ゆきのよる

牧編 2

管理室に戻ったふたりはすぐにエアコンを入れ、はバッグの中の持ち物を確かめ、牧はカラーボックスの中身をもう一度検めた。それらをデスクに並べていく。

「モバイルバッテリーはフル充電してあるので、6回くらい充電出来ます。アダプターもあります」
「ここは施設内に電柱がないから地中に埋めてあるんだろうし、停電は大丈夫そうだな」
「みんなと連絡取るのは問題なさそうですね」

の持ち物の中にはモバイルバッテリーに加え、痛み止めや傷薬なども入っていて、その点は心配ない模様。他にはのど飴と除菌ウェットティッシュなんかも出てきて、こんな緊急事態では使えるものが出てくるだけで少しホッとする。

「そっちはどうですか」
「けっこう色々あるぞ。まずこれだ」
「電気ケトル! なんでこんなもの」
「飯食ってたのかもしれないぞ。カップ麺出てきた」

縦に三段のカラーボックスは前面を布で覆い隠しているだけの状態で、中からは電気ケトルに加えて菓子類やカップ麺、割り箸など、この管理室に詰めていたスタッフが昼食時にでも用意したと思しき食品がゴロゴロ出てきた。他にも紙コップやマグカップなども出てきた。

管理室内には「洗面台」としか言いようがない白の化粧台がついた水道があるので、水はそれでなんとかなる。トイレも倉庫内にあるので水道管が凍らない限り使用可能。

「水道管てどこにあるんですか?」
「まあ、普通外だよな」
「外って、壁しかないような印象でしたけど……
「一応見に行ってみるか」

洗面台の水も同じことなので、牧はそのまま管理室を出て通路を行く。

「寒いんだから着いてこなくてもいいのに」
「えっ、嫌ですそんなの、ひとりで待ってるのとか怖くて無理です」
「別にゾンビは襲ってこないぞ」
「中々帰ってこないので心配して探しに出て、血まみれで死んでる牧さんを見つけるのはいやです」
「殺人鬼がいるならとっくにやられてるよ」

管理室は倉庫の入り口近くにあり、トイレはその反対側にあるので、建物の端まで行かなければならない。日没が迫っているのと、明り取りの窓に雪がへばりついているので通路は薄暗く、恐怖感を煽るシチュエーションではある。は牧の背後にぴたりとくっついて追いかけていく。

……あ、これが水道管じゃないのか?」
「えっ? あのパイプみたいなのですか?」
「なるほど、倉庫内に巡らせてあるのか。じゃあ大丈夫そうだな」

トイレまで行き着く前に、トイレのドアの上部に入っていくパイプ状の配管を見つけた牧は足を止めた。倉庫の入口の方向に長く伸びていて、通路を横切っている。おそらくそれがあの洗面台へと繋がっているんだろう。気温が低いことには変わりないが、ほぼ室内なので凍結する心配はなさそうだ。

「じゃ、トイレは問題ないな」
「わ、ちょ、待って牧さん、私トイレ行きたいです」
「そんなのいちいち断らなくても」
「こ、ここで待っててください」
「はあ?」
「こんな通路ひとりは無理です!」

寒いのか怖いのかはカタカタと震えている。トイレまでは5メートルくらいの距離なので、音の心配もない適度な場所でもある。牧は笑ってしまいたいのをこらえて頷いた。確かにこの薄暗さでは女の子は怖かろう。

「絶対ここにいてくださいね。先に帰らないでくださいね」
「わかったよ。ていうかまず1回流してから使えよ。もし出てこなかったら困るから」
「わかりました。隠れてて脅かすとかそういうのもいらないですからね」
「オレはそういうことはやらないだろ。清田じゃあるまいし」
「絶対ですよ、ここから動かないでくださいね」
「わかったからさっさと行ってこい」

追い立てる牧には何度も振り返り振り返り、小走りでトイレに飛び込んだ。明かりをつけると薄暗い通路にぼんやりと光が漏れる。すると水が流れる音が聞こえてきたので、牧もホッとして壁に寄りかかった。多少の食べ物があり水が使えてトイレも問題なければ充分やり過ごせるはずだ。

するとまた水を流す音が聞こえて、数秒の後にが飛び出てきた。数メートルの距離を猛ダッシュのはそのまま牧に体当たり、不意打ちを食らった牧は壁に激突した。

「ちょ、なんだよ!」
「トイレ、窓が、風でヒューガタガタみたいに揺れてめっちゃ怖かった」
「吹雪なんだからしょうがないだろ」
「灯りもなんかチラチラと明滅してて、もうなんかすっごいホラーで」
「わかったからしがみつくな。ほら、早く戻ろう」

が怖がるのでトイレの灯りは消さず、ふたりは通路を足早に管理室まで戻った。エアコンをつけっぱなしにしていったので、部屋の中はかなり温かい。

「少し弱めてもいいくらいだな。ていうか足が結構やられてたんだよな」
「そういえば私も……乾かした方がいいですよね」
「エアコンだけじゃ乾燥機のようにはいかないだろうけど、干しておくか」

倉庫までの移動にはそれほど時間がかからなかったので、ふたりとも靴と靴下、そしてボトムの足首あたりが濡れてしまった程度で済んでいる。狭い部屋なのでエアコンはよく効いているし、温風の当たる場所に干しておけば少しは乾くかもしれない。そのまま履いていてつま先を冷やすよりはいい。

靴下を干し終わると、ふたりは電気ケトルで湯を沸かして紙コップにお茶を淹れた。

「はあ〜温まりますね〜」
「あんまり飲みすぎるとトイレ行きたくなるけどな」
……控えます」

牧がカラーボックスから発掘した食料はとてもふたりが満腹になれるほどはなかったけれど、それでも多少の補給にはなる。それらをデスクの上に並べ、キャスター付きの椅子の上に足を上げて座っているふたりはやがて黙ってしまった。正直、話すことがない。

ないというか、にはいくらでも話すことがあるのだが、それらは空気を読んで口にしないだけであり、牧の方はがそういう気遣いで黙ってしまったことがわかるので、こちらも余計に黙る。

1号館へ帰還する目標時間は17時だったが、気付けば18時を回っていて、通路は真っ暗になっている。トイレの明かりをつけたままドアを開け放しているので、遠くに薄ぼんやりとオレンジ色のライトが明滅していて、余計にホラーだ。は紙コップをデスクに戻して膝を抱える。

「牧さん、お腹減りませんか?」
「減り始めてるけど、我慢できる間はいいかなと」
「飴くらいならいいかな……
「いや、そんなつもりじゃないぞ。腹減ったんなら遠慮せず食べた方がいい」
「私も減ってるってほどじゃないですよ。牧さん大丈夫かなって思っただけ」

は自分のバッグの中からのど飴を取り出して一つ口に含む。

……いつ頃風が止むと思いますか」
「予報では雪は日付が変わる頃まで降ってるって言ってたよな」
「天気予報、見てみましょうか」

だが、雪雲の推移は把握できても、風がいつ頃止まるかどうかまでは、どこにも書いていない。強風注意報すら出ていない。依然、この山を含む地域は0時頃に降雪が終わる予報のままだ。もしそれより早く風が止まっても、雪が積もりすぎていたら救助に来てもらうのも危険なのではないか。

すると牧が気象台へ問い合わせてみるという手段を思いついた。だが、返ってきた答えは「山間部なので確実なことは言えない」であった。無理もない。

「やっぱり雪自体は0時頃に止む見通しだし、麓の町ではそもそもそれほど風が強くないらしい」
「そうですか……
「軽く事情を話したらとにかく低体温に気をつけてくれと」
……あの、なんかちょっと寒くないですか?」
「えっ?」

椅子の上で膝を立てて座っているは、牧の話を聞きながらつま先を手のひらで包んでいた。

「エアコンついてるから、空気はもわーっと温かいんですけど、下から冷たい空気が」
「言われてみれば……暖房は下から温めないとなんだよな」

しかもこの管理室、床は通路と同じコンクリート敷きである。なので上からエアコンの温風が強く吹き付けていても、床上30センチあたりの冷たい空気はそのままだ。それでもエアコンが止まらない限りは低体温になることはないだろうけれど、のつま先は冷える一方だ。

牧は立ち上がってフィールドコートを脱ぐと、の膝にバサリと掛けた。

「え!? ちょ、牧さん」
「オレそんなに寒くないから」
「それこそ低体温になりますよ! もし朝まで出られなかったらどうするんですか」

もし予報通り0時に雪と風が止んだとして、すぐに部員たちが救援に来られる状態かどうかは現状非常に怪しい。となると安全を優先して朝を待ち、明日は晴れという予報を信じるしかない。最も気温が低下するのは明け方だが、日没直後の現在ですらこの寒さである。果たしてこのまま椅子に座っていられるものかどうか。日中は普通に体を動かしていたし、ふたりとも疲れているのには変わりない。

すると遠慮しいしい牧のコートにくるまっていたがひょいと顔を上げた。

「牧さん、ここ備品倉庫でしたよね」
「えっ?」
「バケツ、ないですかね? そしたら電気ケトルで足湯、出来るかもしれない!」
……なるほど」

この備品倉庫に置かれているものは、競技に使用する物に限らず、本館や1号館以下宿泊施設で使用するもの全てとなっている。だから寝具も置いてあるわけなので、もしかしたらバケツのひとつやふたつ、とは考えた。

「でも濡れた足を拭くタオルは……
「この際ティッシュでいいじゃないですか! ティッシュならたくさんストックしてありそう!」

悪くない思いつきだった。こんな非常事態なのだし、バケツにお湯を張ってティッシュを数箱使ってしまったところで、そのくらいなら後で弁償でもなんでも出来る。それよりは低体温を防いで風邪を引かないようにする方が大事だ。

ふたりはまだ冷たい靴に足を突っ込むと、薄暗くてホラー感たっぷりの通路に出た。管理室の裏に位置する部屋が宿泊棟の寝具や消耗品の置き場であることはわかっているが、その他の4つの部屋に何が置いてあるのかが把握できていない。この際なので全部改めておいた方がよさそうだ。

の照らす携帯のLEDライトの明かりを頼りに通路を行き、部屋をひとつひとつ確かめていく。管理室の並びの2部屋はどちらも競技用の器具やら練習道具やらでいっぱいになっていた。

……なんか、部屋を色々見て回る童話がありませんでしたっけ」
「ペローの『青ひげ』だろ。ジル・ド・レ公がモデルだとかいう」
「牧さん何言ってるかわかんない……文武両道ずるいです……
「逆だ。バスケするためには勉強しとかないと困るからやるだけだ」
「だからってやれば何でも出来るって人ばっかりじゃないですよ……

も成績不振というわけではないけれど、海南大附属は内部進学率が高く、またそのハードルも高くはないので、安心してギリギリを保っている。

「海南の主将なんて毎年そんなもんだろ。買いかぶりすぎだ」
「大丈夫です。来年の海南はたぶん主将が毎回ギリギリになると思います」
……、留年しないか?」
「監督と同じこと言わないでください」

神の次の主将は十中八九清田になると思われるが、彼の場合やる気が出れば出来ないことはないそうだが、その肝心のやる気は中学1年くらいのときにどこかに落として以来行方不明だという話だ。

童話の「青ひげ」よろしく部屋をひとつひとつ確認していったふたりは、管理室のちょうど対角に位置する部屋でどの棟で使うともしれない雑多な備品置き場を見つけた。の予想通り、入ってすぐのスチール製の棚にはティッシュペーパーとトイレットペーパーがいくつも押し込まれている。

他にも掃除用具だとか、文具だとか、とにかくスタッフが施設に補充して回るようなものが大量に用意されていた。バケツはどこだ!

「あったー! 牧さん牧さん、バケツありましたよ!」
「よし、これで手足は温められるな。他にも使えそうなものは……
「このロープ、エアコンの風が当たるところにかけられないですかね」
「そうだな。そうしたら濡れてる靴下も乾くかもしれない」

つま先が痛むほど冷えていたことを思い出したふたりは、バケツとティッシュペーパーとロープを抱えて管理室に飛んで帰り、電気ケトルでお湯を沸かしつつ、即席でロープの物干しを作った。靴下の中にたくさんティッシュを詰め込み、温風が直接当たるようにすれば乾くかもしれない。

そして、水を半分ほど張ったバケツに熱湯を注ぎ、温度を調節してからふたりはそれぞれつま先を突っ込んだ。感覚を失いそうなほど冷えていたつま先が湯でどんどん温度を取り戻していく。

「はあ〜生き返りますね〜」
「これはいいアイデアだったな〜足が温まるだけで全身も温かい」
「1号館に帰ったら最初に大浴場行くことにします」
「オレはまず飯だな」

体に温みが戻ったのでふたりは機嫌が良くなり、湯気の立つバケツに足を突っ込んだまま1号館に戻ったら何をしたいか、ということをしばらく喋っていた。するとその途中で、がまたひょいと顔を上げた。頭の上に電球でも浮かんできそうな顔だ。

「こんなのどうですか? ブルーシートまだありましたよね。それを床に敷いて、布団を何組も持ってきて、敷布団を何枚も重ねたらどうでしょう。それに、冷気が入ってくるのってドアと窓のところからだし、そこもブルーシートで塞いじゃったらもっと温かくならないですかね?」

悪くないアイデアだ。とにかくこの管理室は床がコンクリートなので、いくらエアコンで温めてもじわりと冷気が立ち上ってくる。キャスター付きの椅子の上で膝を立てたまま何時間も座っていてはエコノミークラス症候群の危険もある。

また、管理室はその性質上入口ドアの脇は腰高窓になっていて、備品を借り受けたい利用者が管理室に申請を出す際はそこから行う。ので、すりガラスの窓も冷気の侵入口になっているはずだ。それも塞いでしまえばより温かく過ごせるに違いない。

しかし、牧は笑顔のを目の前にして言葉に詰まった。

が作ろうとしているもの、それはどう考えても「ベッド」ではないだろうか。それに、この狭い管理室はそのベッドをふたつ作れるほど広くない。デスクと壁の間はシングルベッド程度の幅しかなく、並んで座ることは可能だが、もし横たわるなら寄り添わなければならない。

温まったはずの体が一瞬冷たくなる。そんなものを作って、は何をしたいんだろう。

雪山で遭難した男女が素肌を重ねて温め合う……なんていう手垢のついたシチュエーションを期待していたらどうしよう。確かに寒いが、裸になって抱き合わないと凍え死ぬほどの気温ではない。

牧の脳内にが入部してきてからのことが高速で通り過ぎていく。

が自分を慕っていることは自覚がある。それも先輩としてではなく、恋愛の意味で。

それをのらりくらりとかわし、軽くあしらってそろそろ2年である。

本来なら参加するはずのない3年生の強化合宿、高砂とふたり、暇だから遊びに行くかと何も考えずに着いてきた。神が主将のチームとしての結束を強め、3年がいなくても仲間であることを再認識するための合宿のはずだ。それなのに、置き去りにしていくはずのと閉じ込められてしまった。

は、神奈川最強の海南大附属男子バスケット部という牧の思い出の中に置いていくもののはずだった。4月からは神奈川にすらいない。全く新しいチームで新入りから始め直さなければならない。そこにはいない。海南大附属の仲間は誰もいない。

それをは知っているはずなのに、一体何を考えているんだろう。

自分にどんな傷を残すつもりでいるんだろう。

そんな、ある種の「怖さ」だった。

けれど、冷気は容赦なく忍び寄ってきている。どれだけエアコンを稼働させていても温かいのは部屋の中層くらいで、バケツで足湯をしていてもその周りの空気は乾いていて冷たい。早々に風も雪も止んでくれればいいけれど、市街地とは事情の異なる山間部、もし朝まで出られなかったら。

牧は心にぼんやりと暗い影を落とす不安を飲み込み、ゆっくりと頷いた。

「そうだな。もっと寒くなる前に、用意するか」

の照れたような、嬉しそうな口元が牧の心を抉った。