ふたりのよる

4

幼馴染と言ってもそこは女の子と男の子なので、一緒に遊ぶにしても内容は限られる。また清田の方が子供の頃から飛び抜けて運動能力の高い子だったので、7歳から8歳くらいの時には外で一緒に遊べる状態ではなくなっていた。なので、ふたりで遊んでいなさいとなるとどうしてもゲームになる。

清田家は携帯ゲーム機に使用制限があり、は携帯ゲーム機を持っていなかったので、家ではテレビゲームで遊ぶことになっていた。だいたいいつもレーシングゲーム。途中まではどちらも腕前は拮抗していたのだが、清田がバスケットを始めてゲームをする時間が短くなると、の方が上手くなってきた。

それから約10年、部活ばかりでゲームなどたまにしかやらない清田はコテンパンに負けた。

「オレも久し振りだけどお前何その上手さ」
「うちは家族でもやるしね〜」

床の上にひっくり返ってがっくりしている清田の横で、完全勝利のは満面の笑みだ。ゲーム自体が久し振りだから慣らし運転しないとな、と清田は何度も勝負を挑んだのだが、どうしても勝てない。1時間ほどして清田は諦めの境地に足を踏み入れた。

「お腹落ち着いた?」
「落ち着いたっていうかむしろ減ってきたような気がする」
「それは気のせいだから忘れろ」
「そーする。寝るか〜」

時刻は0時をとっくに過ぎていて、心なしか昼間より静かな気がする。がゲーム機を片付けておいてくれるというので清田は歯を磨きに行く。磨き終わると無意識に大きなあくびが出てきた。よしよし、眠くなってきたんじゃないかこれ。このまま和室に入ってまったりしてれば気付いた時には朝だ。

子供の頃を思い出すゲームで〆るというのはいいアイデアだった。もうあの妙なドキドキはない。

「終わったー? リビングの電気消していい?」
「終わった。いいよ、携帯も持ったし」
「一応キッチンは豆電残しておくから、喉乾いたら勝手に飲んでね」
「うい」

パチパチと明かりを落としたがリビングから出てくる。薄暗い廊下にの白い肌がぼうっと浮かび上がるが、それに惑わされたくなかった清田はさっさと階段を上がる。

「明日一応私は8時頃まで寝てるつもりだから、お腹減ってもその時間まで我慢しててよ」
「オレ放っとけばずっと寝てるけど」
「いやそれは自分でちゃんと起きろ」

和室の引き戸に手をかけた清田はザーッと体の中から這い上がってくるものをぐっと押し返し、ちらりとの方に目をやるとわざとぶっきらぼうな声を上げた。

「んじゃおやすみ〜」
「おっつーおやすみ〜」

自分の部屋のドアに手をかけたの背中のラインがしなやかで、清田の背中にぞくりと電気が走る。しかし体はほとんど和室に入り込んでいて、頑張って後ろ手に引き戸を閉めた。数歩歩いて布団の上にばったりと倒れ込む。気持ちが疲れた。

思考の方はともかく、清田の体はに触りたいと思っていた。おやすみと言いながら、ぎゅっと抱き締めるとかキスをするとか、そういうことをしてみたがっていた。てろん、とした生地のパーカーを着たはいつもより柔らかそうに見えて、その体のラインを自分の手で確かめてみたかった。

てか何、それはオレ、のこと好きなん?

清田は自問する。そりゃあ好きか嫌いかで言えば好きに決っている。いい所も悪い所もよく知っているし、気楽だし、友達というよりは家族に近い。だから切なさで胸が締め付けられる「恋の好き」とは少々違うのは事実だ。しかし、もし今が真剣な顔で「好きだから彼女にして」と言ってきたら、その場で頷く自信があった。

だって今日の、なんか可愛かったんだよな……

喧嘩になったり泣かせたりもしたけれど、こうして1日を終えてみると楽しく過ごせた気がする。もう少しドキドキするようなことがあってもよかったのにな、と思うくらいにはのことを以前より好きになっていた。それでも一方的に恋焦がれるというところまではどう考えても到達していない。

の方がオレを大好きだっていうなら、それでもいいんだけど――そんなところだ。清田は気持ちの落とし所が見つかったので、満足して寝返りを打った。少々気持ちが高ぶっていたけれど仮にも人様のお宅なのだし、じっとして眠気が訪れるのを待つ。こんな時はイメトレ。IHや冬の選抜で優勝した時のイメージで思考を満たす。

しかし最終的に優勝して歓喜の渦の中にいる清田に涙目のが抱きついてくるというシチュエーションを想像してしまい、半分寝かかっていた清田は悶々とした気持ちも抱え込んだまま眠りに落ちていった。

そして深夜1時半頃、事件は起こる。

頭の上で金ダライを打ち鳴らされたのかと思うほどの衝撃に清田は目を覚ました。ビクリと勢いよく体が跳ね、手足には痺れがあるような気がする。突然深い眠りから引き戻されたので思考がうまく働かない。大きな音が聞こえているが、何の音なのか思い出せない。何だこの音、何が起こったんだ一体。

だるい体を横たえたまま混乱していた清田はしかし、の悲鳴を耳にして覚醒した。

「おいどうした……って嘘だろ!?」

部屋を飛び出し、ノックもせずにの部屋のドアを開けた清田はその場でのようにひっくり返った声を上げた。の部屋は玄関の方向、表の通りに面していて出窓がある。はその出窓の前に立ってカーテンを引いて呆然としている。

窓の向こうには、夜の闇を明るく照らす火柱が上がっていた。火事だ。

「えっ、ここじゃないよな!? 今のサイレンの音かよ」
「どどどどどうしよう信長ここにいていいのかな外に出た方がいいのかな」

隣に駆け寄った清田に気付くと、は震える手を伸ばして服を掴んできた。清田は肩を抱いてやり、出窓の外の大騒ぎを確認する。火が出ているのは家の斜め向かいにある大きな家の離れらしい。コンパクトな作りの2階屋の2階部分の窓から火が吹き出している。

住宅街とはいえ道路を挟んでいるし、既に消防が消火活動を開始しているので延焼の心配はまずないと考えていいだろう。だが、火は来なくても煙は来る。ゆったりとした風が白煙を運んでくるので、はガタガタ震え出した。無理もない。初めて親のいない夜を明かそうというのに、よりにもよって火事だ。

「な、何持てばいい? 貴重品て何? どこいけばいいの?」
落ち着け、煙は来てるけど火は来ないよ。もう消火してるだろ」
「だけど、でもこれここでぼーっとしてていいの」

清田がまだ冷静なのはここが自宅ではないからだ。万が一延焼してしまっても彼の生活が脅かされることは一切ない。しかしはそうはいかない。しかも夜中に目が覚めてカーテン開けたら火が見えた、なんていう経験は初めてだろう。怖がるのは無理もない。

よく見るとはパーカーを脱いでロングTシャツになっており、それに気付いた清田は学習机の椅子にかかっていたパーカーを取って着せかけてやる。確かにこのままここで煙を眺めていてもが怖がるばかりだ。

清田はの手を引いて外へ出た。途端に煙の匂いと燃え盛る炎の熱気が吹き付けてくる。

「あっ、ちゃん」
「こ、こんばんわ、どうしたんですかこれ」
「それがどうも失火じゃないみたいなのよ。人がいなかったらしくて……放火かもって話で」
「ほ、放火ですか……?」

近所に住む人だろうか、ふたりを見て駆け寄ってきた女性が余計なことを言ったせいではまた震え出す。

「というかお父さんとお母さんこの騒ぎの中でも寝てるの」
「あの、今日いないんです」
「あらそうなの、びっくりしたでしょ怖かったよね。……彼氏?」
「ええと、いえ、幼馴染で一緒に留守番を。親たちが一緒にお葬式に」
「あーそうだったのお、大変だったわね。でも大丈夫よ、お隣のお宅も燃え移ってないから」

お喋りな上にずけずけとまた余計なことを……。清田は外に出たことを後悔しつつ、しかしこのお喋りなご近所さんのおかげでは少し落ち着きを取り戻してきた。消火活動は順調のようだし、火元の離れは無人だったとのことで、被害は建物だけだ。

また顔見知りを見つけたらしいご近所さんが離れていったので、はよろよろと清田の元まで戻ってきた。もう震えてはいないが、顔色が悪い。血の気が引いている。すぐそばまで来たの指先が触れたので清田はしっかりと手を繋いでやる。抱き寄せてやりたいところだがご近所の目もある。

「放火犯て、野次馬の中にいるっていうよね」
「まだ放火と決まったわけじゃないだろ。消火だって終わってないんだし」
「だけどもし放火だったらどうしよう」
「だとしても人がいっぱいいるこの状況でお前んちに放火しないだろ」

近所の目を気にする余裕があったのは清田だけだったらしく、は繋いだ手を頼りにぺたりとくっついてくる。収まったように見えた震えもまだ少し残っていたようだ。清田はじりじりと後ずさりして家の玄関先まで戻ると繋いでいた手を解いてを抱き寄せた。こんなに近くにいるのに煙臭くて匂いがわからない。

「ほら、火ィ吹いてんの2階だけだろ。すぐに消え――

清田がそう言いかけた瞬間、隣の家に面した窓ガラスが吹き飛び、新鮮な空気に触れた火炎が大きく暗闇に吹き出した。消防士の怒号や野次馬のざわめきの中にの悲鳴が吸い込まれていく。さすがの清田も目の前で爆発を見てしまって声が出ない。

爆発してしまった窓の下には枯れ木があり、1メートルくらいしか離れていない場所に隣の家がある。現場は緊張感が増し、気楽に眺めていた野次馬も一気にピンと張り詰める。いつしかと清田はガッチリと抱き合ったまま消火活動を見つめていた。

それからどれだけ経っただろう。野次馬が一番心配していた延焼は起こらず、途中で吹き飛んだ窓からの火は他のものを焼き始める前に消し止められた。その頃になると黒く焦げた外壁に消火の水が濁濁と伝う様子が見えるようになり、少なくとも外にまでボウボウと火が噴き出すような状態ではなくなった。

外に吹き出していた火がなくなってしまうと、一気に周囲の温度が下がる。それを合図にしたかのように野次馬が減り始め、火事を出した家の母屋の住民、延焼の危機に瀕していた隣の家の住民などを残してみんないなくなってしまった。何しろ夜中である。高齢者から順に自宅へと戻っていく。

……な、もう大丈夫だろ」
「う、うん……
「まだ怖いか」
「うん……ちょっとだけだけど」

それでももう震えてはいないし、清田はまたの手を引いて家の中に戻った。しっかり施錠をして、そのままキッチンへと向かう。キッチンの明かりだけ付け、電気ケトルのスイッチを入れる。

「確かさっきココアあったよな」
「ココア?」
「温かくて甘いの飲めばまた眠くなるよ。まあしばらくはうるさいだろうけど」

は清田に追い立てられてマグカップとココアを取り出した。

「信長は飲まないの」
「まあ、オレは驚いたけど怖いとかいうわけじゃなかったし」

が温かいココアを飲んでいる間、清田はキッチンに寄りかかってぼそぼそと雑談を続けていた。は甘いココアに緊張を取ってもらいながらぼんやりと考える。もう火事は心配ないんだし、ココア飲まないんだったら先に部屋に戻ってもいいのに、一緒にいてくれるのか――

「てか火が出たの2階だけなのに放火っておかしいだろ」
「そうなのかな」
「ベランダもなくて上下に一部屋ずつ窓しかない状態で、どうやって2階の中から火出させるんだよ」
「うーん、塀とか木とかによじ登って、とか」
「窓が開いてりゃ不可能じゃないだろうけど、漏電とかスパークと考える方が普通じゃね?」
「そっか」

お喋りなご近所さんが根も葉もない噂でビビらせたを、清田は理詰めで宥める。

「2階の窓、マジで窓しかなくて柵もなくて、放火ってやっぱ無理がある気がする」
「時限発火装置とか」
「それもう無差別な放火じゃなくて計画的な犯行だろ」
「そっか」

あれこれとが吐き出す不安の種を清田がひとつひとつ潰したところで、ココアがなくなった。

「てか歯磨いたのにこんな甘いの飲んじゃった」
「気にしすぎじゃね」
「えー。虫歯になるよ」
「じゃあまた磨いてくりゃいいじゃねーか」

マグに水を入れてシンクに置き、頷いたはバスルームに向かう。ちらりと洗面台の鏡を見ると、清田はまだ部屋に戻ろうとせずにバスルームのドアに寄りかかって頭をボリボリと掻いている。

「明日朝練なくて助かったぜ。これで5時起きだったら死ねる」

だから先に戻ってもいいのに、何で待っててくれるんだろう。歯を磨きながらはまたぼんやりと考える。

「終わったか? うし、寝るか〜」

ぼんやりした顔のを見下ろしていた清田は頷くとのそのそと歩き出した。階段を登り、が着いてきていることを確認すると先に部屋に入るよう促す。はすっかり落ち着いたし、火事は問題ないし、もういいだろう。何だかベタベタくっついてしまったが、緊急時だったのだし、清田の方もドキドキはしなかった。

「まだしばらくはうるさいだろうけど、もう平気だろ」
「うん……
「何だよまだ怖いか? 一緒に寝てやろうか」
「えっ、違」

ニヤニヤしつつ静かにおどけた清田の言葉には慌てて、両腕をバタバタと振り動かした。これでもう怖くないだろう。清田は名残惜しい気持ちを手のひらにだけ集めてそっと頭を撫で、また無愛想に「おやすみ」と言ってさっさと部屋に戻った。怖くはないけど、一緒にいたいと思ったのはオレの方だ――

の部屋のドアが閉まる音が微かに聞こえたところで布団に倒れ込む。悶々とした気持ちは深い眠りの中に埋もれて、朝になったら消えていたはずだったのに。まったく目の前の家が火事とか一生に何度も経験するようなことじゃねえだろ、何でわざわざ今夜なんだよ。

名残惜しい気持ちは一転、不貞腐れる気持ちがムクムクと膨れ上がってきて清田は勢いよく寝返りを打った。反対側にばたりと腕を投げ出すと、その余韻で体がグラグラと揺れた。そんなに眠いのだろうかと静かに目を閉じた清田だったが、直後にまた勢いよく跳ね起きた。余韻じゃない、地震だ!

先ほどと同じように部屋を飛び出すと、ちょうども部屋を出てきたところだった。

振動は徐々に大きくなり、外で未だ消火活動中の人々からも大きな声が上がる。そんな中、清田はもう迷うことなくを引き寄せて抱き締め、彼女を庇うようにして体を丸めた。

ガタガタと揺れる家、家の外は大騒ぎだ。それを耳にしながら、清田は揺れが引いていくのと一緒に壁にもたれてずるずると床に崩れ落ちた。抱き締めていたも一緒にぺたりと座り込む。

しばしゆらゆらと長く揺れていたけれど、やがて静かになる。騒がしいのは家の外だけで、ふたりが座り込んでいる廊下はしんと静まり返っていた。それにしても外は大変な騒ぎようだ。しかもガラガラと何かが落下するような音が響き渡り、誰かの悲鳴が上がる。燃えた離れが崩れ落ちたのだろうか。

しかしそれもお留守番の高校生ふたりにはとりあえずどうすることも出来ない。無関係だ。

清田が腕を緩めると、思い出したようには体を引いて離れた。だが、清田はの両腕を掴んで引き止める。暗い廊下に足元の常夜灯がぼんやりと明かりを投げかけ、ふたりの頬を緩やかに照らす。

「お、大きかったね地し――
、一緒に寝よ」

を真正面に見ながら、清田はそう言ってまたを引き寄せた。

「な、何言ってんの、そんな、一緒にって」
「和室でもの部屋でもいいから」
「ちょっと待って、どうしたの急に」

口ではしどろもどろのだが、引き寄せられて目の前に清田の顔が迫っても抵抗はしなかった。

「急じゃねえよ、ずっと、今日はもうずっとこうしたいって思ってた。我慢、してただけ――

そして許可も得ずに唇を押し付けた。