風に騒ぐ、月に迷う

01

受験を頑張りたいと力んでいた公延だったが、夏祭りや引退した部活の新体制の発足で少し気が楽になったのか、余裕を持って構えられるようになった。それよりはむしろ赤木の方が苛ついて勉強に身が入らないのだとか。はそんな話を楽しそうにする公延と外出する機会が増えた。

もちろん1日かけて遊びにでかけるようなことではないが、本屋だったり休日の昼食だったりと、隙間を縫って時間を作るようになっていた。稀に腐りきった赤木を引っ張り出した晴子に呼ばれて早朝から公園のバスケットゴールに集まったりもした。

にとって初めて公延と共に過ごす高校生活は穏やかで平和で、この上もなく幸せな時間だった。

それが奇妙な変化と共に徐々に崩れ始めたのは、湘北の中間テストがきっかけだった。

いくら夏に快進撃を続けたとは言え、インターハイでは3回戦負けでベスト16にも入らない。そんなバスケット部に対して慎ましい県立高である学校側は何も変わらなかったし、それどころか新キャプテン以下主力選手の成績が非常に深刻な状態であることは未だ大きな課題となっており、あくまで部活動は課外のものである自覚を求められていた。

しかし学校側としてもバスケット部を潰してしまいたいわけではない。義務教育ではないのだから、せめて進級が危うくならない程度には学業を修めてもらいたいだけだ。そんなわけで、湘北高校バスケット部はテストという壁に再度道を阻まれるのである。

「公ちゃん、私も中間なんだけどね」
「いやそれはわかってる、わかってるけど頼むよ」

日程は多少ずれるが、湘北もアナソフィアも中間テストシーズンである。湘北の初日を遡ること3日前、公延は珍しくの部屋で膝を揃えて正座し、拝み倒していた。明日から前2日と初日の計3日間、湘北の問題児軍団の勉強をに見てやって欲しいというのだ。

1学期末考査の時は赤点を大量に出すも、インターハイ出場が決まっていたことを受けて特別に追試が認められたらしく、赤木宅で1夜漬けの泊まりこみを行ったというが、今回は色々と事情が違ってしまっていると公延は困り果てていた。

「赤点4つ以上は期末まで週2の補習だって言うんだ」

練習時間を大幅に削られるなかなかに厳しい条件だが、逆に言えば3つまでなら赤点でも構わないことになる。1年生なら必修主要5教科中3つも落とせる。そのくらいなら自分で何とかしろと成績優秀なは突き放したかったが、今回はさらに問題が発生した。赤木が身内の不幸だとかで突然不在になってしまった。

「兄妹揃ってだから、先に全教科受けることを許可してもらったみたいなんだけど」

普段の素行がいいとそんなこともありえるわけだ。つまり赤木兄だけでなく妹晴子もいない。そうなると4人いる成績不振者を公延ひとりで面倒見なければいけないという。

「えっ、何言ってんのよマネージャーの子いるでしょ、何ちゃんだっけ」
「彩子な。それだってふたりだ。全学年をふたりはキツいんだよ」

は手を合わせて頭を下げている公延を可哀想だと思いつつも、敢えて言う。

「そうじゃなくておかしいでしょ、公ちゃん引退したんだよ。しかも受験生! 他にも部員いるでしょうが。なんで公ちゃんとアヤコちゃんと私なのよ。部員みんなで見たらいいじゃない」

の言うことは至極もっともだ。もっともだが、そのくらいなら公延でもわかっている。

の言う通りなんだけど……

公延は膝に握りこぶしを押し付けてがっくりと頭を垂れた。ひとり、引退していない3年生がいるという。

「ちょっと事情があって、冬の選抜まで残るんだけど、応援してやりたいんだ。そいつ、ブランクがあって、すごく苦しんで苦しんで、だけどそれをひとりで乗り越えてきたすごいやつで、人のこと構ってる場合じゃないのはよくわかってるんだけど、力になってやりたくて……

だったらそいつだけ面倒みてやればいいじゃないかと言いかけてはやめた。公延は部員全員無事にクリアして欲しいんだろう。そして恙無く選抜も期末も乗り越えたその部員と春を迎えたいんだろう。ふん、男の友情ってやつか。は脳裏に浮かぶ「惚れた弱み」という言葉を必死で打ち消しつつ、ため息をついた。

……で? どういう予定なのよ」
ー! 恩に着るよありがとう!」

歓喜のあまり飛びついてきた公延を、は生まれて初めてウザいと思った。

「親父と母さんには先に頼み込んであるんだ」
「よく許可してくれたね」
「とりあえずと彩子が泊まらないこと、オレの成績を落とさないことが条件」
「えっ泊まるって何よ合宿なの!?」
「初日の前の日だけだよ」

は頭がクラクラしてきた。どうせ全員近所なんだから終電ででも帰ればいいじゃないか。

「終電で帰ったらそのまま寝ちゃって起きないかもしれないだろ」

そいつらよっぽどバカなんだね、とは思ったが、口には出さないでおいた。公延がここまでするというのは何に寄らず本当に珍しい。おそらく彼の両親も息子の青春の集大成であり懸命に頑張ってきた証と思い許可してくれたのだろう。だが、それならばと思い立って休暇を取り、出かけてしまうらしい。

「ちょっとまさか……
「そのまさかです」

公延の腕の中では再度盛大なため息をひとつ。自分もテストなのに人の勉強を見た上におさんどんもしろというのか。公延のことは大好きだが、これは違うだろうと思う。しかし公延はのツボというものをよく心得ている。酷だと思いつつも今回だけと腹を括っているので、言ってしまう。

「オレたちも、朝からずっと一緒にいられるよ」
……公ちゃんほんとずるい」

ずるいのだ。それは否定しない。この後充分にしっぺ返しを食らう予定の公延はそんなことになるとは露ほども考えずにに甘えた。がまっすぐに自分を愛してくれているということに、自分もまたを想っているという不確かな絆に甘えて胡坐をかいている。

ずるいと言いながらも、一方的にキスをしてしまえば、はそれでもう何も言えないとわかっている。

このとき公延は誰よりも卑怯で甘ったれだった。

これが期末でなくて良かったとは自分をだましつつ、登下校の間や休み時間も費やして前倒しで中間の準備を進めていた。そんなことをしなくてもおそらく貼り出し上位者には入ってしまうだろうが、今回のこの理不尽な状況に負けたくなかった。

の両親は公延の両親からそれとなく中間合宿の話を聞いていたようで、もし彩子が泊まることになってもいいようにの部屋に寝具を準備してくれていた。おそらくは期間中なら寝ている暇などないだろうが、万が一ということもある。

そして、中間初日の2日前。終電までの中間対策1日目、16時の木暮家、未だ誰も来ず。

「テスト前なんだから部活出来ないでしょ!?」
「いやまあそうなんだけど」

1学期の期末時はインターハイ出場が決まっていたので、特別に体育館を開放してもらっていたらしいのだが、今回も同じつもりでいたらしい。彩子と連絡を取った公延は青い顔をしている。

「公ちゃん真面目にやる気あるの!? この数日削ることでこの先約3ヶ月の時間が確保出来るんでしょ!」
「今日、問題児4人に会えばオレの苦労もわかるよ……

公延は公延でげんなりしている。だが言いだしっぺなのだから、しっかりしろとは思う。は、ダイニングテーブルの椅子にだらりと座っていた公延の膝に跨り襟首を掴んだ。

「公ちゃん、頼まれた以上は結果を出したいの私。公ちゃんが好きだから出来る限り協力するけど、力になってやりたいって思うんならもっとしっかりして! 常に赤木くんがいるわけじゃないんだよ」

正直なところ気持ちだけで突っ走ってしまった公延はの言葉に目を覚まされたようだ。

「ごめん、そうだよな。今からちょっと行ってくるよ、学校」
「今日は小母さんがご飯作って行ってくれたし、早く帰ってこれたらそれだけ長く勉強時間取れるんだからね」

言いながら公延の頬をピタピタと叩いたは、最後にちゅうっと唇を押し付けて離れた。

「あと、公ちゃんはこの3日間、1日3回私にチューすること! いい!?」

勢いも手伝ってのことだろうが、自分でも少し恥ずかしいことを言ったと思ったのか、手を腰に仁王立ちのは顔が赤い。公延はそんなを可愛いのと思うのと同時に、ふいに愛しさがこみ上げてきた。座ったまま両手を少し広げて、にんまりと笑う。

「3回でいいの? 朝から晩まで一緒なのに」

これにはも抗えなかった。ふらりと公延の膝に倒れこみ、「いじわる」と力なく呟いた。

急いで部員たちを呼びに行った公延は、どうにか問題の4人を説き伏せて18時前に帰ってきた。は待っている間に少し勉強が出来たし、公延から来た連絡では例のアヤコちゃんがそのまま寄ってくれるという。桜木以外は初対面となるのだし、公延ひとりしか頼る者がいないにはいい知らせだった。

「わああ初めましてえ〜あなたが噂の」
「う、噂になってるの!?」
「いやもうそれはもう、うわあ思ってた以上に可愛いわあ」

顔を合わせるなり彩子はと手を取り合ってはしゃいだ。は噂の出所が桜木しかいないことに思い当たると、「久し振り」と言いながら蹴りを入れた。がポコンと脛を蹴ったところで、桜木などぴくりともしないのがまた小憎らしい。

さんてベンキョーも出来るんすね」
「君もちょっとはやらないと、毎回これじゃ大変だよ」
「しかしさん、オレ腹減ったんすけど」
「ハア!?」

全員がダイニングとリビングに揃うと、桜木は豪快に腹を鳴らした。まだまだ育ち盛りのうちなのだから仕方ないが、お泊り会のようなノリに若干の不安がよぎる。

、紹介するよ。宮城と、こっちが流川」
です。桜木くんから聞いてるんでしょ」

同い年の宮城は愛想良く振舞ってくれたが、流川の方は「ウス」と言っただけだった。

「あれ? ひとり足りなくない?」
「あっ、三井は忘れ物があって取りに戻ってる。遠くないからもうすぐ来ると思うよ」
「じゃーさんメシにしましょうよ」

全員揃わないわ桜木は腹を鳴らしているわ、は早くも不安を感じ始めていた。