時織り

03

2年生 10月14日

2年生の修学旅行、この年は入学当初から沖縄ではないかという噂が何故か流行し、さらにそれは1年経って2年生に進級する頃には「確定らしい噂」になり、誰もが秋に沖縄へ行くのだと信じていた。

だが、修学旅行は奈良京都である。

と木暮は自由行動の班が同じになってしまい、1学期末のことを思い出しては気まずくなっていたのだが、集団の中でそんなギスギスした状態になっていればやがて何かを勘付かれる。修学旅行4日目、京都初日のこの日、だいぶ気楽になったふたりの班は白峯神社に来ていた。スポーツの神様だ。

御祭神がどうだとか参拝がどうだとか、彼らにとっては大した問題ではない。だが、境内には「蹴鞠の碑」があり、参拝をして碑に嵌っている石毬を転がすと球運が授かるという。つまり、ボール運が上がる、というご利益なわけだ。これには班のメンバーたちが大いに盛り上がった。木暮、回しておいでよ、と騒いだ。

栞の説明の段階ではざっくりと「蹴鞠の神社」としか書かれていなかったので、木暮はサッカーの神社なのかと思い込んでいた。が、球技全般にご利益があるという。それなら一応参拝しておかねば。

「二拝二拍手一拝……お辞儀2回、拍手2回、最後にもう一回お辞儀」
「これはいつ鳴らせばいいんだ、この、えーと鈴?」
「えーと、えーと、ちょっと待って、うーん、前でも後でもいいみたいよ」
「じゃあ先に鳴らして、お賽銭入れて、2、2、1、な」

栞には正しい参拝の方法が記されており、真面目なたちの木暮はにサポートしてもらいながら本坪をそろそろと鳴らし、二拝二拍手一拝で参拝を済ませた。が、神社といえば賽銭投げ込んで手を叩いて願い事を言うものだと思っていたので、怪訝そうな顔をしている。

「これって願い事いつ言えばいいんだ?」
「えっ、言わなかったの?」
「タイミングがわからなくて……
「だ、大丈夫だよ、神様だもん、何でもわかってるって」

班のメンバーたちにも笑われつつ、木暮は石毬も回し、「バスケがうまくなりますよーに」と念仏のように繰り返していた。それもかなり真剣な様子で、またたちは声を殺して笑った。

と、ここまでは半信半疑である。というか心から信じていても、それを口に出すのは躊躇われる。なので、次に飛びつくのはお守りだ。みんなでぞろぞろと覗きに行き、神札やオーソドックスな袋状のお守りの中に「叶う輪」というブレスレット状のお守りを見つけたは思わず歓声を上げた。

「見てこれ、ちゃんとバスケのボールあるよ!」
「うわ、ほんとだ! 何だこれ、かなうわ?」

色とりどりの紐に木製のボールが通してあり、それぞれ球技のボールを模した柄と「闘魂」の文字がプリントされている。まさに木暮にぴったりなお守りではないか。はきゃっきゃと喜び、木暮は他にもスポーツにご利益のありそうなお守りがあるので腕組みをして悩みだした。

いつの間にか班のメンバーたちはそんなふたりを置いて他のお守りやらを物色しに行ってしまい、絵馬が可愛いだの何だのと盛り上がっている。それが目の端にちらりと入ったは割と何も考えずにバスケットボールのついた叶う輪を取り、木暮の顔の近くでプラプラと振って見せた。

「ん? どした」
「これ、私が買ってあげる」
「は!?」

叶う輪、ひとつ700円也。修学旅行なので多めにお小遣いを持ってきているとはいえ、高校生の財布である。いうほど安くはない。木暮は丸いメガネの下で目を丸くして慌てた。買ってもらう理由がない。

「いいよそんなの、悪いって、もったいないよ」
「いいからいいから。去年も今年も予選1回戦負けなのにめげずに頑張ってるから、今度は勝てるように」
「いやまあ、そうなんだけど……

遠慮したい気持ちはあれど、それを言い表すのにちょうどいい言葉が見つからない。ポンと浮かんできたのは「そんな高いものに買ってもらう筋合いがないよ」だった。なんだかそれは拒絶の言葉という感じがした。お前なんかに買ってもらわなくて結構だ、という喧嘩を売るような言葉に思えた。

そうやって木暮が言葉を見つけられないでいる間に、はさっさと会計を済ませる。そして買ったそばから袋をバリッと破り、中身を取り出して木暮に差し出した。それでもなお木暮がきょとんとしていると、は「左手」と言って辺りをきょろきょろと見回している。

「左手って……
「左手、出して」

言われるまま木暮が左手を差し出すと、はその手首に叶う輪をサッとつける。

……いいの?」
……うん」

木暮が叶う輪を見下ろしていると、他のお守りを物色しに行っていた班員たちが戻ってきた。そして、木暮の手に叶う輪があるのに気付くと「やっぱり買ったんだ!」と騒いだ。慌ててに買ってもらったんだと言おうとした木暮だったが、班員たちの向こうでが唇に人差し指を立てているのに気付いて、それを飲み込んだ。

そしてそっと叶う輪を撫でて、呟く。

「なんか、勝てそうな気がする」

翌日、もはや寺社仏閣をルート通りに巡ってはお喋りをする旅になりつつある修学旅行であったが、下鴨神社である。栞に記載された「縁結びの神様」の文字に女子が浮き立つ。なおかつこの神社には女性守護の神様がおり、とどめに美人祈願の出来る絵馬まであるし、境内では神前式が行われている。女子の鼻息が荒くなる。

やっぱり御祭神だとか世界遺産だとか国宝だとかは目に入っていない。女子の勢いに引きずられた男子ともども摂末社である河合神社に押し寄せ、参拝が終わるとまたお守りである。これがまた種類豊富で女子大歓喜。

それに大人しく付き合っていた木暮だったが、不意に今日も叶う輪のある左手首が疼いて、これもまた何も考えずにお守りを物色しているの背中を突っついた。修学旅行も大詰め、小遣いの残量が危なくなってくる頃合いで、もまたお守りを前に悩んでいた。

「おっ? どした?」
「何買うか決まった?」
「いや、それがまだ……

があんまり真剣な表情で眉間に皺を寄せているので木暮はつい吹き出しつつ、少し屈んでの真下にあるお守りを指さした。こちらも色とりどりのお守りで、「媛守」と書かれている。媛守は様々な柄の生地を使用していて、ひとつとして同じ柄のものがない。逆に目移りして迷うやつである。

「これ、買ってあげる」
「はあ?」
「これのお礼」

木暮のぼそぼそ声に声を上げただったが、サッと掲げられた叶う輪を見ると黙った。昨日は自分もこうして叶う輪を買ってしまったのである。ここで強引に拒否するのは逆に失礼なんじゃないかという気がしてきた。

「どれがいい?」
「え、待って、どうしよ、どれも可愛いからええと、ううう迷う」

焦って慌てたがきょろきょろしていると、また隣でぼそぼそ声。

……オレが選んでもいい?」
……うん」

媛守は女性用のお守りである。しかしかと言って全てピンクや赤で作られているわけではなくて、寒色もあれば黒地のものもあって、地味好みの女性でも手に取りやすい。木暮はずらりと並んだ媛守にサッと目を走らせると、ひとつ取り上げてに差し出す。

「これはどう?」

ほぼ真っ白、そこに水色の輪郭の梅の花が3つついていた。よく言えばシンプル、悪く言えば地味なデザインだったが、は見た瞬間に頷いていた。地味派手の違いはあっても、お守りは本当にどれも可愛かったのだ。だから、木暮がこれがいいと言うなら、それでよかった。

昨日ののようにサッと辺りを見回した木暮は、班員が近くにいないのを確かめると手早く会計を済ませてに手渡した。の手の中で媛守がころりと転がる。

「あ、ありがと……
「どういたしまして」

お互い顔を直視できないままそんなことを言い合っていると、班員たちも会計を終えて戻ってきた。やっぱり女子はみんな媛守を買ったらしい。世界にたった一つ私だけのお守り、というフレーズには勝てない。

「お、のも可愛いねー。っぽーい。似合う」
「えっ、そう?」
「シンプルだけど可愛くていいじゃん。似合う似合う」

こちらもまさか木暮に選んでもらって買ってもらったとは言えないので、照れつつも作り笑いだ。

それをちらりと横目で見ながら木暮は頬が緩みそうになるのをこらえていた。そっか、あれ、に似合うのか。が持ってたら似合うだろうなと思って選んだけど、間違ってなかったのか。そう思うと自分が褒められたような気がしてくる。も気に入ってくれた、かな?

木暮はまたそっと左手の叶う輪に指で触れて、境内を吹き抜ける風に前髪を揺らした。

2年生 11月5日

「半年で5人は多いよ!」
「元々そのくらいいたんだしな……

と木暮のクラスのヤンキーの人数である。4月から5人も増えてしまった。しかもそれぞれ仲がいいとかではなく、ぽつりぽつりとヤンキーデビューが相次ぎ、ヤンキーってのは感染するのかとクラスメイトたちは首を傾げていた。しかも女子からも感染者が出た。

そのおかげではカリカリしている。明日から2日間かけて行われる文化祭、クラス展示をやろうにも、そのヤンキー10人ほどがまるで参加してくれない。文化祭準備期間ということでここしばらくは午後の授業が短縮されているので、さっさと消えてしまう。

その上ヤンキーだけ何もしないで帰っちゃって、なんで自分たちがやらなきゃいけないんだよ、と不貞腐れるのも相次ぎ、そういうのもちょっと作業をするとやっぱり帰ってしまう。そんなわけで生真面目な十数人ほどでクラス展示の準備をせねばならず、負担が増大した。

現在19時、もう下校しなさいと言われたたちだったが、準備が間に合ってない。クラス展示は少人数でも管理可能であることが優先されて「ヨーヨー釣り」になったのだが、室内装飾が終わらなかった。

ただでさえヤンキーや不貞腐れの欠員で人が足りないのに、文化部員も引き止めることが出来ず、簡素で単純なものにしても間に合わなかった。明日は早朝から登校して作業である。幸いここ数日文句も言わずに取り組んできた十数人は全員集まるとのことなので、客が来る頃までには間に合う予定だ。

今もと木暮は室内装飾の制作で出たゴミを保管所まで運んできたところだ。紙などの軽いゴミをまとめてあるゴミ袋をが両腕にぶら下げ、ダンボールやベニヤ板などの重くて大きなゴミを木暮が運んでいる。

「真っ暗だし寒いしその上明日は5時起きとか」
「朝の方が寒いぞ」
「あっ、そうか。朝早いの朝練で慣れてるんだよね」

近所に引っ越してきたので湘北に進学したの場合、平時なら7時半起きでも充分間に合う。それが5時起きで6時には登校なのでげんなりしている。その上11月、だいぶ寒くなってきていた。ふたりは明かりもなく真っ暗なゴミ置き場までやってくると、どさりとゴミを投げ出す。

「これってここに置いたままでいいの?」
「ほんとは中に入れて扉閉めないとマズいんだろうけど……既に溢れてるしな」

木暮はダンボールの束をギュウギュウとゴミ置き場に押し込むが、何しろ暗いし既に溢れてるしで入らない。それを後ろから見ていたは、木暮の左手に目を留めてつい声を上げた。

「えっ、どうした?」
「あ、ごめん、それ、着けてくれてるんだね」

叶う輪だ。

「そりゃ……お守りだし」
「私も媛守バッグにいつも入ってるよ。見えるところに付けたいけど汚れそうでさ。バスケ上手くなった?」
「うーん、それはなんとも言えない。練習してるだけだし」
「だめじゃん」

ダンボールを押しこむのを諦めた木暮が戻るのを待ってから、は並んで歩き出した。たまに近場の高校と練習試合をする程度の活動なので、あまりボール運向上のご利益は感じられないか。暗がりでも苦笑いの木暮にはけたけたと笑った。笑いながら蹴躓いて、前につんのめった。

「あ、危な――

ボール運の方は少々怪しいけれど、この時点で木暮もバスケット部5年目、人よりは俊敏である。ポンと飛び上がったの体の前に手を出して引き止め、そのままぐいっと引き戻した。おかげで転ばなかったけれど、真横から木暮に抱き寄せられる形になってしまった。またふたりは言葉もないまま固まる。

11月の冷たい空気が忍び寄る校舎の影で、いつかのようにふたりはお互いの顔を見合わせたまま何も言えない。しかしバス停の時のように、はつい震える手で木暮の制服を掴んだ。を支えていた木暮の腕もいつしかゆったりと背中に絡まり、そして徐々に顔が近付いていった。

だが、どこからかヤンキーと思しき声が聞こえてきて、ふたりは飛び上がった。なんでこんな時間にヤンキーが校内にいるんだよ! 慌てた木暮は思わずの手を掴むとそのまま走り出した。どうやら声の主は中庭あたりで喋っている模様。それを避けて木暮は校舎の中に飛び込む。

手を繋いだまま廊下を走りぬけ、昇降口の近くまでやってきた。ここも真っ暗だ。息の上がってしまったに気付いて足を止めた木暮は手を繋いだまま向かい合い、少し屈みこんだ。

、あのさ……
「おお、木暮いいところに! うちのクラスのヤンキー数人見かけなかったか?」

よく響く赤木の声が飛び込んできて、ふたりは慌てて離れた。繋いでいた手も外れ、はつい木暮の背中に隠れる。赤木とも中学が同じなのだが、やっぱり特に面識はないし、状況が状況なので恥ずかしくて穴があったら入りたい気分だった。

「や、ヤンキー?」
「準備期間中一度も手伝わなかったから残らせてたんだけど、ちょっと目を離した隙に脱走してな……
……あ! たぶん中庭だ。オレゴミ捨てに来たんだけど、声が聞こえてたぞ」
「ほんとか。すまん助かった。じゃあな」
「おう、頑張れよ〜」

赤木はに気付かなかったのだろうか、そのまま立ち去ってしまった。それをふたりがぼんやり見送っていると、クラスに残っていた十数人がふたりの荷物を手にしてやって来た。もう教室は片付いているので出てきてしまったのだという。

「なんかヤンキーが赤木に追い掛け回されてたけど、ふたりとも大丈夫だったか?」
「ゴミ捨て場にいたら声が聞こえてきてさ、慌てて逃げてきたんだ。な、
「そ、そうなの。木暮が足速いから参った」

この昇降口が薄暗くてよかった。きっと変な顔をしている。真っ赤になっているかもしれない。それを赤木やクラスメイトに見られてしまうのは恥ずかしい。ふたりは同じことを考えながら少しずつ少しずつ距離を開けていき、やがてクラスメイトたちの中に紛れて言葉も交わさないまま帰路についた。