頭に血が上った反動で一気に疲れてしまったは、三井の言う「仮眠」を認めることにして、また少しばかりヤケクソも手伝って三井と流川の夜食に付き合うことにした。勝手に木暮家の食材を荒らしているが、その責めは公延に負ってもらうことになっている。了解は得ていない。
「大したものは作れないからね」
「別に文句言わねえよ」
「食えりゃいい」
「それはそれで腹立つな」
支度をする間も黙って座らせておくつもりのないは皿を出せだの茶を出せだのと、ふたりを顎で使った。適当な食材で適当に作った夜食だったが、そのほどよいジャンク感が逆に食欲をそそる。の軽く2倍はある量をふたりはぺろりと平らげた。
「流川はともかく……ミッチー大丈夫なの」
「お前までミッチーとか」
「めんどくさいのよいちいち」
「お前そんな女だったっけか?」
「営業スマイルにだまされる方が悪い」
と三井の会話に流川が吹き出した。笑ってはいないが、むせた。
「大丈夫ってか、まあそうだな、なんとかなりそうだ。とりあえず赤点がなきゃいいんだからな」
「ハードル低すぎ。流川はもう少しやる気出しなさいよ、バスケットのためでしょうが」
「だるい」
「あーオレもちょっと仮眠するわ」
煌々と明るいダイニングより、ダウンライトで暗くしてあるリビングを見ているだけで眠気を誘われる。は24時までだと釘を刺したが、どうせ起きないだろう。その時はまた新聞紙が唸りを上げて襲いかかる予定だ。
「オレも――」
「おっ、逃げるのかね。よほど負け犬になりたいとみえる」
「あんだと」
なんとかなりそうな三井、今は寝ているが適切な指導を受けて意外に出来ている桜木と違って流川は意欲の問題なので、1番進みが悪い。今も三井に便乗しようとして立ち上がりかけたところを、は別の角度からくすぐってみた。ハイパー負けず嫌いだと彩子から聞いている。
さっさとソファに体を預けて寝息を立て始めた三井を恨めしそうな目で見つつ、それでもの挑発を無視しきれない流川はため息をつきながら椅子に座りなおした。が取ってきた教科書と参考書をつまらなそうに広げるが、途端に大あくびが出る。心の底からどうでもいいと思っているらしい。
「ある程度の自己管理はアスリートならやって当然と思うけど」
「うるせー」
「ずっとこうして助けてくれる人がいるわけでもないのに」
「あんたはおせっかいすぎだろうが」
「は?」
殆ど口を開かない流川から出てくる言葉とは思えない上に、その意図するところが咄嗟に読めなかったは顔を上げて目を丸くした。流川の方はかったるそうに教科書をめくっている。
「先輩のことでずっとイライラしてる。オレらのことなんかほっとけばいいだろ」
「それは私と公ちゃんの問題で、あんたは関係ない――」
「オレは木暮先輩のことだなんて一言も言ってない」
は息を呑んで言葉に詰まった。迂闊だが確かに流川にとっての先輩は公延だけではなかった。面倒を見てやってるのになぜこんなことを言われなければならないのか、もちろん腹も立つが、こんな朴念仁の唐変木の目にまでそんな風に映っていたのかと思うと、それはそれで情けなかった。
「あんたさ、もし今一生バスケ出来ない体になったとして、すぐにバスケのこと無関心になれる?」
多少は思ったとおりに言い返したと思っていた流川は、わかりやすい例えで出てきた反論に答えられるはずもなかった。もちろんそれは不可能なことだからだ。
「それと同じだからね。人が苦しんでることをそんな簡単に片付けられると思わないで」
遠まわしに、ほんの少しではあるが、を傷つけてしまったこと、それくらいは流川にもわかった。勉強を見てくれるわご飯を食べさせてくれるわ1つとはいえ年上だわで、まるで姉のようなには何を言っても許してもらえるような気になっていた。だが当然は姉ではないし、たかが1つ年上というだけの女の子だ。
「……悪い」
「悪いと思ってるなら勉強して」
流川を動かしたのは感謝でも憐憫でも陳謝でもなかった。ただの言葉には応えなければならないような気がして、仲間たちがぐうすか寝ているのを背に居眠りもせず、仮眠タイムリミットになっても彼は黙々と勉強し続けた。も、それ以上は何も言わなかった。
24時を回ったところではリビングの灯りを戻し、今度は新聞紙2刀流で仮眠から引きずり戻した。中でも公延は多いに焦り反省し、しきりにに謝り、自分ひとりでいいからは帰ってもいいと言い出した。だが、くせのある1年生はおそらくでなければ進まないだろう。
「流川ちょっと頑張ったしね。今度は花道の番」
「ほんとに大丈夫か、」
「あとでいい子いい子してね」
は声を潜めて言いつつ、にやりと笑って見せた。
「流川は少し寝ておいで。でもまた起こすからね」
「ウィース」
「じゃ花道おいで。教科書持ってきてね」
「すげえな、花道と流川を手懐けちゃってんじゃん」
花道が懐くのはともかくとしても、流川が素直に言うことを聞くなんて。宮城はどんな魔法を使ったのか教えを請いたい気になってきた。なにせこれからキャプテンとしてふたりをコントロールしていかなければならないのだ。
「じゃあ三井、宮城、オレらもやろうか。すっきりしたいんなら風呂入ってきてもいいよ」
ちょっとだけ頑張った流川をソファの端に眠らせたままで、勉強合宿は再開した。
それから約2時間、マンツーマンになってさらに従順な桜木はの教え方が的を得ているせいもあって、順調に予定を消化、なんとか数時間後のテストを乗り切れそうな状態になってきた。
「花道よく頑張ったね! お腹減ったんじゃない?」
「減りましたー!」
「お母さんと子供かよカワイイなおい」
宮城のツッコミすらなんだか暖かい2時過ぎ。深夜の静寂の中、5人はダイニングテーブルに集まっていた。
「ミッチーはさっき食べたからいいよね。リョータくんと公ちゃんはどうする?」
「いやよくねえよ、オレも食う」
「いや食べすぎでしょ」
「平気平気。食べたい、ください」
呆れはするものの、はもう怒らない。流川と桜木がどうにかなりそうな達成感、疲労、気まずさの和らいだ空気感、それらが交じり合って、気分がよかった。2度目になる夜食の支度は公延も手伝ってくれたし、備蓄食材を取りにキッチンを出て納戸に向かったときには、いい子いい子だけでなくハグとキスもしてくれた。
そんなの機嫌のよさが伝わったのか、桜木が調理をしているの背中を眺めながらにこにこしている。公延だけでなく、宮城も三井も出来ることは手伝い、夜食の準備が整った。
「あれっ、さん食わないんすか」
「女の子がこんな時間に食べるわけないでしょう」
そもそも2時間前に1度目の夜食に付き合ったので食べられない。
満腹になって再び眠気に襲われそうな面々であったが、それでもここまで一睡もしていないのことを考えるとさすがに気合が入った。桜木などは率先してノートを開き、拙いながらも自分で勉強を始めるほどだった。
それを眺めつつ、少し余裕の出てきたは椅子の上で膝を立て、やんわりと襲い掛かってくる眠気を払いたかったのか、つい鼻歌が出た。ハミング程度だったのだが、赤木から晴子、晴子から桜木、そしてバスケット部へと伝播した例の黒歴史と繋がる。
「さん、歌ってくださいよ」
「はあ!?」
桜木は人懐っこい笑顔でをまっすぐに見据えている。ちらりと横を見れば、公延も三井も宮城も、和やかな笑顔を浮かべている。そろそろ疲労が気持ちのよいだるさを伴う頃でもあるから、全員とても優しい気持ちになっている。まるでキャンプファイヤー効果だ。
は首をすくめて見せたが、こちらも疲れによる仏の心境だ。静かに歌い始めた。
「♪Whenever I'm dressed cool my parents put up a fight, And if I'm a hot shot mom will cut my hair at night,
And in the morning I'm short of my identity. I scream mom and dad why can't I be who I want to be?」
静かに囁くように、けれど柔らかく優しく、喋るがごとく歌う。これでは子守唄になってしまうと思いながら、は続けた。それを気持ち良さそうに聞いている公延たちとは裏腹に、桜木はきょとんとした顔で言う。
「さんすごいんすねー英語のウタっすかあ」
はふにゃりと笑み崩れながら、桜木に答えてやる。
「その頭、見てたらつい。なんていうか、何色だっていいじゃん、て歌だよ」
桜木はまたパァッと笑顔になった。だけでなく、優しく微笑むを眺めていた公延も頬が緩んだ。自分の隣で、同じように目を細めている三井にはまったく気付かないまま。
中間対策合宿最終日。湘北中間初日の午後である。
「なんか三井、よかったみたいだよ。桜木と流川はどうだったかな」
「そういう公ちゃんはどうなの」
「教えてたらけっこう復習にもなったみたいで、よさそうだよ」
「よしよし、頑張りました」
は爪先立って公延の頭をクシャクシャと撫でてやる。今日はまだ誰も来ていないので、公延はの腰に手を回し、ゆっくりと顔を近付け――たところでチャイムが鳴った。
「今日のノルマ、まだ1回もなんだけどな」
「大丈夫、まだ時間あるよ」
は苦笑いをしつつチュッとすばやくキスすると、玄関まで駆け出していった。
「〜! 昨日はお疲れ!」
ドアを開けるなり飛び込んできた彩子は何やら手に大きなバスケットを掴んでいる。その後ろにいる宮城と桜木と流川も何やら荷物を抱えている。さらにその向こう、木暮家の門の辺りでは三井が何かを引きずっている。
「おいコラ手伝えお前らァ!」
「ミッチーなにそれ」
「お前じゃ重くて持てねえよ、彩子以外の誰か呼んで来てくれ」
三井が引きずっていたダンボールなど色々運び込まれたものを解いてみると、けっこうな量の食材が出てきた。
「どしたの、これ」
「一応木暮家への補填と、あとは今日の分。タカってるみたいで悪いから買ってきたの」
「なんだか悪いなかえって」
「メガネ君いいのいいの、1番金出したのミッチーだから」
「お前らが金持ってなさすぎなんだろうが!」
「桜木花道は所持金200円だもの」
一応は最上級生である先輩が多めに負担ということでおさまるが、それにしても結構な量である。とりとめもない食材ではあるが、満遍なく揃えてある。三井が引きずっていたダンボールの中身はペットボトルであった。その三井はなにやらサッパリした顔だ。
「ああ、あとオレはもう山越えたから、1年生どっちか面倒みるぜ」
「えっ、それなら無理せず帰ってもいいんだぞ」
「どっちもじゃないと無理なんじゃないかしら」
「お、お前らバカにしやがって、おいなんかやることあるだろ」
「……料理?」
「……それは無理」
そうなればもう用はないので帰ればいいだけなのだが、そもそもは部活の上での集まりである。引退した受験生や外部の生徒まで巻き込んでおいて自分だけ帰りますというのは心苦しいに違いない。役に立つことはなさそうだが、三井は最終日も合宿に付き合うことにした。
しかし昨日は全員ほぼ徹夜である。彩子は自宅で少し寝たというが、それ以外は仮眠を取ったきり、に至っては生徒総会をサボって保健室で寝てきただけの、ほぼ完徹である。時間は15時。
「これは少し寝た方がいいかもしれないわね。既に流川寝てるし」
「じゃあ、18時まで仮眠にしようか」
「じゃあ三井先輩起こして下さいね」
「えっなんでだよ」
「やることあったじゃない。18時に起こしたらそのあと寝ててもいいから、よろしく〜」
何か釈然としない風な三井だったが、他に出来ることが本当にない。オレは3年オレは3年と呪文のように自分に言い聞かせると、カーテンを閉めて薄暗い中で眠る後輩たちを眺めつつソファの隅に落ち着いた。宮城の隣だったが、その場所からはがよく見える。
の寝顔を静かに見つめながら、三井は微かに微笑んだ。