい」
「本当に気付かれたばかりです。すぐに走らせましたので」

侍女は一体神になんと言われたのやら、凄まじい速度で走ってきたので、控室で休んでいる。

するとまだ目が半開きの牧が首を捻り、を見上げた。

……怪我」
「大丈夫、もう大丈夫だよ。助けてくれてありがとう、私はかすり傷ひとつない」
、怖く、ない」
「平気、怖くない。紳一が守ってくれたから、なんにも、怖いことなんか……!」

は懸命に嗚咽を飲み込みながら、牧の頭を撫で、そして重みをかけないように覆い被さって額にキスを落とした。久しぶりに触れた牧の肌は温かくて、大好きな匂いが優しく漂った。

「紳一、何もかも元通りになるからね。大丈夫、何も心配いらないからね」
、泣かないで、くれ」
「嬉しいから泣いてるの。しっかり体を治そうね。他のことは全部それから」
「すまない」

喋るのがしんどい様子ではなかったけれど、長い眠りから覚めたばかりで頭がぼんやりしすぎている――そんな状態だった。は名残惜しい気持ちをグッと飲み込み、ベッドから離れた。今紳一に必要なのは私よりもお医者様。そしてそのまま数歩下がる。見ると清田が安堵のあまり泣いていた。

「すみませ、一時はどうなることかと……
「清田くんも張り詰め通しだったもんね」
「い、いいえ、そんなの陛下に比べたら」
「もう大丈夫、紳一が元気になったら、授与式やり直そうね」

言いながらは清田の頭を撫でつつもらい泣き、病室の片隅でふたりは身を寄せ合ってべそべそ泣き出し、神に追い出された。

医師たちがつきっきりで様子を見ること数時間、牧の意識はだいぶはっきりしてきて、神の問いかけにも淀みなく答えられるようになってきた。だが、医師はもう1日絶対安静という判断を下し、そのためは面会謝絶にされてしまった。医師いわくは興奮材料なのだそうだ。

一方で意識の戻った牧は神に「自分が不在でも先生の発掘調査を再開できるようにしてもらってくれ」と頼み込み、執務室から裁判所を経由して特例が認められた。

さらに、今回事件を起こした元騎士に対しては厳罰を望むけれど、もしが極刑は嫌だと言うならそれを汲んでやってほしいと言い、神は元々丸い目をさらに丸くしていた。

そんなわけで、が改めて牧と面会が許されたのは、意識が戻ってから2日後のことだった。寝たきりもよろしくないので少しずつ整復運動をしていきましょう、と医師も言い出していたし、牧は騎士団で使われている荷車で城内の中庭に運ばれ、そこでと会うことになった。

「紳一……! どう、具合は」
「傷は痛むけど、それだけ。長く寝すぎたせいで体が重くて」
「もう動いてもいいの?」
「傷が開かない程度にな。少しずつ動かしていかないと鈍るばかりだから」

牧はが用意した椅子に腰掛け、ゆっくりと手足を伸ばす。強ばるのかぎこちないけれど、顔色はよく、食欲もあるので回復は早いだろうというのが医師の見立てだそうだ。は牧にひざ掛けを掛けると頭にキスをしてから隣に腰を下ろした。

……裁判所は、どうなってる?」
……聴取に時間がかかってる。前例のない事件だから、ちゃんと聞き取っておきたくて」

騎士団の中からはが余計な情けをかけて延命措置をしている、即刻断首処刑すべきだという声も上がっているそうだが、とにかく彼の言い分は全部記録を取るべしというのがの命令である。処遇はともかく、彼の主張は今後に生かされなければならない。

「確かに、王家に仕える立場の人間が主君に刃を向けたとなると即処刑というのが慣例ではあるんだけど、未遂で終わったものを極刑にしてしまうのは独裁を正当化する前例になってしまうのでは、っていう慎重論も出てて。私はとりあえず彼の考えてることが全部知りたいから」

何しろ女王も史上初なら騎士の反逆も史上初。また大臣たちは頭を抱えている。

……眠っている間に、夢を、見たんだ」
「えっ、夢?」

突然話が逸れたのでは丸めていた背中を伸ばした。

「本当に夢だったのか、死にかけている時に見るという幻だったのか、とにかくオレは花畑にいて、気付いたら目の前に親父と祖父さんがいて、オレは気分がよくなって、ふたりのもとに駆け寄ったんだ。これはきっと褒めてもらえるぞって。よくやったって、騎士団のことものことも、よく頑張ったなって褒めてくれると思ったんだけど、ふたりともすごい勢いで怒鳴るんだ」

は手を伸ばして牧の手を取った。怪我をする前に比べると少し柔らかくなったような気がするが、温かくて大きな、何より安心できる手だった。

「でも、怒鳴ってるのはわかるんだけど、何を言ってるのかがさっぱりわからない」
「声が聞こえないの?」
「いや、雑踏の中で遠くの声を聞いているような、言葉が聞き取れない感じ」

牧家は騎士の家系で、どれだけ遡っても男子は騎士ばかり、稀に体が弱かったり他の職業を目指すものもいたけれど、嫡子は必ず騎士になってきたし、武功に優れた優秀な人材を排出してきた。なので牧の父も祖父も、こと騎士同士の話であれば、紳一にも大変厳しかった。しかも祖父の方は異様に血の気が多く、そのふたりが怒鳴る姿は想像に難くなくては気持ちが緩む。懐かしい。

「それでオレも、散々大変な思いしてきたっていうのに怒鳴るってどういうことだよ、って喧嘩腰になって、しかも向こうもオレの声が聞こえてないみたいだったから、言いたい放題全部ブチ撒けて、そしたら体が軽くなって、帰りたくなったんだよな」

それは生死の境を彷徨った時に人が経験するという、天に少しだけ顔を突っ込んでしまうというやつなのだろうか。はそれはそれで興味深く聞きつつ、首を傾げた。

「紳一は何を言ったの?」
「それは内緒」
「そんな恥ずかしいこと言ったの」
「恥ずかしいなんてもんじゃない」

騎士になってからの牧は、どちらかと言えば本音を隠して「騎士とはどうあるべきか」というような自分の規則に則って振る舞ってきた。にもまだまだ本音で接しきれていないところがあるし、なので夢の中で彼は相当心の内をさらけ出してきたのだろう。

……あのね、このところ色々あったでしょ。紳一は実家に行ったきりだったし、先生が現れて大臣たちが興奮しちゃったり、こんな事件まで。ああやっぱり紳一が騎士で私が女王っていうことは、こういう危険と隣り合わせなんだなって、改めて思った」

神や先生が優しく諭してくれたように、牧が騎士である以上は彼の本懐はを護ることであるし、それが身の危険なら命をなげうつ覚悟を持つことが即ち騎士という存在であるとも言える。

「私が女王でいる限り、紳一はずっとそういう危険に晒されるわけでしょ」
、でもそれは」
「だけどね、だとしたら余計に、無駄な時間を浪費してるのはどうなのかなって、思ったの」
「えっ、無駄?」

は牧と手を繋いだままもう片方の手でそっと胸に触れる。心の声は、なんと言ったのか。

「ちょっと前までは、私たちまだ若いんだし、仕事が優先でもいいじゃん、て、私の結婚なんか後回しでいいよ、先にやらなきゃいけないこといっぱいあるじゃんて思ってた。だけど、私たちはこうやっていつ突然引き離されるかわからないんだって、思い知らされた。紳一は騎士、私も女王。城下の恋人たちと同じようには生きられないし、違う生き方をもう選んじゃったから」

牧が手を引くのでは顔を上げて彼の目を見つめた。

、それは」
「私は間違ってた。自分の気持ちもわからないまま理屈に寄りかかってた」
、待ってくれ、それはオレが――

淡々と語るを牧が止めたその時だった。

「陛下ァーーー!!!!!!」

ひっくり返った素っ頓狂な悲鳴にも似た声が聞こえてきて、ふたりは我に返った。なんだよ、今たぶんものすごく「いい感じ」だったはずなんだけど、何その絶叫。

声のする方に目を向けると、必死の形相で走ってくる先生の姿が見えた。先生、頭脳はあれだけ高性能だが運動は苦手らしく、両手両足は無残な動きをしていて、はつい吹き出した。その後ろからは無駄がなく軽快な走りの神が追いかけてきていて、困惑した顔をしている。一体何なんだ。

「先生、どうなさいました。落ち着いてください」
「すすすすみません、おふたりでお寛ぎのところを大変申し訳ありませんお詫び申し上げます」
「先生、お顔が真っ赤です。まずはお水を――
「陛下、それどころではありません!!!」
「はい?」

先生は走り疲れて中庭の芝生に膝から崩れ落ち、また情けない悲鳴を上げた。そして肩で息をしながらのろのろと牧の方に向き直り、胸の前で両手を組み合わせた。先生、大丈夫か?

「団長、あなたが、あなたがソロンの子孫でいらっしゃったのです!!!」

言うなり先生は芝生にばったりと倒れ、そして今度はの絶叫が響き渡った。

牧が不在でも発掘調査が可能という特例が下りてすぐに先生は現場に戻った。ずいぶん間が空いてしまったし、牧の意識が戻るまではの補佐もしたかったし、とにかくのんびりしている暇はない、と予定を少々早めて牧家の屋敷の下を掘り始めた。

調査が中断している間に先生が立てた計画に沿って効率よく掘り進めていたのだが、古い屋敷の基礎部分はわりとすぐに出てきた。それはその屋敷が建てられたと思しき時代にはごく一般的な様式の造りで、地面を掘り返す作業員を貸してくれている町の棟梁はこれならどの部分が何に使われてた部屋なのかはすぐにわかるよ、と助言を買って出てくれた。

ここが玄関、ここが厨、ここはきっと貯蔵庫――などと棟梁の見立てに沿ってまた地面をほじくり返していたのだが、棟梁の推理によるところの「主寝室」にあたる場所からとんでもないものが出てきた。石造りの長方形の櫃で、中を開くと一振りの剣とともに何やら紙切れや布切れが出てきた。

「それが十中八九ソロンのもので間違いないんです!!!」

先生はそう喚いているが、ここは病室である。先生、興奮のあまり目眩を起こして倒れてその上高熱を出して、城内の診療所送りになった。

「ですからお願いいたします、城の書庫を検める許可をください」
「それは構いませんが、せめて熱が下がるまでは何も許可しません」
「陛下、信じてください、あれは牧家の初代がソロンであった証拠に他なりません」

にわかには信じがたい話なので、も牧も、また家臣たちも全員、それは先生の体調が落ち着いてからにしよう、と考えることをやめた。ひとまず先生の興奮を落ち着かせる方が先だ。

しかし先生は城下を爆走して報せに上る前に手紙を書きなぐり、故郷の研究仲間たちに今すぐ調査員を寄越せと連絡してしまった。牧家の近くに臨時に作られた調査部屋兼調査員詰め所では収容しきれない。一応これは先生という某国王立学院の教授との王家の合同調査なので、宿を用意しなければならない。しかも先生は使い物にならない。

「で、またオレなんですね」
「頭に血が上った勢いでクビにしたことは謝ります。ごめんなさい」
「そういう意味ではありません。オレでは役立たずなのではと」
「大丈夫、仕事をさっさと片付けるコツを先生に習ったから」
「だから執務室こんなにこざっぱりしてるんですね。今までの苦労は何だったんでしょう」

と同じことを言って項垂れる神にはぽいぽいと書類を回していく。先生の指導以来、はとにかく無駄を省いて時間をかけるべきものとそうでないものを吟味し、どうでもいいようなものは積極的に補佐に投げ出すようにしている。

「まあその、正直牧さんがソロンの子孫とか言われてもピンと来ません……
「大丈夫、私も紳一もピンと来てないから」

だが、先生の体調が回復し、彼の研究仲間が大挙して押し寄せてきてすぐに石造りの櫃の中身は少なくともソロンと血縁がある人物がまとめておいたものだと断定された。ソロンの出身である南方の王国の紋章が入った指輪が出てきたのだ。ご当地では息子に受け継がせるものらしい。

はそんなことの対応に追われ、牧はその間整復運動に励み、結局牧も神も欠いた騎士団はやむなく清田が預かることになることもしばしばで、城も城下も、とにかくソロンの遺物発見で大いに沸くことになった。

また、櫃の中から出てきた一冊の書は件の南方の国の言葉で書かれており、研究者たちはまた現地まで飛んでいき、先生が金に物を言わせて一週間で訳させて帰ってくるなど、とにかく何でも「そこそこ」だったはずの国中が大騒ぎ。の結婚の話など全員忘れていた。

というのも、縁がない地域に住む人々にとっては分かりづらいことだが、この大陸で英雄ソロンと言えば、先生の言うように偉大な功績を残した人物の代名詞でもあり、先生のような、もはや狂信者と言える崇拝者を大量に生む人気者なのである。

つまり、牧家がソロンの終の棲家であり、この国の騎士団の創設者がソロンだと知れ渡ったら……

「死にますね」
「来年卒業予定の学生を全員働かせても足りないかもしれない」
「あんまり広く戸を開くと3年前の二の舞にもなりかねませんし」

と神とじいやは顔色が悪い。先生の推定では年間で城下の人口の10倍の人間が訪れることになるだろう、とのこと。宿もなければそれだけの人数に提供できる食料も生産できないし、先んじて輸入しようにも金がない。

「結局貧乏が足を引っ張る!」
「陛下、ここはもう先生に投げませんか」
「どういうことですか?」
「正直に申し上げて援助をしてもらいましょう。先生がことを大きくしたのですし」

じいやは先生とは違った意味で効率を重視する人である。余計な情が挟まると何も進まない、という考えの人なので、ちょっとそれは……という顔をしていると神にも遠慮がない。

「それで城下が潤えば改めてお返しすればよろしいではないですか」
「じゃあまず宿ですか」
「いえ、しばらくは観光客は入れないようにしましょう」
……じいや何考えてんの」

この城が炎に包まれて以来、嫁に行くしかない王女付きのじいやだった彼は時に軍人になり時に政治家になり、その合間には子守になったり料理人になったりお針子になったりと、何でもやってきた。なので昔に比べると理屈っぽくなってしまったわけだが……

「発掘調査と並行して観光客が押し寄せると伝説の英雄の遺物を盗み出そうとする輩も呼び寄せることになります。発掘調査はもう軍を出して周囲を取り囲み、先生が認めた人物以外は立入禁止にします。ですがその間先生には判明していることを少しずつ小出しにして方々へ広めて頂きます。その間に宿を建てましょう。ソロンを愛好する方々は焦らされて焦らされてもう待ちきれなくなるでしょう」

確かに発掘調査自体を誰でも見学できる状態にしてしまうと盗難の危険が高いし、牧家の地下から出てきたものである以上はひとまずまだ生き残りの紳一の所有物ということになるし、そもそも牧家の周囲は普通の民家が並ぶ平穏な町である。住民の安全も考えねばならない。

じいやは最後にニヤリと笑って見せ、そして付け加えた。

「陛下、おめでとうございます。脱貧乏かもしれませんよ」