ゆきのよる

清田編 2

「はい、電気は問題ないです。エアコンも動いてるので凍えそうなほど寒いとかはないです。携帯もモバイルバッテリー持ってるので、ええと、6回くらいフル充電出来るし、アダプターもあるから停電しない限りここで補充もできます。水も今は出てます。えっ、水道管?」

気付いたら外が猛吹雪になっていたので、と清田はひとまず救護室に逃げ帰ってきた。そこで牧に電話をし、戻れないと訴えたところ、1号館でもたちの戻りが遅いので手をこまねいていたところだったと返ってきた。テレビ通話の向こうの1号館も落ち着かない様子だ。

「確か正面は遮るものがなかったけど、両側と救護室は張り出した屋根があっただろ」
「そうでしたっけ」
「もし外に水道管があって、この気温で凍結したら水も止まる」
「牧さん、水道管てどんなもんすか。オレ確かめてきます」

高砂が色々調べてくれたようで、牧は例えば一般家庭用ならこんなもの、と清田に説明している。

「あと室外機」
「室外機? ってエアコンのですか」
「そう。体育館の方はともかく、救護室のエアコンは家庭用と変わらないんじゃないか?」
「はい、そんな感じでした」
「もし室外機が地面にあって、雪で埋もれたらそれも止まる」
「え!?」

淡々と説明する牧にふたりは揃って声を上げた。吹雪で閉じ込められてしまったけれど、エアコンはあるしトイレもあるし、雪が止むまでの間くらい問題なかろう……という気でいたのに、元主将の表情は固い。後輩ふたりはちょっと怖くなってきた。

「でも清田、確認に出るのはいいけど、お前が埋まったらひとりじゃ助けられないんだからな」
「は、はい、慎重に見てきます」
「もし室外機と水道管が外にあったらどうすればいいんですか」
「室外機は何かで覆うとかして、雪との隙間を作るしかない」

水道管の方も布を巻くなどの対策は出来るが、それはあくまでも家庭用の話。もし手の施しようがなければ凍結しないうちに少しでも汲んでおくなどするしか、今のところ出来ることがない。

「監督大丈夫ですか」
……それが、痛み止めが見つかったんだ」
「えっ!?」

気まずそうな牧は、こんな事態なのだし後で怒られればいいや、と部員たちと1号館の中を漁りまくった。すると、大浴場の棚の中から救急箱が出てきた。いわゆる置き薬のセットで、中を開けると頭痛薬が12錠出てきた。それを飲んだ監督は薬の副作用で眠ってしまったとのこと。

……ごめんなさい」
「そんなものがあるなんて誰も知らなかったんだ。お前が悪いわけじゃない」
、だからそこから動くなよ。雪が止むまでじっとしててくれ」

牧の後ろから高砂も顔を出し、真剣な顔で釘を差してきた。

「清田、を頼むぞ」
「はい、わかってます」
「何か判断に困ったらすぐ電話しろよ」

いつまでも話していても何も変わらないので、一旦通話は切れた。

「したら、室外機と水道管か。よし、見てこよう」
「大丈夫かな、あんなに雪積もってたのに」
……、オレのこと心配?」

風向きなどの都合もあるわけなのだが、正面入口に襲いかかってきた雪崩のような雪のインパクトは強い。つい不安そうな声を上げたに、清田はまたニヤニヤしながら顔を近付けてきた。

……そうやって茶化さないでくれる? 心配に決まってるでしょ、後輩なんだから」
「ふたりっきりなんだから素直になりなよ。あ、てかポンチョ貸して」
「私はいつでも全力で正直に生きてるもん。ポンチョだけで平気?」
「着込みすぎても動きづらいからこれでいいよ。寒いからここで待ってて」
「えっ、でも……

茶化されるのは困るが、仮にも後輩、ひとりで放り出して何かあったらと思うとはつい追いすがった。一緒に行くのはむしろ足手まといになるというのは承知しているのだが、それでも声が聞こえる場所にいるくらいのことはした方がいいんじゃないだろうか。

だが、清田は手を挙げてを押し留めた。

「もし雪で埋まりそうなところに室外機があったら衝立とか必要だから、それを探しててほしい。あと、懐中電灯あればいいけど、なければ携帯で照らしながら体育館の照明どこで点けられるのか、それも探してて。何かあればすぐに電話するから」

非常事態だと言うのに数ヶ月前の話を蒸し返してくる清田だったが、今度は突然真面目なことを言い出した。は面食らってカクカクと頷く。清田が外を探索するなら、確かに体育館の照明は急務だ。体育館は天井付近がほぼ窓ガラスで覆われているので、館内の明かりが全て点けば外にも光が漏れる。

「わ、わかった。でも気をつけてね」
「はーい、行ってきます」

しかしそう言いながらぎゅっと抱きついてきたので、は清田の頭をポフッと叩いて押し返し、先に救護室を出た。目が慣れてきてぼんやりと輪郭が見える体育館の中は青黒い闇で満たされていて、は携帯のLEDライトを点灯させる。窓の外は猛吹雪だ。

外に出ていく清田をちらちらと見送りつつ、は急いで入口付近を確認する。体育館の照明と言ってもひとつではないから、おそらくスイッチ類はカバーが付いてひとまとめにされているはずだ。そこで思いついてはまた牧に連絡を入れる。清田から電話がかかってくると困るので、文字で。

さすがに元主将、照明のスイッチは入口付近ではなく、体育館内の壁にあるとすぐに返ってきた。室内履きのない足が痛むほどに冷たいが、は走った。壁に「制御スイッチ」と書かれている金属のカバーが見つかった。鍵はかかっていない。開くと、たくさんのスイッチにネームシールがベタベタと貼ってある。略されていてどこがどこだかわからないので、手当たり次第にオンにしていく。

次の瞬間、体育館の中も外も、目に眩しいほどの光で埋め尽くされた。

ホッとしたの手の中で携帯が音を立てる。見れば牧からで、1号館の窓から体育館に明かりが灯ったのが見える、と報告してくれている。1号館と体育館では、1号館の方が少し高い場所にあるので、1階にいる牧からでも体育館が見えるのだろう。やはり吹雪でさえなければ危険な距離ではない。

すると今度は清田から着信。

「水道管ぽいものはないけど、たぶんこれ救護室の室外機だと思う」
「雪に埋まりそう?」
「正面入口みたいにすぐに埋もれそうではないんだけど……

清田によれば、救護室の窓の下にふたつ並んで置かれている室外機は、風向きとささやかな庇のおかげでまだ当分は雪に埋もれてしまうことはなさそうだということだが、雪がこのまま降り続くならわからないという。

「ていうかここ、正面から回らなくても救護室の窓から出られるよ。室外機が足場になる」
「じゃあたまに覗いて埋まりそうなら雪をかいた方がいいのかな」
「その方がいいと思う。カバー出来るものなんてなさそうでしょ」

はため息混じりに頷いた。体育館の中はもちろん、救護室の中にも室外機を積雪から守れるような、例えば板状のものだとか、そんなものは何もなかった。

なので清田は何もせずに急いで戻ってきた。救護室でそれを待っていたは給湯器が動いたのでお湯をタライとバケツに溜めていた。幸いタオルやガーゼはたくさんある。いくらエアコンがあると言っても、これで足や手を温めれば体温の低下を防げるはずだ。

「うわ、顔真っ赤だよ」
「めっちゃ寒い。寒いっていうかもう痛い。手の感覚ない」
「待って待って、もう直接お湯で温めて」

戻ってきた清田はシャワーでも浴びてきたのではないかというほど頬と鼻と手を真っ赤にしていて、震えていた。無理もない、レインポンチョの下はジャージとジャンパーだけだ。は給湯器からお湯を出して手や顔を暖めさせつつ、バケツに足を突っ込ませた。

「はー、生き返るー」
「お疲れ様。ありがとね」
、いい子いい子して」
「今年のインターハイで優勝したらしてあげる」
「遠!」

さらりと切り返しながら、は内心焦っていた。これで雪が止むまでは問題ないけれど、予報通り22時頃にピタッと止んでくれなかったら、もっとずっと長い時間を清田とふたりで過ごさねばならない。それぞれ携帯でも眺めていればいいのだろうが、そうでなければ他にやることもなし、無為な時間は必ず清田を調子に乗らせるはずだ。

努めて見ないようにしているけれど、この救護室にはベッドが4つある。それもなんだかむず痒い。猛吹雪に閉じ込められたふたりきり、ありきたりだが非現実的なシチュエーションは気持ちが盛り上がるかストレスでイライラするかのどちらかだ。

なのではまた棚漁りに戻った。何か食べられるものがほしい。自分のバッグの中にはのど飴が入っているが、それだけだ。午後の夕食作りとコンテナ運び、そしてこの救護室探索ミッションでだいぶ消耗している。特に清田は普段であれば練習後に丼飯3杯くらいは当たり前。

清田が手足を温め終わり、ベンチに腰掛けて乾いたタオルで水分を拭き取っていると、がデスクの辺りで歓声を上げた。何やら紙袋を発掘したらしい。

「どしたの?」
「見て見て! カロリーメイト! 塩飴! ウィダー!!!」
「うっそ、まじで!?」
「少しくらい吹雪がおさまるのが遅くなっても、これでしのげるね!」

が紙袋の中身をベンチに広げると、菓子類が出てきた。どうやら販促用のサンプルや熱中症対策用の余りのようだ。満腹とはいかないけれど、補給にはなる。だが、そんなはしゃいだ声のの手を清田がそっと掴む。お湯で暖められた彼の手は元通り暖かくなっていた。

「朝まで止まなければいいのに」
「そんなの困ります。私はお風呂も入りたいし、テレビも見たいの」
「テレビなんか携帯で見ればいいじゃん」

ツンとそっぽを向いて手を振りほどいたの頬に清田の指が触れる。

……やめてって言ってるでしょ」
、好き」
「なっ……
「好き好き」
「ちょ、何、やめてよ」
ー好きー」

ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべた清田はそう言いながらまた顔を寄せてきた。はカッと熱くなる顔を下に向けて、手で清田を押し戻す。またその手を掴まれる。

「ねえ、部内の空気悪くなるかも、監督に悪く思われるかも、男目当てと思われるかも、予選はもう終わったからいいとして、これ全部オレと以外の人がどう思うかわからないって話じゃん? 実際自身はどうなの。オレは好きになれない?」

それを持ち出されると困る。は答えられなくて俯いたままだ。

「そんなに大差ないと思うけど年下は無理〜とか、背が高いのもやだっていう子もいるし、女子は生理的に無理ってのもあるじゃん? そーいうのあるなら言ってよ。それは仕方ない」

喋り方は軽薄そうだが、本人はいたって真面目である。それがわかっているので、はなんと答えたらいいものかとまた身を縮めた。とにかくのマネージャー稼業のモットーは「実直・臨機応変・楽しく」である。器用に嘘を付くのは元々苦手だ。

「付き合うって言ってもオレたちどうせ部活一緒なんだし、暇じゃな――

こっそり付き合っている分にはバレようがないというところも持ち出されると困る……! また身構えていただったが、携帯が音を立てた。見ると牧である。慌ててスピーカー通話のボタンを押す。

「どうだ、大丈夫か。室外機と水道管」
「室外機はなんとか大丈夫そうです。水道管はありませんでした」
「そうか。、さっき気象台に問い合わせてみたんだ」
「えっ、気象台?」
「それが、どうもこの山間部は夜中まで雪が残りそうだっていうんだ」

牧によれば、方々で得られる情報をつなぎ合わせてみても現状とずれるので、最寄りの気象台へ電話をかけてみたらしい。すると、あくまでも予報の地点は現在地から離れた都市部のものであり、山間部はそれと同じではないと思うと返ってきた。

「その人の話だと2時頃に吹雪はおさまるんじゃないかって」
「吹雪だけですか」
……そう、雪はもう少し」
「いつ頃なら完全に止むんでしょうか」
「はっきりしたことは言えないけど、明け方には完全に晴れるんじゃないかと」

つまり、それまでここから出られないということだ。不安に喉を鳴らしたの手を清田がそっと包み込む。思わずもその手をぎゅっと握り返した。今のところ寒くはないけれど、怖い。

「牧さん、今のところ給湯器からお湯が出て、エアコンは2台使えます。寒くないです。あと、ちょっと食べ物も見つかりました。腹一杯にはならないすけど、補給できます。あと、救護室なんでベッドもあって、毛布や布団もあります」

そんな清田の言葉に相槌を打つ牧の声はいくぶん安心しているようにも聞こえた。だが、

「でも、万が一ってこともあると思うので、定時連絡します。それが来なかったら頼みます」
「わかった。、大丈夫か。顔色悪いぞ」
「だ、大丈夫です」
「清田は後輩だけど、今はそれ忘れろよ。安全第一を心がけてくれ」
「はっ、はい」
「清田、頼むぞ。雪が止めば全員でそっちまで行くから」
「はい。よろしくお願いします」

風と降雪さえ止まってしまえば、1号館から体育館までは階段のないゆるい傾斜があるだけ。バスケット部員全員で雪かきすればたどり着けないことはない。それまでの辛抱だ。

通話を切ると、救護室の中はしんと静まり返った。窓の外の吹雪く音が聞こえるだけ。

「よし、しょうがない、まずは服を乾かさないと」
「そ、そうだね」
「さっき確認したのが20分前くらいだから、1時間を目安に定時連絡と、確認にしよう」
「服はどうやって乾かそうか……エアコンの直風が当たると早いと思うんだけど」
……あっち、紐とかで吊るせないかな」

キョロキョロしていた清田はベッドのある部屋の方を見てピンときた。救護室のベッドは病院のようにそれぞれカーテンを引けるようになっているが、そのカーテンレールにロープか何かを差し渡せればエアコンの風を直接当てることが出来る。

「紐……なんかさっきどっかで見た」

ふたりはドタバタとまた救護室を漁り、ビニール紐とダブルクリップを見つけた。カーテンレールの間に撚ったビニール紐を渡し、きつく張ると清田のジャージと靴下くらいならきちんと引っかかった。これで服は乾く。次に室外機の周辺の雪をかくにしても、濡れた服を着る必要がない。

だが、今度は清田が薄着になってしまった。何しろ下を履いていない。パンイチ。

「背に腹は代えられない」
「さすがにオレもこれは恥ずかしいけど我慢する」
「あとは布団にくるまろう」

清田はが重ねばきしてきたジャージを借りた。の方はそのジャージの下にパジャマ用のスウェットと裏起毛スパッツと発熱レギンスをはいているのでひとまず問題ない。

「よーし、じゃあ、ふたりで温め合おっか!」

そして予想通りのセリフを清田はニコニコしながら口にした。

がっくりと肩を落としたに構わず、清田はベッドを2つくっつけて大きなベッドを作り、布団や毛布を全て集めてきて暖を取れるようにセッティングしてしまった。どうしたものかともじもじしていたを置いて清田は給湯器のお湯で塩飴を溶かしたジュースを作り、いそいそと戻ってくる。

「はい、、ここおいで!」

まるで邪気のない――ように見える清田の笑顔にはまたため息とともに肩を落とした。確かに近くにいて一緒の毛布にでもくるまっていた方が温かいに決まっている。だけど、しかし。

「ねえ、そういうの、やめようよ」
「じゃ、さっきの質問に答えてよ。どういう理由で付き合えないの?」
「そっ、それは――っくしゅん!」

なんとかはぐらかせないものかと口を開いた瞬間、は勢いよくくしゃみをした。しまった――

「ほら、寒いんじゃん!」

やばい、やっちまった! と狼狽えるの手を引いた清田はそのまま彼女を抱えあげて、ベッドの上に乗せてしまった。エアコンは効いているし、カーテンで仕切りもあるし、たくさんの毛布や布団を重ねたベッドは暖かかった。

そして清田は毛布を肩にかけると、そのままをくるみ込んだ。

そのほっこりとした暖かさにはつい気が緩みそうになる。

「ほら、こうしてればもっと暖かいでしょ」
「そ、そうだけど」
「風邪引いたら大変だからね」

そして清田はぐっと顔を近付けると、またにんまりと笑った。

「さてじゃあ、先輩、さっきの質問に答えてもらいましょうかね」