ゆきのよる

清田編 4

冷え切った体を温めるのになりふり構っている余裕はなかった。ふたりは給湯器が備え付けられている小さなシンクによじ登り、湯を溜めては流し、温度を高く保ちながら手足を一緒に温めた。同時に清田はが見つけた菓子類の半分を食べ、もゼリー飲料をひとつ飲み下した。

体温が戻ると水気をしっかりと拭き取り、締めに給湯器のお湯も飲む。またすぐに冷えてくるだろうが、ひとまず手足が冷たくて痛むという状態ではなくなったのでよしとする。

清田はの手を引くとベッドまで戻った。何も言わずに服を脱ぎ、中に着込んでいた発熱インナーと下着だけになる。それを見ていたも濡れてもいないのにやけに冷えている服を脱ぎ、そのままふたりはベッドの中に潜り込んだ。

まだ湯で温めた肌が暖かい。くっついていればいるほど体温も上昇する気がした。

……怖い?」
「えっ? ……ううん、怖く、ないよ」
「また1時間後には雪かきしなきゃいけないし、何もしないよ」

そう言いつつも、清田はの温まってピンク色の唇に何度もキスをしている。

「やっと、言ってくれたね」
……ちょっと、後悔してる」
「は?」

でももう遅いです撤回は受け付けません、という不服そうな顔の清田に、は苦笑い。

「言えなかったのには、理由があるんだよ」
「だからそれを話してって言ってたのに」
「でも私が信長のこと好きだって知ったら、もう聞いてくれないでしょ?」
「そっ、それは……

好きならもう何でもいいじゃん! という自分は容易に想像がつくので、清田も苦笑いになった。

「年上だってことが引っかかってたのは本当。年下なんか絶対無理とは思ってなかったけど、いざその可能性が目の前に現れたら本当にいいんだろうかって思えてきちゃって、怖くなったのは本当」

だが、普段チャランポランな割に言うほど清田は子供を感じさせないし、そもそもより遥かに背が高くて体も大きいし、清田本人に対して「年下」というイメージが少ないことに気付いた。部内の徹底した紅一点対策により無礼を働くこともなく、告白を嬉しく感じるようになった。

……だから、本当は今、信長のこと、すっごく好きなの」
……

清田は清田で告白してから既に数ヶ月、歯切れの悪いはどうにも可能性ゼロには見えないし、何を言ってもはぐらかされるばかりで、長期戦を覚悟するようになっていたけれど、その間に「すっごく好き」まで来ていたとは。感慨深くて胸が疼く。

「私、好きなものにはどんどんのめり込むタイプで、自分では気をつけてるつもりなんだけど、自分の好きなものが1番! ってなりがちなのね」

清田がそれの何が悪いんだという顔をしているので、はつい笑う。

「だから、信長のこと好きなんだって認めちゃったら、付き合ってしまったら、私絶対信長のこと贔屓しちゃうと思うのね。信長の方が間違ってることがあったとしても、そんなことないって、反射的に公平な目で見られなくなる気がしたの。でもそれは、私が1番やっちゃいけないことだから」

もしこれが同じ部活なんかではなくて、ただ何かのきっかけで知り合っただけの後輩だったなら、もこんなに悩まなかったかもしれない。けれど、清田から想いを寄せられる以前から、はバスケット部のマネージャーだったから。

「マネージャーが私ひとりになって、しかも男子だけの部にひとり女子で、それはもう信長たちが入部してくる前から散々『なにか間違いがあったら』とか『セクハラを誘発するのでは』とか、最終的には『女子ひとりという状況が部員たちの気持ちを乱すのでは』とか言い出した人もいたくらいで」

を、紅一点のマネージャーを案じているようで、そうした声には「そうまでして男の群れの中にいてちやほやされたいのかこの女子は」という侮辱的な色が濃く滲み出ていた。もうひとり男子マネージャーがいた時も紅一点だったことは変わりないのに、マネージャーが女子ひとりになった時点で、その「不埒さ」の根源はにあると考えられることが多かった。

……それをね、がマネージャー頑張ってるのはわかってるし、自分たちは共に戦う仲間なんだと思ってやってるのに言いがかりが過ぎるって牧さんが言い出して。そこからみんながたくさん話し合ってくれて、つまり『がそんな問題の原因になることはないと信じてもらうためには、自分たちがとの接し方を変えていかなきゃならない』って結論になった」

がひとり自分はそんなつもりではないと訴えたところで信じてもらえそうにないことは部員たちでも簡単に想像がついた。ならば自分たちがそういったトラブルに対してしっかりとした意識と対策があり、しかもそれを実践している、と行動に移す必要があった。

かと言ってに無体なことを強いれば、それはそれで女性蔑視と突っつかれるだろう。男子の運動部なだけに、これも些細なことが落とし穴になりかねない。を女性として敬意を払いつつ、しかしそれを性的な対象と見ることなく、対等な関係を築いている。それを示さなければ。

「そんな破廉恥なこと誰も考えてなかったし、しようともしてなかったし、私たちは良い関係で頑張ってきてたのに、外にいる人たちが勝手に騒いで私たちの仲を引き裂こうとした感じだった。私ひとりじゃどうにもならなかったけど、みんながそうやって助けてくれたから私は今でもマネージャー続けてられるの。だけど信長ひとりを特別な人だと思ってしまったら、私はそのみんなの誠実な信頼を裏切ることになるって、思って……

ほら見ろ、結局部員と付き合っている。何が目的だったのやら、と鬼の首を取ったようになるのは目に見えていた。そして行き着くところは結局ひとつだ。男女平等とかいう大義名分のもとに、女子が男子運動部のマネージャーとして入部することが出来なくなる。

「私のせいで女子マネっていう選択肢がなくなってしまうのも、嫌だった」

清田はかすかに頷きながらの頭を撫でた。は部員たちと一生懸命戦ってきただけなのに。自分はただ純粋にに恋をしただけなのに。どうしてかそれがいつの間にか「いかがわしいもの」にすり替えられてしまう。いかがわしいのはそんな発想しか出てこないお前らの頭じゃねえか。

しかしそれを喚いたところで、いかがわしい頭はいかがわしいことにしか感じないのである。

「なあ、本音ではどう思ってるの」
「本音って?」
「そういうノイズがなかったとしたら、付き合ってくれた?」
「そりゃそうでしょ、私も好きだって言ったじゃん」

言ってしまったら楽になったのか、はケロッとしている。

「最初は驚いてそれはマズいと思ったんだけど、どうしてもじわじわ嬉しくなってきちゃって。それまでも仲良くやってきたし、そっか、信長って、私のことそんな風に思ってくれてたんだ、嬉しくて幸せだなって、私も信長のこと好きになりたいなって、でもそんなのめちゃくちゃ簡単なことだったから」

の腕がぎゅっと清田の体を抱き締める。その感触に清田は心を決めた。

「じゃあ、隠れてコソコソ付き合おうよ」
「えっ!?」
「部内ではオレたちは付き合ってない。ただの先輩後輩。好きな人だってことも忘れる」

そしたら贔屓しないでいられる、外野からもうるさいこと言われない、部員たちにも隠すことになるが、何もプライベートを全て公表しなければならないルールがあるわけじゃない。清田はそう言いながらニカッと笑った。

の気持ちもわかる。これはオレたちだけの問題じゃないから、慎重にしなきゃってオレも思う。でも部活を離れたときのことまで我慢するのは変だし、かといってオレたちのことで部を振り回すのも嫌だし、部活もプライベートも守っていこうって思ったら、多少の妥協や我慢は必要だと思う」

はまじまじと清田の顔を見つめながら、うんうんと頷いた。そうだ。自分たちの自由を守るためにこそ我慢が必要なことはある。それだけの価値があることなら、挑戦する意味もある。

「別に学校でわざわざ『オレたち付き合ってまーす!』って言わなくても、いいじゃん?」
「むしろ言いたくないよ」
「そんなことより、自分の気持ちに嘘ついてる方がつらいと思わない?」

もうずっと嘘をつき続けてきたは細くため息を吐きながら、しっかりと頷いた。どんな妥協も我慢も、自分の気持ちを偽ることの苦痛に比べたら、ものの比ではない。まさか本当に清田に異変が起こったのではと思ってしまったあの時、本当の気持ちは息をするように飛び出てきたから。

「学校ではただの先輩と後輩」
「だけど普段はただの彼氏と彼女?」
「そう。どう? オレと付き合ってくれますか、先輩」

いたずらっぽく笑う清田に、も笑顔のまま頬ずりをした。

「先輩なんて、呼ばないで」
「さっきまで名前で呼ぶな敬語使えって言ってたのに」
「もうそんな昔の話は忘れた」

そんなことを言い合いながらじゃれていたら、の携帯のアラームが軽やかな音を立てた。そういえばすっかり忘れていたが、猛吹雪に閉じ込められてたんだった。だが、慌てて体を起こしたふたりはそのまま首を傾げた。

……なんか静かじゃない?」
……もしかして、風止まった?」

ふたりともすっかり温まっているけれど下着姿である。急いで服を着込むと、足早に窓を開けてみた。室外機はエアコンの稼働には問題ないと思われる程度にしか雪が積もっておらず、雪は止んでいるようだ。だが、風はまだ時折強く吹き込み、こんもりと積もった雪を舞い上がらせている。

「風はまだ完全に止まってないけど、雪は降ってない……
「これなら帰れるかな」
「さすがにあのショベル一本じゃ厳しくないか。装備も軽いし」

時間を見ればもうそろそろ日付が変わろうかというところ。出来れば1号館に戻りたいが、吹雪が運んできた雪は体育館の回りだけでもずいぶんな高さまで積もっていて、湘南育ちであるふたりには荷が重そうだった。

だが、雪が止まったのであれば報告せねばなるまい。

「助けに行きたいのはやまやまなんだが……
「ずいぶん積もりましたね」
「聞いたら、本館の裏の方にある倉庫にショベルが何本かあるらしいんだ」

牧は管理事務所との話の中で、施設の備品などをストックしておく倉庫の中に園芸用のショベルがあることを聞き出した。だが、その備品倉庫ですら現状では雪に阻まれて近付けない有様。

「外見てもらえばわかると思うけど、もうすっかり晴れてるし、明日はこの季節にしては気温が高めになる予報らしいから、とにかく日が昇ったらまずは本館を目指して、それから備品倉庫まで行って、それからそっちへ行くことになると思う」

本館まで辿り着ければ備品倉庫は遠くないようだし、監督が足を滑らせた階段が難所であることを除けば、この体育館よりは距離が短い。そして1号館にはしっかり食べてしっかり休んだ部員たちが揃っている。牧の落ち着いた声は「なんとかなるかもしれない」と思わせる力強さがあった。

「必要なものはあるか?」
「ええと、何か食い物ほしいっす」
「晴れて雪かきした道を帰るなら、特に必要なものはないと思います」

安心したのでニコニコ顔の後輩ふたりに、牧もやっと表情が緩む。思いもよらぬとんだ災難だったけれど、無事に済めばそれでいい。もう彼自身は部の責任ある立場ではないけれど、それでもも清田も大事な後輩である。ビデオ通話の向こうの牧も気が緩んであくびが出る。

「腹は減ってるだろうけど、寝られるか?」
「大丈夫っす、めっちゃ疲れてるんで全然寝られます」
「ベッドもあるし毛布もあるし、ガッツリ寝られます」
……明日、オレたちが行くまでには、ちゃんとしておけよ」
……えっ?」
「じゃあな。早く寝ろよ」

ふたりがきょとんとしていると、牧はニヤリと口元を歪めたまま通話を切った。

…………もしかして気付かれた?」
「牧さんオレのこと野生の勘とかいうけど、人のこと言えないじゃん」
「どうしよ」
「別に平気じゃない? バレないようにしとけよ、って言ってるみたいに聞こえたけど」

まあ今ここで考えていても埒が明かない。ひとまず雪は止んだので1時間に1回外に出る必要もなくなった。明日の仲間たちの踏ん張りにもよるが、日が昇ってから数時間で救援が駆けつけてくれるかもしれないのだから、それに備えてしっかり休んでおかねばなるまい。

そして、朝までは誰にも邪魔されずにふたりっきりになれることも、確定してしまった。清田は歓声を上げてをベッドに押し倒した。

ー!」
「ちょ、うわ! ま、待って待って、それは!」

慌てただったが、清田はひょいと顔を上げてニヤニヤしている。

「何を期待してるのか知らないけど、疲れてるのでしっかり睡眠取らないとね」
……期待なんかしてないもん」
「あっそう。オレはめちゃくちゃ期待してるけどね」
「へっ、へえ〜そうなんだ〜」
「強情だなほんとに。帰ったら容赦しないからな」
「そ、そんな暇ないもん」
「残念、3学期は暇なはずです」
「1学期2学期に比べれば、でしょ!」

照れて憎まれ口ばかりのに寄り添った清田は大あくびをして枕に頭を落とした。いつまでもじゃれていたいが、本当に疲れている。普段はくっきりと折り重なっている二重が緩んで瞼が重そうだ。清田の頬に手を滑らせたも瞼が閉じかけている。

「後悔しても知らないからな。私、一度好きになったら、止まらないんだから」
「なに、それ」
「帰ったら容赦しないからな。覚悟しとけよ」
……ああもう、なんで、眠いんだよ、ちくしょう」

誰もいない、誰も来ない、朝までふたりっきりだと言うのに。

ふたりはくすくす笑いながら引きずり込まれるようにして眠りに落ちた。疲れて、寒くて、嬉しくて、照れくさくて、そして目の前で眠り落ちようとしている人が、愛しくて。

勘のいい先輩がせっかく忠告してやったというのに、ふたりは普通に寝坊。しかしまたそれに勘付いた先輩の機転により、ほぼ裸のような有様で絡み合って眠っていたということは部員たちにバレずに済んだ。どころか、自分たちでも不思議なくらいに「他人モード」に切り替わった。

その後も部活中はいつも通り、練習中には好きも嫌いもなくて、先輩マネージャーと後輩は今日も良い関係のまま次なる目標に向かって頑張っています! そしてプライベートではどこにでもいるような高校生カップル――のはずだったのだが……

「思ったよりコソコソ付き合うのってしんどかったね」
「おかしいな、雪で閉じ込められたテンションでは何でも出来る気がしたんだけど」
「それがそもそも正常な精神状態じゃなかったからね」
「何、付き合ったこと後悔してんの?」
「呼び出しに応じたことは普通に後悔してる」

勘のいい先輩が卒業してしまい、勘のいい新主将が想像以上に厳しくなってしまった春。

毎日部活で余暇がなく、したがって「どこにでもいるような高校生カップル」になる時間がほとんど取れないので我慢の限界を超えた清田が早朝の部室にを呼び出した。1時間早く来てふたりで過ごそう! 1時間あればちょっとイチャコラするくらいのことは出来るはずだ!

しかし、久しぶりにふたりきりになってぎゅっと抱き合い、いざ熱〜いキッスを! というところで冷徹な鬼と化した新主将が登校。部室でイチャコラする気満々だったふたりは慌てて女子マネージャー用のロッカー区画に隠れた。

その上鬼の新主将は個人練習のために登校してきたようであり、イチャコラが目的だった後輩は凹んでいる。狭い場所で彼女と密着しているだけで何も出来ないのもつらい。

練習支度が終わった主将は部室を出ていく。キュッキュッと床に擦れるバッシュの音が遠ざかっていき、彼はドアに手をかけた。

「あ、もう体育館行くのかな」
「そしたら……もう誰も来ないよな?」

そんなことをコソコソ言い合っていたふたりだったが、

「もう1時間早く来いよ〜」

という呆れた主将の声を耳にしてヒッと短い悲鳴を上げた。

コソコソ付き合ってると思ってたのに、どこまでバレてんだよ!?

END