きみのためならしねる

1

時は1590年、天正18年の春のことであった。豊臣秀吉の小田原征伐の折、関東は某所にて、今まさに焼け落ちんとする城があり、その一角で鎧武者と艶やかな姫君が向かい合って膝に手をついていた。

「なんでこんなことになってしまったのか」
「姫がモタモタしているからです」
「私のせいですか」
「そうです」
「おのれ、人の目がないと思って好き勝手言いおって」

その通り、ふたりはあちこちで火の手が上がる城内の片隅にぽつんと取り残されてしまい、逃げるに逃げられず、その上自害しようにも刃物がないという状況。

「武士ともあろうものが、なんで何も持ってないのですか」
「私は普段から槍を愛用していますし、それはさっき姫を守るために敵に刺してきました」
「また私のせいですか。脇差しくらいあるでしょう、普通」
「姫こそ懐剣どうしたんですか。あったでしょう、立派なのが」
「すぐ使えるようにと思って手に持っていたら、鞘だけ残して本体はどこかへ」

鎧武者は大きくため息をついて足を崩し、胡座の膝に肘をついて項垂れた。このふたり、城主の姫と家臣という以前に、乳兄弟であった。なので、物心ついた頃からの馴染みであり、本当に幼い頃には里を一緒に転げ回って遊んだ仲である。姫の方も家中では3番目の側室の子という立場であり、きょうだい全体でも7番目なので、幼い頃は乳兄弟と泥だらけになって遊んでいても叱られたりはしなかった。

「ていうかここどこですか、何か刃物はないんですか」
「ここはお方様の衣装部屋ではないのですか。刃物なんか置かないでしょう」
「母上の道楽が着物ではなく刀であれば……!」
「刀集めてるお方様なんてものが世にあればよかったですけどねえ」

火の手が迫りつつあるこの部屋には何か使えそうなものはなく、煙の匂いだけがじわじわと忍び寄ってきていた。愚痴愚痴と言い合いをしていても状況は何も変わらない。焼け死ぬのを待つのみである。

「はあ……私、こんなことならさっさと嫁いでおけばよかった」
「あれは嫌だのこれは嫌だのと選り好みをするからです」
「結局私のせいですか」
「人の目がない上に、もう助かりそうもないですからね。お前のせいだ、ちび」
「久しぶりに聞いたなそれ。まあもういいか、どうせ死ぬんだし、呼び名くらい」

幼いころに鎧武者の方は姫を「ちび」と呼んでいた。姫はちょっとカチンと来たけれど、もうすぐ死ぬと思えばそれも良い思い出の記憶だ。自身も足を崩してため息をついた。

縁談はあったのだ。7歳頃に親戚筋から来た話を皮切りに、都合5度ほど。しかし側室の子で7番目で、父親の膝にしなだれかかって「私は嫁に参るより父上のお側におりたいのです」と言うと、父親はそうかそうかと目尻を下げ、縁談を断ってくれていた。

しかしよくあるように、姫は本気で父親の側にいたかったわけではなく、この幼馴染と離れて他の男のもとに嫁ぐのが嫌だったのである。

「それに、私は選り好みしてたわけじゃない」
「はあ? 北の方角の縁談は嫌だとか根拠のない難癖をつけて――
「あなたと一緒にいたかったの!」
……は?」

鎧武者は目を真ん丸にしている。もちろん初耳だ。

「私、5つの時にはあなたのお嫁さんになるものと決めていたから」
「よ、よめ?」
「だからどんな縁談も断ってきたの。あなた以外の誰と一緒になるのも嫌だったから」

姫は肩を落とした。そうやって縁談を逃げていたせいで、共に死ぬ羽目になった。

「このままではいずれあなたの方が先に嫁をもらうことになってただろうけど、そうしたら出家して、誰にも嫁がずにひっそりとあなたに操を立てる人生を送ろうと思っていたのに……。私が嫁いでいれば、こんな風にあなたを死なせることはなかったかもしれない」

どちらにせよ戦稼業の武家の男、そんな簡単にいくとは思えないわけだが、それでも姫はやれやれという声色で言い、さらにため息をついた。というかもうため息しか出てこない。すると、姫の俯いた顔にさっと影が差す。いつの間にか目の前に鎧武者が座っていた。

「ちび、そんなこと考えてたのか」
「まあもう、何もかも手遅れですけどね」
「そんなことあるか。まだ間に合うぞ。ちび、今ここでオレの嫁になれ」
「はあ?」

今度は姫の方が呆れた声を上げた。だが、鎧武者はにこやかに両手を広げる。

「さあちび、おいで」
「な、なんですか、おいで、って」
「夫婦なんだから」

照れる姫の手を引き、鎧武者はそっと抱き締める。

「短い生涯だったけど、それでもお前さんとは長い付き合いだったなあ」
……そうですね」
「よし、ちび、生まれ変わったら今度こそ本物の夫婦になろうか」
「ぼんやりした話ですね」
「嫌か?」

鎧武者の手が頬をそっと包むので、姫は手に手を重ねて悲しげに微笑んだ。

「嫌なわけないでしょう。約束ですよ、今度は私のことを好いてくれますか」
「今でも好いてるんだがな」
「口がうまくなりましたね」
「嘘ではない。これに応えなければ男がすたるというものだ」
「つまり見栄ですね」
「そうではなくて……ああ時間がない、ただオレはその気持ちに全力で応えたいんだよ」

鎧武者はまた姫の体を抱き寄せて、額を合わせ、そっと擦り付ける。

「こうして共に死ねば、共に同じ時に生まれ変われるかもしれないだろ」
「私を見つけてくださいね」
「オレのことも覚えていてくれよ」

炎が全てを焼き尽くしていくごうごうという音が大きくなってきている。煙の匂いも強くなってきた。姫は鎧武者の体にしっかりとしがみついて、頷きながら少しだけ笑った。

「生涯ただひとりの想い人の腕の中で死ねるなんて、私は日の本一の幸せ者です」

ふたりのいる部屋の戸が音を立てて倒れ、熱気とともに炎と煙が襲い掛かってくる。もう息をするのも困難だ。鎧武者は身を引くと姫の首に手を添え、もう一度頬ずりをした。

「許せ、ちび」

そして姫の細くて白い首を力任せに捻り、一瞬で絶命した彼女の体をしっかりと抱き締めた。炎と煙が充満する部屋の中で、鎧武者もまた、少しだけ笑った。崩れ落ちた梁から飛んできた火の粉が鎧に燃え移り、いよいよ彼にも最期が迫っていた。

「まったく、もう少し早く言えばよいものを、そうしたら――

最後の言葉を吸い取るようにして、城は轟音とともに崩れ落ちた。

「首折るってやっぱりどうなの」
「他に方法があったか?」
「ものすごい音したんだからね? ゴリュ、ボキ、て」
「生きたまま焼けるよりはマシだろうが」

約400年後、小田原城にもほど近い湘南の学び舎にて、姫と鎧武者はお互いそっぽを向いたまま渋い顔をしていた。ふたりとも無事に生まれ変わり、ちゃんと再会も果たしたのだが、姫の方が死に際のことを少々遺恨に思っているらしく、鎧武者の方はたびたびその愚痴を聞かされる羽目になっている。

その上、遠く天正から400年ののちの世、どこでどうずれたのか、鎧武者の方が2年ばかり先に生まれてきた。かつては同い年だったふたりだが、現在の尺度で言うと先輩後輩という関係になる。

そもそもどちらも幼い頃には戦国の世の記憶などなかった。

一般的な家庭に生まれ、健やかに育ち、そしてやがて高校に入学。鎧武者の方はバスケットが得意で、全国でもよく知られた優秀な選手となっており、順風満帆な学生生活を送っていた。だが、彼が3年生になった春、新1年生の群れの中に、やけに目を引く少女を見つけた。

少女の方も視線に気付いて彼の方を見た。ふたりはそのまま引き寄せられるように歩み寄り――

「ほんとに一瞬で思い出したんだよね」
「だからって殴りかかることはなかっただろ」

――は鎧武者である牧紳一を目の前にした瞬間、全身にありったけの力を込めて殴りかかった。そして「首を出せ、折ってやる」と唸った。

こちらも一瞬で記憶が蘇った牧は慌てた。仮にも彼は校内一の実績を誇るバスケット部の部長であり主将でありキャプテンであり、まあどれも似たようなものだが、とにかく後輩を導き先頭に立って戦う立場の有名人であり、それが新入生の女子にタコ殴りにされているのはマズい。

しかし「前世で親しい仲でして」などと言えるわけもなく、咄嗟に昔近所に住んでいた幼馴染で、などと取ってつけたような嘘を方々につく羽目になった。

「オレだって苦しかったんだぞ、熱で喉が焼けて息ができなくて」
「はいはい、私のせいで刃物がなかったからあんな目にって言いたいんでしょ」
「そうは言ってないだろ、だったら意識があるまま焼け焦げたかったのか?」
「首を折る以外に方法はなかったの、って話でしょ!」

劇的な再会から数日、まだ入学したばかりで学校に慣れないは、しょっちゅう牧を呼びつけては昼を一緒に食べたり、登下校を一緒にと「命令」してくる。すっかり戦国の頃の記憶を取り戻したふたりは、当時の上下関係に影響されてしまっている。

後輩を後ろに従える立場である牧は、せめて校内ではそんな姿を晒したくないと思うのだが、目の前で仁王立ちのを見るとつい心が折れる。他のどんなことでも彼は全力投球で諦めるということを知らない性格なのだが、だけはどうしても逆らえない。

「だからって、もう何度目だよ。悪かったって言ってるじゃないか」
「だって、そのせいで私首に何か触れるのがトラウマになってて、アクセサリーも付けられないんだよ」
「えっ、そんなに?」
「紳一はそういうのないの」
「うーん、言われてみれば、水の中が落ち着く」
「焼け死んだからね」

バスケット部所属だが、彼の趣味は波乗りである。水が近くにあると気持ちが安らぐ。

「そういえばバスケ部の1年生、信長とかいう子がいるでしょう。まさかとは思うけど」
「ありゃ別人だろ。生まれ変わっても同じ名前を付けられるとは」
「それはそうなんだけど。うーん、まだ思い出して数日だからなあ」
「というかお前の顔の記憶はないぞ。直感でわかったっていうだけで」

それぞれこの時代の一般的な感覚で生きてきた。そこに突然戦国時代の記憶が蘇ってきたので、少々の混乱は避けられない。そういう意味でもこうしてふたりで話す時間は必要なのだが、生憎牧の方が暇ではない。というかとても忙しい。

「ねえねえ、今度城のあった場所に行ってみない?」
「思い出してすぐ調べたけど、ただの城址公園だった」
「それでもいいじゃん! 何かまた思い出すかもしれないでしょ」
「思い出してどうするんだよ。知り合いが一緒に生まれ変わってるかどうかも怪しいもんだろ」

牧にはそんな余暇の時間も取りにくい。まだ4月だが、5月にはインターハイの予選が始まるし、それまでに1年生を加えた新たなチームをまとめていかなければならない。団体競技なので意思疎通も重要な要素であり、それには少しでも多くの時間を共に練習に費やすのが近道だ。

いくら逆らう気になれなくても、の相手ばかりしていられないのである。

そういう牧の方の事情が少しずつわかってきたは膝を抱えて項垂れる。

「も〜なんで2年もずれたの〜」
「400年以上経ってるんだから2年くらいの誤差はしょうがないだろ」
「しかもなんであんたの方が歳上なの〜」
「だから軽微な誤差だろ」
「せっかく再会したってあんた来年にはまたどっか行っちゃうんでしょ〜」
「そりゃしょうがない。あの頃とは事情が違う」

それに、ドラマチックな非業の死を遂げたふたりだが、当時は揃って15の半ばだった。牧は元服したばかり、はそろそろ嫁に行くか出家かという頃合いの夭折だった。現在15と17なので、近いけれど感覚的には程遠い。

……もう決まってるの、進路」
「まあな」
「どこ行くの?」
「まだ内緒」
「なんで」
「お前にだけ隠してるわけじゃない。監督と担任と親しか知らないことだから」

まかり間違ってからどこかに漏れないとも限らない。2年生の間には決定していた進路、というか大学であるが、それはまだ一応公表しないことになっている。

「どうせならひとつくらい年上に生まれてきたかった……
「なんで」
「だってあの頃もあんたは私のことちびちびって、あんたがでかかっただけなのに」
「だから今度はオレをちびと言おうかと」
「そうです」
「オレは高1ん時は175だったか?」
「どっちにしろ無理いいい」

は足をバタバタさせて憤慨するが、年刻みで決まった立場に所属しなければならない現代、「軽微な誤差」は「深刻なずれ」になる。

今もそうだ。牧の方が幼馴染なのだと誤魔化して回ったものの、はたびたび「あの先輩すごい人らしいよ、もう少し態度考えた方がいいんじゃない」などと忠告されることもしばしば。余計なお世話だ。あいつは私の乳母の三男なの!

そして何より、も牧もあえて触れずにやり過ごしているけれど、ふたりがなぜ揃って生まれ変わることを望んだかと言えば、それは今度こそ夫婦として結ばれたかったからだ。

そんなことを願いながら燃え落ちる城の下敷きになった時はどちらも充分に結婚適齢期だったわけだが、400年の時を経て、ふたりともまだ思いっきり未成年である。結婚だとか夫婦だとかは前世の記憶以上に遠い話だ。そんな必要もない。

かつての自分の記憶と、現在の自分、同じようで混ざり合わないふたつの意識が邪魔をして、再会してから数日、ふたりともそのことは未だ口にもしていない状態だ。しかし、結婚を前提とした輪廻転生だったことは覆らない。

また、特には15歳の女の子である。恋をしたい気持ちは腐るほど抱えている。

幸いあの鎧武者の生まれ変わりである牧はにとっては充分素敵な男の子だった。校内随一の有名人というのもちょっと嬉しい。背が高く逞しい体はかつて自分を守ってくれた武士のようで、それもちょっとときめく。だが、どうにも牧の方にはそんな雰囲気が見えなくて――

むしろ過去の記憶が邪魔をしては「私たちなんで揃って生まれ変わったか忘れたの?」と言い出せないでいる。記憶が戻ったのならすぐにでも手を取って「あの時の約束を果たしましょう」的なことを囁いて抱き締めるとか、そういうの、なんでないの。

……紳一はなんだかずいぶん変わっちゃったよね」
「変わったっていうか、そりゃそうだろ、数日前まで忘れてたんだから」
「私だって覚えてなかったけど、でも……
「それに、記憶はあってもあの時の自分たちとは別の人間なんだ」

牧の低い声がの胸に刺さる。わかっているから余計に。

も数日前まではごくごく一般的な、ただの新米女子高生だった。新しい制服に違和感を覚えつつも、心のどこかで絶対出会えると信じていた「大好きな彼氏(予定)」を夢見ていたくらいの15歳だった。なのに、蘇った記憶に翻弄されて初対面の牧に殴りかかっていた。

それからというもの、他の部分ではともかく、牧に対してはどうしても上から目線になってしまうし、それが高じて「あの時の約束どうなってるの、付き合ってくれないの」などと自分から言い出せなくなっていた。400年前は自分の方から言ったんだから、今度は牧の方から言って欲しい。

また、それとは別の場所での心には「前世の記憶だけでこの人が好きなんだろうか、数日前までそんなこと何も考えずに生きてきたのに、今の牧紳一っていう人のことは知ろうとしなくていいんだろうか」と、二重に重なる面影に不安も抱えていた。

私たちは同じようで別の人間――さながら2つの体を4人で分け合っているかのよう。

小さな城持ちの父を持つ姫としての自分は牧を求めている。悲惨な最期を共に遂げた同士、今度はそんなことにならないよう平穏な人生を送りたい。出家してまで操を立てたかった相手と今度こそ添い遂げたい。それは確かにかつての生涯をかけた願いだった。

でもその人生、城の下敷きになって終わってるんだよね。今の私はなんだけど。

牧はあまり真剣に相手をしてくれないし、はまたそっぽを向いた。

「忙しいのはわかるけど、何か思い出したらちゃんと教えてよ」
「思い出したらな」
「あと、試合見たいから日程とかそういうのも決まったらちゃんと連絡してね」
「決まったらな」

昼休みが終わる5分前の予鈴が鳴る。

渋い顔のだったが、先に立ち上がった牧は何のためらいもなく手を差し出した。も迷わずその手に掴まって立ち上がる。無意識にも主従のようだ。

「練習とか、見学できないの」
「決まった場所で決まった時間までなら」
「何時に終わるの」
「その日によってまちまちだから、先に帰れ」

一応それは嘘ではない。思い出してから何度かこっそり張り込んだからだ。は不貞腐れる気持ちを飲み込んで、深呼吸。そして大袈裟に冗談に聞こえるように声を張り上げて首を傾げる。

「あー、首が凝った!」