ゆきのよる

牧編 1

のんびり一晩雪をやり過ごせばいい、その間は安全のために行動を慎み、楽しく遊んでいれば大丈夫!

……そう考えていたたちだったが、思った以上に気温の低下が激しく、かつ、降ってくる雪の粒がどんどん大きくなっていく。これでは本館に行って食事をしてまた戻る――ということも困難かもしれない。そんな考えに行き当たったのは、現主将と元主将のふたり。

が大浴場の掃除から戻ると、ロビーの片隅でふたりが険しい顔をして窓の外を見ていた。空が低く感じるほどの曇天だが、日没まではまだ時間があるので外は雪の白に反射して明るい。

「あ、。ちょっと」
「どうしたの? 牧さんまで」

神に手招きされたはめくりあげていた袖をおろしながら足早に近付いた。

「もうこんなに積もってるんだよ」
「えっ!? こんな短い間に……早いですね」
「今の段階ならともかく、18時頃に本館の往復なんか出来ると思うか?」
「もしこれで風が強くなったりしたら、危ないと思います。雪慣れしてないし」
「やっぱりそう思うよな……

部内には数名豪雪地域からの進学がいるが、全員が彼らのようならともかく、そのほとんどが湘南に生まれ育った海っ子。監督ですら海育ちである。なので大雪、しかもそれが日没後となると、迂闊に全員を外に出して万が一のことがないとは言い切れない。

「それに、寒くないか?」
「そりゃ雪が降ってるんですから……
「いや、そうじゃなくて、空調が吹雪に負けてる気がする」
「そう……ですかね?」

きょとんとした顔の後輩ふたりだったが、牧は窓の外を見つめたまま険しい表情だ。

「まだ日没前なのにこの低気温、風も強いから余計に冷えてるし、オレたちもこんな吹雪を想定した準備をしてきてないだろ。一晩中起きててもいいけど、あの薄っぺらい掛け布団じゃ寒くて眠れないんじゃ、と思ってな」

それを聞いたはついぶるりと背筋を震わせた。確かにこのロビーは寒い。天井が高く、二階へ上がる幅広の階段があるせいか、常に冷たい空気がどこからか流れ込んできている感じがする。掃除をしてきた大浴場は温かかったが、一晩中風呂に浸かっているわけにもいかない。

「言われてみればそうですね。ベッドカバーの中に薄い布団と軽い毛布が挟んであるくらいで」
「去年はそれでも充分でしたよね? 寒かった記憶がない」
「だから空調が負けてるんじゃないかと……。もっと温かかった気がする」

牧は例外的に3度目、神とは2度目の冬季強化合宿である。昨年までは布団が薄っぺらくてガタガタ震えながら眠った……なんていう記憶がない。館内の空調と各個室の暖房だけで充分だった。

「増強した方がいいかもしれませんね。確か本館の裏に倉庫が」
「みんなでそれやってたらますます本館に行くのが遅くならない?」
……よし、じゃあ二手に別れよう。飯もこっちで作れば早い」

ただでさえ雪慣れしていないのだし、少しでも積雪が少ないうちに、明るいうちに全て終える必要がある。牧は一計を案じ、本館と倉庫の二手に分かれようと言い出した。本館組は調理器具と食材の運搬、倉庫組は寝具の運搬。

「こんな緊急事態なので牧さんと高砂さんに分かれてもらって、それぞれお願いできますか」
「いいけど……片方はお前がやった方がいいんじゃないのか」
「オレはひとまず管理事務所に連絡を入れて、その後監督と救護室に行きます」

万が一のため神は監督と救護室へ、高砂は部員半分と本館へ、牧とは残りの部員と倉庫へ向かうことになった。それぞれこの吹雪の中を一晩安全に過ごすための物資を調達してくる。それも、出来るだけ早く。

「じゃ、何かあったら私、牧さん、高砂さん、神の誰かに連絡を入れること」
「了解。オレと監督は早いと思うから、戻ったらどっちかの応援に行きます」
「目標時間を決めよう。今15時半だから、全員17時までには戻れるように」

ざっくりふたつに分けられた部員たちは手持ちの服を出来るだけたくさん着込み、牧と高砂の号令で外に飛び出していった。その後ろから牧とが出ていく。神は監督と一緒に1号館のスタッフルームにある電話で管理事務所に電話をかけ、その後で体育館へ向かって出発した。

……、お前は残ってもよかったのに」
「そういう特別扱いは良くないと思います」
「雪に足を取られてヨタヨタしながらそんなこと言ってもな」
「そりゃしょうがないですよ、牧さんたちみたいに足が長くないんですから」

雪に足を取られて……というよりは雪にズボズボ埋まりながら歩くの腕を支えながら、牧はこっそりため息をついた。対するは早々に雪まみれだが、それはもう上機嫌のニコニコ笑顔である。

なぜかといえば、は入部したときから牧が大好き。先輩としても、選手としても、仲間としても、そして男の子としても、憧れの人なのである。それを特に隠してもいない。マネージャーの特権で纏わりつくこと既に2年。もう一緒にいられないと思っていた先輩と合宿なので大喜びだ。

一方牧の方はそれを軽くあしらって2年である。かといってのことが鬱陶しいとか、どうしても好きになれないとかではなく、バスケット部の先輩後輩としては良い関係を築いてきていた。昨年度など、何度に助けられたかわからない。

尻尾を振っていることを隠しもしないで慕ってくるだが、一応それ以上のことはしないし、牧の方も軽くあしらう以上に拒絶はしない。そういう2年間が過ぎ、牧は3月には卒業していく。本来ならこの合宿も不在のはずだ。

そういう関係のまま、終わるはずだった。

「衛生管理の都合があるから、記録をつけてほしいって」
「ええと、あ、これだね。寝具のファイルに番号とか書けばいいのかな?」
「そうみたい。あとバッグをちゃんとセットにしておいて欲しいって」

管理事務所に連絡をとった神によると、寝具を利用するのは構わないが、それぞれ番号を振って管理しているので、それを守って欲しいと言われたそうだ。寝具は一組ずつバッグに詰められており、それには番号がついているので、何をどこにどれだけ持ち出したかの記録もつけておいてほしいという。

、ひとまずここに集めるから、それから記録しよう」
「わかりました。あと、どこから出したのかの写真も撮っておきますね」
「よし、じゃあ2年はついてきてくれ。1年はブルーシートを取ってきてくれ」

牧の計画は、部員数分の寝具をブルーシートでくるみ、ロープで引っ掛けて1号館まで引きずって帰る、というもの。これなら雪で滑る分、力もいらない。完全にくるんでしまえば濡れることもない。

倉庫内の管理室で神の指示通りに記録するためのファイルを用意していたは、斜めがけにしたバッグの中から携帯を取り出して牧の後を着いていった。

寝具を引っ張り出しては元あった場所を撮影し、1年生が持ってきて広げておいたブルーシートにバッグを積んでいく。全員分なので大きなブルーシートふたつ分になったが、今度はそれをしっかりくるんでロープで縛り、さらに引き手を付ける。

その作業の傍ら、は管理室でファイルに記録を取る。

「思ったより軽いから先に行ってもらったけど、まだかかるか?」
「すみません手書きなので、もう少し」
「全員分だしな……。暖房付けるか」

備品倉庫は本館の裏手に位置していて、雪が積もっていなければ歩いて3分とかからない距離だ。だが、この施設の敷地は元々の地形に沿って造成されており、本館が1番低い場所にある。そのため備品倉庫から本館の方向は緩やかな傾斜があり、そのおかげで部員たちの引っ張る布団入りブルーシートはスムーズに出ていった。

もっとも、つまり本館の方面に滑り降りてしまうと、1号館に戻るにはまた緩い傾斜を登らねばならないのだが、安全を考えると元々の通路に沿って移動する方がいい。恐らく本館班の方が重量があるものを運ばねばならないだろうし、出来るなら早めに布団を1号館に届けて応援に行きたい。

だが、そもそもほとんど利用がない季節に特別に施設を開けてもらっている手前、管理事務所からの「記録をつけておくこと」というお達しも蔑ろに出来ない。は慣れない書面にひとつずつ備品番号を記入していく。

「牧さん先に本館行っててもいいですよ」
「そうしたら雪に埋もれて遭難したお前を掘り返さなきゃいけないだろ」
「なんで遭難する前提なんですか。布団引きずった後を進めば楽ちんです」
「ぺたんこになった雪道で足を滑らせてそのまま本館に激突、雪崩に埋もれて遭難」
「んもー、正直に私が心配だからって言えばいいじゃないですか」
「掘り返すのが面倒なだけだ」
「牧さん、もう卒業も近いんですから、正直になりましょう」

管理室は縦長で、四畳半ほどの広さ。デスクとファイル類がぎっちり詰まった棚、そして雑多なものが詰めてあるカラーボックスがあるだけの部屋だが、夏場はここで申請をして備品などを借り受けなければならないため、スタッフが常駐している場所でもある。

そのためエアコンは完備。牧がスイッチをオンにすると、夏以来の稼働で埃っぽい温風が勢いよく吹き出している。備品倉庫自体は二重構造になっていて、備品が詰め込まれている部屋計5つと管理室はぐるりを通路で囲まれていて、外の様子は分かりづらい。

だが庫内の床はコンクリート敷きで土足だし、外壁も薄い。寒さだけはしんしんと忍び寄ってくる。

一生懸命ペンを走らせるだが、部員全員分なので時間がかかる。牧は隣の部屋からキャスター付きの椅子を引っ張ってきて腰掛け、雑貨が入っているカラーボックスを漁る。スタッフが夏に持ち込んでそのまま放置したと思しきお菓子やペットボトルなどがゴロゴロ転がっている。

すると、牧の携帯が軽やかな音を立てた。

「お、布団は無事に1号館に着いたらしい」
「うわ、早いですね。さすが、馬力あるなあ」
「本館班も姿が見えてるからもうすぐ、か。早く済みそうでよかったな」
「1号館にさえ戻っちゃえばなんとかなりますもんね。今日はみんなでカレー作りましょう」

全員で本館を往復するリスクを避けるため、本館斑は厨房からカセットコンロを全て持ち出した。食材と食器も配膳用のコンテナに詰め込んで運び、1号館で調理すれば安全なはずだ。もし今夜中に積雪が進んでしまっても、カセットコンロがあれば湯を沸かしたり簡単な調理をすることも出来るだろう。

「そういえば食器を洗う場所がありませんね。ラップを敷いて洗わずに済むようにしないと……
「災害時の対処法だな」
「軽く災害ですよ、こんな突然の雪」
「山の気候は変わりやすいと言うけど……迂闊だったな」

そんな風にふたりがぼそりぼそりと話しながら記録を付けること、一体どれくらいだっただろうか。やっとが最後の番号を書き入れ、じゃあ自分たちも早く戻ろう、と席を立ったときだった。

バン! と大きな音がして、ふたりは思わず身をすくめた。

「何の音ですか、今の」
「何だろう、外から聞こえた気がするけど」

何しろ外は軽く災害レベルの雪である。急に不安になったふたりは急いで管理室を出ようとしたのだが、それと同時に今度はの携帯が鳴った。神からの着信らしい。

「はい、どうし……え!?」
「どうした」
「え、嘘!? 牧さん、外、ひどい吹雪になってきたって」
「え!?」

急いで管理室を出たふたりは鉄製のドアに手をかけた。が、風圧が強すぎるのか、牧が全力で押してようやく数センチ開く程度。その隙間から雪の混じった強い風が吹き込んでくる。

「雪が、雪が吹き付けて積もって……てか何この風」
「ダメだ、開かない」

牧がそのまま明り取りの窓に飛びついて外を見ると、施設を取り囲むように見えるはずの森林の緑がまったく見えない。そしてほんの数センチ開いただけのドアの隙間から雪がどんどん吹き込んできて、積もり始めた。

「雪の量は変わらないのかもしれないけど、風が強くなったんだ。地吹雪になってる」
「じふ……?」
「地吹雪。積もった雪を風が舞い上げてる状態。これじゃ外に出られない」

神と通話していたことを忘れていたは、携帯を牧に手渡した。

「申し訳ありません、監督が足を怪我したので、それに追われて外の様子を見てなくて」
「お前たちのせいじゃないよ。監督はどうした」
「救護室からの帰りに足を滑らせて捻挫を。引きずって帰ってきました」
「そっちも大変だな。でもこれじゃここから動けない」
「こっちも窓の外がホワイトアウトです。無理しないでください。風が止まれば向かいます」

牧とを除く部員全員が1号館に帰還していることが不幸中の幸いだろうか。雪は日付が変わる頃に止むという予報だったが、風までは考えていなかった。

……遭難、したんですか私たち」
「遭難ていうほどじゃないだろ。風が止まればみんなで来てくれるそうだ」
「じゃあそれまでここにいるんですか」
「そう」
「でもブルーシートの後を追っていけば……
、ダメだ。ホワイトアウトの中を出歩くなんて自殺行為だぞ」

不安に駆られて早く1号館に戻りたくなってしまったは、牧に厳しく言われて肩を落とした。

「ご、ごめんなさい……
「別に謝るようなことじゃない。でもせめて風が止むまではここから動かない。いいな」
「はい、わかりました」

見れば倉庫の明り取りの窓の上には元々細い隙間があり、そこから雪が忍び込んできている。倉庫全体の空調はないようだが、この隙間で換気をしているのかもしれない。そのため、管理室のエアコンの室外機は倉庫内の通路にあり、雪で埋もれる心配はなさそうだ。

「管理室があってよかったな。あそこでじっとしてよう」

重い鉄のドアを閉めた牧は管理室に戻る。

その背中を追いかける、彼女の胸は静かに高鳴っていた。

風が、雪が止むまで牧さんとふたりっきり!