セブン・ワンダーズ [木暮]

「木暮、本当に平気だよ、自転車だし」
が嫌じゃなかったら、少し、話したいんだけど」
「え」

はな、話って何よ。なんかそんな疲れて困ったみたいな顔して切なそうに言われると怖いんですけど……

だってそりゃ、私は勝手に木暮に対してビミョウな思いみたいなのがあったけど、木暮はないでしょ……勝手に追いかけたのは悪かったけど、私を引き止めて騒いだのはお兄さんたちだし、言いふらすつもりもないし、こういうこと二度としないでもらえるかとか言われたらどうしよう。てかそれを考えただけで泣きそう。

今でもやっぱり人がよく言うような、胸がズキューンて来るとかそういうのは、ない。だけど、木暮とギスギスした関係になるのは本当に嫌だ。今までだって超仲良し! ってわけじゃないけど、普通に教室で話したりは出来てるし、そういう関係でいたいのに。

どうせ卒業したらそれっきりになっちゃうんだから、そんなの嫌なのになあ……

そこからマジで何も喋らないまま駐輪場まで行って、自転車引っ張りだして来たらもうすっかり日が落ちて、薄暗くなってた。そのせいか、眼鏡の向こうの木暮の表情が全然見えなくて余計に怖い。

「帰り、大丈夫? 疲れない?」
「ああ、うん。部活やってた頃に比べたら、動いたうちに入らないから……
「あはは、そうだよね、それを毎日だったんだもんね」

しばらく行ったところで、木暮は自転車押すの代わってくれたけど、やっぱり話って言っても雑談程度で、さっきのはそういう意味で言ったんだろうか。だけど私を送りながら雑談して小難しい顔して、そんなの楽しい?

「あ、アーネストさん早く良くなるといいね。そしたら木暮も――
「あのさ

家がどんどん近くなってきたところで、話題がなくなっちゃったせいでアーネストさんの話なんかし出したら、急に木暮が立ち止まった。何よ、怖いんだけど……

「ど、どうしたの、急に」
「オレ、あんなことやりたくてやってたわけじゃなくて」
……それはわかってるってば。からかうつもりもないし、言わないし、早く開放されるといいね」

私はどれだけ意地悪な人間だと思われてるんだろう。だけどユリシーズさんの言葉も引っかかるから、一応そういう風に言ってみたんだけど、木暮はゆるゆると首を振る。

「そうじゃなくて……その、この間から、ちょっと変だったから」
「えっ?」

私!? 変だったのは木暮であって、私は別に――

「もしかして結構前からこのこと知られてて、それで、変な風に思われてたのかと……
「確かにあのビルに入ってくところを見かけたのは今日が初めてじゃないけど」
「だからこの間素っ気なかったのかなと、つい思っちゃって」

なんか木暮はまた泣きそうな顔してる。私がいじめてるみたいな気がするのはなぜだろう。

「えっとその、あんまりあのビルが怪しいからさ、木暮、何か悪いことに巻き込まれてないかなって」
「悪いこと?」
「だってほら、2階キャバクラだし、受験なのに変なのに捕まって悪い遊び覚えてたらどうしようかなって」

ビミョウな思いがあることを除けば、それが全てで真実なわけなんだけどね。

「だからあの時は私もつい、どう言えばいいかわからなくなっちゃって」
「じゃあ、変に思われてたとかそういうことじゃ――
「それはないよもちろん」

木暮がホッとしたみたいだから、私も気が緩む。ああ、これでちゃんと元に戻れる。

「木暮は嫌なのかもしれないけど、執事スタイル似合ってたよ。お世辞じゃなくて、かっこよかった」

もちろん嘘じゃないけど、それはつまり頑張る木暮を褒めてあげたい、変だなんて思ってないよってそう言いたかっただけで、何も考えてなかった。だけど、その瞬間木暮は自転車ごとバランスを崩して、焦って手を離して自転車を倒した。え、何事!?

「ご、ごめんチャリ、ひっくり返しちゃった」
「チャリなんかいいよ、木暮の方が大丈夫?」
「平気平気、ほんとにごめん」

平気って言うけど木暮はまだなんかあわあわしてるし、自転車はまだグラグラしてるから手を差し出したら逃げた。それはその、結構ショックなんですが……

、今日はほんとにごめん、心配かけてごめん」
「ど、どうしたの急に」
「もうすぐ家だって言ってたよな、チャリもごめん、また明日な!」
「え!? ちょ、どうしたの!? 木暮!?」

あわあわしたままの木暮は、早口にそう言うと自転車を手渡してダッシュで帰ってしまった。確かに自宅はもう10秒くらいで着くけど、一体どうしたっていうの……急に取り残された私もどうしたらいいっていうの……

翌日、まるで何事もなかったみたいに朝「おはよー」とか言い合って、その日はそのまま終わって、私が帰り道に木暮を見かけることもなくて、それが何日か続いた金曜のことだった。あのビルの前に差し掛かった私は、階段の入口のところに潜んでる木暮に気付いて立ち止まった。向こうも手招きしてる。

「どうしたの、何かあった?」
「いや、そうじゃなくて、、今日時間ある?」
「平気だけど……
「ちょっと、寄って行かないか」

えっ、SilverGlassに?

「何かあったの? 私手伝えることなんて――
「いやそうじゃなくて、ええと、よかったらお茶飲んで行かない?」
「はあ?」

何で? と思って顔を上げてみたら、木暮は耳が赤くて、ものっすごい照れてる。どーいうことどーいうこと?

……この間、に話聞いてもらって、助かったから、お礼、したくて」
「助かったって、私別に――
「今日は昼間休みで人もいないんだけど、ダメかな」

ああそんな風に照れた顔で首を傾げないで。逆らえないでしょそんなの。

……わかった、じゃあお言葉に甘えて」
「じゃあ、10分したら上がってきてくれる?」
「10分?」
「ほら、支度があるから」

木暮はますます真っ赤になってる。私は頷いて、階段を駆け上がる木暮を見送った。何が起こるのかまったく想像できなくて緊張しながら10分、だけど慌ててたら可哀想だからもう2分待って、私はゆっくり階段を上がっていった。そして、先日と同じSilverGlassの茶色いドアの前に立つ。

よく見ると、黒板プレートの脇に、「お帰りの際はベルを鳴らしてください」って書いてある。ああそうか、ここに遊びに来たんじゃなくて、帰ってきたことになってるんだもんね。どう見てもインターホンだけど、私はベルを鳴らす。音はしない。3秒ほどでドアが開いて、私はちょっと息が止まった。

「お帰りなさいませ、お嬢様。お疲れでしたでしょう、さあこちらへ」

あのさ、これをにっこり笑った木暮が言ったんだよ。白手袋で。

その白手袋に手を取られた私はポカンとしながら店内に入る。本当に誰もいない。いや、誰もいないっていうか、ユリシーズさんとロイドさんはいる。だけどふたりも営業用の顔になってて、この間のあのチャラいお兄さんとは別人みたい。

ちなみにユリシーズさんとロイドさんはスリーピースのスーツだけど、木暮――セドリックはジャケットがない。まあ臨時のバイトだから見習い風とかそういうことなのかもしれない。木暮に手を引かれた私は、一番奥の席に通された。テーブルには既にスコーンとサンドウィッチが用意されてる。

「お嬢様、紅茶は何にいたしましょうか。先日はアールグレイになさいましたね」
「え、あ、そうだっけ……
「同じものにいたしますか、それとも新しいものを試されますか」
「じゃ、じゃあ、ダージリンで」
「かしこまりました」

この間の慌てぶりは何だったのっていうくらい木暮は淀みなく執事してる。木暮がお茶の支度に行ってしまうと、お兄さんふたりがスタスタとやってきて、揃って頭を下げる。……こーいうのって気分いいものなのかなあ、私はちょっと居心地悪い。

「お帰りなさいませ、お嬢様。学校はいかがでしたか」
「あの、今日お休みだって聞きましたけど、どうしたんですか、こんなの」
「お嬢様、セドリックは少し悩んでいたそうなんでございます」
「え?」
「だけど、お嬢様とお話をしてそれがすっかり晴れたようですから、ご恩返しがしたいのでは?」

ユリシーズさんはにっこり笑ってそんなことを言うけど、あの会話でどんな悩みが晴れるっていうんだ。

「御存知の通りセドリックはまだ修行中の身ですから、お茶一つ満足に入れられませんでしたけど、お嬢様に美味しいお茶を召し上がって頂きたい一心で、鍛錬に励んでおりましたよ」

今日は優しげなロイドさんもにっこり微笑む。えっと、何それ、木暮が私のために? 嘘でしょ?

またポカンとしてると、木暮が戻ってきた。わかりやすい銀のトレイに銀のポット、ティーセットを載せてスタスタと歩いてくる。眼鏡のせいで本当に執事っぽく見えてきた。

「大変お待たせしました、それではお茶にいたしましょう」
「は、はい……

テーブルの脇にセットされていたサービスワゴンの上で、木暮は手際よくお茶を淹れてくれる。さっきロイドさんはお茶一つ満足に入れられなかったって言ってたけど、それが嘘みたいにてきぱきと、だけど丁寧にいい香りの紅茶を淹れてくれてる。

その姿は、同じクラスのバスケ部の木暮くんには見えなくて、背が高くて姿勢がいい眼鏡執事のセドリックにしか見えない。部屋の中は外国みたいだし、また私は異世界にでも迷い込んだみたいになって、ボーッとしてきた。私何でここにいるんだろう。ここどこなんだろう……

白に花柄のティーカップに木暮は紅茶を注ぎ、私の目の前に静かに置いた。

「さあどうぞ、暖かいうちにお召し上がりください」

現実感がどんどんなくなってた私は、ひょいと頷いて紅茶を口にした。けど、紅茶っていうのは熱湯で淹れるものなので、ジュースみたいにくいっと飲んだら、熱い。バカか私は……

「熱っつ!」
「お、お嬢様、大丈夫ですか、さあこれを」

木暮はちょっとだけ慌てて、だけど素早く手袋を引き抜くと、サービスワゴンに乗ってた冷水の中から氷を掴み取って私の唇にあてがった。冷たいのと色んな衝撃が一気に襲いかかってくる。あのさ、片手で後頭部押さえられて、氷を唇にそっと当てて、顎もついでに小指ら辺で支えられてて、割と顔も近いとか……

とうとう、ズキューン、て来ました。

「あの、もう平気、ありがと」
「え、あ、そう――じゃなくて、わ、わかりました」

至近距離にドギマギしたのは私だけじゃなかった。せっかく頑張ってセドリックやってたのに、木暮はガタガタと崩れてきた。しょうがないよこれ……後ろでまたお兄さんたちがニヤニヤしてるけど無理だって。ていうか頑張って執事やってくれるのは嬉しいけど、可哀想になってきた。

「木暮、もういいよ、普通でいいよ、ありがとう、無理しないで」
「ご、ごめん、熱いよって言えばよかった、痛くないか」
「大丈夫。氷のおかげ」

椅子に座る私の傍らに膝をついた木暮は困り切った顔をしてて、よしよしって頭撫でてあげたくなる。そんなことを考えちゃって少し慌てた私が顔を上げると、いつの間にかお兄さんふたりがいない。どこかに隠れてんじゃないだろうなと思ったけど、バックヤードのドアにカーテンが挟まってる。一応気を利かせてくれたらしい。

「なんか結局ちゃんと出来なくてごめん……
「そんなことないって! あの、紅茶入れるのとか、練習してくれたの?」
…………最初、執事喫茶なんて最悪だと思ってて」

傍らに跪いたまま、木暮はちょっと視線を逸らした。そりゃそうだよね、この人中高6年バスケ部なんだし。

「だけど叔母さん困り切ってたし、アーネストさんいい人だしって思って、いざ引き受けてみたら、本当にキツくて、自分がバカみたいに思えて仕方なくて、恥ずかしくて、この間ドア開けたらがいた時も、ヤバい、こんなみっともないところ見られたって、思っちゃって――

……それも、しょうがないよ。元々そういうのが好きだったわけじゃないんだもん。

「だけどは笑ったりしないし、褒めてくれるし、心配かけたしで、こんなの恥ずかしいみっともないって思ってる自分の方がバカらしくなってきちゃって。それで、バカにする前に、一度ちゃんとやってみようって思って」

膝立ちの木暮はそう言いつつ、腿に両手ついてペコリと頭を下げる。

、本当にありがとう」
「ちょ、私別にそんな大したことしたわけじゃ、褒めたんじゃなくて本当にそう思ったからだし」

顔を上げた木暮と目が合う。あれっ、私また何か言ったね、今。何も考えないで。

……お礼なんておかしいかと思ったけど、どうせならに、見てもらいたくて」
……うん、すごいなって、思った。ええとその、かっこ、よかったです」

木暮が反応しないからつい言ってみた、ら、今度は手が伸びてきた。片方だけ手袋してるその手が、今の木暮みたいで少し可笑しかった。木暮とセドリックと半分ずつ。まだひとつになんかならないし、なる必要もないけど、私はどっちも好きだな。木暮は私の手を取って、見上げてくる。

は、こういうの、気持ち悪いとか、思わない?」
「そんなこと思ったことないけど……
「オレにお嬢様とか言われても……
「ちょっと、嬉しかったけど」

私は静かに木暮の手を握り返した。木暮はその手を喉元に引き寄せて、少し微笑む。

……お嬢様、オレだけのお嬢様で、いてくれませんか」

「急に『教えてください』って言い出してさー」
「毎日練習してたんだよー」

木暮の卑怯な告白に私が陥落、そのままチューしそうな感じになってたらお兄さんふたりが痺れを切らして乱入。というわけで木暮は今セドリックから木暮公延に戻る作業中です。しょうがないので私がお兄さんたちのお相手してる。ふたりとも楽しそうだな……

「だけどあれ見る限りじゃ、あいつ結構向いてそうな気がするんだけどなあ」
……向いてると思います」
「マジか。でも面白くなさそうだねその顔」

ロイドさんがニタニタしながら言うけど、そんなの当たり前だ。木暮は「オレだけの」って言ったんだから、木暮だって「私だけの」になってもらわなきゃダメ。

「お待たせ、帰ろう」
「気が早いなお前はほんとに」
「はあ、まあ、長居する理由もないので」
「彼女出来た途端にスッキリした顔しやがって、色々手ほどきしてやったのは誰だと思ってんだ恩知らず」

ちゃんとお礼を言ってるけど、木暮は早く帰りたくて仕方ないらしい。

「アーネストさん退院決まったらしいじゃないですか。オレの役目も終わるなと思って」
「それで晴々とした顔してるってか。薄情だなお前は……

それでもユリシーズさんとロイドさんはにこにこしながら送り出してくれた。この間は自宅直前で放り出されたけど、この日はちゃんと自宅まで送ってもらっちゃって、ついでに薄暗くなり始めていたし、私の家ってのは玄関が表から見えにくい位置にあるしで、さっき邪魔されたチューの続きも出来たりして。

ていうところでSilverGlassとはもう関わり合いにならないと思ってたんだよね。

甘かった。

木暮がもうヘルプ出来ないって時期に来ても、アーネストさんは復帰できなかった。そしたらどうしたと思う? 「ちゃんメイドやってよ」とか言い出したユリシーズさん、ほんと呪われろ。

そんなわけで、ちょうど短大の推薦が通った私は木暮がヘルプに入れなくなるのと入れ替わりにSilverGlassでメイドやることになっちゃった。しかもキャラ設定は「セドリックの妹・アリス」ありす……

でも、ひとつ面白いことがあった。入院してた一番人気のアーネストさん、ユリシーズさんだって結構なイケメンなのにそれより人気あるとか、どんだけかっこいいんだろうと思ってたら、なんと60代総白髪のおじさまだった。そりゃあ人気出るよね……てか私もファンになっちゃって……

「オレだけのって言っただろ」
「別に私そういう意味でアーネストさんが好きなわけじゃ」
「アリス、聞き分けのないこと言うとお仕置きしますよ」

なのかお嬢様なのかアリスなのかわからなくなってきた。

「お仕置き? セドリック、誰に口聞いてるの」
「お嬢様、お嬢様はオレだけのものなんですよ」
「そんなのわかってます。じゃあお仕置きどうぞ」

て言いながらキスとか、私たちは一体どこへ向かってるんだろうとたまに不安になることがあります……

END