続・七姫物語 三井編

02

長きに渡って両国を疲弊させてきた紛争が決着を見るかもしれないという報が入ってからのワルキューレは、以前にも増して気まぐれがひどくなり、些細な事でも甲高い声で喚き散らすようになった。

寿が親方の仕事を手伝い始めてから仲良くなった作戦本部の下働きの話によると、ワルキューレは「女将軍」などと呼ばれてはいるが、あくまでも甲国の内部事情と引き換えに迎えられている食客なのだという。将軍はちゃんと別にいるし、軍の上には乙国の王家があるし、ワルキューレが威張り散らすほどには権限がないらしい。

なので、この度の陛下との働きによって成されようとしている紛争の終結に関しても当然意見を求められることはなく、事後報告だった。10年の長きに渡って中央作戦本部で威張り散らしてきたので、自分が乙国では重要人物なのだと勘違いしてしまったらしい。

彼女が重用されたのはあくまでも甲国の事情に詳しかったからであり、せめて付け加えるなら反体制派としての活動が長かったので作戦本部の中にいても仕事ができていた、というくらいのことだった。

そういうわけで、寿が新聞での姿を目にしてから2週間、ワルキューレは甲国へ引き渡されることになった。作戦本部から引きずり出されていくワルキューレを見ていた寿は、つい目に涙が滲んで俯いた。これでやっと終わった、あの悲鳴を上げている女は甲国で陛下の手によって裁かれる。それでいい。

俯いて肩を震わせていた寿の背中に温かいものが触れた。

「これが、見たかったんだろ?」
……はい」
「実にいい眺めだよ。オレもこの時を10年待ってた」

少しだけ顔を上げると、親方は優しい表情で微笑んでいた。きっと今は亡き父親もこんな風に微笑んでくれているんじゃないだろうか、そう思ったら余計に目頭が熱くなってきた。

「オレは殿下に面識ねえからな、礼はお前に言っておくよ。ありがとうな、寿」

寿はまた俯いて固く握った拳を口元に当て、嗚咽を飲み込む。親方の口を借りた父の言葉のような気がした。

「帰ってきたら寿に礼を言わねばならんな」
「いっぱい褒めてあげてくださいね」
「褒めてあげるだけでいいのか?」

遷都された町の急ごしらえの城で、は頬を染めて言葉に詰まった。やっと紛争を終わらせることが出来そうなので父娘はホッと胸を撫で下ろしているところだが、20歳になる王女の方には別の夢もあって、撫で下ろした胸は期待にときめく。2年もの間離れたままの恋人との再会が迫ってきている。

「故人にこんなこと言いたくないが、親父が長患いせずに死んでくれて助かったよ」
「大丈夫、みんなそう思ってるから」
……弟とふたり、この国を守ってくいんだとばかり思っていたんだけどな」

この2年の間に父と弟を失った陛下は少しだけ目を伏せて息を吐いた。片や処刑、片や精神錯乱の末に憤死。自分の妻子がまともだったのが幸いしたが、陛下も疲れきっている。

「ああそうだ、一家一職制度については間に合わんかもしれん。あいつが戻るまで待ってくれるか」
「もちろん。戻ったってしばらくは忙しいだろうし、認めてもらえるだけでいい」
「そんなのんびりしたこと言ってもいられないぞ。後継者いないんだからな」
……どういう意味よ」
「直系の男子がいないんだから、お前が産んでくれないと」

は真っ赤になってプルプルしているが、陛下は至極真面目な顔だ。第二王子が処刑され、彼にも男児がおらず、女王制度のないこの国ではが後を継ぐことはできない。今のところ陛下に何かあった場合はのはとこに男性がひとりいるだけ。直系は絶えてしまう。

憤死した先代国王が作った妙な階級制度は彼が亡くなったことで撤廃される見通しだ。元はといえばこれのおかげでワルキューレと第二王子が反体制派などになってしまったわけで、早々になかったことにしてしまいたい。一方で制度が撤廃されることでは寿との結婚が実現可能になる。

寿もそもそもは地方貴族の血筋なので、そこは問題ない。は女王になれないが、もしが寿との間に男児を産めば、その子は将来この国を受け継ぐことになる。陛下は紛争の終結が迫るに至り、これを強く望むようになってきた。娘は聡明だし、寿も自分には従順だし、早く孫欲しい。

「だったら早く面倒くさいこと終わらせて私と寿を解放してください。話はそれからです」
「そこが困ったところだな。お前がこんなに働けるとは思ってなかったものだから」
「お母さんも自分の仕事に夢中だしなあ」

第二王子も反体制派だったけれど、さらにそれを城内で支えていたのは陛下の側近を含む数人だった。陛下は弟と一緒に自分の右腕まで失い、猫の手も借りたい人材不足の政権内では娘だろうがなんだろうが、使えるものはなんでも使ってきた。ところがこの娘が陛下に似て合理的、王妃にも似て有能だった。

孫も欲しいが側近も欲しい陛下はこのところ毎日悩ましい。

「というか……いいんですか、叔母様は戻らなくて」
「後悔しないかとさんざん確認したそうだけど、構わないらしい。実家に戻りたいそうだ」
「それは許して差し上げたら……
「そのつもりだ」

第二王子と仮面夫婦を続けていたの叔母は反体制派、つまり夫とワルキューレに実家の家族を傷つけるぞと20年以上脅され続けきた。様子がおかしいことを現在の王妃であるの母親に悟られつつも、頑なに口を閉ざして地方での公務に精を出していたが、夫が処刑されワルキューレも捕縛された今、ただ家族とともに過ごしたいと願っているらしい。王家から除籍して元の家に戻す特例を出す予定になっている。

そんなことをぽつりぽつりと話しながら、と陛下は窓の外を見下ろしていた。明日はワルキューレの処刑が執り行われる。それに先立ち、城の外で罪状と罪人の処分を読み上げるのが慣例となっていて、そのためのお立ち台が組まれている。罪人は罪状を読みあげられたのち、城の東側にある沼地で処刑される。

……あの女はまだ喚いているのか」
「お祖父様と同じになっちゃったんじゃないかな」
「それは困るな」
「どうして?」
「錯乱されては困る。あいつらは正気のまま断罪されなければ。死の恐怖を味わわなければならない」

陛下の横顔は穏やかだった。しかし、彼の声は低く重く、そこには決意があった。寿が第二王子を斬りつけることに迷いがあると見て取った彼は、寿だけでなく、この紛争で理由なく散っていったすべての人々のために、自ら弟を、そして姪を処した。明日もワルキューレを手にかけるのは彼だ。

だが、強制的に甲国に戻されたワルキューレは夫と娘が既に処刑されていたことを知ってからというもの、どうも様子がおかしい。あまり正常な状態ではないようで、鎮静効果のある薬などで宥めてはいるがずっと喚いている。陛下は明日の処刑時間まで持てばいい、強い薬でも何でもブチ込めと指示していた。

「しかしこれでやっと申し訳が立つよ」
「何の話?」
「寿だよ。この紛争で苦労したのはあいつだけじゃない、だけどあいつを苦しめた原因は全てオレの父親と弟に責任があったし、お前らが手がかりを持ち込んでくるまでまったく気付かなかった。そういう意味ではオレにも責任がある。明日ワルキューレを始末すればオレの贖罪も叶う気がしてな」

そのために彼は弟と姪を自ら処したのだ。そして明日はワルキューレを手にかけ、これから長い時間をかけて国民に下らない紛争の埋め合わせをしていかねばならない。陛下はそういう覚悟を持って国王に即位した。

「そういう意味なら、お父さんだけじゃなくて私だって……
「だったら寿を幸せにしてやればいいだろ」
「またそういう話にすり替える……

照れて俯く娘の肩を撫でると、陛下は少しだけ微笑み、そしてまた窓の外をじっと眺めていた。

第二王子と同じく、ワルキューレの罪状読み上げには30分以上を要した。罪状を記した巻紙はお立ち台から垂れ下がってもまだ余るほどの長さで、全部巻き戻すと丸太のようになっていた。

鎮静剤が効いたのかそれとも元々正気を失ってなどいなかったのか、ワルキューレは落ち窪んだ目をぎらつかせて終始目の前にあるものを睨み、ぶつぶつと呪詛の言葉を吐き続けた。そして彼女のせいで家族を失った城下の者たちの白い目と恨みの言葉といくつかの投石に送られて沼地に運ばれた。

陛下のお達しでは叔父と従姉妹の時同様城に残らされたが、その代わり処刑の時刻は城内のお堂で祈りを捧げていた。叔父たちの魂の平穏ではなく、犠牲になった人々の安寧と、そして覚悟を持って自ら手を下した父に慈悲を、と祈っていた。

はその最後を見届けられなかったけれど、ワルキューレの処刑には乙国からも使者が足を運び、彼らは国王が自ら手を下した処刑を見届けて帰国した。甲国は誠心誠意紛争の決着を願っているのだと示す形になり、これは大変有利に働いた。

こうして甲乙両国は順調に関係修復の道を歩み始め、両国とも諍いで消耗した国をまた育てていこうという気運が高まっていた。これには両国と国境を持つ丙国が間を取り持ち、何かと世話を焼いてくれる形になった。そんなわけで、この頃急に3国間は人の行き来が増え、商業地区はにわかに活気づいていた。

甲国の遷都から2年と7ヶ月、紛争の影は急速に薄れていった。それに合わせてとうとう寿のもとに使者が送られる運びとなった。まだ陛下は多忙な身の上ゆえ、まずは今回の紛争決着において乙国にて尽力した者を集め、安否の確認を取ってその働きを労い、今後のことを取り決めるのである。

もちろんこれにはも同行する。乙国の国境沿いにある小さな街の古い館を借り受けた陛下は、娘を伴って出かけていった。は甲国伝統の「錠前結び」で作った指輪を指に嵌め、貧しいながらも精一杯きれいに装って寿を待った。ようやく会える。父親とふたり頑張ってきた甲斐があった。

安否確認が取れれば当夜はささやかな宴にする予定になっており、は館の大広間での準備も一生懸命手伝っていた。舞踏会というわけではないが、食事にお酒に、街の顔役に頼んで派遣してもらった音楽隊もつける。そんなところでは白々しく挨拶をしなきゃならないけど、途中で抜けだしてふたりきりになりたい、手紙のやり取りすら出来なかった2年7ヶ月を埋めるようにぴったりとくっついていたかった。

「ずいぶん浮かれてるな」
「ご、ごめんなさい、その時になったらちゃんとします」
「適当に挨拶が済んだらふたりで話すといい。ああだけど、部屋でふたりきりはまだダメだぞ」
「そ、そんなことわかってるってば!」

世継ぎのことがあるので、娘とその恋人との関係については陛下の方が積極的だ。本日館に集められる乙国における諜報活動員は一応「紛争のせいで帰国が叶わなくなってしまった人々」という体である。が、寿を含め全員諜報員である。何も知らない一般人はいないので、王女が席を外しても問題はない。

日が暮れ、館の一角にて身分と安否の確認が終わると、乙国で何年もかけて諜報活動を行ってきた人々が続々と大広間に入ってきた。諜報員なのだから目付きの鋭い男性……なんていう思い込みがあったは驚いた。女性はもちろん、家族連れもちらほらいるし、中には杖をついた老夫婦まで。

その中に紛れていた寿を目の端に止めたは慌てて顔を逸らした。まともに見てしまったら目を離せなくなる。そうしたら何も出来なくなってしまう。しっかりしなきゃ、きっとあの禿げ頭のいかつい男性と組んで諜報活動をしていたに違いない、王女として労ってやらなければ。

が気付いた時、寿は肉体労働者風のいかつい男性と話し込んでいて、はそれをちらちらと見つつ、父親の方に意識を集中した。今の立場は王女であり国王の補佐官である。粗相をすれば国王の威信に関わる。やがて広間の扉が閉じられると、軽快な音楽が鳴り響いて陛下は手を掲げた。

みなを労う演説ののち、国王父娘はざっくりと並ばされた諜報員たちひとりひとりに挨拶をし、礼を述べ、今後についての希望を聞いてはに書き留めさせていく。

やがて寿の前にたどり着いたふたりは、まるでこれが初対面ですというような顔で淡々と挨拶をし、陛下は礼を述べ、寿はそれを受けて頭を下げる。今後のことについてはゆっくりと考えたいとだけ言った寿も、を凝視したりせずに陛下をしっかりと見据えて受け答えをしていた。

「では、仔細はまた改めて書簡にて報せよう。所在確認は済ませてあるか?」
「はい、済んでおります。あの、陛下、どうしてもご挨拶させて頂きたい方がおります」
「ほう、どなたかな」
「こちらです。私が諜報員と知りながら協力を。元々甲国の生まれだという方です」

寿に促されて背後に控えていた禿頭の男性が一歩進み出て名乗った。甲国ではとてもありふれた名だった。

「それはそれは、よく参ってくれた。これは私が個人的に密命を授けた諜報員でな。尽力に感謝する」
「もったいないことです。私は商売人ですから、戦が終わってくれて本当に感謝してます」
「寿は今そちらに身を寄せているのかな?」
「はい、住み込みで働いています」
「では話が早い。ささやかだがあなたにも御礼を差し上げたい。しばしお待ちを」

ペコペコと何度も下がる禿頭に陛下もも寿もゆったりと微笑んだ。その時だった。禿頭と寿の隙間からニュッと細い手が伸びてきて、寿の腕に絡みついた。全員がおやっと顔を上げると、小柄な少女が寿の腕にべったりとくっついて満面の笑みを浮かべていた。

「こちらは?」
「これは申し訳ないことです。私の愛娘でございます。戦が始まる少し前に拾った孤児でして」
……そうか、よい養い親に巡り会えて幸いであったな」
「はい! ありがとうございます。本当に素敵なパパです!」

陛下は体を屈め、寿の腕に絡まる少女に笑顔で答えていたけれど、スッと顔を上げてちらりと寿を見た時には冷徹な表情に豹変していた。寿も真っ青だが、陛下はそれに頷いてやることもせずにその場を離れた。その後に続くも、お人形のように固まったまま父親の後について歩いて行く。寿の顔は、見なかった。

全ての諜報員に挨拶が済むと、国王父娘は一旦大広間の外に出た。広間の中は軽食が振る舞われ、和やかな雰囲気だ。だが、広間のベランダに出た国王父娘を追いかけて真っ青な顔をした寿がすっ飛んできた。陛下は今にも剣を抜き放ちそうな表情で振り返ると、手を上げてそれ以上近寄るなと寿を止めた。

「仔細は追って書簡にて報せると申したはずだが」
「陛下、どうか話を聞いてください」
「我々は少々疲れておるのでな。控えよ」
「陛下お願いです、オレは――

寿が食い下がろうとしていると、広間の中から可愛らしい声が飛び出してきた。

「あ、こんなところに! わわ、王様とお姫様も!」
「これチャミ、失礼だぞ。陛下、申し訳ありません」
……いや」
「寿、どうしたの、おいしそうなお菓子いっぱいあったよ」
「チャミ、親方、悪いんだけど後で行くから――
「親方どの、あなたは今後どうされるおつもりで? 甲国に戻られるのかな?」

寿に纏わりつくチャミとそれを押しとどめている寿には構わず、陛下は親方の前に進み出て腕を組んだ。

「もちろん甲国にも参ります。私は元々行商人ですから、また方々の国で商売をと」
「それは大変結構。励んでもらいたい」
「もったいねえことです」
……して、その商売には娘御と寿も連れて行くのかな?」

青くなっていた寿は泣き出しそうな顔をしているが、はベランダの外を向いたまま振り向かないし、陛下は追及の手を止めない。少しだけ微笑んでみせた陛下の問いに、親方は目尻を下げて大いに照れた。

「そりゃあもちろんです。寿は飲み込みが早くて、今では私の右腕も同然だし、娘もこの通り寿を慕っていてすっかり仲睦まじくなってしまいましてね。はぐれものの集まりですが、家族のようなものです」
「寿は息子同然だと?」
「はい、はい、その通りで」
「それではいずれ娘御と?」
「陛下……!」
「ええもう、寿がお役御免になったら是非」
「君は大変な果報者だな」
「はい、まったくその通りで。感謝します陛下」

口をパクパクさせている寿の方になど一瞥もくれないまま陛下は親方を下がらせた。一礼した親方は上機嫌でベランダを後にし、チャミにぐいぐい腕を引かれていく寿は目一杯腕を伸ばして陛下に囁きかける。

「陛下、どうか信じてください」

だが、陛下は組んでいた腕を解いて片手を剣にかけると、冷たい声で言い放った。

「何をだ」