きみのためならしねる

6

「殿、本当に申し訳ありませんでした」
「まだ言ってるのか。姫の顔を見ただろ、大したことじゃない」
「ですが、これを許してしまったら、いつ取り返しの付かないことになるか……
「遠からず姫は山でおのこに混じって遊べなくなる。今のうちだ」

幼い姫が藪に顔から突っ込んで傷だらけになってしまった日の夜、姫から目を離した三男を牢にブチ込んだ家臣は、主君である城主に付き従いながら肩を落として廊下を歩いていた。全部で9人いる子のうちのひとりとはいえ、姫君である。今すぐ腹掻っ捌いてお詫び申し上げたい。

というのも、彼は自分の三男を信頼して姫の見守りを命じたはずだった。真面目で何事にも一生懸命な性格なので、まだ6歳だが充分に任せられると思った。だというのに遊ぶのに夢中になって見失うとは。かけていた期待が大きかったものだから、余計に落ち込む。見込み違いだったか。

「しかし姫には困ったものだな、病気ひとつしないのはありがたいが、あれでは嫁の貰い手がつかん」
「ま、まだ幼いですから、いずれ引く手数多の姫君となりましょう」
……それ本当に思ってるか?」
……すみません思ってません」

殿の冷ややかな表情に、家臣は正直に答えた。こちらも同じ乳で育った乳兄弟である。生まれたのも10日ほどしか違わない。なので殿の方も姫から目を離した三男を責める気はないのである。姫がお転婆なのも少々考えものだ。

「まあ、あれの上には姉が3人もいるし、お転婆が治らんようなら出家という手もあるが」
「それはもったいないのでは。信心しそうにもないですし……
「そりゃそうなんだが、かと言って病弱でもないのにただ家に置いてもおけんしなあ」
「姫はよく殿のお膝で嫁に行きたくないと……父上様のことを慕っておいでなのですよ」
…………ありゃ方便だ」
「方便?」

首を傾げる家臣に、殿はニヤリと笑ってみせる。

「姫はあんな子供だが、お前のところの三男に心底惚れてる」
「惚れ……はあ!?」
「おなごは歩き出すようになった時から死ぬまでおなごだからなあ」
「と、殿、あの」
「何をそんなに青くなってるんだ」
「そ、それではもう一緒に遊ばせないように致しますので……
「はあ?」

殿と家臣は乳兄弟だが、家臣自身の格は家の中ではそう高い方ではない。単に殿と幼馴染なので、こうして気安く話ができるというだけの話である。家臣はすっかり恐縮してしまい、むしろ明日にでも息子を山ひとつ向こうの寺に預けてしまおうかと思い始めた。姫の心を惑わすなどとんでもない。

「そうだ、明日の朝一番に倅を寺に預けてきます。そうすれば……
「おいこら、そんなことしたら愛しの若殿を遠くへやってしまったと姫に恨まれるのは私だ」
「ですが!」

殿は渋い顔をしているが、家臣の方は気が気じゃない。

……織田の天下統一が近いように言われているが、どうだろうな」
「は? はあ、そうですね……
「本当に日の本が統一されて織田の統治が始まるものか、私はあまり信用していない」
「殿……
「あの子たちも、いつ戦乱に巻き込まれんとも限らん。それが武家に生まれた者のさだめだ」

家臣は殿の低い声に力なく頷いた。それでも息子はまだ自分と同じように殿に仕える武士となり、戦乱とあらば立派な働きをと望むけれど、姫は違う。

……お前がよければ、姫を任せられないか」
「殿、それは果報が過ぎます。私の倅では……
「いいや、姫が好いている、それが肝心なんだ。あの跳ねっ返りも好いた男になら従うはずだ」

家臣は今度こそ大きく頷いた。姫がもし今のお転婆のまま成長して、気に入らない護衛にまとわりつかれる毎日だったら確実に逃走する。有事に姫を安全なところに誘導したくても、言うことなんか聞きゃしないだろう。でもそれが好いた幼馴染であれば……

「どうだ。オレの娘を倅の嫁にもらってくれんか」
「何を仰います、有難き幸せにございます」
「けどまあそれは先の話にしておこう。まずはお前の倅にお灸を据えておかんとな」
「はい。ご存分に」
「あれは責任感が強いから、一度言えば充分だ。お前の期待にも沿うだろう」

殿はまたニヤニヤしながら廊下を歩き出した。全部で9人いる子供のうち、一番心配なのが4番目の姫だった。だが、これなら何も心配なかろう。他の家人たちがうるさいようなら、適齢期に入っても放置した上で遅くなってから添わせてもいい。

自分のせいで姫に怪我をさせたと思いこんでいる家臣の三男は今夜一晩、牢で肝を冷やしてもらおう。そうして朝一番で偉そうに説教をしてやり、姫をしっかり守るのだぞと言い聞かせれば、彼はそれを一生のお役目と心得るだろう。

幼馴染は期待をかけた倅にがっかりしているかもしれないが、とんでもない。父親に似て真っ直ぐな、そして芯の強いおのこである。兄がふたりもいなかったら良い嫡男になっていただろうが、それもこの戦乱の世ではどうなるかわからない。

姫を任せられる立派な武将となり、この家を長く守っていってもらわねば。

あとは自分がこの家の舵取りをしくじらずに、乱世を生き延びることさえ出来れば――

「織田が倒れたから北条、っていう普通にアウトなコースだったな」
「まあ、あんな小さい家だったしね。現代人がイメージするようなお城でもないし」
「跡地もずいぶん小ぢんまりしてたからな……
「あれっ? 大名だったんだよね?」
「いや、国衆って言って、今で言うところの市長くらいだな。そんな大きくない町の」
「なにそれ。殿とか姫とか言うけど大したことないじゃん……

400年ののちの世でサラッとディスられているとは殿も思うまい。ふたりはインドカレーの予定をキャンセルして家へ戻ってきた。インドカレーよりふたりきりで話がしたかった。庭には夏の夜の熱を孕んだ風が吹いていて、のワンピースをはためかせている。

庭のテーブルの上には途中コンビニで買ってきた雑多な食べ物が散乱していて、ふたりはコンビニ飯の締めにかき氷を食べていた。既にバケツに水を用意してあって、かき氷が終わり次第、今度は手持ち花火である。巨大な筒状のパッケージにぎっしり詰まった花火だ。

「もしあの時あんな風に攻められてなかったら、どうなってたのかなあ」
「どうって」
「だからその、やっぱり私出家してたのかなって」
「そりゃわからん。オレたちの父親同士も幼馴染だったけど、殿と家臣だからな」

出家どころか放置が続いたあと結婚させられていたとは夢にも思わないふたりは、かき氷を食べ終わるとベンチ状の椅子に並んで座り、ガサガサと花火を取り出して火を付けた。庭に敷かれた石畳の上に鮮やかな色の炎が吹き出し、ふたりの頬を七色に染めていく。

「あのあと日本てどうなったんだっけ」
「豊臣秀吉が天下統一。で、オレたちが死んだ10年後が関が原だからな」
「じゃあまだ当分は危険と隣り合わせの時代が続いたんだね」
「そのあたりを乗り切れれば一応江戸時代には突入するけど……落ち着かなかったろうな」

次々と花火に火を付けながら、は少し声を落とした。

……もし生きてたら、結婚してくれた?」
「殿が許せばな」
「父上がいいって言ったら、お嫁さんにしてくれた?」
……ああ」

だがは顔を上げるとため息を付きながら首を振った。

「でもそうしたら今こうして一緒にいられなかったよね」
……仲のいい夫婦だったら来世もまた一緒にとか言い交わしてたかもしれないぞ」
「ううん、私たち、あんなひどい死に方だったからまた会えたんだと思う」

バケツの水に燃え尽きた花火を突っ込むと、ジュッと鈍い音がして、火薬の匂いが立ち上る。空気中に漂う煙は燃え落ちようとしている城を思い出させた。

「神様か誰か知らないけど、もう1回やり直してもいいよって、それで同じ時に生まれ変わらせてくれたんだと思う。本当に相手のことが好きで、今度こそって思うならやってごらん、て言われてるような気がする。だから紳一が言ってたみたいに、ちゃんと生きなきゃいけないんだよね」

これはふたりに与えられたチャンスだったのかもしれない。たった数分で終わってしまった「夫婦」、時代が変わって当時のままのようにはいかないけれど、ふたりで生きていきたいという望み、それは自分たちで実現させていかなければ。

目が眩むほどの明るい火花が吹き出し、あっという間に燃え尽きていく。煙はかき消え、風に乗ってどこかへさらわれて行ってしまう。だから、手を取り合っていられるなら、それを離してはならない。

牧は6本目の花火を水に浸したを引き寄せて、ぎゅっと抱き締めた。汗ばんだ肌がぺたりと張り付き、首筋からはの匂いが立ち上っている。

……、結婚、しようか」
「何歳くらいがいいんだろうね、そういうのって」
「そうじゃなくて、今」
「今? いやあの紳一、うちらまだ高校生」

牧はつい吹き出したの頬を両手でくるみ、額を擦り付ける。

「あの頃、400年前、結婚てどういうものだった?」
「えっ、えーと、お輿入れして、祝言上げて、高砂やーって」
「高校生とか、関係なかったな」
「そりゃ400年前だもん。私の姉なんか13で輿入れして15で子供産ん……

そこまで言ってから牧が何を言わんとしているのかに気付いたは、息を飲んで身を縮めた。暗くてよく見えないけれど、顔が真っ赤だ。ただでさえ暑い夏の夜だと言うのに、もっと暑くなってしまった。頬にある手に手を重ね、は目を閉じる。

「そういう、こと?」
「そういう、こと」
「いいのかな」
「誰かに許可取る必要、あるか?」
「ない……けど」
「怖いか?」

は目を開くと、また首を振った。怖くなんかない。燃え盛る城の中で逃げられない方がよっぽど怖い。愛する人と夫婦になることが怖いなんて、そんなこと思わない。は手を伸ばして牧に抱きつくと、胸いっぱいに広がる気持ちを吐き出した。

「紳一、大好き」
……オレも」

湿気を含んだ夏の夜風の中、ふたりはゆっくりと唇を重ね合わせた。

そしてひんやりと冷えたの部屋で、静かに「夫婦」となったのである。

「ちょ、ちょっと待って紳一、ゆっくり」
「400年も待ったから無理」
「その間の記憶はないでしょ」
「ないけどもう無理。前世で何も出来てないから無理」

いざとなると怖気づいてしまっただったが、熱っぽく囁く牧の声にやがて陥落。翌朝、「燃えたオレたちの城より早く落ちた」と言って笑った牧を久々に殴った。しかしどうにも耳元で「姫」と呼ばれると、抗えないのである。そしてもまた言うのである。

「私だって400年も待ったんだから無理!」

夏休みの間に付き合い始めたと牧は、それはもう仲睦まじく、牧のことを散々おっさんと言っていたの友人は何も言わないうちから「ああ、やっと結婚したの」と笑っていた。

プライベートが充実しまくっている牧は秋の国体も冬の選抜でも頂点には届かず終わったけれど、今度は日本トップクラスである都内の大学チームに呼ばれて進学して行った。しばし神奈川と東京で微妙な距離感だが、何しろ前世からの約束でくっついたカップルである。不安はなかった。

ついでに牧が卒業を控えた3月、今後のことも考えて、は彼氏ですと両親に紹介。高校の時点で既に日本の頂点を争うような選手であり、1年間そんなチームを引っ張ってきた牧にビビる気持ちはなく、真面目に礼儀正しくご挨拶をした。殿ではないけれど、の父母と思えば似たようなものだ。

するとの両親はそんな牧をいたく気に入り、昨今恋愛には消極的な人が多い中、真面目に仲良く付き合っていられる相手がいることは本当にありがたいことだ、とふたりの関係を歓迎してくれた。

しかもからあとで聞いたところによると、牧が帰ってから自慢げに「選手として超優秀なだけじゃなくて勉強もちゃんとしてて後輩にも好かれてて優しくて、結婚したいくらい」とアピールしてみたところ、ふたりとも真顔で、いいじゃないか、手放すなよと念を入れられてしまったという。

それに調子に乗ったが「私が高校卒業したら結婚しよう!」と興奮していたのは言うまでもないが、ともあれふたりはセカンドチャンスをしっかり手に掴んでいた。の浮ついた夢物語はともかく、牧は自分の進路との進路が見えてきたら改めてプロポーズしようと考えていた。

そんな春のことである。

海南の校舎でと牧が運命的な出会いをしてから1年の月日が流れていた。懐かしい面影のある新入生の女子にいきなり殴りかかられるという再会だったけれど、今では愛する可愛い彼女である。しばしふたりきりの時間は取りづらいが、その分デートの時は思いきり愛し合えばよい。

高校では日本一になれなかったけれど、今また日本一に手をかけられるチームに所属することが出来たし、彼女は可愛いし、彼女の親は歓迎してくれてるし……牧の新生活はあまりに完璧だった。順風満帆。これも前世で悲惨な死に方をしたからだろうか、などと考えていた牧は、バスケット部の顔合わせで体育館にいた。

さあそろそろのことは頭から締め出さねば。ここからはバスケットのことだけ考えよう。

背筋を伸ばして背中で手を組んでいた牧は、左斜め後ろから肩を掴まれてつい声を上げた。

「えっ?」
「よう、久しぶりだな〜。元気だったか」

振り返った牧は、サーッと全身の血がつま先から抜けていくような錯覚を覚えた。そしてドクドクと脈打つ血潮を耳に感じ、動悸が激しくなっていく。首筋を冷や汗が伝う。

「まさか同じチームになれるとはな」
「あ、あの……
「対戦する機会はなかったけど、お前が1年の時からインターハイでは見てたんだよな」

先輩らしき男性はそう言いながら牧の正面に回り、両手で肩を掴んでグッと押し込んだ。

「顔は違うけどすぐわかったよ。牧、あの子は、オレの姫は元気か?」

顔は違うけれど牧にもすぐわかった。言われるまでもない。

「てかお前、あの子を守れずに死なせたな。後でちょっと話そうか」

彼は現在3年生の先輩、そして、あの姫の父親、殿であった。

牧は久々にげんなりした。何が順風満帆だよ、前世で悲惨な最後だったから今生では幸せなのかと思ってたのに、とふたり、誰にも邪魔されずに愛し合って生きていけると思ってたのに。よりにもよって殿が先輩で転生してて記憶があるとかめんどくさいにも程があるぞ!

、オレたちちゃんと一緒になれるのか!?

END