時織り

01

1年生 4月7日

入学した時点で既にヤンキー、授業初日でもサボりがいる。そんな生徒も珍しくないのが県立湘北高校である。この日はクラス委員を始めとした委員会担当を決めなければならないのだが、全員揃っていないのでクラスの中の空気が重い。ヤンキーが引き受けるわけはないだろうが、不公平な気がする。

それでも図書委員や保健委員など仕事が定期的で事務的なものは早々に決まった。委員会担当は前期後期で分かれていて、文化祭を目処に交代するので、どうせなら先にやっておいた方が楽だ。ただし、前期しかない文化祭実行委員とクラス委員長及び副委員長がどうにも決まらない。誰もやりたくない。

文化祭実行委員は生徒会とクラスのパイプ役になってクラス展示などの取りまとめをしなければならない。とても忙しくて面倒な役目なのは明らかなので、どうにかして回避したい役目だ。というかそれを見越してさっさと他の委員会担当に名乗りを上げてしまった要領がいいのもいる。

しかしあらかた決まってしまったところでそれに気付いても遅い。案の定残ったのはクラス委員と文化祭実行委員だけ。どっちもやりたくないので誰も手を挙げてくれない。困った担任は部活があるからという理由で逃げようとしていた生徒に目をつけて声をかけてみた。

「木暮、どうだ。まだ1年のうちにやっておいた方がいいんじゃないのか」
「えっ、ま、まあそうなんですけど……
「部活があるって言うけど、それこそ部活は放課後にしかないじゃないか。最初はそんなに仕事ないぞ」
「はあ」
「副委員はええと、おお、どうだ。木暮とは中学一緒だろ」

担任は手元の資料を見ながら面倒くさそうにまたひとりに声をかけた。突然名指しされた女子生徒は驚き、机と椅子をガタリと言わせた。確かに名指しされたは木暮公延とは同じ中学の出身だが、それは何か理由になるんだろうか。

ちなみに自由参加の部活動と違い、委員会は内申上では多少プラスになるし、面倒くさいことを除けばそれほど損はない。ついでにクラス委員は生徒会同様1度やっていれば以後は拒否できる。

中学は同じでもクラスは一緒になったことがなかったし、お互い同じ高校に進学するというので多少の面識ができた程度だった。ふたりはちらりと顔を見合わせて苦笑いをしたのち、盛大にため息をついて小さく頷いた。何しろこれが決まらないことにはHRが終わらない。

そんなわけでクラス委員長と副委員長にさせられてしまった木暮とは、文化祭実行委員で揉めるクラスの中で、また大きくため息をついた。はともかく木暮の場合は中学時代から部活に熱心な生徒だったので、憂鬱にもなるというものだ。

「まあ確かに1年の前期ならそれほど大変な仕事はないだろうけどさ」

放課後、まだ部活が始まらないので早速クラス委員としての仕事を出されたふたりは教室で差し向いになって肩を落としていた。生徒会から出された新入生向けのクラブ勧誘チラシを一人分ずつまとめるという面倒くさい作業だ。ついでに担任からもプリントを押し付けられて、居残りしている。

「そうなんだよね。作業内容的には1年の前期が一番楽」
「だけどそれ以前にクラス委員自体やりたくないよな」
「ほんとそれ」

1年の前期は全てが新入生対応でこういった雑務だけで終わる。これが学年が上がるほどにめんどくさくなってくるので、早いうちにやってしまえば後は楽だ。だが、1クラス年間4人、全10クラスなので年間40人、3年間で120人。学年の人数に照らし合わせると3分の1にも満たない。残りの3分の2はそもそもクラス委員自体無関係のまま卒業していく。なんとなく理不尽だ。

生徒会からのチラシの束、そして担任からのプリントの量が多いので、最終的にクリアファイルに入れなければならなくなり、また作業数が増えたふたりはもはや愚痴しか出てこない。

「部活は放課後にしかないって言ってたけど、今も放課後じゃないのか」
「またバスケ部入るの?」
「そりゃまあ。それが目的でもあるし」

と木暮は同じ中学の出身だが、クラスは一度も同じになったことがない。ただ木暮の相棒とも言える赤木が少々目立つ生徒だったので、もふたりがバスケット部員だったことはよく知っている。

「てことは『オレ部活あるからあとはよろしく!』って木暮が言い出す日も遠くないね」
「えっ!? そ、そんなこと言わないって! 自分の分の作業は昼休みとか持ち帰るとかするよ」
「んー、でも作業ならいいけど立ち会わなきゃいけないものだったら?」
「それは……部活遅刻するしかないんだろうなあ」
「湘北のバスケ部って厳しいの?」
「監督はすごい経歴の人だって言う話なんだけど、活動自体は……あはは」

木暮の苦笑いに全てを察したも苦笑いだ。ふたりはクリアファイルの束を数える。ちゃんと人数分ある。明日はこれを朝のHRで配らなければならない。教室の片隅にある棚に積めばようやく仕事終了。やっと帰れる。

「これは重いからいいよ、オレが運ぶ」
「わ、ありがとう。すごいね木暮、優しい、紳士だ」
「そんな大袈裟なことか?」

クリアファイルの山を抱えた木暮の後からもゴミをまとめて持ってくる。

……木暮って今身長いくつくらいあるの」
「えっ、身体測定まだだから正確なところは……たぶん170ちょいとかそんなもんじゃないかな」
「その木暮より既に頭ひとつデカい赤木は一体……
「ああ、あれはもう190越してるよ」
「ひゃっ、ひゃくきゅ……そんなにあったんだ……

崩れそうになるクリアファイルをなんとか棚に納めようとしてちょこまか動いている木暮の後頭部を見上げながらは感嘆のため息をついた。彼の相棒が中学でも一際目立っていたのは、何しろ身長が学校一高かったからだ。生徒の中ではもちろん、どの先生よりも高かった。

「バスケ部ラッキーだね、そんなのが入ってきて。エースになれる?」
「だといいんだけどな。よし、これでいいだろ」
「バスケって大会とかあるんだっけ?」

クリアファイルを固定した木暮が振り返った時、はすぐ後ろで首を傾げていて、木暮は腕でを振り払ってしまった。不意を突かれたはぐらりとよろめき、慌てた木暮が手を伸ばして抱き寄せる形になってしまった。静かな教室の中にふたりきり、も木暮も思わず息を呑んだ。

数秒の後に我に返った木暮が手を離すと、もサッと距離を置いて慌ただしく髪を撫で付けた。

「ご、ごめん、どついちゃって」
「ううん、私が真後ろに突っ立ってたから、こっちこそごめん」
「ええとその、痛くないか」
「平気平気、私鈍いから大丈夫」

不可抗力のハプニングだが、ふたりは妙に意識してしまってあたふたと手を動かしている。

「も、もう終わったし帰ろっか、木暮は電車? バス?」
「おおそうだな、オレは一応電車。ってどの辺なんだっけ?」
「あ、私去年引っ越したからチャリ」
「あれっ、そうだったのか!? 赤木も引っ越したし、多いな」
「だから湘北近くなって、それで受験したんだよ」
「おお、なるほどな!」
「てかそんなの木暮と赤木の方が不思議がられてたじゃん、成績いいのに湘北? って」
「そ、そんな、いいってほどじゃないよ。成績下がって部活のせいにされると困るから」

意識してしまっているのがこれ以上表に出ないように、ふたりはまたあたふたと帰り支度をして教室を出る。階段を降り、昇降口に辿り着くまでもふたりはベラベラとどうでもいいことをまくし立てていた。というところでやっと行き先が別れる。は自転車置き場だ。

「じゃ、じゃあお疲れ。明日もファイル配布めんどうだけど……
「うん、お疲れ! じゃあね」
「自転車、転ぶなよ〜」
「木暮こそドアに挟まらないようにね!」

そんなことを言い合いながらふたりの距離は次第に開いていき、いつしか振り返り、それぞれの向かう方向へと足早に歩き出した。中学が同じと言ってもクラスが一緒になったこともない、部活や委員会でも一緒になったことはない、ほぼ初対面に等しい間柄。なのにどうしてだろう、どうしてもドキドキが取れなかった。

1年生 7月11日

半ば無理矢理クラス委員にされてしまったと木暮だったが、担任の言うように仕事はほとんどなかった。月に一度生徒会室まで配布物を取りに行って配る、というのが唯一絶対の仕事であり、あとは担任に雑用を押し付けられることがちらほらある程度。それも4月を過ぎると激減した。

なので予定通り木暮がバスケット部に入部し、ほぼ毎日の放課後を練習に費やしていても支障はなかった。ただし、素人目にはどう考えても超有利な赤木がいて、なおかつ誰だとかいう県内では有名な選手が入ったという話だったバスケット部はちっとも強くなっていない模様。

運動部に所属しているならともかく、結局部活に入りそびれて帰宅部のままのくらいの立場ではバスケット部にどんな事情があったかなど知りようもないし、学期末の会議で遅くなった帰り道、木暮も詳しくは話してくれなかった。もうほとんど夏だというのに、学校を出ると真っ暗だった。

「一週間も行くの!? それじゃ夏休みはまだまだ先だね……
「まあ、合宿帰ってきても練習あるし、休みはないも同然だけどな」

4月からクラス委員を共に務めているので、ふたりはずいぶん気楽な関係になっていた。最初こそ妙なハプニングでドキドキしてしまったが、委員会以外では特に接点もないクラスメイトである。今も真っ暗だから途中まで送って行くと木暮が言うので、は遠慮なく送ってもらっている。

「えっ、まさか夏休みの間も毎日練習とか」
「ええとそこのところはちょっと部内でも揉めてて……

苦笑いの木暮によると、たとえ少ない時間でも毎日しっかり練習しないとダメだと言い張る赤木に対し、湘北のバスケット部は元から「そこまでしなくても」というスタンスらしい。今年の県大会でも1回戦負けだったと初めて教えてもらったは少し言葉に詰まる。

「あ、悪い、気を使わせてごめん」
「いやそういうわけじゃないんだけど……うーん、部活って大変だね」
「好きでやってることなんだけど、うまくいかないよな」
「遊んだりする暇なくても部活がやりたいの?」

の素朴な疑問に木暮はまた苦笑いだったが、辺りが暗いのでにはあまりよく見えなかった。

の言うように遊ぶ時間がほとんどないこと、それはもちろんストレスになるほどではない。木暮はバスケットがしたいからバスケット部に入って毎日練習している。それは自分の意志によるものだから、そんな日常に不満はない。しかしそれは「遊びなんかどうでもいい、興味ない」ということではない。

「夏休みなんてイベントだらけだし、ほら、夏祭りだってあるじゃん」

毎年お盆明け頃に開催される夏祭りは河原の土手を長く埋め尽くす露天と花火が名物で規模も大きく、木暮も子供の頃は家族で毎年出かけていた。それが中学に入ってからは一度も行っていないことに気付いて、一瞬どきりとした。そして、頭の中にポンと言葉が浮かんできた。

、夏祭り、一緒に行かない?

木暮はそれが音になって飛び出す前に慌てて口を塞いだ。一体自分が何を言おうとしたのか、驚いて愕然として冷や汗が背中を伝う。しかし長く黙っているわけにもいかない。

「夏祭りかあ……小学生以来行ってないな、そういえば」
「えっ、中学の間1度も行かなかったの?」
「うん」

夏祭りに行かなかった理由を木暮が言わないので、は言葉が続かなくなって黙った。一緒にいく人がいないなんていうことだったら困る。木暮もそれ以上言うことがなくて黙った。だが、その沈黙の中で木暮はちらりと考える。、夏祭り行こうって、誘ってくれないかな――

同時に、も考えていた。

一緒に行く? って言っても、断られちゃうよな……言わない方がいいよね……

蒸し暑い夏の夜、ふたりは気まずい沈黙を何とか誤魔化しながらとぼとぼと歩いて行った。

1年生 1月16日

1年生の3学期には毎年恒例のスキー教室がある。2泊3日で中1日を滑りっぱなしなだけのよくわからないイベントだが、これがまた生徒に不評で、教室には参加しないでその間学校に登校して自習という3日間を選ぶ者も少なくない。今年も学年全体で30人ほどが不参加。

また、大人しく参加していても、何しろ雪山より海が近い土地で育った少年少女ばかりである。興味ない、滑れない、寒い、だるい等々の理由で積極的に参加しない生徒も多い。レストハウスで1日中喋ってた、なんていう女子も多い。思い切り楽しんでいるのは元々滑れる男子くらいなものだ。

「あれ、滑らないのか」
…………滑れない」
「お、おお、そうか、悪い」

レストハウスで腹ごしらえをしてから滑ろうとしていた木暮は、友人たちの輪から外れて足を止めた。逆にレストハウスに入っていこうとしたとすれ違ったからだ。は服装だけはスキーウェアになっているが、完全にやる気のない顔になっている。

「初心者用の教室も参加しないの?」
「さすがにひとりではちょっと」
「ひとり? 友達は?」
……みんなボーダーだった」
「う、そ、それは」

には同じクラスに仲の良いグループがあり、だいたいいつもその女子4人で固まっていた。が、よりにもよってその中の以外の3人が全員スノーボード大好きだったという。その状態での初心者教室に付き合ってもらうというのはさすがに無理がある。

「いいよ、ここで大人しくしてるから……みんな早めに引き上げてくるから足湯行こって言ってくれたし……

遠い目をしたと、自分の友達の方を交互に見た木暮はひょいと頷くと思わず気をつけをした。

、オレでよかったら教えてあげようか?」
「えっ?」
「実はオレも滑って降りてこられる程度なんだよな。みんなと一緒に滑らなきゃいけないわけじゃないし」

冷たい空気がひたひたと忍び込んでくるレストハウスの入り口、じわじわと身長が伸びている木暮をは見上げて言葉に詰まった。春の教室で感じたドキドキが音もなく忍び寄ってくる。そして胸にまで到達してズキンと痛むほどに跳ねた。

教えて欲しいって言ってもいいのかな、これ。木暮が言ったんだからいいんだよね?

じゃあ教えてもらっちゃおうかな! なんて気軽に言えばいいのだ。今日1日は自由に滑っていて構わないのだし、そこらじゅうカップルだらけなんだし、その片隅でヨタヨタと初心者が教えてもらってるくらい、誰も気にしないはずだよね。だからさらりとお願いしますと言えばいいのだ。はそう考えて口を開いた。

「じゃ、じゃあ――
「おーい、木暮、置いてくぞ!」
「えっ!? あ、ええと――
「あっ、いいところに! ちょっとすまん手を貸してくれ」

ふたりはほぼ同時に遠くから呼ばれて振り返った。木暮は待たせていた友人に、は担任に。見れば担任は具合が悪そうな女子を抱えていて困り切っている。保健委員の出番というところだが、具合悪そうな本人が保健委員である。すぐに顔を戻した木暮も状況を察しての背をそっと押した。

……じゃ、オレ行くわ。またな」
「う、うん、ごめん、ありがとう。楽しんできてね」

そしてふたりは素早く振り返ってその場を後にした。慌ただしく具合の悪くなってしまった女子を介助するをちらりと振り返った木暮は、が言いかけた言葉が耳にこだましていた。少しはにかんだは「じゃあ」と言っていた。「じゃあ、お断りします」とは普通言うまい。「じゃあ、お願いします」だろう。

、それでもよかったのか。オレにスキー教わるんでもよかったのか。ふたりきりでも、いいのか。

友人たちと合流した木暮は緩みそうになる頬をぐっと引き締め、頭の中を埋め尽くしてしまいそうになるイメージから一生懸命逃れようとしていた。の手を取り、ふたりだけでスキーの練習。だけしか見えない、にも自分しか見えない。それって、どんな気持ちになるんだろう――