エンジュと寿里が、新九郎が言うところの「うちの子」になると決定してからは早かった。
「まあそんなことだろうと思った」と尊は笑いつつ、寿里を抱き上げて「みこだよー」と目尻を下げていたし、直後に顔を出したぶーちんは「また男増えたの!?」と言って腹を抱えて笑っていた。そう、エンジュと寿里を入れると、総勢11人、うち女性は4人だけ。
さておき、まずは頼朝が心当たりに連絡を取ってくれたので、弁護士に相談に乗ってもらい、つけ入る隙のないように正当な手順を踏んで寿里の親権を取ろうという流れになった。だが母親が行方不明になって捜索願が提出されてから早半年以上、まず問題はない。
次にDNA鑑定。すぐに手配をしたので、10日ほどで結果が出た。寿里はエンジュの子で間違いなかった。ついでに由香里の勧めでカズサたちが通っている小児科へ赴いて事情を話し、ちょっとした健康診断をしてもらったがこれも問題なし。一応予防接種その他は済んでいるようだった。
さらにエンジュはマンションを引き払い、翌週にはさっさと清田家に越してきた。今の仕事に就いてからは特に物を増やす暇がない生活をしていたとかで、新九郎と由香里とがトラックと車でやって来たが、荷台はスカスカ、運び出しも30分とかからずに終わってしまった。
このあたり寿里が幼稚園も含め就学前であったことは不幸中の幸いだったかもしれない。ほんの1週間ほど慌ただしくなっただけで、エンジュと寿里は驚くことも忘れるほどすぐに「うちの子」になってしまった。寿里など、最初からこの家に生まれたかのようだった。
特にアマナとはすぐに仲良しになり、毎日庭にスライディングしているカズサをが追いかけ回している間にも、ふたりで楽しそうに遊んでいるので、おばあちゃんに見守りを頼んでも問題ないくらいだった。新九郎と尊のデレデレが加速する。
この件で負担が増えたのはやはりと由香里で、しかしエンジュから「謝礼」が出ることと、そのエンジュ自身が週末にきちんと家事を手伝うので、結果的にはプラスマイナスゼロ、というくらいだろうか。頼朝は早くリフォーム何とかしないと、と焦り始めていた。
次に、寿里の親権である。
エンジュは頼朝に紹介してもらった弁護士を伴い、と信長と一緒に千代田区にある家庭裁判所までやってきた。親権者変更調停といって、今回はこれをエンジュが申し立てした形になる。実際の調停に弁護士は必ずしも必要ではないのだが、調停外でのトラブルが発生したときのために、一応同伴してもらうことになった。
しかし今回の場合は寿里がまず幼いし、母親側に養育に充分な環境が整っていないことが明白なので、調停委員の対応も事務的なくらいだった。また清田家の世帯年収が桁違いなことも幸いし、が自分の子と同じように養育していく意志も伝えることが出来たので、その場で「問題ないようですね」と言われるほどだった。
ただひとつ問題だったのは、例の寿里の祖父である。
調停の最中にも「遠藤くんが家に来てくれたら娘は帰ってくると思うから、ふたりを結婚させて、うちに住むよう言ってほしい」と繰り返すばかりで、埒が明かない。実際寿里の母親は捜索願が出されてから半年が経過しても両親に連絡ひとつない状態だし、携帯は解約されていることが判明、入院しているという祖母の病はアルツハイマーだった。どう考えても寿里の養育は不可能だ。
エンジュの方が圧倒的に有利……というか、寿里を安全な環境に置くことを考えるとエンジュが親権を取るしかないという状況なので、すぐに調停は終了、成立した。その後の手続のためにエンジュたちが待機をしていると、少し離れた場所で寿里の祖父が40代くらいの女性にお小言を言われていた。
やがて追い立てられて祖父が帰っていくと、その女性がエンジュたちのところに小走りでやって来た。一応どこのどなたなのかもわからないので、弁護士がサッと間に入り、応対をしたのだが、
「すみません突然、隣に住む者です。この半年の間、寿里ちゃんの面倒を見ていました」
全員思わずひっくり返った声を上げた。
「確かに、あのおじいちゃんが預かっていたにしては寿里が健やかだなとは思ったんですが」
「もちろんすっかり預かってたわけじゃありません。ご飯とか、お風呂とか、病院とか」
「ええと、失礼を承知でお伺いしますが、まさかそういったことの費用は……」
その隣家の女性が全て負担していた。また乾いた悲鳴が上がる。
「だって……チョッちゃんがいる頃から寿里ちゃんは縁側に置きっぱなしで……見ていられなかったんです。そしたらいつの間にかチョッちゃんいなくなっちゃって、おばあちゃんは元から具合が良くなかったし、おじいちゃんも最近特に話が通じにくくて」
彼女は寿里の母親のことを「チョッちゃん」と呼んだ。本当の名前とは似ても似つかないが、子供の頃から親ふたりにそう呼ばれていたのだという。彼女は20年ほど前に隣の家に嫁に来てからの付き合いだそうだが、つまり寿里が無事だったのはこの人のおかげだったことになる。
エンジュとはつい詰め寄って頭を下げ、礼を繰り返した。
「寿里ちゃんの、お父さん、ですか」
「はい。と言っても、僕も寿里に出会ったのはほんの1ヶ月前くらいなのですが」
「よく似てる。寿里ちゃんは元気にしてますか」
「おかげさまで何も問題なく元気です。あなたがいてくださったおかげです」
女性は情が移ってしまったのか、以後も寿里の様子を知りたいと願い出てきたが、万が一のこともあるから私の事務所を通しましょうと弁護士が間に入ってくれて、寿里の面倒を見ていてくれたことや、それにかかった費用などは改めてエンジュの方から謝礼として補填すると話がまとまった。
「頼朝さんにはこの間両親の家の補修をずいぶんまけてもらったんです。このくらい私が個人的に請け負います。でも、季節のお便りくらいでいいんですよ。遠くから寿里くんだけが写っている画像を添えたメールにしましょう。それで、徐々に減らしていけばOKです。来ないものは私も転送できないと言えばいいんです。謝礼をお渡しする際に絶対に他人に見せないという念書も取りますからね」
エンジュは助かりますと頭を下げていたが、その後ろのと信長は固まっていた。
頼朝が……まける!? いくら親しくしておきたい弁護士だからって、まける!? あの頼朝が!?
まあそれはさておき、こうしてエンジュは無事に「寿里の父親」になった。
寿里はやたらと動じない子のようだが、そういう急激な変化がたたったのか、この家庭裁判所の一件から数日後、エンジュは熱を出して倒れた。嘔吐と下痢も併発したため慌てたが病院に連れて行ったが、異常はなし。過労ではないかと言われて症状を緩和する薬を処方されただけだった。
「なんか思い出すな……」
「そういやお前も成人式の時に熱出して寝込んでたよな」
「あの時はここに帰ってきただけでホッとしちゃってさ」
「オレも今そんな感じ〜」
風邪ではないようだが高熱でフラフラなので、と信長の部屋に寝かされているエンジュは半目で上機嫌だ。アマナと寿里が代わる代わるその額をよしよしと撫でている。
「懐かしいなあ、ゆかりんが着物もバッグも草履も全部用意してくれてさ、写真も取らないとダメよって言ってさ、ぶーちんにメイクとかしてもらって」
がエンジュと知り合ったのはその直後にあたる。
「の成人式の写真、見たいなあ」
「信長とふたりで取ったんだよ。信長はスーツでね〜」
「あのー、オレはあんまり見られたくないんですが」
一応言ってみた信長だったが、エンジュとはそれどころではない。信長が「帰郷」していたを連れ出し、エンジュに引き合わせたときのことを楽しそうに話している。
「そっかあ、カズサの七五三はもうちょっと先だからアレだけど……写真、撮ろうか」
「なんだ急に」
「全員てのは無理があるから、私たちと、カズサとアマナと、エンジュと寿里で」
「どういうこと?」
何かの行事でもないのに、写真撮るってどういうことだ? と信長はポカンとしていたが、エンジュは熱でピンク色の頬を更に上気させての手を掴んで振り回した。
「撮る撮る、それやろう!」
「それじゃあ、みんなでおめかしして撮ろっか!」
「写真撮んの?」
なんでだ? という風に首を傾げた信長に、はにんまりと笑って答えた。
「家族写真」
清田家最寄り駅の近くに、おばあちゃんが嫁に来る前から営業しているという写真館がある。現在は3代目に代替わりしているが、今でも地域の記念写真などを一手に引き受けている店だ。と信長の成人式の写真もここで撮影した。
そこに家族写真の予約を入れたは、またぶーちんに手伝ってもらってすっかりおめかしをした。男子4人は全員スーツでいいので、とアマナはちょっと奮発して可愛くて華やかな服を新調、特にアマナは話を聞きつけた尊が金一封押し付けてきたので、ふりふりレースのドレスである。
ふりふりレースのドレスを着たアマナを見てまた新九郎と尊が悶絶していたが、ともあれ本日はママひとりパパふたり子供3人の記念写真である。
「アマナも可愛いけど、、すごくきれいだよ」
「えっ、やだそんな、ありがとう」
「初めて会った時も可愛いなと思ったけど、今の方がもっときれい」
「……ねえ、普通これ夫が言うことじゃないの、ねえ、そこの夫、聞いてる?」
「えっ、何!? ちょっとオレこいつ抑えるので精一杯なんだけど」
スーツ着てお出かけということは外食と信じて疑わないカズサが興奮して走りまくるので、信長はそれを追いかけ回してはとっ捕まえて羽交い締めにしている。最近カズサは筋力と瞬発力が増してきて、では手に負えなくなってきている。
というか土台エンジュのような美辞麗句を信長にすらすら言えと言う方が無理がある。しかも人前で。
「にきれいだねって言ってたんだよ」
「お、おう……」
「反応薄いぞ。カズサ、お母さんきれいだよねー」
「べつにたいしたことない」
「ちょっ、おま、いや、きれいだからな! 超きれい! かわいい!」
アマナが生まれた頃は凄まじいママっ子だったカズサだが、最近は何を聞いてもこんな感じ。はわざわざ突っ込まないが、結果的に夫が褒め言葉を口にしたので、まあ結果オーライということにしておこう。別にお世辞というわけではない。
写真館の3代目がどんな風に撮りますか、と色んなサンプルの入ったアルバムを見せてくれたので、3人は色々悩んだ挙げ句、それぞれ子供を膝に抱いて並んで座ることにした。というか立ちになってしまうと信長が縦に長過ぎるのでバランスが悪い。
「いいね、お姫様たちを真ん中に置いて、オレたちが囲む感じ」
「カズサ、頼むから一瞬でいいからじっとしててくれよ」
「やだぷー」
「カズサ、じっとしてたら帰りにアイスね」
「してるー!」
外食するとは、言っていない。
そうしてなんとかカズサを宥めすかし、無事に「家族写真」の撮影は終わった。館主はすました顔のポートレイトとは別に、全員が大口開けて笑っているスナップをおまけにつけてくれた。
カズサがふざけて体を曲げ、ピースサインをしている。それを抱く信長も、隣のも、エンジュも笑っている。アマナと寿里も遊んでいる時のような、楽しそうな表情だ。
まるで、本物の家族のように見えた。
写真撮影の日の夜。スーツ着て出かけたのにアイスだけで帰宅したカズサは怒り狂い、大人たちがドレスのアマナにデレデレしている隙をついて逃走、スーツのまま庭にスライディングした。それを自分の部屋で見ていたお祖母ちゃんがヨタヨタと報告に来て、清田家にまたの怒鳴り声が炸裂。
カズサが行きたいのは最寄り駅近くの古い洋食屋で、めったに外食をしない清田家だが、必要のある時にはこの店を使ってきた。子供たちが全員男だったし、ガッツリ肉メニューが必須。カズサはそこでハンバーグを食べたいのである。
だが、この怒りのスライディングがツボに入ってしまったらしい新九郎が、たまには全員で外食するか、と言い出した。たまたまこの日は全員揃っていたし、何ならお祖母ちゃんも行けるという。
そんなわけで清田家久々の洋食屋、乾杯の音頭に困った新九郎は思い出したように「エンジュと寿里を歓迎して乾杯」と言って笑った。そういえばそうだった、そんな声色だった。
ハンバーグをしこたま食って満足したカズサは帰りの車の中で爆睡、一日おめかしのままだったアマナと寿里もスヤスヤ寝てしまい、さらに翌日が仕事である息子たちがノンアルを買って出てくれた新九郎じいじと由香里ばあばもたっぷり飲んで爆睡、清田家は3台の車で静かに帰ってきた。
「でもこれあとで起こして風呂に入れないとな」
「じゃあひとまず全員こっちに寝かしておこうか」
「じゃあオレ着替えて風呂の準備してくるね」
庭にスライディングしたカズサも含め、全員風呂がまだである。子供も入れれば総勢11人、好きな時に勝手に入る、は通らない。ともあれ朝が早い新九郎や由香里は翌日でも構わないし、自宅が職場である頼朝は一番最後でいいという。まずは子供たちを入れねば。
休みの日というと家事を積極的に行うエンジュはさっさと着替え、新九郎が息子3人と入れる計算で作られた大きな風呂場を洗いに行く。お祖母ちゃんは済んでいるから、順番としては尊さんが先かな――
頼朝は深夜まで起きていることも多いし、尊さえ済ませてくれたらあとは子供たちが起きてからでいい。エンジュはまた部屋に戻り、シャワーの水をかけてしまったジャージを履き替えようとしていた。すると、ベッドサイドの棚に置いてあった携帯が鳴った。
取り上げてみると、なんと、実家からだった。
大学進学を機に家を出て以来、エンジュは実家には寄り付かずに過ごしてきた。実家に泊まったのは成人式の前夜、一度きり。それも近所の寿司屋で家族だけの席を設けた際に、「成人を機に強い男になれ」と散々説教を受けるという、なかなかの拷問であった。
それに、会社経営をしている元彼と付き合い始めてからは、生活の心配がなかった。彼は大人で社会人で、新卒が親に相談するようなことは全て元彼に言えば片付いた。兄とはたまに連絡を取っていたけれど、エンジュにとって実家はただひたすら「用のないところ」だった。
それがわざわざ電話とは。もし父か母のどちらかが死んだとか、病気をしたとか、そんな話であれば、兄から連絡が来るはずだ。そもそも兄は実家の隣に居を構えている。エンジュの父母もまた、次男に対しては「ほとんど用がない」人たちなのである。
ざわつく心を宥め、エンジュは着信に応じる。
「……もしもし?」
「寿一か、久しぶりだな」