セブン・ワンダーズ [牧]

で、そのまま私の家まで来た牧は、それでも緊張しつつ、ウチの母親に事情を話した。お母さんも子猫にはグラついてるけど、まだお父さんは帰ってきてないので判断しかねる感じだ。お父さんだって猫好きだけど、さてなんて言うかはわからない。

「困ったわね、あーだけど可愛いわねーあーよしよしいい子ねー」

というか既にお母さんはメロってるし。だいたいこのタイガー、ぼんやりした顔してるけど、人を見上げる時の顔はなんだかあざといぞ。牧がコロッと籠絡されたのがわかる気がする。そんな風に私たちが困った困ったって言い続けてたら、我が家のドン・梅さんがのそりとやって来た。

「お、可愛いな。梅さん、こんばんわ」
「梅さんは厳しいから気を付けてね」
「厳しい? 可愛い顔してるのにな――痛て!」
「だから言ったのに」

初対面で不用意に近付くと梅さんは若干爪出てる猫パンチを繰り出してくる。猫慣れしてない牧が手を出したので、梅さんはさっそく一発お見舞いした。

「梅さんもこれだしねえ」
「この間犬と喧嘩して勝ったからね」
「梅さんすげえな……

だけど、牧をじろりと睨んだ梅さんはひょいと立ち上がって、お母さんの足に手をかけた。そして、首を伸ばしてタイガーの方を見たと思ったら、なんだかずいぶん優しい声で鳴いた。私たちはサッと顔を見合わせたあと、黙ってタイガーを梅さんに近付けてみた。

「梅さんも一応女の子だから、気になるのかしら」
「この間病院で子猫に向かってファーッて言ってたのに」

お母さんがそっとタイガーを差し出すと、梅さんはちょろちょろと顔を動かして、匂いを嗅いだりしている。とりあえず猫パンチが飛んでくる気配がないので、お母さんはタイガーを梅さんの前にちょこんと置いてみた。急に放り出されたタイガーはまたピャーと鳴く。すると――

「嘘!?」
「梅さん!?」

私とお母さんは同時に大声を上げてしまった。なんと梅さん、タイガーの首の後ろを咥えると、ダッシュで自分のねぐらに連れて行ってしまった。なんだか嫌な感じがして振り返ると、牧がそれはもう腹立つほどのにんまり顔で私を見下ろしてた。

……だけどお父さんがダメって言ったら無理だよ」
「ああそうだな。そしたらみんなに話して里親探してもらおう」

牧はそんなことになるわけがないって顔してる。なんか悔しい。梅さんの突然の母性の目覚めにポカンとしていた私とお母さんにも「お邪魔しました!」とか元気に挨拶して牧は帰っていった。

で。

なんかすごく負けた感がすごいんだけど、それから少しして帰ってきたお父さんはアイアンメイデン梅さんが腹に子猫抱え込んでるのを見て膝から崩れ落ちた。その音に気付いたタイガーがまたピャーって鳴いたのを聞いて、今度はべたりと床に這いつくばった。

はい。飼うことになりました。

「あのさ、バレてると思うけど」
「そっ、そんなことないだろ。別にオレは何も変わってない」

牧が、公園で猫飼ってたから急いで帰ってたなんて恥ずかしいというので、一応私の尾行は失敗したことになってる。だけど、牧は携帯の待受がウチの猫2匹になるし、ちょっと時間が出来ると猫元気かとか私に聞いてきたりするし、皆なんとなく察してるっぽい。

もちろん部活中は猫の話なんかしたりはしないんだけど、例えば土曜なんかに練習が半日で終わったりした時は確実に私に纏わりついて、家行ってもいいかとか言い出すし、今はどんな猫缶食べさせてるんだとか言い出すので、3年生に関して言えば、あとで向こうから牧の猫でも預かってるのかって聞かれた。

簡単に言えば一応そういうことなので、牧の家で飼えなくなった子を引き取った、牧はその子の里親を探すためにダッシュで帰ってた、責任感じてるらしくて、よく様子を見に来るんだと説明しておいた。

だけど部活は忙しいし、牧は中々うちに来られなかった。

というところの期末前。予選を全勝で抜けたチームのキャプテンとは思えないほど緩んだ顔の牧を連れて、私は自宅に向かってる。テスト期間中、牧は毎日ウチに来て勉強するらしい。

「ただいまー。梅さーん、スモモ貸してー」
「スモモ?」

お母さんがまだ帰ってないので、私は梅さんを探す。梅さんはあれ以来スモモを片時も離さない。

「そう、スモモ。言うの忘れてたね。あの子、女の子だった」
「マジか!!!」

牧は呆然としてる。なぜかオスだと思い込んでいたからなあ。タイガーとか名付けたくらいだし。まあタイガーでもいいかと思ってそのまま動物病院行ったら先生が「メスですね」なんて言うものだから、お父さんが改名しちゃった。スモモは感染症もなく健康そのもので、最近は梅さんとお父さんで取り合いになってる。

2匹が見当たらないので私は牧を連れて部屋に入る。実は、梅さんとお父さんの間で可愛がられてるスモモは、私が好き。リビングで寛いでたりすると梅さんのお腹っていう定位置をのそりと出てきて私の膝によじ登ってくる。そのせいで最近梅さんが冷たいけどスモモ可愛いからよしとする。

そんなわけで、最近階段登りを覚えたスモモは私の部屋にいることが多い。もちろん梅さんも一緒だ。というか梅さんが過保護なのでケージにも入れず家の中を好きに歩かせてるってわけです。梅さんは人間よりスモモを甘やかしてるので、スモモはソファから転げ落ちたことすらない。

「そ、そうか、それじゃしょうがないよな、スモモか、そうだよな、梅さんの子分だもんな」
「牧、泣きそうな顔してるよ。あ、いた。ただいまー」

スモモはもうピャーと鳴かない。細い声だけどちゃんとニャーンと鳴く。牧が膝から崩れ落ちる。お父さんか。

「タイ……じゃなくてスモモ、元気だったか、ちょっと見ない間に大きくなったな」
「ていうかこの子大人しくないよ。今割と暴れん坊」
「マジか! 何だよすっかりここんちの子になっちゃったな、おいで」

犬みたいに歓喜の顔で飛んでくるわけじゃないけど、スモモはニャーンと一声鳴いて、牧に近寄ってきた。

「お前重くなったなあ!」
「ご飯もよく食べるよ。好き嫌いもないみたいだし」
「え。猫って好き嫌いとかあるのか」
「少なくとも梅さんは偏食というか、気に入ったものしか食べない」

ベッドに寄りかかってスモモを抱っこしてる牧は、それはもう見事なデレっぷりで、部活中とか試合中は怖い顔してるのに、別人のように優しい顔してる。毎日部活で見てるけど、こんな顔の牧、知らなかったな。学校帰りに寄り道したりとかもしてたけど、本来の牧っていうのを垣間見れた感じがして、ちょっとくすぐったい。

というか猫が目的とはいえ、普通に牧が私の部屋にいるっていうのが不思議。変な感じ。

……スモモになっちゃったりして、ちょっと寂しい気もしてたけど、安心した」
「贅沢はさせてあげられないけど、ちゃんと面倒見るからね」

何しろ予想に反してお父さんがスモモ溺愛してるし、元々梅さんはお母さんと私が欲しくて飼った猫だし、そういう意味では安心して預けてくれていいと思う。可愛がることだけは自信あるよ。

「ほんとに、、本当にありがとう」

だからさ、そんな優しい顔でにっこり微笑んでそんなこと、言わないでくれないかな。

宣言通り牧はテスト期間中うちに通い詰めた。というか猫会いたさに娘がマネージャーやってる部活の部長が毎日のように来てると聞いたお父さんが牧に興味を示し、なぜか牧もそれにビビることもなく、とうとうご飯食べていくようになって、テストが明けてもうちに来るようになった。

つまり、牧とお父さんはスモモ可愛い同士で意気投合しちゃってるわけだ。

……なんとなく翔陽とか陵南とかに申し訳ない気がするのは気のせいかな。

そんなわけで夏休み、翌日から合宿だから練習休みっていうこの日も牧はうちに来てる。準備はちゃんと出来てるからいいだろと本人は言うけど、そういう問題かなあ……

「しばらく会えないな、スモモ〜」
「お父さんは喜んでるけどね」
「何で?」
「私がいないからスモモ独り占めできると思ってるんだと思うけど」

梅さんがいるのにそんなわけにいくか。というか私がいなくてスモモを独占できると思ってるのは梅さんも同じだと思う。しかもスモモが私を好きだから梅さんは許しているようなもので、スモモが望んでお父さんに擦り寄ったりしない限りは許さないんじゃないかなあ。

「もしかしてインターハイ行く前も来る?」

牧は苦笑いだ。インターハイ前に合宿だけど、さすがに合宿先からインターハイに直行したりはしない。一度帰ってくる。というか合宿疲れがインターハイに残るといけないから、丸2日休みになる。

「ま、いいけど。親も歓迎してるくらいだしね」
「え、その、は迷惑だったか」
「そんなこと言ってないでしょ。ただほら、最近ちょっと勘違いされてるみたいだし」

期末以来、しょっちゅう私の家に行くという前提で一緒に帰ってるし、勘違いされても仕方ないんだけどさ。

「まあまだ部の中だけだからそれでも問題はないだろうけど、気を付けなよ」
「気を付けるって、何を?」
「だから、私たち付き合ってるって思われてるみたいだから」

スモモを膝に置いた牧はポカンとした顔してる。てか何これ、こんなこと言うのすっごいつらい。私と付き合ってるって思われてるみたいだから、必要があったら訂正してねみたいなこと、何で言わなきゃいけないんだろう。牧がそう言ったわけじゃないのに、私何でこんなに卑屈になってるんだろう。

ていうところでスモモが目に入った。牧の膝で牧の手に撫でられてる。途端にそれが羨ましく感じてきた。そっか、私、牧がこうやって私の部屋にいるのに、いっつもスモモばっかり見てるから、それで卑屈になっちゃってるのかも。私のことなんか見てくれないんだなあって、そんな風に。

……それは、ごめん」
……は?」
「誰が言ってた? オレがちゃんと言うよ」
「え、ちょっと待って、何の話?」

撫でる手が止まったので、スモモはモゾモゾと牧の膝を這い出て、これ幸いと迎えに来た梅さんにじゃれついてる。牧は少し顔を傾けてそれを眺めながら、こめかみを掻いてる。

「何のって、そういうの、迷惑だったよな、ごめん。オレも調子に乗ってた。そうだよな、付き合ってるわけでもないのにしょっちゅう部屋に来られちゃな」

ええとこの盛大な勘違いはどうやって訂正したらいい? てか牧も結構な卑屈っぷりだな。

「あのさ、牧――
が何も言わないからつい勘違いしてた」
「え、勘違い? 何を?」
「だからその、こういうのってもしかするのかと――

背筋がゾワッと来た。気持ち悪いからじゃなくて、気持ちが沸き立ったから。

「もしかするっていうのは……
「も、もちろん最初はちゃんとスモモに会いに来てるだけの――そういうつもりだったんだけど」
……だけど?」
「今は、スモモ半分、、半分というか」

どんどん顔が傾いていく牧は、それに合わせて声が小さくなっていく。私は膝に置いてある牧の手にそっと手を重ねてみた。傾いていた牧の顔が勢いよく戻ってきた。恥ずかしそうな顔、してる。

「私、半分じゃなくて、全部がいいなあ」
「え」
「私は全部だから」

重ねた手にまた手が重なる。牧の手に挟まれた私の手は少し震えてた。そのまま引き寄せられて、そっと寄り添う。抱き締めるとかそんなんじゃなくて、ギリギリのところで触れないようにしてるみたい。だけど、牧が緊張してるのは伝わってきたし、私が緊張してるのも伝わってると思う。

スモモが梅さんとじゃれてる音だけが響いてて、私も牧もそこから身動き取れない状態になってたけど、意を決したって感じで牧の手が背中に伸びてきたから、私も半分くらい勢いで腕を伸ばしてギュッと抱きついてみた。同じようにギュッと抱き返される腕がやっぱりちょっとくすぐったい。

「オレが独り占めしたら、スモモ、怒るかな」
「梅さんとお父さんは喜ぶよ」
……は?」
「私も喜ぶ」

そんなこと言ってくすくすと笑い合ってたら、頬に牧の指が伸びてきた。少しだけ体を引いて、牧の顔を見上げると、すぐ近くに牧の目があって、なんだか吸い込まれそう――なんて思いつつ、ゆっくりと目を閉じた。

そっと、触れるくらいの優しいキス――のはずだったんだけど。

「痛った!!!」
「ンナー!!」

ちょっと触れただけの所で牧が悲鳴を上げた。慌てて目を開けたら、牧の腕に思いっきり爪を立てたスモモがぶら下がってた。あああ、それは痛い……

「スモモごめん、別に姉ちゃんに変なことしてるわけじゃ、いや変なことかもしれないけど、スモモ痛い!」

なんとかしてスモモを引き剥がそうとした牧は、今度は背中に梅さんのどつき攻撃を食らって仰け反った。梅さんは、スモモがニャーニャー鳴いてるので、とりあえず牧のせいということにしたらしい。

「大丈夫?」
「大丈夫だけど、なんか複雑」
「スモモ半分、私半分だってわかってるのかもね」
「そんな〜」

かくりと項垂れた牧の頭を抱き寄せて撫でてやる。またするりと体に絡む、傷だらけの牧の腕が気持ちいい。

「続きは?」
「また引っかかれそうだな」
「やめる?」
……いや、半分半分のオレが悪い。耐える」

今度はちゃんとチューできた。――けど、牧はまた引っかかれた。

「スモモ〜、チューくらい許してくれよ痛い痛い! 、助けてくれー」

私は涙目の牧のこめかみにキスしてにんまりと笑う。

「全部私になったら助けてあげるー」
「そんなー!」

END