セブン・ワンダーズ [三井]

私、。最近不思議に思ってることがある。

この間見かけてしまった、あのきれいな女の人、誰なんだろう。

まあほら、三井はだいぶ激しくグレてたわけだし、襲撃事件の時に呼び集めた仲間の中には年上もいたって話だし、だから外でどんな付き合いがあるかなんてわからないし、ああいうきれいなオトナのお姉さんとお知り合いでも不思議はない。

というかあのきれいなお姉さんと三井はずいぶん親しげで、平気で腕とか肩とか触ってたし、お姉さんなんか別れ際に三井の頭を撫でたりして、年上のお姉さんと年下の男の子のカップルって感じだった。

それに何しろお姉さんと話してる三井はにこにこしてて、あんた実は双子だったんじゃないのってくらい優しい顔してて、グレてた時のあの凶悪な顔が嘘みたいだった。私も怖い顔で睨まれたこと、ある。だけどあんな風に優しく微笑まれたことはない。いいなあお姉さん。

あっ、そうそう、そんな凶悪な顔してた頃も含めて片思い歴そろそろ26ヶ月目です。しつこいとか言うな。

しょうがないでしょ、私の出身校、あいつがMVP取った時のトーナメントの第二試合の対戦相手でさ。そりゃもうボロクソに負けたんだけど、かっこよかったんだよホントに。それと湘北で再会した私はその場で「運命だ!」と思ったという……短絡的とか言うな。

私のアイドルはパッとしない湘北のバスケ部を一躍全国区に押し上げるはずだったのに、こともあろうにグレてしまって、だけど私は彼への憧れがどうしても消えなくて、どんどん凶悪になっていく三井に話しかけることすら出来なくなっても、それでも好きで。

だから、3年になって同じクラスになって、しかも突然更生してバスケ部戻った時は家でこっそり泣くほど嬉しかった。もう形振り構ってられなくて、部活に行く三井に、中学の時試合で当たって負けてること、すごいと思ったってこと、応援してるってことだけは言ってある。

あいつのことだから「おう、悪いな」くらいしか言わなかったし、会話らしい会話もそれっきりだけど、今度土日に試合があるって言うし、その時は見に行っちゃおうかなとか思ってた。

ていうところでお姉さんドーン!

私は高校入ってからは部活やってない。バイト。地元駅の近くのパン屋。道路挟んで向かいは高いカフェ。いつもきれいなお姉さんとか勘違いした感じのオッサンとかがテラス席でお茶してるのを指咥えて見てた。そこにきれいなお姉さんと三井が現れた時の衝撃ったらなかったよね。

三井は私服で、そんなん初めて見たけど、まあそのかっこいいです。その日は日曜だったんだけどお姉さんはスーツで、作り物みたいな巻き髪にキラキラした爪が遠目にもわかるほど輝いてた。

パン屋の私は髪引っ詰めてバンダナ巻いてマスクして、ポロシャツに半パン、靴下にスニーカー、指先はカッサカサ。この間友達のお姉ちゃん24歳に「10代羨ましい私なんかもうババア」って言われたけど、全身脱毛済みのお姉ちゃんの方がよっぽどツヤツヤしてた。

年上好きだったのかー、でも年上好きじゃなくてもあんなきれいなお姉さんだったらグラッと来るだろうなあ、お姉さんハイヒール履いてるけど三井が背高いから絵になるなー、くっそー私の26ヶ月!

だけど別にあんなきれいなお姉さんがいようがいまいが、三井が私と付き合ってくれるわけはないんだし、まだちょっと怖いけど潔く髪切って更生した三井は女子には割と好意的に受け入れられているし、私は26ヶ月を悔やまないようなメンタルを作る方がいいような気がしてきた。

この春からパン職人で就職してきたオーナーの息子さんがたまに失敗するので、最近はその失敗作をもらって帰ることが多い。私はまたパンの入った袋を手に店を出る。表のカフェは20時を過ぎるとダウンライト営業に変わって、ああかっこいいな、あんなとこでお茶してみたい。

「あれ、?」
「うん、コーヒー一杯でも1000円とかしそうだよね」
「何の話だ」
「ファッ!?」

気付かない内に誰かと会話してたらしい私が顔を上げると、三井が見下ろしてた。ちょ、心の準備が!

「お前ここでバイトしてたのか」
「え、あ、うんそう。三井はこんな時間まで練習?」
「練習の後接骨院行って、飯食って、これから帰る」
「い、忙しいね……

今年になって作ったっていう湘北の赤と黒のジャージがなんだか別の世界の人みたいに見える。酔っ払いに絡まれるのが面倒だから上だけパーカーの私は、なんとなく恥ずかしくなってぶら下げてたパンの袋を背中に隠した。あのお姉さんとご飯、してきたのかな。

「もしかしてそれ、パン?」
「え。ああそう、失敗しちゃったやつだけど」
「余分にあるか?」
「あるけど……食べる?」

三井はまさかの食いつきでうんうんと頷く。ご飯食べてきたんじゃないのか。

だけどパン屋の前で立ったままパン食べるのもなんだから、ちょっと移動して駅前のベンチに座ってパンを差し出した。三井は途端にキラキラした目して紙袋の中をガサゴサやってる。餌付けみたいだな。

「ご飯食べてきたんじゃないの」
「食べてきたけど量が少なかったんだよな。助かる。どのくらい食べていいんだ」
「全部食べてもいいけど」
「マジか!」

どうせ失敗作だ。ただ失敗してるのは見た目とか形であって、味は同じだから、不味くはない。三井は全部食べていいと聞いた途端、物色していた手を止めてすぐにかじりつく。

「まあ部活の後じゃお腹減るか……
「減るなんてもんじゃねえぞ。接骨院にいる間地獄だった」
「帰ってから食べるつもりだったの?」
「そうしたかったけど、あんま金ないんだよな」
「ご飯、作ってもらえないの?」

つい思ったまま言っちゃったけど、ああそんなこと聞くなよバカバカ。

「いや、今ちょうど親いないだけ」
「毎日部活なのに大変だね」
「まあ、飯の問題くらいだけどな」

こうやって足りなかったりはするけど、それでも親がいなくてもあのきれいなお姉さんがご飯の面倒見てくれるってことなのかな。私が彼女だったらご飯作りに行ってあげるのにな。大したものは作れないけど、お腹いっぱいにさせてあげることは出来ると思う。たぶん。

だけどそんなことは実現しないんだし、三井はお腹減ってるだけなんだし、私はただのクラスメイトなんだし、バスケ部どうなの、復帰してからどう? っていうような話をしていればいいじゃん普通。なのに、

「ご飯作ってくれる彼女とかいないの?」

何でそんなことを口走ったんだろう。三井はパンをモサモサ食べながらボフッと吹き出す。

「いたら困ってねえだろ、アホか」
「え、いないの」
「悪いかよ」
「いやそうじゃなくて……

三井の言葉にホッとしたけど、「ご飯を作ってくれる彼女」はいなくても「作ってくれないけど奢ってくれる彼女」ならいるのかもと考えて、また私は落ち込む。どんだけネガティブなんだと思うけど、恋する乙女なんてこんなもんでしょ。

「彼女、いそうだなあって思ったから」
「へえ、何で」
「何で!?」

何でも何もあのお姉さん。とは言えない。だし、私の目から見たら三井は普通にかっこいいので、彼女いそうと思うのは別におかしなことではないと思うんだけど……

「学校で女連れて歩いてたことなんかないだろ」
「学校ではなくても外であるかもしれないじゃん」
「堀田みたいなのとばっかりつるんでたんだぜ。女なんか寄ってこないだろ」
「そういうもんかなあ。ナンパとかしなかったの」
「お前な、オレにどんなイメージ抱いてたんだよ」

そりゃあ超かっこいいバスケットマンですけど。

「イメージって……私は中学の時の印象が強いからなあ」
「そ、それは忘れろ!」
「えー! 何でよ!」
「何でもだ!」

三井は「ふぉれはわふれろ」「はんへもは」って言ってるけど、まあなんとなく通じる。あんな輝かしい過去なのに、嫌なのかな。すんごいしかめっ面してるけど、ロン毛だった頃より怖くないから不思議だ。それが少し嬉しくなって、だからまた私は何も考えないで口を滑らせた。

「なんとなくだけど、年上のお姉さんとかと付き合ってそうな感じ」

私今何言った? っていう血の気が引く感じと、ああこれで楽になれるっていう安心感が一気に来た。彼女いないって言うけど、隠したいだけかもしれないし、好きなだけで付き合ってないかもしれないし、だけどこれで私の26ヶ月が終わるならそれでもいいかなって。

今、地元駅のベンチで失敗作のパンだけど、三井とふたりっきりで話してる。それだけでも嬉しいよ。

「年上……? あ、もしかしてお前、パン屋、向かいの」
「え」

パンが喉に詰まったらしい三井はバッグの中からスポドリ引っ張りだしてゴクゴク流し込むと、私の顔の真ん中に向かって人差し指を突きつけた。鼻に指突っ込まれるのかと思った私はつい身を引く。

「もしかして、これか?」

三井が携帯を操作して差し出した。そこにはあのきれいなお姉さん。ユニフォーム姿の三井とぺったりくっついてピースしてる。いやその、まさにカップル然としてて、私は言葉が出ない。

「これ、叔母だけど」
「はあ?」

おばさんていうのはおばさんであって、これはお姉さんだろう――という顔をしていた私を見て、三井はブハッと吹き出す。そんな顔歪めて笑わなくたって……

「まあ、似てねえからなあ」
「はあ」
「てか若く見えるかもしれないけどこの人38だぜ」
「はあ?」
「てか何、オレがこの人と付き合ってるように見えたっていうのかよ」
「はあ」

私はもう無気力な新入社員みたいな返事しか出来ない。三井はまたブハッと吹き出して肩を震わせてる。

……今ちょっとな、バスケ部戻ってから色々世話になってんだよ」
「そっか」
「更生ったって髪切ってバスケ部に戻っただけだから……まだちょっとな、色々と」
「そっか」
「何だよ、オレに年上の彼女いると思ってショックだったか?」
「うん。――――――わ、違、あの、だから、そうじゃなくて!」

やってもうた……。半笑いの不意打ちで三井がそんなこと言うもんだから、つい言っちゃったじゃん……。終わった。全て終わった。私の26ヶ月も終わったけど、卒業までの9ヶ月、普通のクラスメイトでいられた時間も終わったよ……さようなら私の恋、さようなら私の青春、ああ、走って逃げたい。いや、逃げよう。

「ごめん、忘れて、そのパンあげる、じゃあね」
「は? いやいやちょっと待てお前言い逃げとか!」

シュバッと立ち上がって逃げようとした私の手を三井が掴む。そういうのやめて下さい!!!

「はな、離して、私帰るし、逃げるし、もういいから」
「よくねえだろ、いいからちょっと座れ」
「もういいじゃん引っ張らないでよー」

頑張って逃げようとしたけど三井は手を離してくれない。引き戻された私はまたベンチに座った。針の筵ってこういうこと言うんだろうな……。三井はまだ私の手をガッチリ押さえてて、隙あらば逃げようとする私をなんとなーく引っ張ってる。

「私ちゃんとわかってるから、忘れてくんないかな」
「わかってるって……何の話だよ」
「だから、別に私、どうにかなりたいとかそんなこと思ってないし、迷惑なのわかってるから――
「迷惑? 何で?」
「は?」

話が噛み合ってないことに気付いて顔を上げたら、三井がむず痒そうな顔してる。どういうこと?

「どうにかなりたいと思ってないのに、ショックだったのかよ」
「そんなに掘り下げないでよ、傷口開くから」
「いじめてるみたいな言い方するなよ。てかその、オレ、迷惑じゃない、けど」

三井の顔をまともに見られなくて横向いてた私は、バッと顔を戻した。掴まれてた手が緩んで、手のひらに滑りこんで、キュッと繋がれる。え、嘘、マジで? 夢じゃないのこれ。

「迷惑じゃないし、どうにかなるんだったらそれでもいいなと思ってんだけど」
「何で……?」
「何でって、この間も声かけてくれたの、なんかすげえ嬉しかったし」

今度は三井の方がちょっと横を向く。この間のって応援してるとか言ったアレ?

「本当はどっちなんだよ」
……26ヶ月前から好きです」
「にじゅ……マジか、ええと、なんかすまん、その、ありがとう」
「私でいいの」

そんなの信じられないけど、だけど三井は頷くし、繋いだ手がギュッとなるから、それでいいのかもしれない。

願わくは、次の26ヶ月も一緒にいられますように――

END