いとしい日々の名残たちと

03

「えええ〜公ちゃん浴衣着ないの!?」
「何言ってんだよ、オレ浴衣なんて持ってないって」

お盆休みの頃、白地に臙脂の花柄の浴衣を着たは木暮家のリビングでがっくりと肩を落とした。気合入れて浴衣で公延の前に現れたはいいが、公延はカットソーにジーンズだった。の妨害工作で変なTシャツばかり着ていた公延だが、まともな服ならやはり整って見える。

みたいに女の子ならいいんだけどねぇ、浴衣ってけっこう高いのよ」
「小父さんも浴衣持ってないの?」
「古いのがあるにはあるけど、公延が着たらつんつるてんになるわよ」

公延の母親の言葉には再度がっくりと肩を落とした。自分の父親のことも頭によぎったが、丈はともかくどう考えても裄が足りない。これはスポーツをやっていたせいで腕が少し長い公延が特殊なだけなのだが、きちんと着こなせないものを無理に装うのはも嫌いだった。

それに、制服やジャージ、スウェットばかりだった公延が黒のヘンリーネックに軽いダメージジーンズというだけでもは結構満足だった。あれだけ運動してきたのでスタイルはいい。左手首の腕時計ですらイケメンアイテムに見えてくる。さらに下駄を履くというのでの機嫌は直った。直ったが、言わないではいられない。

「公ちゃん、大学行ったらバイトしまくって来年の夏までに浴衣買っておいてよね」
「浴衣のためにバイトするのかよ……

ともあれ、どうにもならないことにいつまでもぐずぐずごねるではないので、まだ日の高い夕方にふたりは家を出た。建前としては赤木兄妹やそれぞれの友人たちとみんなで祭に行くことになっている。下手な嘘をつかなくても遭遇する確率は高いが、今夜は一応ふたりきりの夏祭りだ。

ふたりは自宅から死角になったところで手を繋ぐと、ゆっくりと歩を進めた。早い時間から露天が並ぶ大きな夏祭りだが、どうせなら日が暮れてからの方が雰囲気がいいのだし、出来るだけ長く祭りを楽しみたかった。

ふたりとも地元であり現在通う学校もそう遠くはないので、同級生や先輩後輩はうじゃうじゃといるはずだが、そんなことは気にならなかった。付き合いたてのカップルというよりは、幼稚園に通っていた頃のようで懐かしい気持ちの方が強い。

祭りに近付くほど増える人の波に飲まれながら、は公延に体をぴったりと寄せて繋ぐ手に力を込めた。

夏の陽もようやく傾いて、辺りが群青に包まれ始めた19時頃。露天が延々と並ぶ通りの一角でやたらと背の高い少年の一団が輪になっていた。せめて通行の邪魔にならないように端に寄ったようだが、逆に目立っている。さらにひとりふたりと増えていくのだが、ほとんどが見上げるような身長で、道行く人々が避けて通るほどだ。

そこへと公延が通りかかった。その時ちょうど公延はの袖に付いてしまった水あめと格闘しているところで、この目立つ集団にまったく気が付かなかった。の方が目にとめ、もしやと思って公延を突っついたことで初めて顔を上げ、つい「うわっ」と声を上げてしまった。

その集団は背を向けていたのだから、公延が先に気付いてもそのまま通り過ぎてしまえば向こうからは気付かれないで済んだはずだった。が、声を上げてしまい、気付かれてしまってはもう手遅れ。

「あれーメガネ君じゃん」
「えっ、あーほんとだ木暮さんだ……って木暮さん彼女っすかー!」

誰かに遭遇するだろうとは思っていた公延だが、まさかまとめてとまでは予想してなかった。

「公ちゃん……
「ええと、うちの部周辺と、海南大附属と翔陽……なんだけどなんでだ?」
「あーなるほど。でかいねみんな……赤木くんみたいだ」

ぴょんぴょんと跳ねながら真っ先に飛んできた少年が公延とをじろじろと眺め回している。公延が「よ、よお……」などと情けない声で返していると、真っ黒に焼けた少年というか青年というか、とにかくこれも大きいのが出てきて、ぴょんぴょん跳ねているのに拳骨を食らわす。

「すまん木暮。運が悪かったと思って諦めてくれ」
「いや、わかってたことだから。それより妙な集まりだな」
「うちは練習帰りで、たまたま藤真たちに会ったんだ。それで喋ってたら桜木に見つかってな」

はもう何がなんだか話についていけていない。誰この黒い人。フジマとサクラギはどれ。

「痛てぇっすよ牧さん! あっ、木暮さんの彼女さんハジメマシテ! オレ――

拳骨を食らわされた少年が自己紹介をしようとしながらすばやくの手を掴んで振り回すのと、2発目の拳骨が飛んでくるのは同時だった。とりあえず平静を保っているは、黒いのが「マキさん」であることを確認した。どうも前に公延か赤木に聞いたことがあるような気がする。

そんなやりとりの横から、真っ赤な髪の威圧的な少年を中心にどう見てもヤンキーという風体が計5人入り込んできた。それぞれに公延を突付いたりひっぱったりしてじゃれている。それに怯むではないが、さて人物把握には自信がなくなり始めてきた。

「メガネ君彼女いたのかよ! なんかちょっと意外だな」
「いやメガネ君はこれでけっこうイケメンだろ」
「フラれ記録のある誰かとは違うな!」

誰が誰だか紹介してもらえれば覚えられそうな気がするが、公延が適当にあしらっているのでは黙ってニコニコしていることにした。愛想を良くしても悪くしても、どう転んでも公延が無傷で済むとは思えない様子である。特に最初の少年とこのヤンキー5人は、ずっとニヤニヤして楽しそうだ。

最初の少年が「紹介してくださいよー」とせがむ。再度拳骨が落ちそうなところだが、公延が止めた。

「いいよ牧、清田も悪気があって言ってるわけじゃないんだし」

ぴょんぴょん跳ねている忙しない子はキヨタ。感じからして1年に違いない。は記憶した。

「ええと、これは幼馴染で、アナソフィアの2年で」
「年下の幼馴染でアナソフィアってすげぇハイスペックだなおい」
「うえええなんかマジ羨ましいっすよ木暮さん……

話が進まない。とりあえずは「、です」と控えめに添えた。すると一斉掃射のように自己紹介が飛んできた。黒いのがマキ、うるさいのがキヨタ、ヤンキーの赤いのがサクラギ、次いでヨーヘイ、タカミヤ、オークス、チュウだそうだ。とりあえずみんな個性的なので顔の識別は付く。

公延が出来るだけ簡潔にまとめた説明によればマキとキヨタは海南、ヤンキー5人は湘北でサクラギ軍団という、とのこと。は、公延が熱心になっていた世界の一端を見たような気がしていた。私の知らない公ちゃんをこの人たちは知っている。本人は嫌がるだろうけど、少し聞いてみたい。公ちゃんて、どんな人だったの――

「何の騒ぎだ……あれっ、木暮じゃないか」

また増えた。なんだかやたらと整った顔に、これまた巨木のようなのがふたりくっついている。確か178cmという定番のイケメン身長であるはずの公延が小さく感じられて、はさらに小さい自分がまるで子供に戻ってしまったような錯覚に陥る。

その時、小奇麗な顔をしたのがぴたりと足を止め、腕を組んでじっとを見下ろした。

――あれ? ええと確か、アナソフィアの。だよな木暮」
「えっ、藤真、知り合い?」

なんか私のこと知ってるらしいこれはフジマ。は記憶を上書きしたが、どうもこの顔は記憶にない。

「いや、知り合いじゃないよ。翔陽とアナソフィアは時々交流があってさ」

こいつ翔陽なのか。は嫌な予感がした。確かに女子校のアナソフィアと男子校の翔陽は学校のイベント時に公式に交流がある。そのほとんどは文化祭で、同じ部活同士が展示に協力し合ったり、生徒会の運営をサポートしたりといった健全なものではあるが、それはもちろん建前だけだ。

生徒たちにとっての交流の本質は互いの文化祭の2日目、後夜祭にある。今年の文化祭はアナソフィアも翔陽もまだだから、藤真がを知っているとなれば、それは昨年の文化祭ということになる。昨年のアナソフィアの後夜祭、公延にかまってもらえないはちょっとした黒歴史を残している。

、覚えてるか?」
「おお、メガネくんの彼女さんはさんというのか」
「おい赤毛猿、ちょっと黙ってろよ」

きょとんとしている公延の横では背中に冷たいものが伝うのを感じていた。フジマ、余計なことを言うな。

「やっぱりそうだ、思い出した。後夜祭の講堂の方で君――
「わあーーダメダメ、言わないでえ!」

頭の上に光る電球でも浮いていそうな藤真に向かってはぶんぶんと手を振り制止した。それまで公延の横で静かにおしとやかにしていたが突然声をあげたので、ふたりを取り囲んでいる全員はもちろん公延まで驚いて飛びのいた。しかしこれでは余計気になる。

「ええと、ふ、フジマ、先輩ですか? 思い出したことは、いますぐ永久に忘れて下さい!」
「え、わ、わかったよ」
「いや何だよ気になるじゃん。後で教えてねフジマくん」
「ヨーヘイくん! だよね! お願いだからやめて!」
「まあまあいいじゃないすかさん」

慌てるに、けしかける桜木軍団、板ばさみの公延と藤真。だんだん収集がつかなくなってきた。この場では支配力がありそうな牧ですら、少しの興味のために、また自分の後輩の不始末でもないので黙っている。が、その時の背後で桜木軍団の誰だかが楽しそうな悲鳴をあげた。

「出たァ!!」

に注視していた全員が声のした方に目を向けて、また歓声があがった。

「ゴリ!」
「赤木!」
「うおお赤木さんじゃないすかあ!」
……ゴリ?」

割と良く知る赤木と聞きなれない呼び名に思わず鸚鵡返したの袖を公延が引いて制止した。往来でゴリゴリ連呼した桜木軍団が拳骨を食らわされている。はしばし笑いを堪えるのに必死だった。

「何やってんだお前らこんな大勢で……組み合わせがおかしいだろう」
「ああっ、ちゃんだ! うわああ久し振りー!」

赤木の後ろからぴょこんと顔を出したのは、例の可愛い妹の晴子だ。こちらも白地に朝顔の浴衣姿がとても似合っている。とは1度か2度会ったことがあるだけだが、それでもふたりは手を取り合って再会を喜んだ。

「っていうかなんで湘北ばっかりこんなキレイどころ」
「清田、それは人徳っていうんだ」

真面目腐って言う赤木の言葉に場の3年勢は腹を抱えて笑った。確かに公延に赤木では人徳と言われてしまっても反論出来ない。赤木がこの奇天烈な集まりについて牧から説明を受けていると、清田のようにぴょんぴょん跳ねながらと晴子が戻ってきた。

「お兄ちゃん、私桜木君たちとちょっと遊んでくる!」
「ハア!? バカ言え! ダメだそんなの!」
「なんでよう! さっきお兄ちゃんが外した射的、洋平くん取ってくれるって言うんだもん」

赤木兄の外した射的の景品を撃ち落す自信があるらしく、洋平はにんまりと笑った。これでまた赤木は牧や藤真に笑われる羽目になった。厳格でそつのない湘北の大黒柱は腕が長いのに射的が下手らしい。「フリースローも苦手だったしな」と公延にも突っ込まれた。

「いいじゃないか赤木、桜木がいりゃ大丈夫だろ」
「バカ言え牧、だから心配なんだろうが」
「妹離れしてやれよ。ああそうだ、商工会エリアに魚住が店出してるぞ。行ってみないか」
「えっボス猿が店!?」

再度拳骨を食らった清田は、に泣きつこうとして赤木からも拳骨を食らった。

「藤真たちはどうする。さっき見た時は植草と越野がいたような気がしたが……
「う、魚住が、店、行く、はぐれてるやつも呼ぶ」

藤真は笑いを必死で堪えて整った顔が歪んでいる。牧によれば魚住は実家の出店を手伝っているらしく、あら汁だの酒だのを出しているそうだ。同じチームの仲間ならまだしも、この夏にインターハイをかけて争ったチームが団体で押し寄せてくるとは思うまい。それを見て魚住がどんな顔をするのか見てみたい。

「どうだ、木暮たちも行くか?」
「あ、いやオレたちは遠慮しとくよ、ありがとう」
「そりゃそうだな。今日はウチのバカがすまんかった」

牧の誘いを公延が断っている横で、はもう一度藤真に念を押していた。

「藤真先輩、あなたが見たものは未来永劫誰にも口外しないで下さいね」
ちゃんだっけ、なんでそんなに嫌がるのさ」
「黒歴史だからです」
「そんなことないのに。ふふん、まあいいや、今年も楽しみにしてるよ文、化、祭」

にっこりと可愛らしい笑顔を作った藤真だったが、口外する気満々であり、なおかつ今年の文化祭での再会を期待していると言った口調で言いながら、ひらひらと手を振った。は顔面のド真ん中をグーで殴ってやりたい衝動を堪えていた。ちょっとイケメンだと思って偉そうに!

射的だけで戻ることを約束させられた晴子と桜木軍団が離れ、辺りに散らばっていたらしい翔陽の生徒が集まったところで魚住を見に行こうツアーも移動を開始した。塊がほぐれるようにして人がいなくなっていくと、と公延はほぼ同時に大きくはぁーっと息を吐いた。

「公ちゃん、いつもあんなに騒がしい中にいたの?」
「ここまで集まりはしないけど、まあ似たようなもんかなあ。特に湘北はにぎやかだからさ」
「公ちゃんがちっちゃく見えたよ。私と晴子ちゃんなんか子供みたい」
「ははは、あいつらは特殊なんだよ」

は、にこにこと話している公延の横顔を見上げてはささやかな胸の痛みと共に幸福感で満たされていた。公ちゃんは高校生活を目一杯楽しんで来たんだね、公ちゃんを悪く言う人誰もいなかったね、ヤンキーの子たちにも慕われてたね、やっぱり公ちゃんは素敵な人なんだね。

改めて手を繋いだふたりは、花火会場を目指して歩き出した。