続・七姫物語 牧編

05

ひとまず神から話をきいてしまった先生は城に顔を出し、これ幸いと婚約の話を持ち出そうとした大臣たちを傾国の結婚実例集で返り討ちにし、大臣たちが考えもしなかったような「こういう夫だとこんな問題が予測されます」という想定を畳み掛けた。

その上で見合い目的の謁見願いについてはいきなり陛下に引き合わせないで、専任の担当をつけて素人判断でもこの人は無理、という者は門前払いになさい、と言い含めた。

そういうわけで見合い目的の謁見には専門の担当官が就任、城下で40年の長きに渡り結婚を世話してきた女性が登用された。以後、ほとんどの謁見願いが通らなくなった。

なのでたちは時間に余裕ができて、仕事が捗るようになってきた。

「陛下、もうそろそろ出ませんと」
「えっ、何かあったっけ」
「騎士団の色章授与式のドレスですよ、お忘れですか」

執務室は落ち着いて仕事に取り組める反面、神を欠いたことでの予定管理が緩くなりがちだった。これでも一応女王陛下なので城外へ出る際には必ず騎士団の警護が必要になるし、ということは騎士団との調整もしなければならないし、それは今まで全部神に丸投げしていた。

そういうわけではこのところ自分の予定は自分で管理していたのだが、きちんと予定表に書き込んでもそれが記憶できていない上に予定表を見なければ当然忘れる。数日後に騎士団の騎士に勲章と階級章を授与する式典があったことはすっかり忘れていた。

は繰り返し新しいドレスは金がかかるからいらん、と言っているのだが、こうした国内の式典であればそれなりのものを仕立てないわけにはいかない。それでも手持ちのドレスの再利用で済ますことにしてあったので、今日はその最終確認に行かなければならない。

……騎士団、ずいぶん減っちゃったね」
「そうですね。先代の団長の世代がほとんど戦死しましたから」
「私、おじさまたちは絶対に負けないと思っていたんだけどな」
「戦に赴く準備をして心構えをしてご出陣なさるのとは違いましたからね」

それこそ先代の団長世代は城下をなんとしてでも奪還せねば、と最後の最後まで戦い抜き、が湖水地方でかき集めて戻した軍の到着まで持ちこたえたのである。なので交戦中の戦死よりも、長期に渡る攻防戦の末に怪我が重なり命を落とした騎士が多かった。

その際に若い世代を残さねばと自分たちばかり前線に立ったおかげで、現在の騎士団は経験の浅い世代ばかりになってしまい、それはそれで不安定な状態になっている。

……騎士の丘はどうなってますか」
「ですからそれは紳一様が」
「じゃあまだまだかかるか……担当が戻ってこられないんだしね」

本日の補佐についているのはじいやである。なので牧のことは紳一様と呼ぶわけだが、その牧は帰還以来城下の南門の近くに戦死した騎士兵士たちの栄誉を讃え弔う場所を作る事業も手がけていた。一気に大量の死体が出たので彼らは荼毘に付され、その遺骨は現在城内の聖堂に安置されていて、騎士の丘にまとめて埋葬される予定になっている。

はもし間に合えばこの騎士の丘で授与式をと考えていたのだが、元々遅れていた上に担当の牧が実家から戻って来られないので間に合いそうもない。

しかも今回の式典では牧や神たちがほぼ全員何かしらの授与を受ける。こんな気まずい状態でなければ幸せな授与式だっただろうに、じいやも浮かない表情のの傍らでしょんぼりしている。

このじいやもと牧を子供の頃から見守ってきた人物である。大臣が言ったようにふたりが心を決めて夫婦になるというのならそれでもよかった。だが成長とともに惹かれ合う中で間に2度も戦乱を挟んだと牧の気持ちを思うと彼はあまり強く尻を叩く気にはならなかった。

ただ、たくさんの「失敗事例」で言いくるめられてしまった大臣たちとはこの3年間共に戦ってきた仲なので、彼らがいつも肝を冷やしていることや、に「頼れる家族」がいないということは少し結婚を焦るくらいには問題なのではと考えている。

それでも、最近ではわざわざお小言を言うこともなくなった。結局はが決断することだからだ。

「じゃあひとまず衣装室に行ってきます」
「戻られましたら授与一覧をご確認ください」
「えーっと、北門の修復工事の図面見に行かなきゃならないので、その後で」
「かしこまりました」

とじいやは苦笑いを交わすとそのまま分かれた。一応城も城下も人々が生活できるようになっているとは言え、まだまだ戦火の爪痕生々しく、その上一番被害の大きかった北門周辺は応急処置を繰り返していて、未だに完全に修復されていない。

安全上の問題でもっとも早く手を付けなければならない場所だが、瓦礫を撤去するだけで3ヶ月以上かかった。なので今が最優先で片付けなければならない仕事なのだが、この国がゆったりと裕福だった頃に作られた東西南北の門なので資材も資金も乏しい。

こうした仕事に関わるたびに、は自分の結婚など後回しでいいじゃないかと思ってしまう。自分はまだ死ぬような年ではないし、生来健康だし、幸か不幸か現在独身の王家の女性は揃って恋に恋する少女ばかり。彼女たちがボコボコ男の子を生んでくれるかもしれないし、逗留を勧めている某国の第4王子を養子にもらったっていい。

それよりは早くこの国を元の安心して暮らせる場所にしたい。どうしてもそう思ってしまう。

3年前、戦火に包まれた城下を脱出して湖水地方にたどり着いたは愕然とした。各地から届けられる情報をひとつの大きな地図にまとめてみたところ、ほとんどの都市が城下と同じような交戦状態にあり、なおかつ全て町に火を放たれていた。犠牲も出ていた。それが許せなかった。

だが、その溜飲を下げるためにより多くの犠牲を出していたらこの小国は潰れてしまう。そう考えたはとにかく「取り戻す」ことに集中して3年間を乗り切ってきた。先生の雑談に出てきた荒唐無稽な古い戦術すら全力で活用しなければならないような日々だった。

そういうのはもう、終わりにしたい。あの頃のつらい記憶を思い出すようなものは片付けて、人々の暮らしを守るために散っていった騎士たちを弔う丘くらいでしか思い出さなくていいようにしたかった。それが何より優先されるべきではないのだろうか。

結婚なんて、それが終わってからでも大丈夫なのに。

北門の工事を担当している城下の棟梁を交えて長い会議をしてきたは、城に戻るとそのまま執務室へと入った。執務室へは王座の背後にある扉から入ることになるが、もう王座も真っ暗で誰もいない。執務室も入り口の扉に明かりが灯してあるだけで、中は暗かった。

廊下の明かりを頼りにランプに火を灯し、自分の席に着く。机の上にはじいやがまとめておいてくれたと思しき授与式の資料が積まれていた。その一番上の紙には指で触れる。

騎士団はひとまず3階級にざっくりと分けられており、騎士、小隊長、各組総隊長の格付けがある。現在騎士の数が減ってしまったので12組60小隊しかないのだが、かつて牧はこの中の第72小隊の隊長であり、神や清田はその中の騎士のひとりに過ぎなかった。

それらは隊章の線の数で判別ができるようになっていて、騎士は1本線、小隊長は2本、各組総隊長は3本。隊章は騎士の制服の胸に留められるバッジで、秘密結社と名乗って帰還してきた牧たちには正式な授与がまだだった。なのでそれを与えるのがひとつ。

さらに騎士団には「色章」と呼ばれる各人の功績に対する勲章があり、式典の本質はこれの授与にある。功績の分野によって色分けがされていて、全部で七色。資料の一番上には、最も格の高い色章を授かる人物の名がふたつ記されている。

牧と神だ。

色章の中で最も重要で格上で限られた騎士にしか贈られないのが、黒の色章。黒は団長と副団長だけに与えられ、その座を下りる時には君主に返還しなければならない唯一の色章となっている。

その他にも武功には赤、戦略には青、武具や馬に関われば黄、交渉には緑、教会に貢献すれば紫、王家の警護で功績を上げれば白、と多様で、こちらはひとりで全色揃えることも可能になっている。例えば今回神であれば、黒と白と緑を同時に授与される予定。

まだふたりが幼かった頃、父親の胸元を見ては「大人になったら黒いのをもらうんだ」と目を輝かせていた牧を思い出すと、涙で視界がぼやけてくる。

そう、私たちはあんな幼かった頃からもうただの男の子と女の子じゃなかった。紳一は私が位を授ける真似をしてやったときから自分を騎士だと思ってたし、私はそれに守られる王女のままだと思っていた。意味もわからず城下の人々の生業を夢見たことなどなかった。

紳一は私を女王に望んだ。私は紳一が騎士団長になることを願ってた。

私たちの夢は、ただ夫婦になることではなかった。初めからずっと。

涙を拭ったは資料を取り上げ、ランプの明かりの中で肩を落とした。

かつて授与式は城内で厳かに行われていたのだが、そうした式典に使われてきた大広間はこちらも現在修復中で使用不能、そもそも騎士団全員を集めなければならないし、他にも関係者が多く参列するので正直場所がなかった。

そういうわけで騎士団とじいやと大臣が出した苦肉の策が、城下の大交差点である。以前は巨大な噴水があったのだが、それはすっかり壊されてしまったので、ひとまず更地。城内の大広間に比べれば手作り感満載の式典会場だったけれど、城下の人々も参加できることを心待ちにしていて、それぞれの授与の際には花びらを撒いてくれるという。

手持ちを直しただけのドレスに身を包み、いつもの重い王笏とマントに最近新たに作り直された王冠に似た形のティアラを頭に載せたが馬車から降り立つと、沿道に詰めかけた人々は大歓声で迎えた。陛下のドレス素敵! 白地に銀糸がまるで太陽に輝く月のよう! 衣装室大勝利である。

だが普段は王座に腰掛けたままなのでマントを引きずって歩くのは殊の外骨が折れた。重い。しかもその裾を持ってもよい立場の騎士たちは本日全員正装で整列していて助けてもらえない。

式次第はまず階級章を各代表に授与、そして色章各色を授与、で終わるのだが、色章に関しては授与を受けるひとりひとりに声をかけて功績を讃え日々の働きを労い、それから勲章を付けた騎士に例の剣で両肩を叩いてやる例の儀式を入れなければならない。

それが今回、なんと120人もいる。騎士団が帰還してきてから一度も授与式が出来なかったことに加え、年長者たちがゴッソリいなくなってしまったので新たに色章を授けられる人数が多いのである。

なので予め街角の掲示板に今回の授与式はものすごく長いです、ということは書き記してあった。だが、その120人の騎士たちにも家族や友人がいるので、彼らは親しい騎士が陛下のお褒めに預かる瞬間を目に焼き付けるべく、120人授与に挑む覚悟らしい。

……じいや、せめてマントどうにかなりませんか」
「陛下、おつらいでしょうが、それが伝統の重みです」
「これ明日腕上がらないと思うので介助をお願い」
「やむを得ません。お食事はお部屋でお取りください。犬食いでどうぞ」
「ドレスなんかどうでもいいからマントと王笏を作り直せばよかった」
「陛下、予算がないです」
「どこまで貧乏なんだ」

転がり落ちてしまう頭上の王冠は優先的に軽量化されたが、王笏とマントは歴代の王が使ってきたものなので女性の体にはあまりに重いし、しかも今回の儀式で慎重に振らねばならない剣は真剣、細身だがこれも重い。の腕は既にちょっと震え始めている。

そんなじいやとのやりとりは、最後に黒章を授与される都合ですぐ近くに整列していた牧と神と、晴れて騎士団第一組の総隊長になった清田にしっかり聞こえ、3人は思わず下を向いて笑いを堪え、肩を震わせた。みんな貧乏が悪いんだ。

本日は重要な式典とあって先生の発掘調査も休止、契約が終了したので清田も畜産試験場から戻っていた。ちなみに清田の方は王家の警護での功績による白、第一組総隊長就任で赤、そしてなぜか畜産試験場での活躍を讃えて黄が贈られることになっている。

の結婚についてのゴタゴタで気まずくなってしまっている3人だが、しかしこうして階級章と色章の授与を受けられるということは騎士の誉れである。騎士の息子は父親の胸にある色と同じ色を目指して少年部隊に入ってくるが、本当にそれを授かれるのはごく一部だ。

特例的に、牧が手がけている騎士の丘に入るものは生前兵士の身分であっても騎士の位を授けられることになっていて、それらは生き残っていれば家族に人となりを伺った上で特製の色章を授与される予定となっている。その時は改めて式典の予定。

なので3人も晴れ晴れとした表情をしていた。特に黒章を授かるふたりは本日特別仕様で、牧は黒のマント、神は青のマントである。どちらも騎士団の紋章が刺繍された団長と副団長しか着用を許されない色なので緊張と同時に誇らしさで胸がいっぱいになる。

特に牧の場合は父と祖父が使っていたものをそのまま身につけている。牧家の生き残りは彼ひとりだが、無意味な世襲ではなく比類なき功績によって上り詰めた騎士団の頂点である。それを目の当たりにしたは思わず嗚咽がこみ上げた。きっと牧のおじさまもおじいさまも喜んでる。

腕が重くだるくなって来るたびにはそれを思って耐えていたのだが、中には「陛下もう少しです、私は雑でも構いません」と囁いてくれる騎士もいて、授与式は実に和やかに執り行われていた。

だが、が頑張り続けること89人目、青の色章を授かる騎士の番が来たときだった。

彼は秘密結社時代に諜報活動で多くの作戦を支えた人物で、に騎士団だと悟られないように立てた偽りの代表のうちのひとりだった。

「先の戦におけるその勇敢にして怜悧な功績に対し、青の色章を授与する」

の前に進み出て跪いていた騎士が立ち上がり、大臣に色章をつけてもらう。その後再度片膝をついて剣で両肩を叩いてもらえば完了である。だが、彼は色章が胸に収まり、大臣が下がっても膝をつかないままを見下ろしていた。

……肩を叩きますよ、片膝です」

緊張して段取りを忘れてしまったのかと思い、はそう囁いた。だが、

「こんな近くでお目にかかれるのを心待ちにしておりました、陛下」

彼はそう言って目を潤ませた。感極まってしまったんだろうか。すると微笑ましくそのさまを眺めていた人々の目に、きらりと光る銀色が映った。彼はが儀式に使っているようなごく細身の剣を抜き放ち、に突きつけていた。

一瞬何が起こっているのかわからずにポカンとしていたたちだったが、青の色章を授かった騎士はその潤んだ瞳をますます濡らし、やがて頬に一筋の涙を伝わせた。

「こんな素人の女が君主になんてなるから、父さんは死んだんだ」
「なっ……
「もっと早く湖水地方から援軍を出していれば、助かったかもしれないのに」

にしか聞こえないようなか細い声だった。

「その上父さんの仇を取ることも出来ずに、平和平和って、オレたちは騎士なのに」

湖水地方から城下に援軍を出すのに手間取ったのは事実だ。普段は一般市民である人々を臨時に徴兵して送り込むかどうかで意見が割れたからだ。は絶対許さないと言い、寄せ集めの軍人たちは非常事態なんだから民間人も戦わせろと言い張った。

彼の父はそれが元でこの城下に散った騎士だったのだろうか。

はとにかく被害を最小限に抑えることを優先し、停戦協定を破って攻め込んできた敵国への深追いは禁じていた。それはおそらく牧もすぐに察知して、秘密結社を名乗りながら同じように立ち回っていたはずだ。

騎士は命をかけてお護りするのが役目。それを忘れてはいけないと繰り返し言いながら。

「お前もあの時、ここで死ねばよかったんだ」

悲鳴の中で細身の剣が振りかぶられる。

!!!」

牧の叫び声を聞きながら、は重いものを体に受けて地面に倒れた。