続・七姫物語 牧編

04

「まあでも陛下は間違ってねえす」
「お前に言われると余計に凹むわ……
「しかも様をそういう女王にしたのは牧さんですし」

また畜産試験場に戻らねばならない清田と並んで歩きつつ、神はがっくりと肩を落としていた。早く執務室への出向をお役御免になりたいと毎日願ってきたというのに、最悪の形で追い出されてしまった。しかも団長が戻れないので騎士団の詰め所も書類が山と積み上がり、騎士たちが毎日慣れない事務処理に追われるというおかしな光景になっていた。

なので神はそれに忙殺されつつ、執務室を追い出された直後はあまりにも情けないので泣けてきた、と清田に愚痴ったところ、淡々と返されてしまい、余計に気持ちが落ちてきた。

様の安全だけを思うなら、女王になんかしなくてよかったはずです。あのまま湖水地方ではなくて先生のところにトンボ返りさせればよかったんですよ。確か様が城下を出た頃には先代の陛下の叔父上が生きてたはずだし、高齢だったけどそれをお飾りにして様を巻き込まないという選択肢もあった。だけど牧さんは様に仕える騎士という自分を捨てられなかった」

ここ数ヶ月畜産試験場で動物と転げ回っていた清田に理屈で畳み掛けられるともっと泣きたくなってくる。清田よりだいぶ背の高い神だが、猫背で頭が落ちているので清田より小さくなっている。

「しかも自分の身分が〜、とか様を神聖視して結論を先延ばしにした結果、こうなる」
「しかも先生はまさに都合のいい王子様」
「先生はなんて言ってるんですか」
「いや、まだ大臣たちが盛り上がってるだけだから」
「でも様の気持ちの方が傾いちゃってるんですね?」

騎士団長と相思相愛の仲だなんてことを言わなければ、あるいは先生なら頷いてくれそうだし、というのが大臣たちの見解である。何しろ先生はたった3年間の教え子であるを「こんなに賢いご婦人は大陸中探してもふたりといない」と大絶賛である。

「だけど、様は本当に立派な女王ですね。親しくお話できる機会が多かったからつい余計なことを考えちゃいますけど、そういう陛下を知らなかったら、良い君主なんてそんなもんだろと思うだけだったろうけど。そういう意味では牧さんの判断は間違ってなかったとも言えるし」

が良い統治者になればなるほど、彼女には公の時間が増え、私の時間は減る。公には相応の感情で挑まねばならず、そこに私を持ち込めない以上、はなから私的なものはたくさん手に持たない方が傷つかなくて済む。そういう理屈はもちろん神も理解している。

「オレはただ、小さな頃からずっと一緒だったふたりが、もう引き裂かれないようにと」
「そう思って戦ってきましたけど、そのせいでこんなことになってんですからね」
「なんでお前そんなに淡々としてんだ」
「騎士なのに畜産試験場に置いていかれたので、人生について考えずにはいられなくて」

そしてまた畜産試験場に逆戻りである。さらにどんよりしてしまったふたりはとぼとぼと歩いて本日の仕事場に到着した。例の発掘現場こと、牧家の跡地である。

「もう更地じゃねえすか。こういうことは早いな〜」
「何しろ予算のほとんどが先生持ちだからな」
「先生そんなに金持ちなんすか」
「だからお国では王族より格上」
「王子様でその上金持ちとか……あの白い服の人ですか、見た目も相当いいですね」

清田は明日にも畜産試験場に戻らねばならないのだが、それなら牧に挨拶してから行くというので、本日先生の警護を仰せつかってしまった神にくっついて来た。先生は人だかりの中心で熱心に地面を指さしており、近寄れない雰囲気だ。

「てか団長も副団長も陛下のお側から離れちゃっていいんすか」
「しょうがないだろ、そういう命令なんだから」
「あ、牧さんいた。牧さーん!」

人だかりの輪から少し外れた瓦礫の上にぼんやり座っていた牧を見つけると、清田はブンブンと手を振って小走りに近寄っていく。牧も気付いて手を上げたが、いつになく表情が暗い。

「どうした、畜産試験場で何か」
「短い休暇でした。もう終わったんで戻りますけど」
「そうか、お互い早く本職に戻れるといいな」
「牧さんの立ち会いがないとダメなんですか?」
「屋敷の下の遺物が価値のあるものかどうか判明するまではダメなんだそうだ」

もしこれが本当にソロンが滞在していたという証拠を含め歴史的に調査する価値のある場所ということになると、学院の方の管轄になるらしい。逆に歴史的に価値のないものと判明すれば、牧の希望通り国へ寄贈ということになる。それまでは当主のものなので、立ち会いは必須。

「だったら牧さんが先生の警護でいいじゃないですか……
「オレは先生の在不在に関わらずここを離れられないんだよ」
「なんだかオレたち全員陛下をお護りするお役目から外されちゃいましたね〜」

清田が邪気のない顔で言うものだから、牧と神は同時にため息をついて肩を落とした。おかしい、3年前は一番近くでお護りしていた腹心の部下にも等しい存在だったはずなのに。

すると人だかりがわらわらと移動を始め、本日警護職のため制服に身を包んでいる神が呼ばれて飛んでいった。今度は少し離れた場所に用意された出土品の調査部屋兼調査員詰め所に移動するらしい。慌ただしく走っていく神を見送ったふたりは並んで瓦礫に腰を下ろした。

「ご実家がこんな有様なのって、つらくないですか」
「まあ、もう何年もここで暮らしてなかったしな」
「なんで先生に警護が必要なんすか? 一応一般人ですよね」
「貴族だ。しかも由緒正しい。何かあってからじゃ遅い」
「団長なのに地方出向って通るんですか?」
「神がいれば大丈夫だろ」
「神さんとオレは着いていきたいんですけど」
「それは許可が下りないだろ」
「なんで牧さんだけ許可が下りると思ってるんですか」
「恩赦」
「はあ?」

清田が横を向くと、牧はずいぶん緩んだ表情をしていた。普段騎士団を預かる立場では厳しい顔をしてばかりだが、日がなこの瓦礫の上で発掘調査に沸く人々を眺めているだけなので気力も削がれよう。だがそんな穏やかな顔で恩赦、とは。

「お前たちがいなくなったら、誰が命がけで陛下を護るんだ」
「騎士は全員そのつもりで騎士になってるんですけどね」
「オレはお前らふたりしか信用してない」
「はあ!? 団長がそんなこと、何言ってんすか!」
「だから騎士団は年功序列なことが多かったんだ」

憤慨する清田の言葉を交わして、牧は姿勢を崩す。

「要人警護は年長者優先のしきたりがあっただろ。あれは年長者の方が優秀だからという意味じゃない。年長者の方が王家のために命を捨てやすいからだ。若いのはどうしても自分に未来があると信じているし、騎士の誓いがあっても他に大事なものも多いし、実際捨てられなかった例はいくつもある」

しかしそういう手練の世代をゴッソリ失った状態の騎士団は現在とても若い。新たな騎士は続々と生まれるだろうが、自分はもう充分生きたからいつでも王家のために命を捧げられる、という世代はいないのである。

……だったら牧さんも残るべきじゃないんですか、恩赦とか言ってないで」
「別に永遠に地方出向してるわけじゃない。また帰ってくるかもしれない」
「まあいいですけど。でもオレは牧さん逃げ出したって思いますけどね」

牧は返事をしなかった。もうそれでもよかったから。

その日は1日先生の警護であっちに行ったりこっちに行ったりしていた神は、詰め所の一角に宿泊するという先生に挨拶をしていた。夜間は詰め所の周りを衛兵で取り囲むので、神はひとまずねぐらに帰れる。だが執務室補佐をクビになったので、明日も警護だ。

「今日は本当にありがとうございました。警護以外にも色々と助かります」
「明日もまた1日お供させて頂きますが、ご了承くださいませ」
「というか……団長副団長が揃ってお城を離れて良いのですか?」

神は陛下の命令だからと返したのだが、先生はそれを「の気遣いで副団長が直々に来ている」と勘違い、これは早速陛下に話して副団長だけでも城に返さねば! と鼻息が荒くなってしまった。

「いえ、そういうことでは……その、私が陛下のご不興を買ってしまったのです」
「それで陛下がここに追い払ったと? まさか」
「私は陛下と親しくお話する機会が多かったので、つい差し出がましいことを言ってしまいました」

だが先生は引き下がらない。神に椅子を勧めると、首を振った。

「陛下はあなたのような誠実な部下に対してそのような振る舞いをなさるお方ではありません。もしあなたが陛下に失言をしてしまったのだとしても、副団長がなぜそんなことを口走ったのかくらい、陛下ならおわかりになるはずです」

それにしても先生は異様にを称賛している。かつてに向かって「年取ってきてるんだから求婚が来なくなる」と口走って腹に一撃を喰らい、5年間は外で働いてこいと城を追い出された家臣がいることは黙っておいてあげよう……と神は思った。彼は今毎日パンを焼いている。

しかし、大臣たちはまだ内輪で盛り上がっているに過ぎないし、興味もあった。まさか「大臣たちが陛下と婚約させたがっている」なんてことは言わないけれど、いい機会だと思った。

……先生から見て、陛下はどんなお方ですか?」
「私はあくまでも疎開していた3年間の家庭教師に過ぎませんが……大層ご立派な方です」

いやそうじゃなくてもう少し詳しく……と神が顔を上げたその時だった。

「無礼を承知で申し上げれば、陛下は、完璧なのです」
……はい?」
「副団長を目の前にして不敬が過ぎるかもしれませんが、私は陛下ほどご立派なご婦人を知りません」

虚を突かれてポカンとしている神お構いなしで先生は身を乗り出して握りこぶしを作る。

「それは私が歴史や文学を暖炉の前で教えていたあの頃からです。一度言ったことは大抵そのまま頭の中に入ってしまわれるし、こちらがくどくど説明しなくとも先回りをして回答を選び取ってしまわれるし、算術でも化け学でもそれは変わりませんし、その上人格者でいらっしゃいます。3年間の疎開の間、他の王家の方々は数ヶ月に一度の割合で心労から体調を崩されたりご機嫌が斜めになっておられましたが、陛下は一度たりともそうならなかった。むしろ時間がたっぷりあるのだから有効に使おう、と貪欲に学び、いつどんな変化が起ころうとそれに立ち向かえるように備える方でした」

先生の「語り」があんまり長いので神は耳が痺れてきた。ていうかそれ陛下のこと?

「私も最初はろくに花嫁修業もしていないような呑気なお姫様だろうと無礼千万なことを考えていたのですが、それがとんでもない誤解だということはすぐに分かりました。陛下はまさに完璧、それが女王に即位されたと聞いた時は全身に震えが走りました。これはギルラ1世をも凌ぐ偉大な君主が誕生した、自分はその時代に立ち会っているのだ――気付いた時には跪いて手を合わせていました」

理想の王子様がとんでもないことになってきたので、神は冷や汗をかいてきた。これはヤバい。

「あ、あの、先生、実はですね、陛下はここ数ヶ月の間、見合い目的の謁見に悩まされていて」
「伺っております。副団長も大変なお役目でしたでしょう」
「だけどそれが中々決まらないもんですから……
「それは仕方ありません。陛下のご夫君に値する殿方など滅多におりません」
「で、ですがしかし、陛下が陛下であらせられる以上お世継ぎの件は」
「そこが悩ましいところです。ですが副団長、目先の些末事に囚われて妥協をしてはなりません」
「はあ……
「未だ陛下は諸外国から『部下がいなきゃ何も出来ない小娘』と思われています」

先生に詰め寄られた神は椅子ごと身を引いて頷いた。確かに外交担当はよく同じことを言う。

「ですがどうですか、陛下はもうそんなお飾りの女王ではないでしょう」
……はい」
「焦ってろくでもない夫で妥協すれば、お世継ぎの資質にも関わります。厳しく吟味するべきです」
……参考までにお伺いしますが、例えばどのような」
「そりゃあ私の本音を申せば、ソロンですよ!」
「えええ」

思わず本音が出てしまった神に先生はゆったりと笑う。この異様な「語り」を聞いていなければ、神でも見惚れそうな笑顔だった。先生それ自分の好きなものふたつを合わせた状態じゃないの。

「私も最初はおとぎ話の英雄ソロンしか知りませんでした。だけど初等科の恩師からソロンはちゃんと実在したのだと教わり、初めて自分でその足跡を調査したその時からずっと夢中なのです。調べれば調べるほどソロンは剣士として強いだけでなく、人間としても素晴らしいのです」

要するに先生の中で最上位にあたる人物がと英雄ソロンなのである。先生はソロンの素晴らしさを語りつつ、もしそれがの夫だったらという妄想で楽しくなってしまったのか、また早口で語り始めてしまった。いかん、この人本当にちょっとヤバい。

神は適当に相槌を打ちつつ、少しずつ軌道修正しながら思い切って聞いてみた。

「でも先生もご立派な方じゃないですか。もし仮に――
「副団長、不敬が過ぎます!」
「えっ、ええ……
「そんなこと、考えるだけでも死刑に値します」
「そこまで」
「私はこの通りしがない研究者です。どちらかと言えば陛下にお仕えする身です」

そのしがない研究者って無尽蔵な私財で何十人も人を使って発掘調査やってる人のことですよね。神は先生の危険な一面に遭遇して戦慄しつつ、むしろ大臣たちに完璧な人物と思われている先生がだいぶヤバいことに感覚が麻痺してきて、笑いたくなってきた。

「完全なる冗談としてお聞きしますが、万が一それが私だったとしたらどう思います」
「ふむ、そうですねえ。あなたは優れた武人で、賢く、また真面目でもあり、信頼の置ける方です」

美丈夫の先生に真正面から見つめられてそんなことを言われるとついたじろいでしまう。しかも割とお褒めに預かっているようで、神は少し胸のあたりがくすぐったくなった。だが、

「しかしその可愛らしいお顔がいけません」
「え」
「城内でも城下でも、あなたは女性人気が高すぎる。あなたが求めなくてもご婦人が寄ってくる」

つい先日も学院で女学生に取り囲まれてに置いていかれた神は言葉に詰まる。

「そういう実績のおありになる方が陛下のご夫君となると、陛下が筋違いな嫉妬の的になることも考えられます。ですから陛下のお好みの都合もありましょうが、お嬢さんたちが大騒ぎするような美男子だとそれはそれで問題ではないかと思いますね」

世継ぎ云々言っていた割に、高性能ならなんでもいいわけではないようだ。そう言われるとちょっと参考になるなと神は考え直した。は有史以来初の女王である。そしてまだ若い。さらに人手不足が原因で階級にこだわっていられない人事で仕事をしてきた。結果として、は「驕り高ぶったところのない親しみやすい女王様」になっている。

事実、のいとこやはとこたちは女王陛下にうっとりな先生を見ていても「陛下には団長がいるからいいでしょ。先生は私が」と遠慮がない。例えばが城下で人気の三文役者と結婚したら、彼に夢中なお嬢さんたちはまず間違いなくを嫌うだろう。そういう点では民も遠慮がない。

……確かに我々は将来の陛下という見方でものを考えたことがありませんでした」
「それに、女王の結婚に関わる法がないのでしょう? より慎重になるべきです」
「ですが、外交担当と大臣たちが焦っていて……
「それではご進言差し上げてください。陛下の結婚はこの国の将来を左右するのだとね」

優しげな表情の先生だったが、その声がグッと低く重くなったので、神は思わず背筋を伸ばした。

「そういう重大な事柄を焦って進めることはいずれ自分の首を絞めます。もっといい候補がいるかも、なんていうより好みをしているなら話は別ですが、熟考せずに早まった婚姻で大失敗した例なら私がいくらでも教えて差し上げますよ。最悪国が傾きますからね」

忘れていたが歴史の先生だった。神は少年部隊の頃に座学で習った歴史を思い出す。そういえば政治的理由での結婚は時にとんでもない事態を引き起こしてきた。実際、が預かっている某国第3王妃は5歳の息子を婚約させようと奇行に走った。

……先生、もし陛下に想い人がいたら、どうすればいいと思いますか」
……それがご立派な方であることを祈るしかありませんが、難しいですね」
「オレ……私は、陛下にお幸せになって頂きたいだけなんです」
「陛下の幸福な人生と女王という道が、きれいに重なり合えばよいのですが」

先生は神の座る椅子の肘掛けを掴み、言った。

「副団長殿、ですがそれは陛下ご自身がいつか判断することですよ」

神は頷きながらも、が「幸福な人生」を捨ててでも女王を全うしようとしているのではないか、それがどうしても怖かった。牧が地方出向してしまい、先生の言うような夫と結婚したを、命がけで護れる気がしなかった。その間に生まれた子供に、忠誠を誓える気がしなかった。

「女王を護る騎士」という立場を捨てられなかったのはオレも同じだ。

そんなの、騎士失格じゃないか。