きみのためならしねる

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一介の新入生であるが、校内イチ有名人である牧にまとわりつき始めて一ヶ月以上が過ぎた。中間テストも終わり、牧の所属する男子バスケット部はインターハイ予選が間近に迫ってきていた。

入学直後こそ校内イチの有名人である牧にまとわりつくなんてやめた方がいいのでは、とたくさん忠告を受けたものだったが、この頃になるとの周囲の認識は逆転、「おっさん、いい加減付き合ってやれよ」が合言葉になり始めた。

「おっさんとか言わないの」
「私最初体育の先生かと思ったもん」
「まだピチピチの17歳だもん」
「お姉ちゃんの彼氏28歳なんだけど、そっちの方が高校生に見えるよ」

は無理矢理誘った友人とバスケット部の練習を眺めていた。牧からはあまり顔を出すなと言われていたけれど、予選が近いのでギャラリーが増えていて、その中に紛れていれば気付かれにくい。

「子供の頃にちょっと仲良くしてた幼馴染って、そんなにコロッと好きになれるもん?」
「うーん、私の場合はその頃から好きだったもんで」
「でもあんなおっさんになってるとは思わないじゃん」
「だからおっさんじゃないからー。かっこいいじゃん、背が高くて」
「私は顔の話をしているんですが」
「顔だってかっこいいもん」
「わかんねー。絶対神先輩の方がいいってー」

いくら言っても友人は牧をおっさん扱いする。しかも彼の隣にはしょっちゅう2年生の主力選手である神という先輩がいて、それがまたちょっと可愛らしい顔つきをしているものだから、よく比較されてしまう。神先輩はむしろ表情変わらなくて怖くてヤダ。

バスケット部は所属しているというだけで人気があって、それに自覚のある部員たちのガードが固いのでカップル成立は難しいと言われている。なので幼馴染という前提があるはかなり得なはずだし、しょっちゅう一緒にいるのにまだ付き合ってないの? と周囲の方が首を傾げる。

運命の再会を果たしてから一ヶ月以上、前世の記憶だけで牧に恋心を募らせているのかと不安に感じていただったが、牧紳一自身に恋をするのにそれほど時間はかからなかった。

一週間ほど前にも、アルバイトが終わって帰宅しようとしたところ、アルバイト先の最寄り駅で通り魔事件が発生、まだ帰宅ラッシュのさなかだったため人が多く、ごく軽症の怪我人がふたりで済んだ事件だったが、犯人はそのまま逃走、逮捕されるまでには3日かかった。

なのでが慌てて牧に電話を入れたところ、牧はだいたい1時間くらいかかる道のりを暴走自転車30分でやって来た。その上アルバイト先の近くのコンビニで待っていたが駆け寄るなり腕を掴んで引き寄せ、怖い顔をして周囲をキョロキョロ確認していた。

チャリだけど、白馬に乗った王子様ってこういうこと言うんじゃないの?

自転車2台の帰り道だったけれど、はもう通り魔よりも牧にドキドキしてしまい、つい目で追ってしまって自転車で激突してみたり、フラフラと赤信号に突っ込みそうになったりと、違う意味で牧をドキドキさせたのだが、以来、フツーに好きである。

しかし何しろ「生まれ変わったら結婚しようね」なのだ。

それをさて措いて、とりあえず付き合ってくれないかと言い出すきっかけが見えない。牧は予選が目前でそれどころではないし、まあ現状、つきまとう幼馴染を押しのけて別の女が割り込んでくる心配もなさそうだし、焦ることはないのだが――

「うっわ、すご! おっさん、バスケはほんとに上手いんだねえ」
……うん」
……目がハートってこういうこと言うんだね」

試合形式の練習中、牧のスーパープレイが飛び出して体育館が沸き立つ。

だけど、一秒だって待てなかった。というかもう400年も待ったのだし、今すぐ走っていって牧に飛びつき、きつく抱き合ってキスしたかった。もういっそ大声で「結婚してください!」と叫んでしまいたかった。これ、この熱い気持ち、どうしたらいいんだろう。

が突然アルバイトを始めたのは、牧が出場するであろうインターハイを観戦しに行くためだ。

今年は広島で開催、試合日程からして推定4泊5日。8月の初週が開催期間になるので、その時点では実質3ヶ月分のアルバイト代しか用意できないことになるが、は4月の時点で「安く・安全に」インターハイを観戦する方法を調査し始め、実行可能と判断したところでアルバイトを始めた。

どう考えても滞在費が膨大になるため、ふと思いついてカプセルホテルを探してみたところ、保護者の許諾があれば高校生でも宿泊できるところがあった。当然女性専用フロアに無料アメニティがあり、なんと半個室状態。その上早割なら一泊3000円台。は浮き立った。

しかし高速バスを調べ始めたところで心が折れかかったので、そこは素直に新幹線を選択。

むしろ大変だったのは、その旅を確実にするための早期予約であり、そのためには親を口説き落として「後払い」を頼み込むことだった。まあまさか海南がインターハイ出場を逃すという可能性は低いだろうし、は一世一代の「お願い」のために、母親に土下座した。

彼氏がインターハイ行くんです!!!

目的のためならこのくらいの嘘はいいだろう。はそう判断して母親に頭を下げた。自分の彼氏も友達の彼氏もインターハイに出場するので、みんなで応援に行きたいという計画を立てている。旅費滞在費は全部アルバイトで稼ぐので、前払い分を助けてください!!! あとで返します!!!

牧が聞いたら説教されそうな嘘だが、これまでぼんやり生きてきた娘が青春爆走中であることを知った母親は快く協力をしてくれた。のみならず、8月の半ばには父方の田舎に旅行を兼ねた帰省のつもりでいたから、の分をないものとして少し援助してあげる、と言ってくれた。

そういうわけで、は甘ったれなお姫様の顔をして、インターハイ観戦旅行を周到に計画し、しかしそれは牧には内緒で進めていた。話せば絶対に反対されるからだ。

どうにも牧はのことをお子様扱いするきらいがあるが、に言わせれば「たかが2歳差」であり、「大人ぶるけど紳一だって未成年」なのである。

もし万が一が地元を遠く離れた地で何日もひとりウロウロすることになったと知ろうものなら、またあのしかめっ面でネチネチと嫌味を言った挙げ句、「計画を中止しろ」と言い、自分のいないところで何かあったらどうするんだと言ってはイライラするだろう。

だが、の目的は試合観戦、これ見よがしに牧の前に現れて「来ちゃった!」とか言い出すつもりはない。何をどう間違ったか「軽微な誤差」で2年もずれて生まれてきてしまった。高校生の牧の試合を見るチャンスはこの1年の間にしかないのだ。

――それに、本当に約束通りこの時代で結ばれるかどうかは、怪しい。

同じ学校という不可抗力が働いている間に、後悔のないように過ごしておきたかった。そのためにもインターハイ観戦は外せない。手にしているのは槍ではなくてボールだが、彼の戦いを見届けたかった。武功を立てる間もなく死んでしまってから400年、やっとそのチャンスが訪れた。そんな気もして。

自分にはそれを見守る義務も、あるような気がして。

「えっ、マジでひとりで1週間? マジで?」
「1週間じゃなくて4泊5日だけど、そんなに驚くこと……?」
「だって、試合ならもう見たじゃん。MVPで号泣」
「いいの。全部見るの」

海南は例年通り予選を全勝優勝で突破、その様子を見ていたは大歓声で喜び、その後閉会式にて牧がMVPを獲得すると、ボロボロと泣き出し、友人に手を引いてもらって体育館を出た。

自分が手間をかけたせいで死なせてしまった400年前の武士の面影が浮かんでしまって、涙が止まらなかった。あの時自分を抱き締めたまま焼け死んだ彼が、今一番高いところにいる。そう思ったら泣けて泣けて仕方なかった。

その直後から期末テストに突入した海南大附属だったが、夏休み中にインターハイを控えているバスケット部員は絶対に赤点を取ってはならないため、部員全員部室に缶詰でテスト勉強中。牧が一緒にいてくれないは渋々友人と勉強しており、そこで計画を全て打ち明けたら呆れられた。

「だって広島まで見に行ったって先輩には会えないじゃん。だったらその金取っといてインターハイ帰ってきてからどこかに遊びに行った方がよくない? 先輩だってその方が楽しくないかなあ」

それはごもっとも。たぶん友人の言う通り。は腕組みで黙る。

「ていうか先輩、そんなことしたって知ったら怒らない?」
「怒ると思う」
「わかってて何でやるの」
「私がそうしたいから」
……先輩が付き合ってくれないのわかる気がするわ」

友人は呆れるが、はだからこそやるのだという気持ちを新たにしていた。

甦った前世の記憶は自分たちを縛り付け、追い詰めるだけなのかもしれない。今度こそ結ばれたいという思いがあるせいで素直になれないし、そのせいですれ違ってしまう気もする。400年前の「普通」はもう普通じゃない。現代の私たちはまだ子供、あの時の約束がその道を邪魔するなら。

は牧に恋心を抱きつつも、どこかで彼を解放してあげなければいけないのでは……と思い始めていた。そもそも400年前も自分の方が片想いをしていて、向こうはそのことに気付いていなかった。死の間際の告白に驚き、夫婦になろうと言ってくれたが、そんなの勢いでしかなかったかもしれない。

それも、幼馴染のひたむきな思いに応えねば男がすたるというプライドからでしかなかったかもしれない。私が可哀想だったから。たまたまその頃彼に想い人がなかったから。

だとしたらあの時の約束は彼の優しさでしかなく、共にその記憶を持って生まれ変わっては来たけれど、自分より本気ではないのかもしれないから――

だからいつ牧が400年前の約束をなかったことにしたいと言い出してもいいように、自分が望むことは実行しようと思った。あんな戦国の世と違って、この時代は突然槍で刺されたり、家に火を放たれる人はとても少ないし、約束通り結婚しなくても誰も責めたりしない。約束と言っても、拘束力はない。

私が彼にあんなことを言ったりしなければ、もっと自由に生きていたかもしれない。400年前の記憶なんかに縛られないで生きられたかもしれない。

だから彼が400年前の約束をなかったことにしたいと言うなら、それはちゃんと受け入れなければ。そして、今度こそ贖罪のために牧に操を立てる一生を送ればいいのではないだろうか。大好きな人の一生を二度も捻じ曲げたのだから、それくらいすべきなのでは。

その覚悟を腹に据えるためにも、やれることはやっておきたい。そういう気持ちだったのだ。

そんなわけで8月、はひとり意気揚々と広島の地に降り立った。

ひとりでこんな遠くにやって来たのは当然初めて、広島駅のホームに降り立った時はちょっと足が震えていた。背中に背負った大きなリュックを殊更重く感じたは、まずは駅のコインロッカーにリュックを預け、最低限の荷物で試合会場へと向かった。

牧たちバスケット部員は開会式の前日にはもう現地入りをしていて、本日の第一試合で滞在4日目となるが、は宿泊費の節約のため、第一試合当日の早朝の新幹線でやって来ていた。しかも、海南大附属は午前中の試合。のんびりしている暇はない。

焦って間違わないよう入念に下調べをしておいたおかげで迷うことなく会場に到着――したのだが、会場は超満員、明らかに保護者でないような観客も多くては面食らった。全国的に知られた強豪校だとは聞いていたけど、海南ってこんなに人気があるの!?

まあそれも間違いじゃない。しかし、多くの観客はどちらかと言えば本日同じ会場で行われる第二試合を目当てにやって来た観客らしい。しかも、牧たちはインターハイ最初の試合を割とサックリ勝ってしまい、一気に気が抜けてしまった。紳一、途中から出てこなくなっちゃった……

武士だった頃、彼は三男だった。の家にもう何代も仕えている家臣の家系だったけれど、それでも兄がふたりいて、嫡男ではなかった。そのせいもあって、彼は武芸の鍛錬には真剣に打ち込み、家の中でどんな働きができるかということをいつでも模索していたように思えた。

なのに弱い相手だからってベンチに引っ込んじゃうの……なんかモヤモヤする……

運動部に所属したこともなければ、体育の授業以外で競技の経験がないに等しいは、そんな思いに囚われて体育館ロビーのベンチで少し不貞腐れていた。

だが、安全に確実にこのインターハイ観戦を全うするためには、余計な行動はしてはならないのである。もうそろそろ第二試合が始まるし、牧たちも体育館をあとにしているだろうし、自分もホテルの近辺に戻って昼食を取り、チェックインを待たねば。

そしてチェックインをしたらホテルから出ない。翌日以降も、外にいていいのは日没まで。それまでに夕食の準備をしてホテルに戻り、翌朝まで外に出ないこと。これが自分に課したルールだった。なので退屈しないように宿題持参。遊びに来たんじゃないの。後悔しないために来ただけだから。

最初は原爆資料館に行って夏休みの自由課題にしようかと考えていたけれど、旅行? 違うの? わざわざ広島まで行ったの? ご親戚が? それも違うの? インターハイも広島だったんだよ――なんていうやり取りになるのを避けたくて、却下した。厳島神社も行ってみたかったけど我慢。

それには予算的な意味もあったわけだが、とにかく牧見たさに広島まで単独で乗り込み、そこで何かトラブルにでも遭遇しようものなら、その場で400年前の約束はなかったことにされてしまう。それはマズい。そう考えたはホテルにカンヅメを選んだ。

幸いホテルは高校生でも親の許諾があれば宿泊可能だし、チェックインの際は正直にインターハイの応援だと言ってしまえばいい。それなら試合のない時間にホテルの中に引きこもっていても怪しまれまい。あとは4泊5日、粛々と観戦するのみ。途中で敗退するという可能性はないものと考える。

は体育館のロビーのベンチから立ち上がり、携帯で確認をしつつのろのろと歩き出した。慣れないので路面電車は戸惑う。バスと似たようなものだと思っていたのだが、やはり勝手が違う。慎重に移動してファストフードで時間を潰し、時間が来たらすぐにチェックインしなければ。

そう考えて出口に向かったときのことだ。

携帯を見ながら歩いていたせいで、ロビーに通じる通路から出てきた人と勢いよくぶつかってしまった。取り落としそうになった携帯を慌てて掴み直しつつ、すみません、と言おうとした。言おうとして、固まった。目の前に、牧がいた。

……
「うわ、紳一、あの、その」

も血の気が引いて真っ青だが、牧はその上さらに能面のような顔つきになってしまった。

「あれ、君確か牧の幼馴染とかいう」
……えっ、もしかして見に来たの?」

牧と同学年らしい部員が横から顔を出したが、は苦笑いと愛想笑いを交互に繰り返すしかなかった。ふたりともちょっとニヤついているし、悪くは思われていないようだが、牧のフォローをしてくれるわけではなさそうだ。

はもう為す術もなく、少しずつ後ずさりをして逃げてしまおうかなと考えていたのだが、そこに牧の低い声が上から降ってきた。

……第二試合が終わるまでここにいろ」
……はい」
「動くなよ」
……わかりました」

どうやら牧たちは第二試合を観戦するらしい。自分たちの試合が終わったらさっさと帰ってしまうものだとばかり思っていたは、肩を落としてとぼとぼとベンチに戻った。

体育館の方からは、大歓声が聞こえてくる。とても人気のあるチームの試合らしい。

はまた肩を落として俯いた。

あとで後悔しないように、少しでもたくさん紳一を見ていたかっただけなのに……