続・七姫物語 三井編

07

ふたりが空き家に戻ると、中には陛下しかおらず、彼は珍しくパイプをくゆらせていた。紛争貧乏の折り、嗜好品は贅沢品であり、国王だからこそ中々手のつけられない代物であった。

「あの、陛下、ええと」
「こっちはアトカがひとりで片付けてくれたよ。ああいう人材が部下にほしいもんだな」
「アトカさんてお姉さんの方? それでよかったの?」
「一応な。とにかく我々はこのまま帰ればいい。後の手続きだの何だのはそれからだ」

吸い込んだ煙を惜しむようにして、陛下はゆっくりと静かに吐き出す。元は牛飼いの家だったらしい狭い空き家に陛下との装いが異様だ。寿はと繋いでいた手を解くと、改めて陛下の前に跪いた。

「陛下、あの、お許し頂けるのであれば――
「弟は――あれをアルヴィトと呼んでいた。全知を意味する女神の名だそうだ」

陛下は寿との方は見ずに煙を吸い込み、たっぷり間を置いてから静かに吐き出す。「あれ」とはワルキューレのことだろうか。に促されて寿は親方の腰掛けていた椅子に座る。

「やつにとってワルキューレは世界の全てだったらしい。姪も尋問の末にかなりの洗脳状態にあることがわかったけれど、本人がそれを自覚してなお悔い改めるつもりもなくてな。父親の妻に対する崇拝をそのまま信じていた。首を落とされる直前も、アルヴィトは完全な存在なのに、と喚いていた」

しかしおかげで陛下は躊躇なく処刑を執り行うことが出来たとに漏らしていた。第二王子とその娘は、助命を請うようなことは口にせず、ワルキューレが正しいのにお前たちは愚かだと言いながら死んでいった。

「人を愛することと盲信は紙一重だ。いや、向いている方向が違うだけで同じものでしかないのかもしれない。少しばかり目線がずれると人は簡単に愛という名を騙る偏執に陥る。親方がいい例だっただろう。その根本はキスカに対する愛情だった。――寿、私が最後に残した心配はそれだ。お前の中にもその種がある」

陛下は寿を、そしてをちらりと見ると、また煙を吸い込む。

「家族を失った過去がお前をそうさせているのはわかっている。けれど、今度はが世界の全てになってしまうだろう。それしかないからだ。の母親、我が王妃は最良の伴侶だが、私にとっての全てではない」

思いついて付け加えた陛下は、地方公務に夢中で帰ってこない妻を思い出したか、「もっとも、最近では私が相手にされてないだけという説もあるが」と言ってむせた。はサッと顔を逸らして笑うのを我慢している。王と王妃は不仲ではないものの、王妃は地方公務で働くことに目覚めてしまい、中々帰ってこない。

「それはともかく、私の世界には娘がいて、民があり国があり仕事があり、ひとつのものに妄執を寄せられるほど暇でもない。寿、お前もだ。娘のことではまだ叱り足りないが、お前も私の世界の中のひとつだ」

がちらりと寿の横顔を見上げると、ずっと探していたものを見つけた時のような、安堵と喜びの混じったような顔をしていた。親方とチャミのことでギクシャクしてから気が気でなかったんだろう。陛下は寿にとって代理父1号である。が、娘のことではまだちょっと腹の虫が収まらないお父さんは低い声を出す。

「娘のために生きて、お前の全てを娘に捧げろと言いたいのはやまやまだ。だが、それは弟と同じになれと言っているのと同じだ。だからそれは望まない。その代わり、自分の世界を広げ、その中にあるものを全て慈しみ守っていきなさい。娘は優先順位が1番であればそれでよい」

そして陛下は置きっぱなしになっていた寿の剣を取り上げると、片手で掴んでぐいっと差し出した。3年前、旅立つ寿に陛下自身が贈ったものだ。寿は両手を差し出してそっと支え、頭を垂れる。

「今私は人材確保に余念がなくてな。にも補佐官としてまだまだ働いてもらいたいんだが、出来れば世継ぎを産んでもらいたいし、まあとにかく人が足りん。そういうわけで、お前のその13から傭兵で鳴らした腕を捨て置くには惜しい。寿、私の護衛官になれ」

寿だけでなくも顔を跳ね上げた。国王の護衛官は本来なら手練の退役軍人か指導教官が任命されるものだ。軍属でもない、ましてやこんな若い人物には任されないのが普通である。――が、本人が言うように人材不足なのだ。手練はみんな紛争に駆り出されて死ぬか怪我するか疲れているかだし、何しろ人材不足なので指導教官は暇ではない。今も国王の警護は隊が安定しないので問題になっていた。

さらに言えば、国王の護衛官は階級としては相当上に位置する。寿の元々の階級である地方貴族より遥かに上だ。というかは王女だから特別だけれど、補佐官よりも遥かに上。つまり、国王の身辺を固める部下の頂点に位置する。その上というと、軍のお偉いさんか大臣か王家か、というくらいには上位階級だ。

「オレなんかで、いいのでしょうか」
「護衛官に求められるものはただひとつ、忠誠心だ。お前の場合、それだけは問題ないからな」
……謹んで、受けさせて、頂きます」
「そこでお前を教育するから覚悟しておけ。もきちんと勉強させるようにな」
「はい。初等科からやり直しさせます」

初等科を2年残して追放させられた寿はウッと喉を詰まらせたが、剣を大事そうに胸に抱き、と手を繋いでゆったりと微笑むと、少しだけ眉を下げて洟をすすった。世界の全てを失ってから10年、彼にはたくさんの夢や希望が戻ってきた。それは喜びとともに少しだけ涙も誘う。

「というか階級制度が見直されたから出来たことであって、それも大変だったんだからな」
「寿、まだ遠い話だけど、しようと思えばその、結婚もできるからね、したければ、だけど」
「そっ、そう、ですね、あの、陛下」

寿はの手をことさら強く握りしめて頷くと、陛下に向き直る。

「もしそれが叶う日が来たら――父上とお呼びしては、いけませんか――

も加勢するようにうんうんと頷き、陛下は破顔一笑、パイプを片手ににっこりと笑うと、サッと立ち上がる。

「よしよし、では帰ろうか、娘、そして息子よ」

とうとう涙をこぼした寿はとともに立ち上がり、国王と王女に挟まれて狭い空き家を後にした。

「っえー! 陛下にチューされたの!?」
「ほっぺだけどさ、あれはマズいよ、胸にズキューンて来たね!」
「でも陛下って結婚してるでしょ!?」
「王妃様がいらっしゃるよ、あのお姫さんの母上だ」
「それじゃダメじゃん!!!」

一方こちらは荷馬車で宿に戻る途中の親方と双子である。

「チチチ、甘いなキスカ、甲国の王妃は国中を回って慈善事業に夢中なんだ。城に戻るのは年に数回ってところで、それはもう何年も前からだし、愛人くらい許容範囲なんじゃないかとあたしは踏んでる!」

アトカはすっかり陛下に心を奪われてしまったらしく、ニヤニヤしながらとんでもないことを口走っている。

「愛人て、そんなのよくないよ! さっきと言ってること違うじゃん! 王妃様悲しむよ!」
「キスカ、お前は本当に純粋だなあ、いざとなりゃあたしは王妃様に許可を願い出るよ!」
「えー!? 何それ陛下が好きなので愛人にしてくださいって王妃様に言うの!?」
「そう」
「ダメって言われたらどうすんの」
「それは諦めるよ。だけど年に数回しか会わない夫婦だよ? あたしまだ17だし、妾としてはピッタリじゃん」
「その前に愛人とか妾なんて悲しい……
「んもー、可愛いなお前! 何が悲しいんだよ、愛人だろうが妾だろうが、一緒にいられたら幸せ、それだけ!」

チャミは荷馬車の上で苦虫を噛み潰したような顔をしているが、その両手はアトカと親方としっかり繋いでいて、文句を言いつつも楽しそうだ。双子の甲高い声を聞きながら片手で荷馬車を操る親方も穏やかな表情をしている。月明かりの道を荷馬車でゴトゴト言わせながら3人は宿へ帰っていった。

というわけで、しばらく後に親方とチャミが正式に丙国に移住できた際にはと寿が出張して手続きを行い、無事にふたりは丙国民となり、チャミ改めキスカは無事に生家へ戻った。これまた似た顔の両親の号泣に出迎えられて、彼女もようやく寿への執着を捨てることが出来た。

親方とキスカの件はめでたしめでたし……というところだったのだが、それからまたしばらくして、今度はアトカが陛下に怒涛の恋文攻撃を始めるという事案が発生。娘と護衛官に白い目で見られた陛下はしかし、商売の件に関しては優遇してやると約束してしまったし、頭を抱えた。

が、それはまた別のお話。少し戻り、甲国に帰還できた寿とである。

こっそり家臣の人数が増えた国王の一行が甲国に戻ったのは、空き家での夜から10日ほど後のことであった。一緒に帰るにしても、まだ正式に護衛官でもなければ大手を振ってとイチャコラできるような状況でもなく、寿はまたひたすら耐えた。

そして甲国に帰り着いてからも、当座のところは城下の宿に滞在するしかなくて再度お預けをくらい、城内に入る準備が整ったのはそれからまた2週間ほどかかった。だがそれでもと陛下がこっそり最優先事項にしてくれたからであって、結果としてとの仲がだいぶ公になってしまった。

というところの、寿が護衛官として再出発してから数日のことである。

「でも……お祖父様と叔父様を亡くしたばかりだし、みんな喜んでくれたよ」
「だけどいきなり護衛官だろ。たまに視線が痛くてな……

ふたりはの部屋でべったりくっついてキスを繰り返していた。以前もそんな風にイチャついていたけれど、あの時の部屋ではなく、最近新たに王女の居室として設えられた部屋である。計4部屋が繋がっていて、寿が入ることを想定して用意されていた。大きなベッドでふたりはのんびりイチャついている。

「そんなの気にしない! 先生たち、褒めてたでしょ」
「ふん、あんなの大したことない」
「お父さんも喜んでたよ。腕の立つ人はだいぶ減っちゃったし、ありがたいって」
「え、マジか」
……ほんと、寿は私よりお父さんが好きだよね」
「いや、違う、おい、そーいう顔するな」

護衛官として任命するにあたり、改めて軍の指導教官たちが寿を査定してみたところ、想像以上に腕が立つので陛下は上機嫌だった。まだ若いのだし、教育はこれから。いかようにも育てていけると思うといい拾い物をした気分だった。その上それが娘と結婚すれば、直系は安泰な気がする。たぶん。

「私と結婚したいって、それ、お父さんを父上って呼びたいだけじゃないの」
「そんなこと思ってないし言ってないだろ」

寿はの指にある錠前結びの指輪をそっと撫でる。帰還してからお揃いのものをに編んでもらい、改めてつけている。だが、はあまり信用していない。護衛官としての修行の真っ最中である寿は陛下に褒められると飼い犬のように喜ぶ。

「寿はそんなんだしお父さんは子供産めばっかりだし、みんなひどい」
「最近よく言うな」
「この間も言ってたでしょ、世継ぎがどうとかって」
……あれ? そうか、ここって世継ぎ、いないのか」
「だからって早く結婚して子供産めなんて……寿はお父さんの方が好きだし」

ぽかんとしている寿のおでこを指でパチンと弾いて、むくれたはそっぽを向いた。だが、寿は急に目を輝かせ始めての頭を抱え込んだ。

「ちょ、どうしたの」
「それって、俺とお前の子ってことだよな……?」
「へ、陛下はそれを望んでるみたいだけど、まだ結婚もしてないわけだしね、するとも決まってないし」
、結婚したい」
「はあ!?」

文脈が悪すぎた。陛下がお望みなので結婚したいと言っているようにしか聞こえない。さしもの寿もすぐに気付いて慌てて否定する。そういうことじゃない。

「じゃあどういうことよ」
「それって、オレたちが一緒になって子供ができたら、それって家族だよな?」
……うん」
「オレがお父さんでお前がお母さんで陛下がおじいちゃんなんだろ」
「うん……そうだね」
、オレ子供欲しい。家族が欲しい」

は思わずぎゅっと寿を抱き締める。家族――それは彼が13歳になるまでに失ってしまったものだ。帰還前に人を派遣して調べたが、元々地方貴族であるはずの彼の親類縁者の消息も知れず、ワルキューレの手が及んでいたかもしれないとして再調査の運びになっている。つまり、彼は本当にひとりぼっちなのだ。

が嫌じゃなかったら子供たくさん欲しい。男でも女でもどっちでもいい」
「うん、そうだね」
「それがいい、、オレ、望むこと、夢、見つかった」

を抱き起こした寿は両手をとって真正面から覗き込んだ。目が輝いている。

「そうやって世界を広げていきたい、と一緒に」
「後悔、しない?」
「するわけないだろ、10年以上ぶりの、自分の意志での『願い事』だよ」

や陛下が願った「寿自身の願い」はこんなところでポロリと落ちてきた。はまだ半信半疑のようだが、寿は地下牢で長い髪の向こうから睨んでいた頃とは別人のような、柔らかな笑顔だ。

「オレは誰にも文句言われないような護衛官になる。そうやって陛下を、いや、家族を守る。家族を復讐の道具に使ったワルキューレのようにはならない。、約束する。だから、その――

途端に照れ出した寿の頬を両手でそっと包み、はチュッとキスをして、はにかむ。

「私と家族に、なる?」
――姫、姫、私の妻になってください」
「はい、喜んで」

ふたりは笑い合いながらぎゅっと抱き合い、そのままベッドに倒れ込む。寿はの唇に、頬に、耳に、次々にキスを落としていく。くすぐったがるの手に指を絡め、首筋にも。

「え、ちょ、ちょっと待って、今日はまだお父さんに報告しなきゃいけないことが」
……無理、もう我慢出来ない」
「お風呂も入ってないし、てか寿も今日裏山で演習だったじゃない」
「子供、、子供作ろう」
「ちょっと!!!」

親方から陛下と来て今度はまだ見ぬ子供か。は両手で寿の顔をぐいっと押しのける。が補佐官として有能なのは母親似、公私混同はしないがけじめがないのは絶対だめ。もちろん事前に体を清めたいのも譲れない。その上花嫁のお願い差し置いて子供作ろうとは何事か。

「さっきから何なのもう――
、愛してるよ、今度こそ二度と離れないからな」

は息を呑み、目を潤ませた。もう離れたくない、ずっと一緒にいたい。組んだ手の「錠前結び」のごとく、固く結ばれて解けることのないように――

さてこうして寿は無事にの元へ戻り、先の世への希望も生まれ、暗い影は夜の闇のように薄れてかき消えていった。陛下の望み通りふたりに子が生まれ、寿の望む家族が増え、そうしてが幸せに過ごしたかどうかは――また別のお話。

ひとまず、みんな幸せに暮らせることを祈りつつ、めでたしめでたし――

END