続・七姫物語 三井編

05

商売人でごった返す町を歩き、寿は姉君に連れられて別の宿に移った。安宿だが、こちらの方が「いつもの」という感じがして気楽だ。そこでチャミの従兄妹ふたりと叔母を紹介された寿は驚いて言葉に詰まった。面差しがみんなよく似ている。これはチャミがこの一族の娘である動かぬ証拠だ。

「みんな似てるだろ。あ、でも近親婚なんかしてないぜ。どうにも血が濃いらしいんだよな」
「ほんとに……よく似てるな」
「よし、まずはその甲国の国王陛下に報せよう。諜報活動やってた時の連絡方法があるだろ」

寿は頷いて彼女に従う。陛下に指定された人物へ手紙を届けると、甲国に届くようになっていたらしい。詳細は知らされていないが、部分的な隠語だけで構わないと教えられていたので、安全な手段なのだろう。寿は姉君に助言をもらいながら、事のあらましを簡潔に記した。

「こりゃただの手紙だな。よし、陛下への手紙だなんてことは言わずに叔母さんに頼もう」
「自分で出しに行くよ」
「いんや、あんたには話を聞かせてもらいたい。何なら酒をおごるよ」
「そ、それは遠慮しとく……
「なんだよ、お姫様への愛の言葉を吐くかもしれないからか?」
……それも、少し」
「いいじゃないか、この3年、誰にも言えなかったことだろ。あたしと従兄妹でいいならブチ撒けていけよ」

天真爛漫で寂しがりやのチャミに比べると姉君はあまりに豪快で、寿は脳が処理しきれていないのを感じて目眩がした。だが、この雑な感じは傭兵時代を思い出す。何か気に入らないことがあれば殴る蹴る、楽しくても「馬鹿野郎」面白くなくても「馬鹿野郎」で済んだあの頃も、今となっては懐かしい。

そんなわけで、姉君、姉君と同い年の従兄弟、そして11歳年上の従姉妹の3人を相手に、酒の入った寿は自分の人生が狂ってしまってからのことを全部ブチ撒けた。3人がまた興味深そうに聞いてくれるものだから、上院議員の息子だった時代のことも何でも話したし、突っつかれるままにとの馴れ初めも話した。

こんな風に身の上話をしながら、あれが好きだの何が気に入らないだの、そういうどうでもいい話をしたのはいつ以来だろうか。それはと父親の事件を調べている間のことだ。すっかり仲良くなったふたりは毎日夕食を機に捜査を中断、その後は夜遅くまで色んなことを語り明かした。それも懐かしい。

特に現在17歳である従兄弟くんはの話に食いつき、お姫様とのキスってのはどんなもんなんだと身を乗り出し、姉君に蹴られていた。キスがどうだったかはもちろん話さなかったけれど、尋ねられるままにへの想いもベラベラと喋った。翌日に思い出して死にたくなるくらいには本音で喋ってしまった。

翌日、久しぶりに深酒をしたので痛む頭を抱えた寿は、従兄弟くんと同じ部屋で目を覚ました。部屋を出ると姉君がおらず、叔母上に声をかけるとチャミを誘いに行ってるという。

「ひとりで生まれてきたオレたちにはわからない何かがあるんじゃないか、双子って」
「話さなくても気持ちが伝わるとか言うよな」
「小さいころもそうだったよ。ふたりでひとつの生き物みたいだった」

水を飲みながら寿はぼんやり考える。そういえばチャミは無闇矢鱈とベタベタくっつきたがるし、ひとりになりたがらなかったし、いつでも自分は寂しいのだと訴えているかのようだった。あれは姉君という半身がいなかったからなのだろうか。姉君もそういう12年間を過ごしてきたのだろうか。

「まあ、あいつも含めオレたちは全員死んだと思ってたからな。だけど生きてるとわかった以上、何としてでも取り戻したいんじゃないか。なんなら伯父さん……うちの首領あたりなら養女に出したと思って諦めもつけられるかもしれないけど、あいつは無理だよ。最愛の妹なんだ」

姉君は昨日、寿の気持ちがわかると言った。姉君の12年に比べればほんの3年間かもしれない。けれど寿は町ゆく女の子が「可愛い」と認識できても、それ以上にフラフラと気持ちが揺れることがなかった。はあまりにも特別だったから。

「あんたも早くお姫さんと仲直りできるといいな」
……ありがとう」

この日以降、姉君は毎日チャミを宿まで迎えに行き、何とか引きずり出すと町で遊びはじめた。寿が戻らないので町を出るきっかけを失ってしまった親方が部屋から動かないのをいいことに、双子は一緒に過ごす時間が長くなっていった。チャミは少し臆病な性格だが姉君は真逆。チャミも次第に打ち解けていった。

というよりも、親兄弟と離れてしまった不安から性格が形成されたのかもしれない。チャミは姉君と過ごすうちに徐々に溌剌としてきた。親方にしてもチャミにしても、「寿が戻り結婚を認めるまでは帰らない」という状態だったのだが、チャミの方は全く同じ顔をした姉に惹かれていくのを止められなかった。

「双子だもん、絶対一緒にいれば分かり合えると思ってたんだ。この世で唯一の存在だからね」
……チャミは、なんて言ってるんだ」
「お姉ちゃんって呼んでいい? とかくすぐったいこと言いやがってさ。抱き締めてチューしてやったよ」

姉君は上機嫌だ。チャミにとって、有無を言わさずに抱き締められてキスをされるなんていう熱い愛情表現は、彼女が長年求めてきたものなんじゃないか――寿にはそう思える。チャミが自分に望んでいたのはそういうことだったんじゃないだろうか、彼女はいつでも姉君の代わりを探していたのでは。

もしチャミの気持ちが本当に恋だったとして、それを受け入れられないことは申し訳ないと思う。が自分の世界に存在しなかったらあるいは、とは思うが、がいなければ生きているかどうかも怪しい。だから、チャミの心を少しでも温かいもので満たすことが増えてくれたら、と願わずにはいられなかった。

姉君があんまり上機嫌なので、寿はそういう気持ちなのだと正直に言ってみた――ら、怒られた。

「13の時から他人の中で生きてきたんだろうし、優しいことは悪いことじゃないけど、あんたのそういうところが今回のゴタゴタを招いたんじゃないのか。あんたはあくまでもお姫様第一じゃなきゃいけなかったんだよ」

陛下と同じことを年下の女の子に言われてしまったので、寿は凹んだ。

「甲国に戻るんだとしても、例えばお姫さんのことでは陛下とも喧嘩する覚悟がなきゃ」
「そんなことしたら――
「あんたはどうにも父親と同世代の男に弱いね。無理もないけど」

姉君の言葉に寿は喉を詰まらせ、顔を逸らした。図星でぐうの音も出なかったからだ。

「家族を悲惨な形で失ったことは同情するけど、あんたの父親はたったひとりで、親方も陛下も代用品でしかないんじゃないのか。だけどあんたにとってお姫さんていう存在もたったひとりで、それは代用品よりも大事なものなんじゃないのかい。父親の代用品は他にもいるだろうけど、お姫さんの代わりはいないだろ?」

図星を指されると言い返せない。寿は姉君の指摘がもっともで、なおかつ自分でも薄々はわかっていたことなだけに、余計に凹んでため息をついた。そこへ彼女の叔母が入ってきて、宿に届いていたという手紙をバサリと投げ出した。それを見た姉君は一通を寿に投げて寄越す。

「ほれ、来たよ。これ、陛下だろう」

慌てて手紙を取り上げた寿は、乳白色の封筒の裏の角に、小さく薄い色で染められている甲国王家の紋章を見て息を呑んだ。表に返せば、宛名の字は報酬の規定に関する書簡に記されていた署名の筆跡に似ている気がする。もしやこれは陛下の直筆なのか。

ちらちらと覗き込んでくる姉君の視線にも急かされて、寿は封蝋を外して中身を取り出す。中に入っていたのは一枚の紙で、一週間後の日付だけが記されていた。寿は首を傾げる。

「どういう意味だこれ」
「来てくれるんじゃないのか?」
「陛下が!?」
「またこの辺に用があるのかもしれないだろ」
「てかオレの所在なんて」
「あ、それは大丈夫。投函する前に街の周辺地図と一緒に両方の宿の場所も付け加えといたから」

姉君はにっこり微笑んでいるが、寿はこの時自分がいかに諜報員に向いていなかったかを痛感した。

一週間後、未だ宿にへばりついている親方、姉との時間が増えてとうとう従兄妹や叔母とも対面を果たしたチャミは姉君が調達してきた町外れの空き家に呼び出されて渋々やってきた。空き家はホコリと蜘蛛の巣だらけだったけれど、朝から姉君と従姉妹さん、そして叔母上まで手伝ってくれてきれいにしてある。

姉君が寿の手紙にこっそり街の情報を仕込んでいたわけだが、姉君の予想より町の人出が減らず、急遽町外れの空き家になってしまった。そんなわけで彼女は今、町の表門にそれらしき一行を迎えに行っている。そのせいで寿はしばらくぶりに親方とチャミと3人だけになってしまい、たいへん気まずい。

そして姉君に色々言い当てられたとはいえ、寿が親方と陛下に父を見て慕っているのは今更変えようがないわけで、彼はお茶の支度だのお菓子の用意だのと空き家の中をずっとウロウロしていた。

やがて日が暮れ、また寿がウロウロして家中に明かりを灯していると、外から馬車の音が聞こえてきた。

「ただいま。遅くなって悪かった。あんまり人が多いもんで、迂回しながら来たんだ」
「お姉ちゃん、私帰っちゃダメなの……
「バカを言うなチャミ、お前は堂々としてればいいんだ。パパとここにいなさい」

居た堪れないのだろう、チャミは姉君にすがって困り顔をしたが、親方が腕を掴んで離さない。すると姉君の後から白っぽい影が入ってきた。自分のことで精一杯だった親方やチャミ、寿も慌てて立ち上がり、つい後退した。ほぼ正装の陛下が入ってきたからだ。床に届くローブに金細工の鞘に入った剣を腰に帯びている。

「へ、陛下、わざわざ申し訳ありません」
「構わぬ。どうせ乙国の宰相との会談の帰りだ」
「そ、そうでしたか、お疲れのところ――

寿がたどたどしく話していると、陛下が横にずれ、今度は薄青色のふわふわしたものが扉をくぐって入ってきた。道案内の途中でも見なかったのか、姉上を含めた全員がハッと息を呑んだ。

親方が言ったようには地味だ。それは城で生活している時も国王の補佐官になってからも一貫していた。なぜなら甲国は長引く紛争でド貧乏、しかも先代の王は女に贅沢をさせると国が傾く、という主義。きれいで可愛らしいドレスなど、ほとんど着たことがなかった。

だがどうだろう、造りは簡素ながら柔らかく美しい線のドレスに身を包んだは王女の風格が漂い、トーク帽のヴェールの向こうの双眸が部屋の明かりにきらめく。陛下に手を取られて入ってくるその姿に、寿は思わず跪いた。それを見た姉君が倣い、結局親方とチャミも跪いた。

陛下はそれを止めるでもなく、寿が用意しておいた部屋の奥の椅子に迷うことなく腰を下ろし、傍らの瀟洒な椅子にを座らせた。

「さて、どうしたものかな」

陛下の声に我に返った一同は、なんとなく落ち着かない顔をしながら席に付き、お茶の支度をしようとした寿は姉君に肩をひっぱたかれて席につかされた。

「そちらのお嬢さんの報告によれば、私が個人的に命を下していた諜報員を乙国当局に密告するとか何とか」
「そっ、それは!」
「違うのか? 結婚を承諾しなければそれも辞さないという話だったのではないのか」

陛下の淡々とした口ぶりに、しかし親方は逆に落ち着き、両膝に拳を置いて身を乗り出した。

「陛下、以前にもお話しましたように、我々はもう長いこと家族同然に暮らしてきました。娘と寿も仲が良くて、そりゃあ似合いのふたりでした。3人でいても喧嘩なんかしたこともない。それを急にお姫さんが恋人だのチャミを連れて帰るだの、オレはそんなの納得できませんや」

親方はチャミを、そして寿と3人で家族になって商売をしていくという未来を失いかけているので、目が爛々としていて必死だ。さり気なく姉君が親方との間に入っているが、おそらくどこかに先日の銃が隠されているものと思われる。よく見れば陛下も片手がずっと剣の柄にかかっている。

「戦が終わるのは大変結構、商売に精が出るってもんです。そのためにオレは寿のやってることには口出しをしないで黙って見てきた。こんな風に家族をバラバラにするために協力したんじゃありませんぜ」

扉にもたれかかって腕を組んでいた姉君の表情が歪む。親方はチャミと寿と3人家族になるのだという夢に心の底から囚われてしまっている。まだ寿とチャミは結婚していないというのに、元から家族だったかのような口ぶりだし、それがおかしいことに本人は気付いていないらしい。

だが、妄執を理由に脅しをかけられる謂れはない。陛下はまったく動じない。

「一体何の話だ? 私は君たちがどうなろうと知ったことではない。何ならそこの元諜報員はどこへなりと突き出してもらっても構わん。突き出したところでこちらに証拠が残っていると思うなら何でも好きにするがいい。孤児が家族に再会出来たことも、養い親との生活をどうするのかも、私には関わりのないことだ。私は今自分の国の民のために働くことだけで時間を使いきっている」

じゃあ何しに来たんだ――という顔の一同を見て、陛下は一息つく。

「それでも私はこのひとり娘の父親だ。娘が愛しく思う男が窮地に立たされているのを哀れに思っただけだ」
「陛下、そんならオレだって同じです。チャミはオレの愛娘で――
「私が受けた報告によれば、寿は甲国への帰還を望んでいるとあるが」
「はい、それはオレが書きました」
「だが、そうしようとしたら密告されそうだという報告がくっついてきた」

そんな報告をくっつけた覚えのない寿がハッと顔を上げると、姉君がニヤリと笑っている。

「だから宰相との会談の帰りに立ち寄った。それぞれの陳情は結構。結論だけ話せ」
「ですから寿とチャミを――
「私、寿と結婚したいの! 寿が好きなの! だから、お願いお姫様、私に譲って!」

それまで黙っていたチャミが急に爆発した。父親の傍らに腰掛けて以来姿勢を崩さず、ずっと視線を下げて黙っているに向かって叫んだ。だが、に反応がないのを見ると、今度は寿の方に向かって声を上げた。姉君が止めに入りたそうだが、親方との間からは動くに動けない様子だ。

「ね、寿、お姫様何も言わないよ、私とお姫様の何が違うの? 私もかわいいドレス作るよ、ずっと寿のそばにいるよ、そしたら、寿が一緒にいてくれたら私お姉ちゃんと会えなくてもいい、ずっとパパと寿と一緒にいるから、ね、そうしようよ寿、ねえ!」

チャミもあまり冷静ではない。目が泳いでいる。寿はたじろいでいたが、チャミの言葉が親方を突き動かした。寿さえ結婚に頷けば、チャミも失わなくて済む、チャミは本物の家族と縁を切ってまで自分と一緒にいてくれる――

「そうだそうだ、寿、オレたちと一緒にいよう、ずっとうまくやってきたじゃないか」
「お料理もお洗濯もお掃除も、私ちゃんと覚えるから、子供だって何人産んでもいいよ」
「ほら、そうしたら本物の家族だ、誰にも邪魔なんかさせないぞ、なあ寿、そうしよう」

親方とチャミの猛攻を前にして黙ったままの寿に、陛下の重苦しい声が這い寄る。

……寿、お前は帰還を望んでるんだろう」
「は、はい……
「ならばなぜこれを断らない」
「そりゃあ寿は本当はオレたちと一緒にいたいからだ!」
「お前はを愛しているのではなかったのか」
「寿、チャミも寿のこと愛してるから、ね、だから――

陛下まで増えて3人から責め立てられた寿は狼狽えて壁にへばりついている。親方の腰が椅子から浮いているので、とうとう姉君は懐に手を突っ込んでいるし、空き家の中はいよいよ荒れ模様になってきた。すると、口は挟むが身動きをしなかった陛下がするりと剣を抜き放った。

「陛下、刃傷沙汰は――

慌てて止めようとした姉君だったが、陛下は抜き放った剣を逆手に掴むと、空き家の床に勢い良く突き刺した。一瞬で静まり返る部屋、ランプの明かりがちらほらと揺れる中、陛下の傍らからか細い声がした。

「少し……私の話を聞いて頂けませんか」

ヴェールの向こうのの瞳がきらりと輝いた。