えにすのはなはなほ

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そもそも、カズサも計画的に生まれた子ではなかった。結婚から1年と経たずして長男を妊娠しただったが、当初の予定ではもう少し働いて蓄えを増やしてから子供を作りたいと考えていた。が、何をどうしたか、気付いた時にはカズサが宿っていた。信長はちゃんと避妊していたと主張している。

由香里は「だから子供って授かりものって言うのよ。私も頼朝がそうだった。この家は毎日忙しいし、もう少し落ち着いて産みたいと思ってたけど、出来ちゃってたのよね」と言って笑った。

カズサを産んだ直後のは、もうしばらく妊娠出産は遠慮したい、と思っていた。そして何より、この長男カズサが父親そっくりで、まだ歩けもしない頃から暴れん坊の片鱗を見せていた。これを抱えてまた妊娠とか絶対無理! とも笑っていた。

が、何しろ由香里の言うように「授かりもの」である。早々には二度目の妊娠をした。

しかしこれは確かにに負担が大きい、と清田家はカズサの時のようなフィーバーで浮かれている場合じゃないことに気付いた。その上カズサははいはいを始めれば暴走機関車、歩き始めれば破壊魔、と「そんなところは父親に似なくていいから!」と毎日のように言われている状態。

皆で協力してカズサの面倒を見て、の負担を軽くしてやらねば――とまあ主に新九郎と由香里と頼朝が日々の生活でサポートを買って出たわけだが、そのうちに胎児の性別が判明、呪われているはずの清田家だったのに、なんと女の子だった。

もう我慢できん。女の子じゃー!!!

特に新九郎と尊は歓声を上げて踊りだすほど喜んだ。方や女の子が欲しくて3人頑張ったけど男しか出てこなかった新九郎じいじ。方や妹が欲しかったのに暴れん坊の弟が出てきた尊。ふたり目のひ孫に目を白黒させていたおばあちゃんも自身は息子しかいないので、まあまあまあまあと目を輝かせていた。

更に、歩き始めたカズサがとにかく暴れん坊で、なおかつ多くの他人に囲まれて暮らしているというのに大変なママっ子で、しかもパパの方は未だ現役選手なので不在になることも多く、せめて懐いていると言えるのが由香里くらいという状況が重なり、は自宅出産を決意するに至る。

これには頼朝が「こんな他人の出入りが激しい家は不衛生なのではないか」と反対をしたが、おばあちゃんに「あたしは隙間風の入る家で新九郎を産んだけど」と言われると黙った。とは言え母子の経過を見て危険と判断されれば提携先の病院で、というのが自宅出産をコーディネートしている助産院の基本条件だったので、清田家はまたにわかに慌ただしくなってきた。

しかし水周りが未だに少ない清田家、2階の信長との部屋では手を洗うのにもトイレの中の小さな水道を使うしかなく、出産にはいつか信長がの母親から引っ越すことを宣告された和室が使われることになった。キッチンや玄関からは離れていて静かだし、庭に面しているので明るい。

実に新九郎のいとこ以来50年以上ぶりに清田家に女が生まれる。それはもう異様な盛り上がりと緊張の中、しかも出産と言えば病院に行ってプロにお任せ、父親くらいしか身近に感じられないものであることが多い中、自宅で生まれることになった。母子ともに経過は良好。

そんな大騒ぎを経て、と信長の間には女の子が生まれた。名前は天那、アマナと付けられた。

例によって篤子だの政子だの時子だの、歴史ドラマや小説の題材になりがちな女性の名をリストアップしていた新九郎だったが、と信長がカズサの名を考えた時はまだ性別が判明していなかったのである。どちらが生まれてきてもいいように、名前はふたつ用意されていた。

そういうわけで、スサノオとくれば、天照大御神である。そこからアマナ。

一応本来はアマテラスの方が姉であり、スサノオは弟にあたるわけだが、そこはまあ仕方ない。アマテラスの方は暴れん坊の弟に嫌気が差して岩戸に引きこもることになるが、それも見なかったことにする。たぶん大丈夫。新九郎、またもや撃沈。

とはいえそんなアマナは、祖父母に曾祖母、伯父たちが固唾をのんで見守る中、襖一枚隔てた向こうで産声を上げた。処置が終わり、、そして父親である信長の次にアマナを抱っこした新九郎は号泣、抱っこの順番を待っていた尊も涙腺崩壊、早々にひいお婆ちゃんへとリレーされていった。

兄のカズサは基本じたばたと動き、よく泣き、声が出せるようになると喚き、ひとり座りが出来るようになると床をビシバシ叩き続けているような子だった。対するアマナは頼朝が「本当に生きてるのか不安になる」ともらすほどに静かな子で、まさにスサノオとアマテラス、静と動であった。

それから数ヶ月、暴れん坊が加速するカズサと異様に静かなアマナを両腕に抱いたはある日、新九郎と頼朝に話があると言い出した。そして信長を伴い、由香里にも同席してもらった上で「しばらく子育てに専念したい」と願い出た。カズサが少し大きくなったらまた働こうかと思っていたけれど、アマナが出来てしまった。もう、子供ふたり以上に優先するものはなかった。

と信長がそんなことを願い出るというのには、主に収入面で減少が続くという理由があるからなのだが、一応今でも信長の収入で親子4人の生活は賄える。ただし、が働くことで世帯に入れる分はない、ということで、ふたりはそれを気にして「お願い」をしに来たわけだ。

しかしそこは社長と専務と由香里である。信長がニートになったから養ってくれと言う話ならその場で追い出すが、そういう理由ならむしろ歓迎、この家に負担がかかるから出ていくと言われる方が困る、と快諾してくれた。元々現在の清田家は新九郎と由香里が必要と判断したことに対しては出費を惜しまない主義の家である。孫優先大いに結構、じいじとばあばは孫のためなら何でもします。

そんなわけで、あれよあれよという間に、カズサ、アマナと3人も増えた清田家は総勢9人、犬も入れたら13である。孫フィーバーのおかげで話が宙に浮いたままになっているリフォームを真剣に考えねば……と頼朝は考えていた。

が、リフォームするのはいいが清田家は相変わらず毎日慌ただしくて暇がない。子供たちも小さいし、その子たちのためにもと新九郎はどんどん仕事を増やすし、清田家は少ない水場を奪い合う世紀末ヒャッハーものの様相を呈し始めていた。

そうしてアマナが2歳になる年の春のことだった。

桜散らしの雨が続いていた3月も末のこと、やけに生温い気温としとしと雨が終わらないので、と由香里は毎日のようにコインランドリーに通っていた。現在3歳後半のカズサがちょっと目を離すと庭にスライディングするからである。毎日泥だらけ、の怒声がこだまする。

また、アマナが1歳になる直前に現役を引退した信長は、引退の意志をチームに伝えたその場で広報への転属を打診され、現在毎日スーツでお勤めの日々である。何しろ3年連続チーム内人気投票1位という実績があり、ローカル局のスポーツ番組のコーナーではもはや喋り担当、手放すわけにはいかない人材であった。最近の持ちネタはマスコットキャラとの乱闘。

他にもあれこれと変化はあるにせよ、とにかく清田家はドタバタと幼い子供に振り回される日々が続いており、新九郎と尊はアマナを溺愛するし、ずっと家にいるのでの由香里化が急速に進行するなど、まあ慌ただしいがそれなりに楽しい毎日であった。

そんなある土曜日のこと。せっかく桜が満開になったのに雨で花見どころではないと新九郎がぶうぶう文句を言っていた。清田家では桜の季節に最低でも1回はお向かいの家の巨大な桜を見ながら庭で花見をする習慣があり、しかし今年は雨続きで庭がぬかるみっぱなし、出来ないままとなっていた。

日も暮れて、カズサと風呂に入った新九郎は仁王立ちでビールをぐいぐい飲みつつ、窓の外を見てブツクサ文句を言っていた。すると、門のあたりに黒っぽい人影があるのを見つけて、新九郎はひょいと首を傾げた。清田家は日中常に他人の出入りがあるが、一転夜はほとんど来客のない家だ。

やがてインターホンが鳴り、続いて玄関のドアを叩く音がした。犬たちが一斉に吠える。

「あら? 誰か来るんだっけ?」
「いいや、何もなかったはずだぞ。宅配か?」
「それならここに書いてあるはずでしょ」
「玄関ドア叩くって、何か緊急のことか?」

現在大人が7人の清田家、通販を利用するのは結構だが、家人は荷物受け取り要員ではない、と由香里がキレたため、基本的には各自コンビニ受取などを利用している。それが適わないサイズの配送であれば、必ずリビングのホワイトボードにその旨を記入するのがルールだ。

その上暗くなってからの来客はほとんどない。暴れるカズサにパジャマを着せていた頼朝がサッと立ち上がり、アマナを風呂に入れる準備をしていた信長を二階から呼び戻した。子供と一緒に生活するようになって以来、清田家はちょっと過敏なくらいに防犯に気を付けている。

「しかもこんな雨の日に、誰だよ」
「やっぱりインターホンも映像で確認できるのに変えないとな……
「玄関のライトもセンサー式に変えたいって言ってなかったか?」
「言ってる。やってない」

ちょっと笑いつつ、信長に後ろに控えてもらっていた頼朝は、チェーンを掛けたまま玄関ドアをそっと開いた。門の中に入り、玄関ドアまで来られてはインターホンで応対出来ない。するとその隙間にガッと手がかかり、思わず頼朝は飛び退いた。ホラーかよ!

「ちょ、誰――
「すみません、頼朝さん、オレです、遠藤です!」
「エンジュ!? ちょ、おい、開けるから手を離せ!」

エンジュはと信長の結婚やらカズサの誕生の時などに何度か出入りをしているし、それでなくとも猫を被っていれば人当たりのいい好青年、清田家も彼のことはよく知っている。頼朝は玄関に飛び出た信長に代わり、を呼びに行った。由香里とふたりでキッチンにいたが飛んでくる。

玄関ドアのチェーンを外し、信長に引き入れられたエンジュは雨に濡れてびしょびしょ、桜の花びらが張り付いた黒のコートに背中を丸めてぜいぜいと喉を鳴らしていた。傘も差さずに歩いてきたらしい。相変わらずつるりとしていて白い彼の頬に雨水が伝い、玄関に水たまりができていく。

「おいどうしたんだよ、何があった」
「信長、ごめん、急に、ごめん」
「そんなのいいから――
「エンジュどうしたの!?」

キッチンからすっ飛んできたもつっかけを履いて玄関に転がり出た。顔を上げたエンジュは、目を真っ赤にしていて、雨で濡れたのか涙なのかわからない。そして彼は、ごめんを連呼しながらふたりに向かい、そっとコートの前を開いた。

そこには、アマナと同じくらいの子供が抱かれていた。

、お願い……子供の育て方教えて……!」

にわかに緊急事態の清田家は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。

とにかくびしょ濡れのエンジュは何とかしないと風邪を引きそうだし、抱かれていた子供の方もすっかり冷え切っていた。四の五の言っている場合ではないので、とりあえず信長がアマナと共にエンジュと子供を風呂に連行、よく温めた上でエンジュは2階に、子供は由香里が預かった。

幸いエンジュが連れてきた子は人見知りもせず、由香里が用意してくれたフレンチトーストもぺろりと平らげ、ヒゲモジャ巨漢の新九郎が近寄っても動じない。現在19時、おそらくこのまま泊まりであろうことを考え、頼朝は人手がいるから早く帰ってきてくれと尊に連絡をし、新九郎はカズサに「おじいちゃんと一緒に寝てくれない?」と誘いをかけていた。

信長と頼朝は来客用の布団やらを納戸から引っ張り出し、しかし長時間放置の上冬場の気温で冷え切っているため、布団乾燥機にかける。その間はエンジュが冷えないように服を貸していた。

「信長のだから大きいけど、まあ外出するわけじゃないからいいよね」
……ごめん……
「それもういいから。風邪引かないようにほら、靴下も履いて」

風呂で温まったとは言え、バス停から傘なしで歩いてきてしまったエンジュはまだ肌の色が白い。食事もろくにとっていないようだが、本人がそれどころではなさそうなのでひとまず後回し。というかは由香里とキッチンで翌日の準備と本日の後片付けをしていたのだが、今日はもう出来そうにない。

あれこれと服を着させていると、よろけたエンジュはにしなだれかかってぎゅっと抱きついてきた。も同じように抱き返してやり、背中を撫でる。

……会えなかった間のこと、話してくれる?」
「話す、全部話す」
「何でも力になるけど、その代わり隠し事はなしね」
「しない、何も隠さない」

するとドスドスと信長が入ってきたので、エンジュは今度は信長に抱きついた。信長も抱き返してやって頭を撫でているが、顔はしかめっ面のままだ。

「まさかとは思うけど、誘拐とかじゃねえだろうな?」
「そんなことしてないよ」
「オレたちを頼ったことは褒めてやりたいけど、音信不通だったのは普通に腹立ってるからな」
「うう、ごめんなさい」

生まれたばかりのカズサを見に来て以来、エンジュは仕事が忙しいを常套句に会えなくなり、1年が過ぎる頃から連絡も寄越さなくなった。文字でのやり取りにすら応じられない状態なのかと信長はずいぶん心配したものだった。しかし何しろ清田家も忙しかったので、つい放置が続いていた。

そこへノックの音がして、大きなトレイを手にした由香里が入ってきた。

「とりあえず子供たちは預かるからね。頼朝が尊に連絡取ったら仕事放り出してすぐ帰るって言ってるらしいから、もしまだアマナが起きてるようなら一緒に和室で寝てもらうね。エンジュくんは落ち着いたら何か食べること。食べないうちにお酒はダメよ。いいわね」

由香里の持ってきたトレイには紅茶とコーヒーと緑茶の準備と、おにぎり、インスタント味噌汁、そして清田家のダイニングに常に山積みになっている惣菜類が小皿に盛られていた。エンジュはまた涙ぐんでしまい、口元を抑えて何度も頷き、そして深々と頭を下げた。

「まったく、土曜日で良かったわよ。おチビちゃんがあんまりいい子なんでお父さんが泣きそうだから私戻るけど、明日にでもちゃんと話しなさいよ。いいわね」

由香里の「いいわね」は疑問形ではない。命令形だ。しかしエンジュは鼻をグズグズ言わせながらまたペコペコと頭を下げた。信長の服を着ているので萌え袖になっている。

「まずはお茶にしようか。飲める?」
「平気、飲める。後でちゃんとご飯も食べる」

結婚を機に若干の手が加えられた清田家2階奥の信長夫婦の部屋は、ふたつの部屋の壁を取り除いて繋げたもので、L字になっている。そのL字の短い方、元は信長の部屋であった場所は、狭いながらもちょっとしたリビングになっている。

尊が結婚祝いと称して設えたAVシステムに圧迫され気味なリビングに通されたエンジュは、と信長に挟まれてソファに落ち着くと、ふたりの手を取って繋いだ。充分に風呂で温まってきたはずなのだが、彼の手は冷たかった。

「今日はゆかりんに任せておけば大丈夫だから、ゆっくり話そうか」
「そうだな。とりあえず、あれは、お前の子なんだよな?」

エンジュはこっくりと頷き、また鼻を啜った。

「名前は?」
「寿里」
「女の子?」
「いや、男の子」
「年は?」
「今年2歳になる」
「アマナと同い年だな」

ふたりの問いかけに淡々と応えていたエンジュは、ことさら強く手を握りしめ、そしてぽたぽたと涙をこぼした。目も鼻も頬も赤くなっていくが、彼の手はどんどん冷たくなっていった。

「だけど、オレの子だっていうのは、推定でしかない」
「えっ?」
「あとでちゃんと検査する。オレは自分の子だって信じてるけど、ちゃんと確かめる」

案の定話が不穏になり始めた。そしてエンジュは、絞り出すようにして言った。

「オレたち、今日初めて会ったんだ。あの子が生まれてたこと、知らされてなかったんだよ」