こぼれおちて

02

喧嘩をしたわけでもないのにぎくしゃくしていたと公延だったが、公延がある日突然上機嫌になった。もちろん真面目に受験生してはいるが、以前のようにに対しても屈託なく接している。この日も木暮家へ顔を出したにリビングでくっつかれていた。どちらの母親も不在である。

「この間から公ちゃんなんか機嫌いいね」
「ああ、まあね。三井が推薦決まったんだよ」
「え、そうなの」

は三井の名にぎくりと首を竦めたが、前を向いている公延は気付かない。

「自分の受験が済んでないのにアレだけどさ、なんかホッとして」
「リョータくんもホッとしてるんじゃないの」
「あいつはホッとしてる暇なんてないよ」

も、彩子共々桜木と流川をしばき倒している宮城を想像して笑った。

「ね、公ちゃん、その、受験はわかってるんだけどさ」
「クリスマスか?」
……なんでわかるの〜」

ソファに座る公延を後ろから羽交い絞めにしていたは、即座に言い当てられてがくりと項垂れた。

「今の時期と言ったら、それしかないじゃないか」
「お母さんたちに聞いてる?」
「いや、何も聞いてないけど……なにかあったの?」

首を捻っての方を見る。はにんまりと笑うと、誰も聞いていなのに小声になった。

「うちの親たち4人、クリスマス、いないんだって!」
「あれ、そうなの? 珍しい」
「なんかね、誰だかの同期がコンサートをするとかで」
「ああ、聞いたような気がする。クリスマスだったのか」

も公延も適当に聞いていたのだが、要はの母親の大学時代の同期の夫が交響楽団に所属しており、東京で行われるクリスマスコンサートのチケットが取れたということらしい。夫婦と木暮夫婦は子供が生まれる前から仲が良いので、揃って出かけるのだとか。

「クリスマス時期のホテルなんてよく取れたな」
「それがホテルじゃなくて、そのナントカさんの家に泊まるんだって」

も受験予定のその女子大は古くから偏差値も高いが、生徒の世帯年収も高い傾向にある。

「だからさ、ふたりでクリスマスパーティ、しようよ」
「ふたりでパーティってのもなんか変じゃないか?」
「じゃあクリスマスディナーでいいよ」

名目などなんでもいいのだ。とにかくふたりっきりでクリスマスを過ごせればそれでいい。

……クリスマスか、いいよ。午後ナカくらいまで予備校あるけど、それはいいだろ」
「ホント!? わーい、私、ごちそう作るからね!」

首にかじりついて喜ぶの頭を公延は撫でてやった。

クリスマスに親が4人とも不在、公延は心が疑心暗鬼になっていくのを感じていた。少なくともの父親はあの「男の約束」をよくわかっているはずだ。そして、そんなイベントと来ればがテンション上げるのもわかっている。それなのにふたりを残して一晩不在とは。

はともかく、公延を試しているのか、これまでの実績により信頼されているのか、もしくは、もうあの「約束」にこだわっていないのか――一体どれだ。もうの父親とはずいぶんまともに顔をあわせていない。あの「約束」以降、それについて話したこともない。

一体何を考えているんだ、小父さんは――

中間の件があったせいで、公延は受験と平行して期末も頑張った。結果、過去最高順位をマーク、中間のことはこれでチャラになった。一方では冬の選抜がないせいか、まったくやる気のない桜木と流川はまたに面倒を見てもらい、それぞれ無事に赤点を回避。

他校生ながら、は湘北バスケット部の特別顧問的な立ち位置になってきた。

「これでが湘北ならさっさとマネージャーに誘うところなんだけどね」
「誘われたら私も断らない気がする」
ちゃん今から転校してくればいいのに」

に彩子に晴子である。期末が終わり、冬休みに入る直前の日曜、3人は部員に配るクリスマスプレゼントを買いに街へやって来た。プレゼントと言っても、ひとり当たり500円程度のささやかなものだ。しかも、実は予算は監督のポケットマネーから出ている。

贈る相手が高校生男子ということで、女の子のように選ぶ楽しみはないが、その分買出しに出かけるのが女の子だけになるので、それはそれで楽しい。本来なら何の関係もないを誘ったのもそのためだ。またはバスケット部の事情をよくわかっているので、都合もいい。

ちゃんはクリスマス、どうするの?」
「やあね、木暮先輩とに決まってるじゃない」
「えっ、そうなの!?」

今度ばかりは残念ながらと言わずに済む。本当に今年はクリスマスを一緒に過ごすという、カップルらしいことが出来る。彩子はホッとしているし、晴子は頬がピンク色になっている。

「別にどっちかの家でご飯食べるだけだけどさ、去年まではそれもなかったから」
「よかったねえ、

右に彩子、左に晴子では両手に花状態である。はなんだか急に嬉しくなってきて、ふたりの腕を取った。街はクリスマス一色、何もなくても浮き足立つ季節だ。

「そういうふたりはどうなの」
「あれ、聞いてない? バスケ部で集まるんだよ」
「といっても、昼間少しだけだけどね」

今日探しに来たのは、その日に配るプレゼントだということだった。

「だから、全員同じものでいいのよ」
「何にしようね」
「でもお揃いじゃまずいんじゃない?」
「そうなのよ」

そうなると靴下とかタオルくらいしか予算内では収まらない。とはいえ、それに女の子3人が不満を感じるわけではないので、いずれにせよその辺で片付くだろう。それよりは、個人的なプレゼントが気になる。

は何をあげるの?」
「それが、迷ってて……身に着けるものもあんまりこだわらないしなあ」

さも困ったように言うがそれはのせいである。何の疑問も抱かず5年に渡りダサいTシャツを着てきた公延にも問題はあるかもしれないが、今はすんなり普通のファッションに戻れている。

「クリスマスくらいならこの冬に使えるものとかいいわよね、重くないっていうか」
「えっ、プレゼントに重いとか軽いとかあるの?」
「晴子ちゃんはもーかわいいわねほんとにー」

プレゼントも考えなければいけないのだが、はふたりで過ごす夜のメニューやらそのときに着る服やら、考えなければいけないことが山のようにある。頭がパンクしそうだが、嬉しい悲鳴だ。

部員の分のプレゼントを調達し終えると、公延のプレゼントを迷いまくったが、電車で数駅先まで足を延ばしてみるというので、彩子と晴子は途中で別れることになった。その帰り道のことである。

「あれ、ねえ彩子さん、あそこにいるのって」
「あれは……木暮先輩、よね?」

ふたりは思わず身を寄せた。ふたりが通りかかったのは、ジュエリーショップの前。公延はそのカウンターで難しい顔をしている。時期が時期なだけに店内には男性も多いが、やはり居心地が悪いのだろうか。

「きゃー、ちゃんへのプレゼントかな?」
「にしてはなんか難しい顔してない?」
「でもなんか不思議、私服だと木暮さんてかっこいいんですねえ」

晴子の無垢な表情に思わず彩子は吹き出す。の妨害工作だとは知る由もないが、公延が妙なTシャツばかり着ていたのをよく見ていた彩子にとっては、引退した途端にまともな服を来ているという状況が可笑しくて堪らない。

「まあ、一般的に言えば背も高いしスタイルもいいからね。私たちは感覚が麻痺するわよね」
ちゃんが隣にいたら、うん、お似合いだなあ」

晴子はにこにこしているが、店内の公延は店員と話しながらまだ難しい顔をしている。カウンターの上のトレイを指してあれこれと揉めているようにも見える。店員がトレイを下げてどこかへ行ってしまうと、公延はくるりと振り返って持て余すように前髪をかきあげている。

「やば、見えちゃう」
「ひゃああ、彩子さん逃げよ」

ふたりは元来た道を引き返し、とりあえず公延から見えないところまで逃げた。

「いやあ〜なんか意外なところ見ちゃったわねえ」
「でもちゃんよかったですねえ、今年のクリスマスはアクセサリーだ」
「5年も構ってもらえなかったらしいから……ほんとによかったわ」

感慨深そうな彩子の横顔を、晴子はじっと見上げていた。5年て、何のことだろう。聞いてみたい気もしたのだが、彩子が切なそうに眉を下げていたので、声をかけられなかった。よくわからないけれど、が素敵なクリスマスを過ごせますように、晴子は少しだけ祈った。

そうして12月24日、クリスマスイヴである。

その日、朝から着飾って出かけて行った両親を見送ると、はキッチンで格闘し始めた。初めてふたりで過ごすクリスマスだが、このところアルバイトも適当に入れていたは予算も乏しく、あまり豪華な支度は出来そうになかった。それでも出来るだけクリスマスっぽいものを用意したいは奮闘している。

料理は少し腕に覚えのあるだったが、バイトで作るクレープはともかく、実はお菓子作りの経験が少なく、ケーキだけはお気に入りのパティスリーで予約してある。これだけは母親が買ってくれた。の両親にとっては、娘と離れて過ごす始めてのクリスマスだった。

ケーキの引渡しは15時以降だが、はまだ午前中の今から焦っている。夕食の準備を全て済ませて木暮家へ運ぶ。この日のために厳選したコーディネイトに着替え、13時半には家を出て15時にケーキを取りに行く。16時に予備校が終わる公延が帰宅するのが17時前後。それまでに全て終わらせたい。

目が回るほど忙しかったが、楽しかった。ささやかだけれど本当にふたりきりで過ごせると思うと、幸せだった。

はなんとか時間通りに料理を終わらせ、なんとか昼食も詰め込み、13時半には家を出た。これは余裕を持っての行動なので、少し時間が余ればお茶を飲んでもいいなどと考えながら駅に向かった。

確かに15時には余裕をもって間に合った。その前にはカフェで休憩も出来た。だが、はパティスリーでトラブルに見舞われた。ケーキが間に合っていないという。は予約をしているのだが、厨房は蜂の巣を突付いたような騒ぎになっていて、なぜそんなことになっているのかもよくわからない有様だった。

ただし、ケーキは順次出来上がっているようで、引渡しの客が待ちぼうけをくってはいるが、ケーキがないということではないようだった。予約をしたのにと最初は腹が立っただったが、涙目の店員を見ていたら怒る気が失せてしまった。

まあいいか、料理はあらかた出来てるんだし、ちょっと遅くなっても。

は携帯の時計表示を眺めつつ、今日の予定を振り返る。全て準備出来ている。もしかしたら公延が先に帰宅してしまうかもしれないが、それも特に問題ではない。こういう時、幼馴染というのは都合がいい。

は結局、16時過ぎにケーキを引き取って店を出た。外は薄暗くなっていて、風が冷たかった。今頃公延も予備校が引けている頃だが、このパティスリーの方が遠いのできっとの方が遅くなるだろう。もう少ししたらメールを入れてみようと思っていた。

そのときである。の視界に突然公延が現れた。かなり距離はあるが、見間違いではない。受験に向けて新調したコートといい、斜めにかけたバッグといい、公延のものに間違いはなかった。だが、はぎくりと足を止めて歩く速度を落とした。

ここ、予備校の近くでもなんでもないよね? なんでこんなところにいるの公ちゃん。

が、その直後には「私のプレゼントを買いに来た」と思い付き、きゅんと弾む胸を押さえつつ、こっそり近寄って驚かせてやろうと考えた。このあとふたりきりで過ごすけれど、クリスマスの街を手を繋いで歩くというのもやってみたい。ケーキがあるから長居は出来ないけれど、ちょっとだけならカフェなんかも寄ってみたい。

にやついてしまいそうになるのを堪えながら、は公延の視界に入らないようにこっそりと近付いていった。

すると、その公延の腕を誰かが引いた。はまたぎくりと足を止める。

アヤちゃん……

公延の腕を取ったのは、白いニットにニーハイブーツの彩子だった。動揺を抑えられないの目の前で、公延は彩子と笑いながら話している。すると今度は晴子が出てきた。ふわふわしたピンクベージュのワンピースを着た晴子が、公延のもう一方の腕を取る。

両手に花状態の公延は苦笑いをしている。彩子と晴子が公延の腕をぐいぐいと引いていると、桜木と宮城が近くの店の入り口から出てきた。バスケット部のクリスマスパーティをやっているのだとすぐにわかったけれど、は公延の笑顔を見ているうちに、途轍もない苛立ちに襲われた。

またバスケ部? 公ちゃんまたそっちを優先するつもりなの? 初めてのクリスマスなのに?

苦笑いの公延はやがて照れ笑いに変わり、彩子と晴子に腕を引かれ、桜木と宮城に招かれるまま店内に入っていった。予備校が終わったらとふたりきりでクリスマスパーティをするという約束があるはずの公延は、引退した部活の仲間の輪の中に入っていってしまった。

は、ケーキの箱を手に雑踏の中で立ち尽くしていた。