ゆきのよる

清田編 3

「えー、あれはオレが神奈川にその名を轟かすスーパールーキーとして入学してきた春のことでした」

の歯切れが悪いので、清田は彼女をゆったりと抱きかかえながら朗々と語り始めた。しかしそれは自身も初めて聞く話で、気恥ずかしさとむず痒さと居心地の悪さで真っ赤な顔になっている。

「おっ、高校だと女子マネオッケーなんだな。女子マネなんて女性蔑視だ差別だなんつって禁止の学校もあるらしいけど、海南ともなるとそれも立派な役割のうちだろうしな、てか同学年にマネージャーがいたら助かるな〜なんて思ってたわけですよ。したらまさかの先輩」

は特に幼いとか童顔とかいうタイプではないけれど、さりとて厳しい先輩のようなオーラや色っぽいお姉さんのような雰囲気があるわけでもなくて、清田は同学年だと勘違いをした。なので「オッスオラ清田! 何組? バスケ好きなん? これからよろしくな」と軽々しく声をかけた。

「あの時の神さんの、今日の吹雪より冷たい視線をオレは忘れない」

入部当初から清田のお目付け役を命じられてきた現主将の神は、先輩マネージャーにフランク過ぎる口を利いた清田に冷ややかな視線を向けて「一応先輩だからね」と言ってきた。

……だけど、ペコペコ頭下げるオレには笑って、『元気のいい子が入ってくれて嬉しい』って言いながら、頭撫でてくれたでしょ。その笑った顔がめちゃくちゃ可愛くてさ」

清田の指が頬を滑り、はぎゅっと目を閉じた。

「でも好きだなと思ったのはもっと後。好きだなって思ったっていうか、ほら、当たり前だけどは牧さんとか神さんと一緒にいることが多くて、盗られる、って思っちゃったんだよなあ」

なので思い立ったが吉日、ちょうど中間テストが迫っていたので、策を弄した。

「でもさあ、全然ダメ元だったし、はあ? 別にあんたのことなんか男として見れないしって速攻フラれると思ってたのに、なんかゴニョゴニョと他人がどう思うと思ってんのみたいなことばっかり言うからさ、いやこれ諦めない方がいくね? ってなってさ」

だが、のんびりそんなことを話している間に時間が来た。の携帯のアラームが鳴る。

まずは牧に定時連絡をして、清田は乾燥させていた服を着込む。彼が履いてきたのはスニーカーだったのだが、そればかりは吊るして温風に当てていてもすっかり乾くことはなく、しかし救護室にあるガーゼやらで足をくるみ、カイロを入れ、ビニールで覆うと濡れた靴でも冷たさを感じなかった。

「室外機、ほんとに真下だったんだよ。ほら」
「わ、でもちょっと埋もれそう」

救護室のデスクの傍らに位置する窓を開けるとエアコンの室外機が2つ並んでいて、それぞれフル回転しているが、こんもりと雪が積もっている上に、徐々に周囲が雪で埋まりつつあった。清田はまず雪かきで上部に積もった雪を払い、そこに足をかけて外へ出た。

、寒いから窓閉めた方がいいよ」
「えっ、だけどあんたひとりに作業させて私だけ中にいるわけには」
「でもせっかく部屋ン中暖かいのにもったいないじゃん」
「そ、それはそうだけど!」

救護室のメインの部屋とベッドのある部屋は完全な仕切りがなく、今も窓からは冷気がどんどん吹き込んできている。また1時間後に同じことを繰り返さないとならない手前、室内の温度を下げてしまうのは確かにもったいない。

「手足を温める準備、しててよ。雪かきっつってもこんな狭い範囲だし、すぐ終わるよ」

付き合ってくれとしつこいのはどうしたものかと悩むところだが、そう言ってニカッと笑う清田は頼もしくて、は素直に頷いた。牧たちからも今は先輩後輩であることは忘れて安全を最優先に考えろと言われている。自分にできることをやらねば。

がせっせと準備をしていると、想像以上に早く清田が戻ってきた。窓から覗いてみると、室外機の周囲の雪はすっかり避けられ、しかも積み上げた雪は固めてあるらしく、崩れてくることもなさそうだ。急いで濡れた服を脱ぐ清田に毛布を差し出しつつ、は感嘆の声を上げた。

「それが、見た目には大量の雪に見えるんだけど、かなりフワフワで軽い雪なんだよ。だから積もったのをどけるくらいなら大した労力じゃなかった。ただ……
「ただ?」
「これほんとに止むのかなってくらい、めっちゃ吹雪いてる」

清田はまたお湯で手足を温め、乾いたタオルで拭き取ると、少しだけ険しい顔をした。

「順調に風がおさまるとか、雪が少なくなるとか、そうなればいいんだけど」
「ならなかったら……?」
「あっ、ごめんごめん、怖がらせるつもりなかった。大丈夫、腹が減るだけだよ」

普段オフコートではふざけていることが多い清田なので、その真剣な表情にはつい不安な声を出してしまった。すると清田はまた羽織っていた毛布の中にを抱き締めて、よしよしと頭を撫でた。いつかの逆だ。

「ジャージ干したら、また塩飴のジュース飲もっか」
……ごめん」
「はっ? 何が」
「私が救護室行こうなんて言ったから」
はみんなのために痛み止めとか用意したいって思っただけだよ」

落ち込むをいざない、清田はまたベッドに戻った。清田が出入りしたのでかなり冷気が入り込んでいたけれど、何枚も布団や毛布を重ねておいたベッドはまだ仄暖かかった。

「信長、手が冷たい」
「そりゃ素手で雪かきすりゃ冷たくなるよ」
「お湯で温めたのに」
「食べてないせいもある。次の雪かき終わったら少し食べていい?」

がまたカクカクと頷くと、清田はその体を抱きかかえたままベッドに転がった。

「わ、ちょ、待っ……
「やべー暖かい。くっついてると暖かいってほんとなんだな」
「つめた!」
「ちょっと我慢して。暖まるまで」

清田は毛布と布団をかき集め、その中に潜り込んでしまった。冷えた手がの体を抱き寄せている。なのではすっかり清田の腕の中、しかもベッドの上で毛布にくるまって密着しているという状況のせいでむしろ暑くなってきた。

「んー、いい匂いするー」
「ちょ、やめ、そんなとこ嗅がない! 汗かいてるんだから!」
「だからいい匂いなのか」
「いい匂いなわけないでしょ!」
「そうかな、ほわん、と暖かい、いー匂いするよー」

ますます全身が熱くなっていくはしかし、密着している清田の冷えた手や足が少しずつ暖まっていくので、動けないでいた。確かにひとりで毛布を羽織っているより、こうしてふたりで抱き合って布団に潜り込んでいる方がよっぽど暖かい。

それにしても額の生え際あたりの匂いをスンスン嗅がれているのはこそばゆい。はついもぞもぞと動いては余計にきつく抱き締められ、やっぱりどうにも居心地が悪かった。かといって、この状況では清田の体温回復の方を優先するべきだ。

室外機周辺の雪かきは、清田の体力が保たれていればほんの10分ほどで終わる。そこからまた手や足を暖め、濡れてしまった服を干し、塩飴やらでエネルギー補給をするのにまた30分ほどかかる。なのでこうして密着でもしていないと、清田は体が冷え切ったままで再度雪かきに出なければならなくなる。

が交代してもいいが、この清田という人物はとにかくやたらとかっこつけたがる性分だし、今日1日を振り返ってみても、バスケット部が昨年1年間で培ってきた「紅一点との付き合い方」が色濃く反映されている。自分が休んでが雪をかくなど、嫌がるに違いない。

せめて一緒に出来れば、と思うが、この吹雪では装備が足りない。

……なあ
「えっ!?」

大したエネルギー補給もできないというのに、果たして冷えては暖めの繰り返しで明け方までもつんだろうか。やっぱり少しは自分も負担すべきではないんだろうか、などと悶々と考えていたので、は急に名を呼ばれて素っ頓狂な声を上げた。顔を上げると、また至近距離。

が気にしてるのって、ほんとに他人の目、だけ?」
「へっ?」
「あれこれ言うけどさ、それもカモフラだったりして、ってちょっと思ってさ」

はサッと顔を逸らして俯いた。

普段チャランポランなくせに、清田はこうしてたまに鋭いことを言い出す。それを神や牧は「動物的野生の勘」と言う。試合でも「理屈で考えたことじゃない、感じたから動いた」というプレイがよく出るんだと言う。入部当初はそれを後で説明する、ということがずいぶん苦手だった。

そういう、私の中を全部見透かすような目で見るのはやめてよ――

がなんとかはぐらかしていると、またアラームが鳴った。まずは牧に定時連絡。

「そうか……確かに1時間に1回もやってると体力の消耗が激しいよな」
「溶かした塩飴しか口にしてないので、終わったら少し食べてもらおうと思ってます」
「まだ吹雪おさまりそうもないしな」
「合間に出来るだけ体を暖めるようにはしてるんですが……

牧も心配そうな声をしているが、しかし吹雪がおさまらないことには手も足も出ない。清田が1時間に1回室外機の周辺の雪を避けることがふたりの命綱であると言える。

「あの、牧さん、次は私が雪かきするって、言ってみようかと思うんですが」
「無理だろ」
「フワフワの雪だって言うし、新しく積もった分なら重くないと思うんです」
「そうじゃなくて、清田が頷くわけないだろ」

は牧の言葉にがっくりと頭を落とした。さすがに先輩、わかってらっしゃる。

「もちろん今後清田がマジで動けなくなってしまったら、あとはお前がやるしかない。だけどそんな状態になるまでは絶対にダメだって言うと思うぞ。あいつは特にそういうところカッコつけるタイプだからな。女ばっかり休んでてずるいとか言う方がプライドに障るんだよ」

なので雪かきの後は極力動かずにじっとして体力を回復・温存に努めてくれ、と言って電話は切れた。はまたため息をつきつつ、手足を暖める準備をする。自分がこんなところに来ようと言い出さなければ、今頃1号館の暖かい部屋の中で楽しく遊んでいられたのに……

すると窓がカラリと開いて、雪の粒が髪にくっついている清田が顔を出した。

「早かったね、もう終わったの? 今バケツにお湯、汲むからね」
「ちょっと積もってる量が少なくなってる気がする」
「ほんと!?」
「うん。風の強さは変わらないんだけど、上に乗ってる雪が――

朗報に飛び上がったが窓辺に駆け寄った、その瞬間、清田の顔がサッと消えた。

「えっ!? ちょ、ちょっと信長!?」

慌てたが窓の下を覗き込むと、ふたつ並んだ室外機の前に清田がうつ伏せに倒れていた。牧の声が耳に蘇る。体力の消耗が激しい――マジで動けなくなったら――

ただでさえ寒いというのに、の全身が一気に冷たくなる。夕食の準備をした時につまみ食いでもしていない限り、清田は昼から何も食べていないことになる。普段から激しい運動とドカ食いの繰り返しで代謝もいいだけに、補給もせずに動き続けたらエネルギー切れになるのはわかっていたのに。

早く、早く部屋の中に戻して暖めなければ。少しでも食べさせて回復を図らないと。

は何も考えずに窓の外に飛び降りた。氷の針で全身を刺されているような、痛むほどの冷気に襲われたが、それに怯んでいる余裕はなかった。清田を助けなければ。その一心で。

「信長、しっかりして、起きて」

すっかり雪が避けられて土台のコンクリートが見えている。そこにべったりとうつ伏せになっている清田にすがったは、震える声で彼の背中をゆすり、体の下に手を差し入れると、ありったけの力を入れてひっくり返した。重いけれど、音を上げてる場合じゃない! だが――

「信長、信長――
「はーい」
「死なないで、起きて」
「うん」
「信な――えっ?」

必死に清田をひっくり返したは、やけに淡々とした声を耳にして手を止めた。見れば、覆い被さるの下で清田が赤い頬にうっとりとした目をしていた。死ぬどころか、ピンピンしている。

…………騙したの!?」

安心と怒りと混乱が一気に襲いかかってきたは、そのまま清田の胸に突っ伏した。

「ご、ごめん、そんなに驚くとは思ってなくて」
「動かないから、冷たいから、何かあったらどうしようって」
「ごめん、ほんとにごめん、こうでもすれば心配して素直になってくれるかなって」

清田が体を起こすと、は唇を固く引き結んだまま、真っ赤な目をして泣いていた。そして、驚いて何も言えなくなってしまった清田に飛びついてぎゅっと抱き締めた。

……
「めちゃくちゃ怖かった!」
「ごめん」
「起きなかったらどうしようって、死んじゃったらどうしようって」
「ごめん」

ぼそぼそと謝ることしか出来ない清田だったが、はやがて腕を緩めると、大きく息を吸い込み、真っ直ぐに清田を見つめながら言った。

「こんなことになるなら、私も好きだって、言えばよかったって」

身を凍らす吹雪が吹き、言葉を失うふたりの間を通り過ぎていった。唸る風、舞い降りる雪は積もりに積もって体育館の屋根すら軋ませる。ほんのささやかな庇に守られたその場所で、清田はの体を力いっぱい引き寄せ、そのまま唇を押し付けた。

冷たくて、痛むようなキスだった。

けれど、やがて触れ合った唇からじわりと熱が生まれて、少しずつ広がっていく。唇の隙間から漏れる暖かい吐息が頬を優しく撫でていく。

「ずっと、言えなくて、ごめん」
「怖い思いさせて、ごめん」
……寒いね」
……うん、寒いね」

いつまでもこんなところにいたら、本当にふたりともお陀仏になってしまうかもしれない。清田は室外機に掴まって立ち上がると、の腕を取って引き上げた。ついでに手で室外機の雪を払う。これでまた1時間は問題ないはずだ。だから――

「少し食べようか」
「うん」
「体、暖めないとな」
……うん」

雪が止むまではこれを繰り返さねばならない。そのためには。

、暖め合おっか」

は真っ赤な頬で、頷いた。