続・七姫物語 牧編

03

先生が滞在している城内の館には来客がひっきりなしに訪れ、中でも疎開していた頃にまだ幼かった王家の少女たちは「陛下には騎士団長がおられるし、先生はお独り身だから私がお相手を」と堂々と宣言をした上で館に入り浸っていた。

なので先生はこの国の学院の教授たち――いわば同業者と、王家の女性たちの取り合いとなっていて、そもそもの目的である研究調査に出られない日々がしばし続いた。

そんな中で執務室で耳に痛いことをネチネチと聞かされていたのはである。

「先生は求婚目的でいらしたわけではないでしょう」
「もちろんそうですが、本来王家の結婚など惚れた腫れたでするものでもありません」
「あれ以来きちんとお話もできていないんですよ、今はご家族がいらっしゃるかも――
「ご家族がいらっしゃったらおひとりでやって来て陛下の手を取って目を潤ませたりしません」

この日は神が不在だったので余計に大臣たちは先生との婚約を推している。

「よろしいですか陛下、陛下は城下の町娘とは生きる世界が違うのです。陛下がお世継ぎをお生みになられるということは、この王家の血統を絶やさぬための策ではありません。政務に生涯を捧げる君主を作ることなのです。もしこれでお世継ぎが生まれないまま陛下が不慮の事態で身罷られたとします。残っているのは陛下より年下のいとこやはとこの女性ばかり。彼女たちは陛下のような女王を目指すお考えはないそうです。そうなった時、この国に何が起こるか、陛下はおわかりになりますね」

戦だ。

政を預かる機関がその屋台骨を失った状態の国など右往左往する民がいるだけ、それなら我が国が頂いてしまいましょうという輩を引き寄せるのがオチだ。が町娘のように結婚も出産も拒んだとして、それに対して無策のままでいたら結局また民を苦しめることになる。

「女王」とは、高貴で裕福で偉ぶっていることを言うのではない。職務のために公私の別なく身を投げ出すことでもあるのだ。それが嫌なら3年前のあの時に王女の身分を捨てて平民になり、この国を敵国に明け渡してしまえばよかったのだ。亡命先なら先生が引き受けてくれただろう。

それが出来なかったのはにとってこの国が故郷であり、騎士を含めた民たちをこれ以上苦しめたくないという強い思いからだった。

ここにの姉や妹がいて、それらが子を生んでくれていればが独身の女王を貫いても問題はなかった。しかしいわゆる王家の「直系」の生き残りはただひとり、兄は既に亡いし、兄には子供がひとりいたけれど、それも殺された。というか王家の男子はほとんど殺された。

大臣たちの言うように、せめて今「王族」と言えるの親戚はいとこやはとこばかりだし、一番近いいとこでも先代の国王であるの父親の腹違いの妹が貴族階級の文官と結婚して生んだ女の子である。彼女は今着飾って先生の館に入り浸っている。

これが戦乱に縁のない国であったら、の意志に関係なく大臣たちが先生に縁談を持ちかけ、先生の方に何かどうしても話を受けられない事情でもない限りはすぐにまとまってしまっただろう。

そもそも王家の女性の結婚など、そういうものだったのだ。

だがは今やこの国を護る君主である。その上突然戦乱のど真ん中に放り出されても決して諦めることなく国を取り戻した英雄でもあり、そのが幼馴染の騎士団長を大変好いていて、騎士団長もそれは同じらしい、ということを皆が汲んでくれていたに過ぎない。

だというのに女王と騎士団長は城下の恋人たちのようにのんびり過ごしていて、世継ぎはともかく、せめて婚約だけでもという周りの懇願にも耳を貸さず、ずっとその件を先延ばしにしていた。

……正直申しまして、我々は陛下や団長がその辺の廊下で転げ回って遊んでいる頃から存じ上げております。ですからおふたりが女王とその夫となり、この国を支えるご夫婦となられるのでしたらそれでも構わなかったのです。でも、団長が戻ってから一体どれだけ経ったと思ってるんです」

その間役人たちは国の立て直しが急務だというのに見合い目的の謁見願いの相手にばかり時間を取られ、特に外交に携わる者たちから「年若い女王が独り身で王家が頼りないのでいつも肝を冷やしている」と、暗にそこが弱点なのだぞと思い知らされる機会が多いと報告してきた。

女王が婚約や結婚を公にすることは、この国を預かる王家がこれからも民を護ってゆくのだと宣言することでもあるのだ。王家の人数が増え、それが優秀な人材であればなおさら「我が国は例え一番上の首を取っても決して倒れない」と示せる。王家の存続はつまり、国の存続なのである。

「この際だから申し上げます。陛下がいつまでも団長と恋仲でフラフラしていたいと仰るなら、女王の座をおりて頂く他ありません。後は国家の危機的状況ということで先代の国王陛下のいとこに当たられる方に後を継いで頂き、危機的状況の特例として側室制度を復活させることになります」

先の戦を生き残ったの父親のいとこと言うと、現在裁判所で裁判官をやっている。最近では法改正のために寝ずに仕事をしているという話だ。の記憶では旧貴族の妻との間に子供が3人、そのうちひとりは先の戦乱で亡くなっている。

それを担ぎ出して側室をあてがい、世継ぎを産ませるというのか――

「残酷なお話だと思いますか? それだけ陛下の結婚には責任が伴うものなのですよ。陛下はそれをよくご存知のはずです。紳一殿もご存知のはずです。私たちは充分待ちました」

大臣の厳しい表情を見ながら、は神相手のように気楽に「だって紳一が求婚してくれないんだもん」とは言えなかった。自分はこの3年間を経てすっかり「女王の自覚」が出来たと思っていたけれど、とんでもなかった。がやって来たのは戦中という特別な状況下の「女王という司令官」であり、死ぬまで民に仕える護国の君主などではなかったのだ。

私は好きな時に好きな人と結婚するから邪魔するなというのは勝手だ。だがその尻拭いをするのは家臣たちだし、がそうした態度を取ることで彼らが君主に対する忠誠心を失っても文句は言えないし、結果また戦になってもそれは自業自得だ。

の心は揺れた。

牧と結婚したいというひとりの女性としての気持ち、自分しかこの国を護るものがいないという挟持、そして、そんな「公僕」としてしか生きられない自分の人生に牧を付き合わせていいのだろうか――という不安。

叱責にも等しい大臣の厳しい言葉を受けてなお、は女王をやめたいとは思わなかった。

女王の座はが家族から受け継いだ唯一の財産であり、最後の生き残りである自分がこの国を守っていかれなかったら、数百年続いた一族と国の歴史を自分の代で終わらせることになってしまう。

女王は私しかいない、だけど、紳一の妻となれる女性なら、私以外にもいるかもしれない――

「隊長はバカですか」
「きっと団長が生きてたら同じこと言っただろうな」

が執務室で大臣に説教されている頃、神は詰め所の片隅で畜産試験場から休暇で里帰りしてきた清田と差し向かいになってお茶を飲んでいた。そういうわけでこの場合は「隊長」が牧、「団長」が牧の父親である。

「先生がどういうつもりかわからないけど、あの様子では引き受けてくださるかもしれないし、女王の夫は別に国王ではないから研究は続けられるし、何ならこの国に拠点を移すことで国家予算を使い放題になってしまう」

神はお茶をガブリと煽るとテーブルに額を打ち付けた。これが酒ならよかったのに。

「で? そのバカ隊長はどこ行ってるんです」
「こういうことって重なるんだよな、実家。被害調査」
「ああ、一番最後でいいって言ってましたね。それが今なんですか、なんて間の悪い」

牧家は古くから城下の外れに邸宅を構えており、その屋敷は3年前の襲撃で灰燼に帰した。だが最近牧はの部屋か騎士の寮に寝起きしていたし、彼の少ない親族はそれぞれ城下の別の町や国内の都市に散らばっていて、屋敷の復旧は急務ではなかった。

なのでこの被害状況の調査も含め、一番最後でいいと当主が言うので本当に一番最後に回された牧家の査察が始まってしまった。皮肉にも牧家は数百年続く騎士の家系で歴史も古く、邸宅は巨大。それら全て牧の立ち会いのもとで調査しなければならないので、しばらく帰ってこられないという状況。

「なにか言ってました?」
「それなりにショックを受けてたみたいだけど、元々自分の血筋を理由に逃げてたからなあ」
「先生自身は貴族階級の研究者なんですよね? 血筋はいいんすか?」
「お家はご当地の古代神官の家系、実質王家より格上」
「あーあ」

そういう先祖を持つので先生は国でも特別待遇を受けていて、なのでたちの疎開先として最高のお家だったのだ。大臣たちが色めき立つのも無理はない。

「いくら大臣たちが盛り上がってるからって、だったらもう婚約しようってなりません?」
「生き別れになるかもしれないとわかって初めて愛してるって言ったくらいだしなあ」
「てか血筋って、初代が流れ者だったってこと、まだ気にしてるんですか?」
「そうらしい」
「そこから300年の間に何人貴族から嫁もらってんすか! もう初代の血なんか残ってませんよ!」

清田は腕組みをしたまま椅子の背に仰け反った。とにかく牧はいくら先祖代々騎士稼業でも、その原初は流れ者の剣士と城下の平民だったという言い伝えを根拠に自分は下賤な身だと言い張ってきた。そう己を戒めることで驕り高ぶるまいとしたのだろうが、少々行き過ぎた。

そんな風に部下がお茶で呻いている同じ頃、実家の瓦礫の山で検分に立ち会っていた牧は、大騒ぎの役人の間で珍しく狼狽えていた。屋敷の南東あたりの調査をしていたら、割れた基礎部分の下からずいぶんと古い建築の跡が見つかったのだ。

牧が思い出せる限りの情報で言うと、この壊滅状態の屋敷は150年以上前の代物だったはずだ。するとその下から出てきたのはさらに前の家の痕跡だろうか。役人は検分をせねばならないことを忘れて大興奮、慎重に瓦礫を避けた。

すると何やら壊れた瓦のような欠片とともに、汚れて錆びた丸い金属片が出てきた。これも欠けたりしていて原型をとどめていないが、丁寧に土汚れを払ったところ、とんでもないものが出てきた。

「だ、団長! これ、鷲ですよ!」
「鷲?」
「大変だ、もしこれが本物なら、ああ団長、今すぐ先生にお越しいただけませんか」

役人が大興奮の意味がわからない牧は首を突き出してきょとんとしていた。先生?

「ですから、これ、鷲でしょう? で、これ、マントの留め具だと思いませんか」
「ああ、まあそうなるか……
「ね? そしたら、時代がもし合えば、これって、ソロンのものだと思いませんか!?」
「ソロン?」
「団長、あなた英雄ソロンをご存じないんですか!?」

鼻息の荒い役人が詰め寄るので、牧は思わず身を引いた。いや「英雄ソロン」は一応知ってるけど、それっておとぎ話と言うか、遠い国の英雄譚だったんじゃなかったか。確か子供の頃にそういう話を親父に聞かせてもらったことがある。話の中に竜とか出てこなかったか?

「確か今先生はソロンの足跡を辿ってここまでいらしてるんですよね?」
「そ、それは知らなかった」
……団長、この土地は片付いたら国に寄贈したいと仰ってましたね?」
……別に長くなっても構わないが」

役人のキラキラした目を読んだ牧は先回りしてため息をついた。元々被害状況の調査が終わって更地になったら国に譲り渡して何でも好きなことに使ってもらおうと思っていた「遺産」だ。何が出てきたのかそれを発掘調査したいなら好きなだけ掘り返してもらっても構わない。

それに、もし大臣たちに押し切られてが先生と婚約してしまったら、3年前に考えていた地方都市への異動を願い出るつもりだった。

も家もあの先生に取られるのか――

先生の登場で珍しく消極的になっていた牧はそんな考えに囚われて、またため息をついた。当時からこの家は騎士の家だったから、もしそんな英雄がこの国に立ち寄ったとしたら、逗留を勧めたかもしれない。大陸にその名を轟かすソロンにあやかろうと、マントの留め具をくすねたかもしれない。

自分はそういう荒くれ者の末裔なのだ。

をどれだけ愛していても、そんな血筋を王家に混ぜてしまうのは不敬だという思いが拭えなかった。牧家の初代はこんな立派な留め具を持てるような人物ではなかったはずだ。ボロボロの服に錆びた剣を背中に差し、物乞いのようにして城下に紛れ込んだ浮浪者だと聞かされてきた。

先生は遠く古代の神官の血を引いているという。先生の住む国の王家ですら一目置く家系である。かつて大陸全土で信仰された神の声を聞く「神の代理人」の家だ。物語の中の英雄ソロンもその神を信仰していた。

考えれば考えるほど自分はに相応しくない。先生はまるであつらえたかのよう。

大変だソロンだ発掘調査だと沸く役人たちを眺めながら、牧は瓦礫に腰を下ろした。初代は一体なぜ流れ者になんかなったのだろう。子供の頃はそれを不思議に思っていた。家族も奥さんもなく、なんで物乞いみたいになってこの国にやってきたんだろう。

今ならそれが少しわかる気がした。

彼はもうその時には何も持っていなかったんだろう。家族も、愛しい人も、国も、何もかも。

館の中で来客の対応に追われていた先生だが、牧家の下から鷲が刻まれた留め具が出てきたと聞いて目の色を変えた。そもそもがそのための調査でここまでやって来ていたのだ。早く調査に入りたいと願っていたけれど、早速証拠らしきものが出てくるなんて。

「ええと、牧家はその初代からずっと騎士の家系で、騎士団の創始者だと言われています」
「それがおよそ300年前ですね?」
「ソロンと時代が合うのですか?」
「ソロンは生年や没年が定かでないんですが、前後50年ほど余裕を取れれば充分合います」

先生は来客の相手などしていられなくなり、まずは女王に調査隊の組織を願い出た。これはもちろんすぐにまとまったのだが、牧同様英雄ソロンと言われてもおとぎ話だという認識しかなかったは、改めて先生に説明を頼んでいた。執務室である。

そして実家から離れられない牧に代わり、牧家の説明をしているのは神だ。

「一番確かな記録はもちろん生まれた国に残っている史料ですが、その後ソロンが関わったとされる戦乱の記録は大陸のあちこちに散見されて、しかし精査するとそのほとんどが創作なんです。またはソロンではない人物の逸話がソロンの名で語られていたり。彼の名は英雄の代名詞のように使われていたのかもしれません。おとぎ話も多いですしね」

だから先生はあちこちに実際に足を運んでは、ソロンの記録とされるものを調査しまくってきたわけだ。そのほとんどがハズレだったわけだが、ここに来てもしかしたら本人の持ち物かもしれない留め具が出てきた。冷静を装っているが、先生、頬がちょっと赤い。

「ソロンの出身は南方のとある国で、あまりに腕が立つので少年の頃から剣士として活躍していたとか、嘘か本当か確かめようのない噂が多く、そのために『この戦に出ていたから成人だったはずだ』なんていう推定が出来ないんです。その上、のちに国を出たソロンは各地を転々とし、おかげでソロン伝説が量産される羽目になり、実はどこで没したのかもわかっていないんです」

そうした不確かな足跡が余計にソロンを英雄たらしめているわけだが、先生曰く、最新の研究では方々で語り継がれるほどの英雄ではなかった可能性もあるという。しかも、彼の出身国では鷲は縁起の悪い鳥だそうで、過去にそんなものを自らの印にする例はなく、それが結果的にはソロンの証拠となってしまうわけだが――

「ソロンが最初に英雄になったのは、実はとある戦に敗北したあとなんです。小国同士の資源に絡む小競り合いから発展した戦だったのですが、その際に妻子を失ったとされていて、復讐に駆られた彼は単身敵国に潜入し、なんと国王を討ち取ってしまったんですね」

その場で斬り殺されてもおかしくない状況だが、たったひとりで乗り込んできて首を取ってしまった返り血まみれのソロンに手出しができなかったのだという。そして国に戻ると、ソロンは英雄になっていた。しかし復讐の鬼と化して血塗れで帰還した彼は不吉な鳥に例えて「国殺しの鷲」と呼ばれるようになり、以後軍神としていくつもの戦で活躍をしたという。

「ソロンが国を出た理由は諸説ありますが、現在のところ一番有力な説は彼がいることで国が侵略戦争に熱心になったからではないかと言われています。同時に国殺しの鷲という名だけが一人歩きを始め、正当化された侵略戦争の象徴のように祀り上げられていた記録が残っています。ですが彼は元々南方の国の貴族階級のいち軍人に過ぎませんから、逃げ出したのかもしれません」

その辺りからソロンに関する史料は怪しくなり始め、一気におとぎ話じみてくる。

「ではその後に大陸を転々とするうちに、我が国に立ち寄った可能性があるということですか?」
「はい、そうです。私が今調査を終えている足取りがこれなのですが……

先生は机の上に地図を広げる。赤のインクで線が引かれており、ちょうどこの国の近くで途切れていた。と神は興味津々で地図を覗き込んだ。あのおとぎ話の英雄が本当に実在したなんて。

「こちらに来る途中、国境沿いの農家を訪ねていたのですが、その中に1軒だけ、ソロンからもらったという小刀を家宝と崇めているお宅がありました。言い伝えでは、陛下のご先祖に当たられる当時の国王陛下を訪ねる旅の途中だったとかで」

なるほど、とふたりは頷く。そこでこの国に来て調査をし、また旅立っていった足跡でも見つかれば、それを追うというわけか。

「副団長殿、仮に300年前だとすると、どなたの御代になりますか?」
「300年……おそらくギルラ1世だと思います」
「やはりそうですか。信憑性がありそうですね。ギルラ1世と言えば賢帝で知られる王様だ」

も腕組みをして聞き入る。ギルラ1世と言えばこの国の歴史の中でも最も賢く国を治めたと言われる王であり、「ギルラ」の名は愛称であり通り名に過ぎないのだが、本名よりも知名度が高い。

「大陸を放浪中、賢帝と謳われる陛下に謁見したくてやって来たのかもしれません」
「そういう旅だったのですか?」
「旅の目的はわかりませんが、各地の有名人と会見したという記録は多いです。充分考えられます」

そうしてやって来た旅人が英雄ソロンその人だと知れば、最初に飛びつくのはやはり騎士団だろうな、とも考える。謁見を待つ間、時代が合うなら騎士稼業を始めた牧の先祖に歓待を受けて逗留したかもしれない。

「団長のお宅が無事なら、あるいはもっと詳細な証拠が見つかったかもしれませんね」
「または先代、先々代にお話をお伺いできればと……返す返すも悔やまれます」

幼い頃から牧家に出入りしていたという神の記憶では、書庫と言うよりはとにかく書類やら書物やらを詰め込んでおく蔵があったそうで、そこはいたずら盛りの子供でも入ろうと思わないほど物が積み上げられていて、今にも崩れてきそうな状態だったらしい。それも全部焼失してしまった。

「特に敷地内にある蔵や小屋は、壁は石造りでも屋根や扉が木と瓦の場合が多いですからね……
「ではお屋敷自体は残っておられる?」
「いえ、それこそ基礎と壁部分以外には木材が多くて、室内への延焼は早かったようです」

そのため現在の牧家は枠組みだけが残っているような状態で、同様直系の牧家は嫡子の紳一しか生き残っていないし、巨大な石造りの基礎を修繕して屋敷に立て直す予算も必要もない。なので牧はいっそ土地ごと国に差し出してしまおうと考えたわけだ。

しかしひとまず仮に牧家の土地は国と学院の管理下に置かれ、先生主導のもと発掘調査が開始される。先生は調査隊の会議がありますので、と史料を抱えてにこにこしながら執務室を出ていった。

……でも、調査が終わるまでは牧さんの土地なんですよね」
「そう。ソロンのものかどうかもまだ確定じゃないし」
「調査が終わるまで牧さん帰ってこられないですね」
……先生も行きっきりだろうから、その間に私も少し考えるよ」

先生の残していったソロンの史料をめくっていたの言葉に、神は驚いて肩をすくめた。

「陛下、まさかとは思いますが」
「副団長、少し疲れたので下がってください」
「陛下、オレたちはそんなことのために」
「下がりなさい」
「まだ考え直すような状態では、牧さんの心が決まれば」
「下がれ!」

立ち上がったに王笏を突きつけられた神はウッと詰まって一歩下がり、その場で体を折り曲げて膝に突きそうなほど頭を下げた。いくら親しげでもは女王陛下、神はそれに仕える騎士である。頭を上げきれない神は泣きそうな顔をしていて、しかしは追い打ちをかける。

「あなたも公人なら、私たちが私情だけで身勝手に生きられない道を選んでいるということはわかるはずです。私はこの国に、そして民に対して責任があります。それこそギルラ1世より昔から受け継いできた責任です。私は私的なことで女王の座を降りるつもりはありません」

そしては声を落とすと、ため息混じりに言って背を向けた。

「騎士に余計な仕事をさせた私が愚かでした。副団長、今日限りで執務室の補佐は終わります」

神はまた深々と頭を下げ、か細い声で「失礼します」と言うと、逃げるように出ていった。