いとしい日々の名残たちと

04

巨体をちょこまかと動かしながら懸命に働いている魚住をひやかしに来た一同は、元から遊びに来ていた陵南の連中に並んでテント脇に設えられた長テーブルに落ち着いた。赤木は晴子が戻るまで、と言い張っているが、牧や清田は晴子が30分やそこらで戻ってくるとは思えなかった。

しかしとりあえずのところ気になって仕方ないことがある。の言う「黒歴史」とやらだ。

「ていうか木暮さん濁してたけど、ほんとに彼女なんすか」
……ちょっと面倒くさいんだよあいつらは。生まれた時から一緒で親も仲がいいし、家も隣。難しいんだ」
「いやそもそもその状況が既に木暮さんぽくない」

そもそも1度対戦しただけの他校生である。それは仕方あるまい。

「そうか? 清田、お前は外見に惑わされているだけだ。ああ見えて元々は我侭も甚だしい」
「へえ、そうは見えないな」
「牧、木暮の桜木たちの扱いの上手さはお前も知ってるだろう。あれはの相手をしていたからだ」

ああ、と近場にいた全員が大きく頷いた。桜木とがイコールにはならないが、それはそれ。

「まあそうだろうねえ、あの子、おしとやかなアナソフィア令嬢てわけではないしな」
「藤真さんだからソレ、なんなんすかあもう」

丸いようで尖った微笑みの藤真に赤木は少し不安を覚えたが、それももう致し方あるまい。それよりも、赤木がずっと危惧していたことが徐々に表面化してきたことの方が問題である気がした。まだ決心がついていないのか、公延はを「彼女だ」とは言わなかった。隙を作るなと釘を刺したのに。

「アナソフィアの後夜祭はグラウンドと講堂と体育館でやるんだけど、それぞれ違うことしてるんだ」

グラウンドは火を焚いて体育会系が中心になりゲームをしたり踊ったりしている。体育館はささやかではあるが保護者と有志提供による立食が出来る。そして講堂は簡単に言えばクラブになる。

「オレたちは本来ならグラウンドを手伝うんだけど、ちょっと面倒くさくてね」

藤真はキラリと音がつきそうな笑顔だ。何が面倒くさいのかはだいたい想像がつく。

「部活単位で手伝ってるからオレたちは目立つし、講堂に逃げたんだよ。暗いしうるさいし気付かれにくい」
「なんかそれもどうなんすかスターじゃないすか」

いちいちうるさいが清田が突っ込むのも無理はない。

「そしたら、あの子、ステージにいたんだ」

赤木はひとり納得が行った。はいわゆる器用貧乏体質で、何に対しても意欲をあまり見せないが、何でもよくこなす。我侭ではあるが決して横暴ではないから人望もある。少し人たらしの気があるくらいだ。歌っても踊ってもそれはなかなかの出来だっただろう。

「ひとりじゃなかったけど、ド真ん中でセクシーな服着て歌ってたよ、レディー・ガガ」
「えええ!?」

大袈裟なくらいに驚いた清田の横で、牧は不思議そうな顔をしている。とガガが混ざらないのだろう。

「赤木はよく知ってるんだろ、聞いてなかったのか」
「オレは昔馴染みなだけだからな。おそらく木暮も知らんと思うぞ」
「やっぱり彼氏じゃないんすか」
「だから複雑なんだよ。だいたいこのインターハイが終わるまでを拒絶してたくらいだ」
「なんてもったいない……

藤真の言葉に、それでも拒絶の期間は終わったのだと言いたかった赤木だが、伝わったかどうかはあやしい。

……よく今まで取られなかったね」

藤真の含みのある言葉が赤木の心にチクチクと刺さった。ほらみろ、言わんこっちゃない。

「へええ、レディー・ガガ」
「笑いたきゃ笑えばいいじゃない、そんなひんまがった顔してないで」

あまり人が多くなく、かつ遠くても花火がちゃんと見える通りまで移動してきた公延とはガードレールに腰掛けている。ピンク色の綿あめを持ったは「黒歴史」に笑いを堪えている公延の横でばつが悪そうだ。

「いや違うよ、がおかしいんじゃなくて、それを藤真に見られてたっていうのがな」
「私はあんな人知らなかったもん」
「神奈川じゃ有名なんだぞ。すごい選手なんだよ藤真も牧も、もちろん赤木も桜木も」
「公ちゃんは有名じゃないの」
「どうかな、今日いた面子は3年が多いから知ってたようなもんだと思うけど」

赤木が困惑の冷や汗を流しているとも知らずに、公延は牧や藤真たちがどんな選手なのかだの、インターハイに至るまでのあれやこれやをに話して聞かせた。彼にとっては全て鮮烈な夏の記憶であり大切な時間を共に過ごした仲間だったのだ。学校が違っても対戦相手でもそれは変わらない。

「なんか私の知らない公ちゃんを見てしまった、って感じ」
「それはオレも同じだよ、ビデオとかないの」
「あるわけないでしょ、もう。ああ今頃きっとあの藤真って人ぺらぺら喋ってるよ」

公延としてはそんな風な藤真を想像出来なかったのだが、ぺらぺらというよりはキラキラと喋っていた。

「まあもう、そう簡単に会うこともないだろうからいいんじゃないの」
「今年も文化祭には翔陽来ますー。公ちゃん家族枠でも来てくれないけど翔陽は来ますー」

綿あめをモゴモゴやりつつ、はあっかんべーをしてみせた。

「けど藤真も3年だし、まだ引退しないみたいだから、忙しいんじゃないのかなあ」
「それならいいけど。公ちゃんも見たでしょ、文化祭にはあの清田くんみたいなのが大量に来るんだよ」
「そりゃ大変だな……うるさくてしょうがないだろ」

鈍感なのかわざとなのか、イラついたは綿あめの巻かれていた割り箸で公延を刺した。

「あーオレもアナソフィアの彼女欲しいっすわー」
「アナソフィア女子にも選ぶ権利はあると思うぞ」
「うーわ牧さん、牧さんよりはイケますて」

再び魚住の屋台である。

「お前な、木暮の彼女だぞ。いい加減にしろよ」
「えー、だって木暮さんなんだか素っ気なかったじゃないすか」

マズい。赤木は晴子のことが気になりつつも、どうやらを気に入ってしまったらしい清田や藤真を放り出して退席出来ない状態に陥っていた。あまり面倒なことにならないように目を光らせておきたいが、余計なお世話という気もする。地元の祭にのこのこと現れた方も悪い。

さん超可愛いじゃないすか、ねえ」
「そうだね、可愛いね」

藤真と清田はにこにこしながら頷きあっている。赤木は藤真の向こうで複雑な顔をしている花形に謝りたいような気分になっていた。がハイスペックなだけでなく、そのが執心しているのが公延だというところがまた事態をややこしくさせている。公延には失礼な話だが、勝てる気がするのだろう。

「牧はああいう子は苦手か?」
「いやそういうわけじゃ、おい藤真まで何なんだ。そういう問題じゃないだろう」
「ほーらやっぱり牧さんだって可愛いと思ってんじゃないすかあ」
「清田お前酒飲んでないよな……?」

そこへまたどやどやとジャージ姿がなだれ込んで来た。魚住の屋台は近隣の高校バスケット選手で埋まりつつある。湘北勢が自分ひとりしかいないという状況の赤木は少し心許なくなってきた。かといって、こんな場面で役に立ちそうな部員はいただろうか。役に立たない部員ならいくらでも思いつくのに。

「あっ神さん遅かったすね、どこ行ってたんすか」
「いやさっきからここにいたよ。裏の方でフッキー……福田と喋ってた。ってなんか勢揃いですね」

清田に手を引かれて、神は赤木と清田の間に納まった。

「赤木さんまで……木暮さんと一緒じゃないんですか。さっき見かけましたけど」
「オレは妹の付き添いだ。木暮のことは忘れてやってくれ」
「え、あのきれいな人ですか? さすがに木暮さんだなあと思ったんですけど」
「へえ、それはどういう意味だ?」

大方の反応が「メガネくんなのに」という前提がつくだけに、神のこの反応には赤木も興味を引かれた。

「いえ、だって、だいたい僕たちみたいなのはバスケットに夢中で、それに全てを傾けているわけですよね。だから色々犠牲にしてる部分もあるでしょう。他は知りませんけど、うちだけとっても部活やりながら彼女だの遊びだのなんて、絶対両立出来ないですよね。バスケを頑張れば女の子は必ず逃げていきます」

一時的に盛り上がったとしても、長続きしないということか。

「だって高校生だし一度しかない夏とか言われるし、構ってくれないなら他に乗り換えちゃうでしょう。それを我慢しても付き合っていたい程の魅力がないと。けど木暮さんは我慢する価値がある人なんだろうと思って。オレも女だったら木暮さんがいいと思いますし」

それは裏を返せば今ここにいる全員に、様々なことを我慢しても特別な関係でいたいと思わせる価値がないと言っているようなものだ。特に3年生は心に刺さる。自分の高校生活は確かに多くを犠牲にするだけの価値があるものだったが、を見てしまうと妙な敗北感に襲われるのも事実だ。神もやっと気付いた。

「みなさんに価値がないなんて言ってませんからね。藤真さん睨まないで下さい」
「そんなこと思ってないけど、なんだろうねこのモヤっと感は」
「皆さんは派手なんですよ、強いんです色々。花火みたいに。対して木暮さんはロウソク的というか」

派手で強いのが嬉しいらしい清田だが、あまり素直に喜べない様子だ。

「まあ、解る気はするな。警戒心をまったく抱かせないルックスだし、清田や藤真、お前らみたいに人目を引くような要素はないがさりげなく整ってる。現実感がある。そういうことじゃないのか、神」

牧の言葉に、ラムネの瓶に口をつけていた神はうんうんと頷いた。

「とはいえ、あんな風な可愛い女の子を放り出して拒絶して部活に夢中になって、それでも逃げていかないのに彼女だとは言わない木暮はなんなんだろうな。不思議な話だ」

とうとう牧までのことを可愛いと言い出した。赤木は頬杖をつきながら全てを諦めた。オレはもう知らん!

「もう、公ちゃんなんて知らないから」
「なんだよ急に」
「気付かなかったの? さっき私何度も清田くんにくっつかれたし手を取られたし」

牧の拳骨も落ちなかったのだし、が言うほどべたべたと触れてきたわけではないのだが、それでも彼氏らしい男が隣にいる女の子に対する振る舞いでなかったのは確かだ。しかもそれを牽制してくれたのは赤木と牧だというこの情けなさ。

「あの藤真って人だって、こんな近くまで顔寄せてきたんだよ」

はぐいっと公延に顔を近付けて、しかめっ面をした。黒歴史を口外するなと詰め寄ったを、藤真は楽しそうに見下ろしていた。公延のいるすぐ横で。

「私が清田くんとか藤真に取られちゃうかもしれないじゃん」
「えっ、ないない」
「ハァ!?」

少しは嫉妬を見せて欲しくて拗ねただったが、公延はさも当然だという風に手をひらひらと振った。その軽薄な感じにイラついたが声を上げるのと同時に、最初の花火がドカンと花開いた。の怒りと共にどんどん花火が上がる。

「公ちゃんてさ……優しいけどさりげなくサディスティックだよね」
「どういう意味だよ」

は怒りがピークに達したところで突然鎮火した。花火はこんなにきれいなのに、念願叶って浴衣で夏祭りなのに、公ちゃんは私が他の男に触られても怒りもしない。公ちゃんがよくわからない。

は清田や藤真が好きなのか?」
「そんなことあるわけないでしょ」
「じゃあ、ほら、やっぱりないない」

しかめっ面のの手を公延が取る。大きな手のひらがの頼りない手を包み込んで、強く握り締めた。顔を上げたの目の前には、公延の顔。少し怖いくらいに真剣な顔をしていた。タイミングよく弾けた花火と共に、は自分の中の何かも一緒に弾け飛んだ気がした。

はオレのことが好きなんだろ」

言葉と共に、視線に射抜かれる。飛び散る火花を浴びたように心が焦がれる。

「オレもが好きなんだからありえないだろ、そんなこと」

勢いよく引き寄せられて、そのまま唇を奪われたの手からポロリと綿あめの割り箸が落ちた。かつてこんな風に公延が積極的だったことはただの1度たりともない。これを不確かな嫉妬と取っていいのかどうか考えていただったが、そのうち考えるのをやめた。思考が溶けてしまったような気がしていた。

つまるところ、公延は「自分たちがしっかりしてさえいれば何にも邪魔されることはない」という考えに寄りかかっているのであって、や赤木のような危機感はまるで持っていなかったということになる。たかが夏祭りのひと時の話で、ましてや学年も学校も違うのにこれ以上膨らみようのないことなのだと。

だがの言うようにアナソフィアの文化祭に翔陽は来るし、を可愛いと思うのは清田や藤真だけではない。これまでとの接触を絶ってきた公延には、が世間一般の同年代にとってどんな風に見えているのか、まるでわかっていない。

ただでさえ見た目に惑わされやすい年頃なのだし、見栄えのする子がアナソフィアの制服を着ているということがどれだけの威力を持つのか、バスケット三昧で過ごしてきた公延は知る由もない。

公延は甘かった。は「公延だけの」だなどと、誰が思ってくれるというのか。

藤真や清田など遠く及ばない、あまりにも近い場所でそれが揺るがされたとき、公延は初めてのことを心から想うことになる。それまでの気持ちなど遊びのようなもので、自分で思っていたよりまるで本気ではなかったのだと思い知らされる。それはを何年も手放していた公延の最大の失敗となる。

夏の風が吹き渡る夜、花火の煌きの下で身を寄せ合うふたりは知らずにそのときを待っている。

END