セブン・ワンダーズ [神]

私、。最近不思議に思ってることがある。

神、なんでいつもあの怪しげな路地に入っていくんだろう。

だってゲートの看板に「たそがれ横丁」だよ? 奥の方なんか薄暗くて見えないし、手前の方もビールケースが積まれてるし、この間なんかそのビールケースに座っておじいちゃんがワンカップ片手に居眠りしてたんだよ。一体高校生がこんなところ、何の用があるっていうの。

県下最強の海南バスケ部のスタメンである神がこんな酒の匂いのキツいところ、マズくない?

私はバスケ部ってわけじゃないし、神の特別仲がいい友達ってわけでもないんだけど、何しろここは私の通学路で、神があの怪しい「たそがれ横丁」に入っていくのを何度か目撃してからずっと気になってる。

横丁の中に親が店を持ってるとかそういうのは考えてみたけど、それはないはずなんだ。なんかのきっかけで話してた時に、神のお父さんは今海外に単身赴任で、お母さんも出張が多い仕事してて、って話、聞いたことあるから。家業が横丁の飲食店じゃ恥ずかしいから嘘、ってのでもないと思う。

だって神はそれがどんなことでも、嘘なんかつかないから。

それだけじゃなくて、だいたい神って、普段から穏やかだし真面目だし、たまにちょっと黒くなるけど、基本的には「優等生」ってタイプなんだもん。それが「たそがれ横丁」だから、なんだか見てはいけないものを見てしまったような感じがして落ち着かない。

しかも悲しいかな通学路なもんで、部活帰りとかで帰る時間が被ったりすることも多くて、もう何度も横丁に入ってく神を見かけちゃってる。神のことだから、何か悪いことしてるとは思えないんだけど、だけどもしかして、いやいやだけど――ってループになっちゃってる。

それが何回も続いたせいで私の方も感覚が麻痺してきちゃって、神のプライベートなことなんだから私が口出しするのはオカシイ、とか、神が「たそがれ横丁」で何してるのか突き止めてどうするんだ、とかいうことを考えなくなっちゃってた。

だからこの日、私はまた横丁の方に向かう神を見かけて、ついふらふらとその後を追ってしまった。神はスタスタと横丁のゲートを通り過ぎて中に入ってく。だけど横丁は入ってすぐにカーブしてて、しかも道が2本に分かれてて、すぐに神の姿が見えなくなる。

さすがにゲートを抜けてまで追いかけていく勇気はなくて、私はゲートに半分身を隠した状態で止まった。それにしても完璧な飲み屋街だな、なんて呑気なことを考えてたその時だった。やけに臭いお酒の匂いがしたんで振り返ったら、この間のワンカップおじいちゃんがすぐそばにいて、私はつい悲鳴を上げた。

だっておじいちゃん前歯ないし、目は濁ってるし、手が小刻みに震えてて、なんかもう恐怖しかなかった。

「トクさん何かあったの――あれっ、!?」
「じ、神、た、助けて、はな、離して下さい」
「トクさんその子オレの友達だから離して」
「宗ちゃんかあ、可愛い子じゃねえかあ、いい子だなあ」

神は私の制服をガッチリと掴んでたおじいちゃんの手を解いて、間に入ってくれた。

「トクさん、外で飲んでるとまたフミさんに怒られちゃうよ。中にいなよ」
「平気だよそんなの、オレはここでいいの。宗ちゃんも飲んでいけよお」
「オレまだお酒飲めないでしょ」

おじいちゃんは既にかなり酔っ払ってて、神が何度払っても私の方に手を伸ばしてくる。埒が明かないと思ったのか、神は私の肩を押して横丁の奥へとじりじり下がり始めた。トクさんはある程度のところまで来るとピタリと足を止め、ある意味では人の良さそうな笑顔でにこにこと笑ったまま立ち尽くしてる。

「あそこまでがテリトリーなんだ。あそこから奥には入ってこない。、帰りだよね?」
「う、うん」
「急いでる?」
「平気、大丈夫」
「じゃあおじいちゃんがいなくなるまで」

そう言って神はまた私の肩を押して横丁の奥に入っていく。

「怖かったよな、ごめん」
「ななな、なんで神が謝るの、私がついふらふらと」
「何かここに用があったの?」
「えと、なんかこんな飲み屋ばっかりなのに神が入ってくのが見えたから、どうしたんだろって」
「うわー、ごめん」

いや神は悪くないから! 悪いの私だから! って言いたいけど、喉が乾いて張り付いて、うまく喋れない。

「別にここで酒飲んでるわけじゃないよ」
「そっ、それはわかってるよ、そうじゃなくて、ごめん、なんか大丈夫かなって」
「まあこんな昭和の匂いがキツいところだしね」

神は苦笑いだ。確かに言われてみると、この「たそがれ横丁」はものすごいレトロな町並みで、異世界に迷い込んだような感じがする。夕暮れが影を落として、ぼんやりとオレンジ色に染まっていく横丁は少し怖くて少しワクワクしてくる。私、ちゃんと現実の世界にいるよね?

神から1歩くらい遅れて着いて行くと、ほぼ突き当りにある店の前にやってきた。看板はまだ明かりがついてないけど、渋い筆文字で「呑処 みくまり」って書かれてる。

「みくまりって、水の神様っていうような意味なんだけど……
「へえ、なんかかっこいいね」
「え!? そうかな、だからその、ここって親戚の店で、ほら、神でしょ」
……うん?」
「父方の伯母さんの店なんだけど、水商売やってる神てことで、ね」
……ああ!」

やっと意味がわかった私は普通に感心して手をパチンと合わせた。だけど――

「お酒出すだけで水商売になるの?」
「まあ、色々意味合いがあるけど、少なくとも伯母さんがそう言ってるから」
「そっか、親戚のお店があったからここに入ってきたんだね」
「そう、ご飯食べに」

神はにっこりと微笑んでそんなこと言うけど……そうか、親が忙しいからここでご飯食べてるのか。普通よりだいぶ忙しい運動部なのに大変だなあ。やっと納得がいった私を確認すると、神は入口のドアをガラガラと引いた。神の頭に当たった縄のれんが揺れて、また私は現実感がなくなっていく。

「ただいまー」
「おー、おかえり」
「ちょっとトクさんがアレでさ、友達もいい?」
「はあ? ……あらあらやだやだ、いらっしゃい、どうぞどうぞ」

神に促されて店内に入ると、濃い茶色の髪の小母さんがカウンターの中から手招きしてた。

さんていうんだけど、今同じクラスで、オレがここに入ってくのを見て心配させちゃってさ」
「それでトクさんに捕まっちゃったの? まー、悪かったわねえ」
「いえ、そんな、すみません……

また神が肩を押すので、私はもうされるがままでカウンターに座った。

「たぶんもうすぐフミさん出てくると思うから、それまで」
「あら、じゃあフミさんに連絡しておいてあげようか? それともご飯食べてく? 何ちゃんだっけ?」
「えっと、何だっけ、――

「ああそうそう、ちゃん。ご飯食べてく?」

小母さんと神はにこにこしてるけど、どうしたらいいのこれ。しかも不意打ちで超笑顔の神に「ちゃん」とか言われて冷静でいられない。ご飯食べてく、ってそんなことすら判断出来ない。どうしたらいいんだろう。

「えっと、その」
「まあご飯て言ってもおしゃれなものはないわよ、若い子が来る店じゃないからね」
「まだ少し時間かかるだろうから、ちょっと食べていったら?」
「は、はい、じゃあ、ちょっとだけ」

正直言って、お腹なんか空いてなかったし、雰囲気に飲まれちゃって狼狽えるばっかりだったんだけど、この「みくまり」の店内、超いい匂いが充満してたんだよね。出汁の匂いっていうのかな? あったかーい、やわらかーい、幸せな匂い。それに負けちゃった。

「伯母さんの料理、美味いよ。それが目当てで来る人もいるくらいだし」
「うん、すごくいい匂いしてる」
「じゃあちゃんは小鉢にしようね。宗ちゃんはご飯用意しな」

はーい、なんていいお返事して神はカウンターの方に入っていく。普段優等生キャラの神が居酒屋のカウンターの中にいるのって変な感じ。そんなこと考えながらぼんやり神を眺めてたら、すごいことになった。神はうどんとか入れるような丼にご飯を盛ってる。え、何それマッターホルン?

「そんなに食べるの!?」
「部活の後だもん」

だからって――とポカンと口を開けてた私の前に、どんどんおかずらしきお惣菜の皿が出てくる。定食とかだったらそれだけで済みそうなおかずが4皿、私用の小鉢が4つ。ついでに烏龍茶らしい茶色の液体が入ったジョッキとグラスが出てきた。ジョッキよりは小さいけど、やたらとでっかいグラスだ。

「それ全部食べちゃうの!?」
「食べるよー。てかまた後で夜食食べることもあるよ」
「なんでそれで太らないの……
……部活で動いてるから」

そりゃそうだ。私はそんな当たり前のことも忘れていたのが可笑しくて、つい吹き出した。

「でも、おいしそー。これ、何だろう」
「何って……芋がら」
「イモガラ? お芋なのこれ」
「いや、芋そのものじゃなくて……伯母さん、芋がらって何だっけ」
「里芋の茎」

小鉢の中の茶色い物体がわからなくてつい聞いてみただけだったんだけど、説明をされてもわからない。里芋の茎って、里芋って茎があるの? あれって土の中に埋まってるんじゃないの?

「あらやだ、ちゃんは芋がら食べたことなかったか。大丈夫?」
「は、はい、たぶん……
「けっこうおいしいよ。クセもないし」

神がふつうにもぐもぐやってるから、それを信じてひとつ口に入れてみる。

……お、おいし」
「だろー」
「まあそうねえ、今の若いお母さんは芋がらなんか煮ないかしらねえ」

小母さんはカラカラ笑ってるけど、たぶんここに並んでる小鉢の中で、私が家で食べたことがあるとしたら、たぶんポテトサラダだけだ。煮魚も何の魚かわからないし、スポンジみたいな煮物は豆腐だって言うし、神はこれが好きなんだって言いながら「シノダマキ」とかいうのを食べてた。

途中まで気付かなかったけど、小母さんの料理はポテトサラダ以外全部和食だった。口に合わなかったら残していいのよ宗ちゃんが全部食べるから、なんて言って笑ってるけど、全部すごくおいしかった。家ではこういう料理出てこないから、なんだかすごく新鮮。

――って、早!」
「えー。が遅いんじゃないの」

小鉢がどれもおいしくてつい夢中になってたら、隣のマッターホルンが消えてた。いやまあ、私もトロいのかもしれないけど、そっちも早すぎでしょ……

食べ終わると神はさっさと食器を片付ける。カウンターの中に入るのは図々しいだろうから、私はカウンター越しに食器を手渡す。神も慣れた手つきで食器を洗っていく。その脇では仕込みが終わったらしい小母さんがお酒を飲み始めてる。開店前なのにいいのかな。

というかほんとに今気付いたけど、私、居酒屋に入るの、初めてだ!

営業時間外だから厳密には入ったことにはならないのかもしれないけど、だけどこれは間違いなく私の居酒屋初体験だ。そう思うとちょっとドキドキしてくる。なんていう風に実は少し楽しくなってきた時のことだった。ガラリと勢いよく扉が開いて、誰かが入ってきた。

「いらっしゃーい」
「おう――なんだよカズさん、女の子入れることにしたのかい」
「そんなわけないだろ、宗ちゃんの友達」
「友達ィ? おお宗ちゃんおかえり、彼女なんじゃねえのー?」
「同じクラスの子だよ。てか怖がらせないでよ」
「何もしてないだろー! 怖くなんかないよな、なー、お嬢ちゃん」

いや怖いです。私は店の1番奥にへばりついてどうしたらいいかわからなくなって固まってた。このおじさんとおじいちゃんの中間くらいの人は顔も怖いし声はガラガラだし、何しろ頭はパンチパーマだし、怖くないところがない。神がすぐに出てきてくれたけど、何も言えないまま私は突っ立ってた。

「小父さん、トクさんまだいた?」
「おお、じーさんならまだビールケースんとこにいたけど」
「あらやだ、フミさん今日は遅いのかしら」
「何言ってんだいカズさん、フミさんとこ今日休みだぜ」
「え!」

急に人名が増えてよくわからないけど、あの入り口のおじいちゃんトクさんは、フミさんとか言う人が来ればいなくなるらしいんだけど、そのフミさんが今日はお休みなので、まだゲートの脇でワンカップ飲んでるらしい。

「困ったな、帰れないじゃん」
「あー、そうか、トクさんに引っかかっちゃったのか。運が悪かったなあ」
「それじゃ20時くらいまでかかるわね。ちゃん、時間大丈夫?」

話が見えないのでおろおろしながら神を見上げてたら、20時くらいになるとトクさんは帰るんだと教えてくれた。トクさんがいる状態で誰かに着いてきてもらって突破してもいいんだけど、彼はその気になると追いかけてくるらしいので、いなくなってからの方が楽なんだという。

うちも親は遅いし、とりあえず時間は大丈夫だけど――

「じゃあゆっくりしていったらいいじゃないの。ジュース飲む?」
「じゃあおじさんにビール注いでよ」
「小父さん、現役女子高生だよ。お酌一回に付き5000円ね」
「たっけえなおい、彼女じゃないんだからいいだろー」
「だめだめ。あと話は全部オレを通してね」

小父さんは入口近くの席に座ってて、私は1番奥、神はその隣。もはや為す術なしの私を背中に庇うようにして、神が全部切り返してくれた。正直まだすごく怖いんだけど、この「みくまり」の中は、神の隣にこうして座ってるのは、なんだか不思議に心地がよかった。お店って言うより、家の中にいるみたい。

で、それから1時間も経たないうちに「みくまり」には常連さんらしい小父さんや小母さんが続々とやって来て、カウンターはすぐに埋まっちゃった。だもんで、途中から神と私はひとつの椅子に座るっていう状態になっちゃって、また私は狼狽えた。近いなんてもんじゃないんだけど!

だけど「みくまり」の雰囲気には馴染んできちゃって、帰る頃にはなぜかカラオケで一曲歌ってしまう始末。

……いつまで笑ってんの」
「しょうがないじゃん、あーおかしい。ってそういう人だったんだねー」
「そういう人ってどういう人よ」
「オレ、の『木綿のハンカチーフ』一生忘れないよ」

言いながら神はまだくつくつ笑ってる。20時が過ぎたのでゲートのところまで行ってみたら、トクさんはいなくなっていた。なのでそのまま帰ることにしたわけなんだけど、神が送ってくれるなんて言うもんだから、またちょっとドキドキしながら歩いてる。

「あー、だけどさ、、今日のことは出来たら……
「うん。言いふらしたりしないよ。場所がちょっとね、誤解されるよねあれは」
「そうなんだよな……。一応監督は知ってるんだけど」

言われてみれば、横丁に入って行く時の神はバスケ部ジャージを脱いでた。あれじゃあどこの誰だかが一発でわかっちゃうもんね。いくら伯母さんのお店でご飯食べてるだけでも、それ以前に騒がれちゃうのがマズいよね。何しろ海南バスケ部は県内最強なわけだし……

「ほんとにごめん、このことはふたりだけの秘密にしておいてもらえるかな」
「も、もちろん」

何そのキュンキュンくるシチュ。しかもそれをグッと近付いてきて顔寄せて言うなんて、ときめけって言ってるようなものな気がするけど、まあ無自覚なのかもしれないし、勘違いしそうだけどそこは我慢しよう。

「オレもが小父さんに囲まれて『木綿のハンカチーフ』熱唱したことは秘密にしとくからね」
「ちょ、それはほんと、どうかご内密に!」

ふざけてツッコミ返したけど、そういうことをにっこり微笑んで言われると、傾いちゃうよ!