続・七姫物語 牧編

02

「牧さんが、グズグズしてるから、陛下が、かっこいい先生と再会、なさるんですよ!」

補佐の仕事が終わり、今度は騎士団の詰め所にて雑務を片付けている神は、同様に片付かなかった仕事の後始末をしている牧にくどくどと小言を言っていた。そろそろ疲れたし切り上げてのところに帰ろうか……と考える頃合いなのをわかっていて神は畳み掛ける。

「どうせ疎開先の家庭教師とか思って舐めてませんか?」
……陛下のご友人を舐めてかかるような心得はないがな」
「ご友人? それも慢心ですよ。他のことでは隙がないのにどうして陛下のことだけ……

ブツブツ言いながら地方からの書簡をまとめた神はついでに詰め所の片付けもし、ランプのオイルが切れ掛かっている牧の執務机の前に立ちはだかった。

「相手が家庭教師だから、自分たちは相思相愛だから、そんなことは何の保証にもなりません」
「陛下は先生と結婚したがってるのか?」
「ない話ではありません。4年ほど前に北の聖都で王子が教育係の女性と結婚されました」
「あれはそもそもが従姉妹だか再従姉妹だかって話だろ。なんで結婚まで話が飛躍するんだ」
「このまま陛下がお独り身でしたら文官たちは先生を推挙するでしょうね」
が了承すれば、だろ」
「牧さんがグズグズしたまま放置の末のお独り身だったらお受けなさる可能性もあります」

牧はハーッとため息を付き、手元にまとめてあった城関係者と騎士団共用の馬房の修繕費をザラザラと袋に詰める。先の襲撃の際に火の粉ひとつ飛んでこなかった幸運の象徴として最近では巡礼者が絶えなかったのだが、それ以前に老朽化が進んでおり、とうとう先日雨漏りを始めたので出来るだけ早く直さねばならない。

「牧さんは愛馬タカトーの屋根はすぐに取り掛かるのに、陛下はもう6年も待ちぼうけ」
「そういうことじゃないだろ。お前も執務室に出入りするようになってからしつこいな」
「その執務室で毎日陛下の見合い目的の謁見についてを処理しているオレの身にもなってください」

いっそ蔑んだ目をした神から牧はサッと顔を反らした。なんというか、この神ともうひとり清田という部下ふたりはと牧がモタモタしているのをつぶさに見てきたせいか、最近は早く婚約だけでもしろとしつこい。それが自分やへの愛情からくるものなのだとわかっているので、牧も強く出られない。

「先週なんか先の戦の時に敵方に媚び売って我が国には食糧支援すらしてこなかったような小国が図々しくも国王の甥っ子しかも長子でなく三男はいかがですかなんて本人国に置いたまま使者だけ寄越して贈り物も何も持たずにやって来てその上3日間逗留するから宿を用意しろそれまでに返事を寄越せとか言い出して」

騎士の仕事を離れて政務官兼護衛兼記録係兼謁見立会係をやらされているので神も機嫌が悪い。小言が過熱してきたので、牧は急いで机の上を片付けると、ランプの明かりを落とす。節約節約。

「お前が追い返したんだろ」
「当たり前じゃないですか。すぐに騎士の装備で戻ってきて追い払いました」
「頼もしいな。騎士の鑑じゃないか」
「そっ、そういうわけでは……オレは騎士の誓いが……

小言は多いが褒められると喜ぶ。牧は神の背を押して詰所を出ると、しっかり施錠をする。先の襲撃は素性の不確かな人間を城内に雇い入れ、その人物の手引きにより北門を突破されたことがきっかけだった。以来この国では何によらず防犯に過敏になっている。まあ、過敏で困ることはない。

まだ小言が切れない神に適当に相槌を打ってやりつつ、牧は城の通用門まで着いていく。神は現在騎士団の寮住まいだ。執務室に召し上げられているので城内の宿舎に入ってもいいよとから言われているのだが、騎士なので入りません、とこっちもなかなか頑固だ。

「明日は午後から学院の方で視察と講演があるからな。ちゃんと騎士の仕事だぞ」
「オレがちゃんと騎士の仕事するのいつ以来ですかね……
「清田なんか畜産試験場に出向してんだから、それよりはマシだろ」
「静かで助かります」

雑談で神が緩んだので、そのまま通用門から押し出す。だが、彼はそんなに甘くない。

「では明日は昼前に参上します。牧さん、さっさとしてくださいね」

そんな低い声の小言を残して通用門は閉じた。通用門の衛兵が肩を震わせている。

またため息をついた牧はくるりと踵を返すと、足早に王宮内を進む。現在の城は襲撃時の火事と戦闘でボロボロになっていた箇所を以前のように修復したものである。凄惨な記憶の残る場所だから一旦更地にして新しく建てたらどうかという声もあったけれど、予算もないし、必死に取り戻したものだということを忘れないようにしよう、と修繕と復元になった。そういうわけで、幼い頃からよく知った城のままだ。

王座や執務室のある城は「仕事場」であり、王族や城で働く人々の住居は別棟になっている。牧は迷わず王家の居館へと向かう。ただし現在王宮内の居館に住む王族はだけなので、彼女の住まいである最上階以外は使用人や役人たちも使っている。さながら王宮内の集合住宅だ。

階段の手前で夜勤にあたっている衛兵に声をかけ、最上階へ上がる。修繕の際に最上階をほとんどブチ抜いてしまったの部屋の扉をノックし、返事が聞こえてから開けると、素早く閉じる。ある程度距離はあるが、気をつけないと階段の下の衛兵に話し声を聞かれてしまう。

「おかえり紳一!」
「ただいま。遅くなってすまん」

扉を閉めるなりが飛びついてきたので、牧はそのまま抱き上げてくるりと回る。部屋に入るまではほぼしかめっ面だった牧だが、一気に緩んで穏やかな表情になる。

「食事の時間に戻れなくて悪かった。馬房の件が差し迫ってて」
「平気平気。私も明日のドレスを選ばなきゃいけなかったし、食事はさっさと済ませちゃったから」
「明日は学院だからなあ。じいやはまた派手なの勧めてきたんじゃないのか」
「そうなんだよ……。でもこれにする。どう?」

牧の腕からするりと抜け出したは、衣装部屋の中に飛び込むと、深い青の直線的なドレスを身に当てて出てきた。襟元と裾が白で、飾り気のないリボンは黒。学院ならぴったりだろう。

「よく似合うよ。ドレスは地味かもしれないけど中身がいいからな」
「ほんとー!? やっぱりこれにしてよかった! じゃ私もこれで終わり!」

ドレスを戻しているに手を伸ばし、牧は後ろからするりと抱きつく。

「お疲れ。明日は午前中何もないから、少し休めるな」
「本当は謁見が入ってたんだけど、神くんが捌いてくれたからね。……少し夜更かししても平気だよ」
「じゃあ風呂入ろうか」

体を捻り首を伸ばすに牧はゆっくりとキスをする。

神や清田やじいやたちにはさっさと婚約しなさいよと追い立てられているふたりだが、誰もいないところではこの通り、城下の新婚さん状態である。というか6年も離れ離れの末にやっと一緒になれたので、だいぶ盛り上がってもいる。何度もキスを繰り返すと、ふたりは揃って風呂場に向かう。

この王家の居館自体は火事での損傷も少なく、最上階をブチ抜いたことでの部屋の端には広々とした浴室がある。毎日定時に部屋の外にある釜で湯が沸かされ、好きな時に入れるようにしてあるので、と牧は毎日疲れた体をこの風呂で癒やしている。

湯を張り、の好きな香油を少し垂らすと、浴室中に良い香りが満ちる。湯に体を沈めた牧は、後から入ってきたの手を取り、そのまま抱き寄せる。

「明日、何を話すんだ」
「明日は文官系の子たちだから、まあこの3年の間にあったこととか、城での仕事についてなんかを」
「早く卒業して城に入ってくれないと神の小言が終わらん」
「清田くんも戻ってこられないもんねえ」

牧にもたれかかりながら、はくすくすと笑う。神も清田もふたりとも牧の腹心の部下と言って差し支えないはずだが、秘密結社時代は立場の上下にこだわっていられないことも多く、その上最近は全員職場がバラバラで、も清田とはしばらく会っていない。

「そしたら文系だけずるい! って話になったらしく、来月は武官系の子たちにも話を」
「まあ、我が女王陛下は負け戦を知らぬ猛将であらせられるからな」
「忠義に篤く気高い騎士が守護してくれるからです」
「それを学生たちに話してやるのか?」
「話してもいいけどただの惚気になっちゃうよ」

話しながらふたりは合間に何度もキスを挟む。――とまあ、周囲が焦っている割に、ふたりは私的な時間にはこうしてのびのびと過ごしている。もちろん女王が未婚で成人した王族が少ないことが問題だということはわかっている。自分の結婚は自分たちだけの問題ではないことも。

ただ、部屋でふたりきりのときは、どちらも自分の立場を忘れているのだ。女王とその騎士、ではなくて、ただの幼馴染に戻る。結婚どうしますか、外交上不利ですし謁見も手間だし書類作成して夫婦になりますか、急いで世継ぎも作りませんとね……という話をしようという気にはならない。

それに、も牧も「自分たちの将来」については鈍感で、例の第4王子様を見ても、いつかあんな子供が欲しいね、きゃー恥ずかしい、が関の山。毎日は忙しくて疲れるし、それを離れた誰の目もない場所では何も考えたくない。なのでふたりの全ては先送りされ続けている。

「だけど朝イチの予定が入っていないなんて久しぶり。少し寝坊したいな〜」
「じいやが起こしに来ないか?」
「一応声をかけるまで朝食はいらないって言っておいたんだけど」
……じゃあ少し夜更かしするか」
「しよっか」

浴槽の縁にもたれていたの背にキスを落とした牧は、湯の中で彼女の体に手を滑らせる。水面が波打ち、ふんわりとよい香りが漂うと、は小さく息を吐いて身を縮める。

……愛しの騎士さま、ベッドまで連れて行って下さい」
「お安い御用です、女王陛下。お望みのままに」

そういうわけで、早く騎士業に戻りたい神が懸命に突っつくも、ふたりは毎日こんな調子であった。

翌日の午後、城下の外れにある高等学院へ出向いたは、まだ修了まで1年以上かかる学生たちに向かって話をしていた。人手不足も甚だしいこの国の中枢にあって、彼らは今すぐにでも来てほしいくらいの人材である。しかしいくら女王陛下でも人手不足でも「勉強なんかいいから早く働いて」なんて言ってはいけないのである。本末転倒。

「皆さんと学び舎は異なりますが、こちらの騎士団副団長も現在はその役割だけでなく、政務や外交にも携わるなど、多方面に渡る職務に取り組んでいます。もちろん先の戦では劣勢にも関わらずこの城下を守ってくれました。彼らのように剣を持って戦えと言いたいのではありません。皆さんも、彼らも、そしてわたくしも、今は全員で団結して問題に取り組むときなのです」

そういうわけなので、ちょっとばかり専門外の仕事を頼まれても不貞腐れたりしないでね! 全て全て誰かがやらねばならない大事なお仕事なのです! 選り好みできる情勢じゃありません! という刷り込みが透けて見えるので、後ろに控えていた神は頭を下げながら笑うのを堪えていた。

牧も学生たちの後ろで講堂内を見渡しながら、つい口元を押さえた。の視察に警護で同行した清田は畜産試験場にて異様に動物に好かれるという謎の体質が発現、所長に手を合わせられたにそのまま置いていかれた。現在3ヶ月契約で出向中である。

の「マジで人手が足りません、色んな分野を貪欲に学んで何でも出来るようにしてきて下さい」という本音を柔らかくふんわりと包み込んだ講演が終わると、盛大な拍手が講堂を満たした。

現在の学生はがまだお気楽なお姫様だったことを知っている世代である。なので、飾り物のようだった王女殿下だけど、今はもうすっかり頼もしい女王陛下でいらっしゃる、と感心しきり。その上女子生徒には神が大人気。が控室に消えると、すぐに取り囲まれていた。

「神くんモテモテじゃーん」
「嬉しくありません。騎士が陛下に置いていかれて女生徒に絡まれるなんて」

もみくちゃにされた神がげっそりしていると、の講演を覗きに来ていた大学院の教授が浮かれた様子で控室に入ってきた。先生が調査のついでにやってくることを聞きつけたらしい。滞在中にぜひ学院の方へ足を運ぶよう陛下に取り計らってほしいと興奮気味だった。

「そんなに有名な先生なんですか?」
「その筋では名の知られた研究者なんだって話だったけど……
「確か歴史家というお話でしたね」

本日騎士団長として来ている牧は事情をよく知る家臣しかいなくてもに敬語を使う。はその牧の声に頷くと、腕組みをしてちょっと首を傾げた。

「私も先生のご専門に関してはそれほど詳しく伺ったことないんだけど、先生が研究してらっしゃる誰だかが特に記録が少ないとかで、そんなところから関係のありそうなところをつぶさに調べていったら、いつの間にか第一人者になってた……って話だよ」

しかも先生、歴史に興味を持って調査を開始したのがまだ初等科に通っていた頃というのだから筋金入りだ。疎開中のたちは先生からよく歴史上の偉人の逸話を聞かせてもらっていた。

「不確かなことが多いから、歴史というより神話とか英雄譚になっちゃってる人も多いらしくて」
「それでこんな遠方まで調査に来られるわけですね」
「その先生お気に入りの偉人だかがこの国に立ち寄った形跡があるとかで」
「それだけで来ちゃうんですか」
「それだけ熱心な方なんだよ」

研究調査だけでなく他の目的があるんじゃなかろうな……と神はどうにも疑心暗鬼だが、は先生との再会を心待ちにしているらしい。牧もそれについてはなんの危機感もなく、もちろん部屋に帰れば毎日甘いひとときを過ごしているのだし、神の思い過ごしとしか思わなかった。

なので数日後、王家疎開陣総出の出迎えを受けた先生が到着すると、神はもちろんのこと、牧もようやく青い顔になった。先生、まるでおとぎ話の王子様だった。

「陛下、大変ご無沙汰をしています。この3年というもの、陛下の御身を案じてばかりおりました」
「ありがとうございます先生。疎開先では本当にお世話になりました」
「暖炉の前で私の昔話に目を輝かせていた少女が、立派な女王陛下になられて」
「私などまだまだ未熟者に過ぎません。先生の前ではお話をせがむ子供のままです」
「なんと、ご謙遜を」

これが老紳士との会話であれば、皆微笑ましく思うだけで済んだだろう。しかし先生はの言うように30歳前後で背が高くすらりとしていて柔らかな茶色の髪がさらりと風に揺れる美青年。涼やかな目元に鼻筋が通っていて、瞳がきらりきらりと輝く。

の背後に控える疎開経験のある王女たちはもう辛抱たまらずそわそわと浮き立っている。早く先生にご挨拶をしてお話をしたい。だが先生は女王の手を取って屈み込んだまま離れようとしない。

「私も何かご支援できることがあればと考えたのですが、悲しいかなただの研究者に過ぎず」
「とんでもありません、先生に教わった古代の兵法がまさかの実戦で役に立ちました」
「あんな雑談を覚えておられたのですか!? しかもそれを実戦で」
「おかげさまでこうして城に戻ることができました」
「陛下は本当に聡明な方でいらっしゃいますね」

それを真横で聞いている牧は隣に並ぶ神の視線が痛くてつい顔を背けた。

……それを後ろから支えて実行に移したのはオレたちなんですけどねー」
「控えろ、仕事中だ」
「あーあ、大臣たちの顔見てくださいよ。王女殿下たちと同じ顔してますよ」

来客用の装いのの手を恭しく取り、目線を合わせて熱心に語りかける先生は大臣たちにとってもまさに「理想的な王子様」に見えていた。強いて言えば服装が平民のそれであるくらいで、お国では最高学府の教授である先生は言ってみれば貴族階級。法的には問題ありません。

元々王家の女性の結婚に関してはそれほど制約がない。この国の王家もずっと男子が後を継ぐという決まりの中で続いてきた。なのでそもそも女王の婚姻に関する法がないのである。しかしこの先生が現れるまでは「女王陛下は騎士団長と結婚する」と全員思っていたので、王女の段階では全く問題がないことを依拠に女王の場合でも騎士団長との婚姻が問題ないように整えている真っ最中。

それがしっかり裏目に出た。この国の法では先生でも女王の夫になれてしまう。

「牧さんがさっさとしないから」
「神、控えろ。関係ない」
「何のために3年間戦ってきたと思ってるんですか。オレたちに対する裏切りでもありますよ」

厳しい騎士団長の顔をしているけれど、牧は返答に詰まってまた顔を逸らした。

突然停戦協定を破られて攻め込まれたあの時、戦を終える準備ばかりしていたこの国はあっという間に戦力を削がれて危機的状況に陥った。その際機転を利かせて王女を逃し、奮闘を続けていた上の世代の騎士たちと共に城下に残ったのは牧たちのような若い世代だった。

そして最終的に王女を城下から逃した際には、と牧がやっと素直になって心を通わせたところをしっかり目撃している。王女は泣いて牧と離れることを嫌がった。だが、騎士団長に女王になれと言われて、ただどこかへ嫁ぐだけの姫として育てられていたというのに3年間もこの国を守り通した。

先代の団長、牧の父親の方針もあって、現在の騎士たちは何をおいても「女王陛下の御為に身命を賭する」が信条である。があの時何より望んだのは愛しい幼馴染と一緒にいることだった。だから3年間、騎士と名乗ることもできない日陰の戦いに懸命になっていたのだ。

全ては団長と女王陛下が幸せになれるようにと願ってのことだった。だから神は不満を漏らしたのだ。先生と手を取り合って楽しげに喋っているを見る大臣たちは、もう牧の方など見なかった。「女王の夫」に相応しい殿方が現れた――そういう顔をしていた。

「牧さん以外の殿方と結婚した陛下をお護りするなんて、あまりに残酷です」