続・七姫物語 三井編

06

「乙国との紛争が始まったのは、10歳の時でした。まだ学院で詩を暗唱しているような頃でした。それまでも祖父の方針で他国の王家の子女のようなきらびやかな生活はしたことがありません。その上戦争になってしまい、初等科を出たところで成人させられてしまいました。私は学院での高等教育を受けていません」

淡々と語るの声に、皆聞き入っている。内容がどうというよりも、が一体何を話そうと言うのかが見えなくてハラハラしている状態だ。

ちなみにが高等教育を受けていないのは高等科進学を中止させられたことによる。初等科を出て以来、は従姉妹と共に城内で働く日々で、独学で多少学んできたけれど、おかげでこの3年弱、毎日勉強と共に補佐官を務めていて、彼女も頭が破裂しそうな日々を送っていた。

「そういう環境でしたから、学校で友人とお話をしたり笑い合ったりという経験もないまま、以前の成人年齢である18になりました。その頃、捕虜として地下牢に送り込まれてきたのが寿です。ひょんなことがきっかけで彼が同年代の甲国出身と気付いてからは、一体何が彼を傭兵に、そして捕虜にしてしまったのだろうと思い煩うようになり、それには王家の末端である自分にも何かしらの責任があるのじゃないかと不安に思っていました」

地下牢の配膳係を従姉妹とともにやらされていたあの頃、牢の中にいるのは屈強だったり狡猾そうな大人ばかりで、大人っぽくはあっても明らかに同年代の寿を見たは彼のことが頭から離れなくなってしまった。一体自分と同じ国に生まれ育ったはずの彼がどうして捕虜なんかになって収監されているんだろう。

年齢を考えても、自分から望んで傭兵になったとは考えにくい、諜報員として送り込まれているにしては不用意な言動が多い、城で雑用をさせられているだけのでも寿のその「不安定さ」は大いに疑問を感じるところだったし、そう思ったら彼を収容所送りにしてしまうのは忍びなくて、つい手を貸した。

「本当の事情――ご家族のことを知ってからは、何とかして償う方法はないかと思いながら過ごす日々でした。もうご両親は戻らないけれど、せめて彼の気持ちが納得のいくように出来ないだろうかと、それはそう頼まれたからではなくて、私自身が望んだからです。一緒に犯人探しをすることで贖罪をしていたつもりでした」

自身もきらびやかな生活とは縁遠いが、それでも国で1番安全な場所で食うに困らない生活をしてきた。それに比べて寿は11歳で国を追われ13歳で傭兵になり、18歳で捕虜となって収容所に送られる寸前だった。それが後ろめたかったのは否めない。彼を助けることでも心の安定を得ていた。

それが恋に変わったのはたまたまだ。

「だから、ご両親のお墓参りをして傭兵時代の精算をしたい、という彼の申し出には反対しませんでした。その気持ちがよくわかったから。また一緒にいられるようになろう、そのためには紛争を終わらせなきゃならない、祖父の作ったおかしな身分制度も見直したい、そういう気持ちで3年、過ごしてきました。
もちろん一緒にいたかった。だけど、私は身勝手なワルキューレのようにはなりたくなかった。自分たちが一緒にいられないことを逆恨みして大勢の人を苦しめた彼女のようになりたくなかったから、だから、寿を牢から助けたことも、この3年間のことも、全て私が自分の意志でやりたくてやったことです。寿のためではありません。もしそれで彼を失うようなことになっても、後悔はすまい恨むまいと決めました。だから――

不意に言葉を切ったは喉を詰まらせ、強く息を吸い込んで一気に吐き出した。

「だから寿、自分の道は自分で決めて。父は納得しないと言うけど、あなたのことにこの人は関係ない。親方さんたちと行くというならそれでもいい。だけど、でも、私は、やっぱり、好きな人が別の方と手を取り合っているところは、見て、いられません、ごめんなさい、つらい、ので――

言葉が途切れ途切れになったは、言い終えた瞬間に涙声になり、驚いた陛下が手を伸ばすも間に合わず、急に立ち上がって姉君を突き飛ばすと外に飛び出た。その瞬間寿も椅子を蹴って駆け出し、後を追いかけた。慌てたのは残された陛下と親方とチャミである。

考えるより早く飛び出していった寿に追い縋ろうと伸ばした親方とチャミを、姉君が遮る。

「お姉ちゃんどいて!」
「あんたは関係ないだろうが! チャミが欲しいからってお姫さんに味方して――
「ふたりとも座れ、陛下もお掛けください」

姉君はまた銃を取り出して天井に向けている。陛下は扉の外を気にしつつも、床に突き刺したままの剣を収めると椅子に腰を下ろした。が、親方とチャミは姉君の制止を聞こうとせず、じりじりと距離を詰める。

「アトカ……と言ったか、どういうつもりだ」
「陛下、お許しを。あたしは妹のキスカを愛していますが、それ以前に自分の都合で人を思い通りにしようという人間が反吐が出るほど嫌いなのです。親方さん、キスカ、お前らは自分のために寿が欲しいだけだ。しかし、お姫さんは寿の自由な意志を望んでる。悪いけどあたしは彼女に加勢する」
「私キスカなんて名前じゃないもん!」
「いい加減にしろキスカ、それは父さんと母さんがあたしたちが生まれた時に最初にくれた贈り物だ」
「いい加減にするのはお前の方だ! 何の権利があってオレたちを引き裂く!」

唸りを上げた親方が両手を掲げて姉君に掴みかかろうとしたのと、一瞬のうちに陛下が剣を抜き放って親方の喉元にピタリと突きつけたのはほぼ同時だった。チャミが細い悲鳴を上げ、親方は勢いを削がれて椅子に崩れ落ちた。陛下はそれ以上剣を動かさずに姉君――アトカに銃を下げさせた。

「銃はしまいなさい。そなたは手を汚してはならぬ」
……すみません」
「親方殿、娘御の姉に当たる方だということくらい、わきまえよ」
「ですが陛下……!」

席に戻った陛下はしかし、何も言わずに剣に手を添えて足を組んだ。アトカが咳払いをして続ける。

「親方さん、自分でもわかってるだろ、何の権利があって引き裂く――そりゃあんたたちの方じゃないか」

もちろん親方もチャミもわかっている。なのでふたりはがっくりと肩を落とした。

「もちろんはっきりと事情を明かさなかった寿が悪い、それは事実だ。けどそこは陛下がきっちり叱ってくださる。寿が抜けたことによる親方さんの商売の損失は報酬で充分まかなえるだろ」
「金の話じゃねえ……
「そうだな。あんたはキスカ……チャミと離れたくないだけ、そうだろ」

親方の肩がぎくりと震える。チャミも顔を上げて親方を見つめる。

「あたしとキスカが双子なのは動かしようのない事実だ。顔見りゃ誰だってわかる。あんたがこの子を手元に残しておくためには寿と結婚させて、寿を自分の商売の跡継ぎにするしかない。あんたの目的は寿じゃなくてキスカだろ? なあ、それってお姫さんの言うワルキューレと同じじゃないか」

それを聞いて親方よりも先にチャミの顔色が変わった。姉の言いたいことがわかったらしい。

「陛下……これ以上こじれるのはお姫さんにとってもよくない。少し助けてくれませんか」
……いいだろう。出来ることであれば」
「親方に甲国の国籍を与えてください」
「何?」

アトカは体を親方とチャミに向けたまま、首だけひねって陛下を見る。

「丙国は甲乙の間に入って漁夫の利を得てる形になりますが、古くは親甲派なのはご存知でしょう。紛争の間も甲国からの移民は積極的に受け入れてきました。甲国民であれば、丙国への移住が容易です。乙国民のままだと面倒なことが多すぎる」
「それはつまり……
「そう、親方さん、チャミと引き裂くなんて誰が言ったよ。キスカと丙国へ来ないか。一緒に商売、しよう」

ギリギリと吊り上がっていた親方の目尻が一気に垂れ下がり、気の抜けたため息とともに彼は椅子の上でぐったりとしてしまった。チャミと離れなくていい上に、一族でやってる巨大な商家と一緒に仕事ができる。地獄から一気に抜け出したせいで、親方はぼんやりしている。

「出来ますか、陛下」
……確か彼は元々甲国の出身だったはずだから、戸籍が残っているかもしれん。調べよう」
「一時的にでも甲国へ入れて頂ければ、あとは正規の方法で丙国にもらいます」
「それも優先的に致そう。そなたの家はよいのか、相談もなく」
「もちろんです。あたしたち一族で60人以上全員商売人、その首領である父は『正しく儲ける』が信条です」

ニカッと笑うアトカに陛下も緩む。そして彼女はチャミの手を取って跪いた。

「お姫さんの言葉にあたしも倣おうと思う。キスカ、親方と離れられないならそれでもいい。あたしもここ数日あんたといっぱい過ごして楽しかった。だから、あんたの自由を奪ったりはしないから、せめて父さんと母さんに会ってくれよ。親方さんと一緒に丙国に来てくれないか。あんたを心から愛してる人が何十人も待ってる」

チャミは姉の言葉に静かに頷いた。熟考の末の決断というより、彼女が自然と求めた答えだったような、そんな穏やかな表情だった。陛下もやっと剣から手を離して安堵のため息をついた。

「陛下、ではあたしたちは先にお暇します。従者の方たちにはもう少し待ってもらうように言っておきます」
「済まない、親方の件は早急に準備しよう」
「陛下が寿に使わせてた連絡法を使っても構いませんか」
「いいだろう。乙国から出るまではそれで頼む」

まだ17歳だというのに、アトカは一人前の商売人だ。心配ないだろう。今やしっかり手を取り身を寄せあっている親方とチャミを宥めつつ、アトカはふたりを空き家の外に出す。彼女が手配していた荷馬車でここまで来たので、それでまた町へ戻る。ふたりが外へ出ると、アトカはこそこそと戻り、陛下に顔を寄せて声を潜める。

「陛下、おひ……様と寿によろしくお伝え下さい」
「アトカ、そなたにも世話になったな。ふたりの件では何でも力になろう」
「あのー、そのことなんですけどもー、あたしもひとつお願いしてもいいですか」
「何だ」

いたずらっぽい笑顔のアトカは陛下が頷くので、また距離を縮めて囁く。

「今、甲国って商売の許可取るのすっごい厳しいんです。あたしには色つけてもらえませんか?」

何か褒美を求められるのだとばかり思っていた陛下は虚を突かれて、つい吹き出した。現在甲国は復興の真っ最中、国内で商売をするのは当然と言おうか、甲国民が優先されている。が、許可が下りないわけじゃない。時間がかかるのと、審査が厳しいだけだ。そんなことはわけもない。

「いいだろう。まだ成人もしていないというのに、商魂たくましいな。立派なものだ」
「ほんとですか! 感謝します陛下!」

しかし、飛び上がって喜ぶアトカに陛下も声を潜めた。

……ただし、条件がある」
「えっ、なんですか」
「先ほどの銃を寄越しなさい」
「え、あの、これは……

陛下はアトカがつい懐に差し入れた手ごと銃を引っ張り出すと、むしり取って改め、銃弾を全て抜いてしまった。

「護身用に必要なこともあるだろうが、これで人を撃ってはならぬ。キスカのためにもお前自身のためにも、それを私と約束してくれ。それが約束できたらすぐにでも商売の許可を与えよう」

アトカは妹のように何も考えずに頷いていた。というか今更ながら陛下が近すぎてドキドキしてきた。

「わ、わかりました……お約束します……
「よし、では交渉成立だ。双方満足のいく結果のために力を尽くそう」
「は、はい!」

自分の娘より年若いアトカのこと、陛下に他意はなかった。というかむしろアトカが実に有能そうなので、こんな部下がもっといれば、と勧誘したい気持ちをぐっと飲み込んでいた。それがポロッと出てしまったにすぎないわけだが、とにかく陛下はアトカの頬にキスをして扉から送り出した。

ランプがひとつ灯るだけの真っ暗な外に転がり出たアトカの顔は、真っ赤だった。

古びた空き家から飛び出したは、トーク帽を投げ捨てて無闇矢鱈に走りだした。今日ここに来るまでに、いや、寿の腕にチャミが絡まっていたのを見た時から押し込めていた心労が一気に吹き出してしまった。

期待はしていなかった。親方に父親の影を感じて板挟みになっている寿に無理強いはしたくなかったし、かと言ってそのために父親に悪者を演じさせるのも嫌だったし、ひとりの女性としてはチャミを腹立たしく感じたし、けれど結局のところ、全員で揃っても何も言い出してくれなかった寿を見ていられなかった。

やっぱり親方とチャミを選びますと言い出すのではないか、そんな不安に押し潰されそうだった。これがもしどうにか丸く収まったのだとしても、甲国に戻った彼が親方とチャミを恋しがったりしたら心が痛むに違いないと思った。そういう自分にも耐えられなかった。

けれど、自分が寿を好きなので戻ってきてとはどうしても言えなかった。程度は違えど、それはワルキューレと同じだ。自分の思い通りにならないことが許せない、そういう暴力にも似た自己主張だとしか思えなかった。

寿のためではない。全部自分がやりたくてやったことだ。そんな恩着せがましい人間にはなりたくない。父親が弟を手に掛けたのも同じだ。あれは半分は贖罪のため、半分はそういう覚悟を持って国を治めるのだという自分自身のためにやったことだ。だから何も悔いてはいない。ただ、もう耐えられなかっただけ――

!」

なにぶんドレスなので、の速度は遅い。その上夜で真っ暗なので頼りない月明かりぐらいしか足元を照らすものはなく、寿の声はどんどん迫ってくる。そして、空き家の明かりがほんの指先ほどになってしまったあたりでは捕まった。後ろからぎゅっと強く抱き締められてよろめく。

……
「私、縛り付けておきたくない、だから、自分で見つけてよ、どんな結果になってもいいから」
、聞いてくれ」

腕の中で泣き崩れそうなを正面から抱き締めなおすと、寿は深呼吸をした。

「さっきはちょっとどう言えばいいかわからなくなって……だけど陛下に手紙を出した時にはちゃんとふたりに話したんだ。の元に帰りたいから結婚はできない、そのために3年間過ごしてきたんだって」

しかしは首を何度も振って、喘ぐように言葉を吐き出す。

「だからそういうんじゃなくて、誰かのためじゃなくて、寿のしたいことを――
、待って、聞いてくれ、それがオレの望みなんだよ」
「だってそんなの――
「いいから聞けって!」

つい声を荒げた寿だったが、はその声に顔を上げて目を丸くした。

「よくわかってると思うけど、オレ、11で国を追われてからマトモな生活なんてしたことなかったんだよ。普通に飯食って風呂入ってベッドで寝る、なんてこと、お前の部屋の横の小部屋に入るまで7年間したことなかったんだ。そういうオレに夢や希望があると思うか? そんなもの寝てる時にも見たことねえんだよ!」

彼もまたそういう安らぎをくれたと離れてから心労を溜めるばかりだった。無意識に控えていた、長く傭兵家業で染み付いてしまった雑な言葉遣いがボロボロとこぼれ落ちてくる。

「だから、そういう願いがあるんだとしたら、お前のところに帰りたい、もし許されるんだったら陛下のお役に立ちたい、それくらいしか、オレにはねえんだよ。人並みの夢だの願望だの、そういうのはそれからだ」

そう、今はまだと共に生きることくらいしか願うことがない。例えば親方のように商売を拡大していきたいだとか、チャミのようにお姫様よりかわいいドレスを着たいだとか、そんな単純な夢すら思い描けない。

両親の墓前で報告が出来たことで、彼の放浪の旅はほとんど完結した。ワルキューレたちは処刑されたし、それはもう引きずりたくない。その場で両親の後を追ってもいいくらいには疲れてもいた。しかし彼には唯一、という夢と希望があったから、腰に差し渡した剣で首をかき切りたいとは思わなかった。

「だから――帰りたい、、一緒に帰りたい」
「でも、あのふたりから離れられないんでしょ!?」

悲鳴のような声を上げたに、寿はゆっくりと首を振る。

「もう二度と会えなくてもいい。城に、いや城下に帰れればオレはそれでいい」
……それで、後悔しないの」
「しない。オレが後悔してるのは、お前のこと言わなかったことだけだ」

寿がきっぱりと言い切ったので、は顔をくしゃくしゃにして涙をこぼし、そして抱きついた。寿もしっかりと抱き返して背中をゆっくりと擦る。

「帰ろ、一緒に帰ろう、3人で帰ろ」
「ああ、帰ろう。やっと戻れる、、会いたかったよ」
「もう変な階級制度もないし、紛争もないし、そういう風に、なったからね」
「ありがとう……感謝します、王女殿下」

こうして実に10年近い時を経て、寿の苦痛に満ちた旅は終わった。