ゆきのよる

木暮編 5

と木暮が付き合うことになったのは、中学2年生の夏休み、友達同士大人数で出かけた夏祭りがきっかけだった。男女混合で十数人、その時点ではカップルは混じっておらず、やはり温和で真面目なタイプばかりが集まっていた。

そうは言っても受験の心配もない2年生、温和なタイプばかりの十数人なので逆に安心しきって大はしゃぎしていた。通りすがった同学年の浴衣カップルに「子供みたい」と笑われても気にしない子ばかりだったので、楽しかった。

そのあたり今回の卒業旅行と状況が似ていなくもないが、その中でと木暮はたまたまふたりになった。あんず飴を買っていたが小銭を落とし、それを木暮が拾ったところから話が始まり、最初は浴衣の話をしていた。浴衣いいなと思うけど、面倒なことが多そう。

特に意識してペアになっていたわけではなかったのだが、夜店をめぐり花火を見てまた夜店を回ろうと言う頃になってもふたりは並んで喋っていた。どちらも恋愛に積極的というタイプではなく、普段なら多少の緊張を伴う異性のはずが、まるで気にならなかった。

盛り上がっている友人たちの後ろを歩きながら、友達登録をした。この時は、漫画の貸し借りをするためだった。ふたりの通う中学校は校区が広くて自宅同士は近くなかったけれど、ちょうど中間くらいの位置に大型のファストフード店があったので、そこで受け渡しをすればいいしね、と考えていた。

だが、別れるのが惜しいほど会話は弾み、結局その日の夜遅くまで携帯でやり取りが続き、何を話しても気が合うので、文字でのやり取りがまだるっこしくなったふたりは翌日すぐに会う約束を取り付けた。場所はファストフード店。

そして席につくなり、付き合おうという話になった。向かい合って座っていたけれど、並んで座りなおし手を繋ぎ、5時間喋り続けた。それでも話し足りなかった。また次の日も会い、その日は日が暮れた帰り道の途中でキスをした。

夏休みの間に始まった関係だったせいもあって、ふたりの関係を知る人は少なかった。ごく親しい友人でもきっかけが生まれるまでは言い出さなかった。なのできっと同じ中学の卒業生でもと木暮が付き合っていたことは知らない人が多いはずだ。

しかも木暮は部活ばかり、校内でわざとらしくイチャつくわけでもなく、ふたりの時間は完全に学校の外にあったし、最初はそれだけで満足していた。

だが、2学期に入り、3年生が引退したバスケット部では木暮たち2年生が中心になっており、余計に活動時間は増えた。この頃になると木暮にとってバスケットは何より大事な存在になっており、あくまでもはそれを離れた「プライベート」の中にあるものだった。

にそんなつもりはなかった。いつでも一緒の彼氏のつもりだった。

「ほんとに、可哀想なことをしたと、思って。あんな幼い女の子に」

あの頃、好きだから一緒にいたいと願っただけの女の子の気持ちより、バスケットの方が大事だった。自分のバスケットに対する熱意を理解してくれないが愚かなのだと思っていた。そして束縛するようになったを厭うようになった。

木暮に抱きついたは首を振る。

「部活頑張ってたのに、15歳の男の子が一生懸命頑張ってたのに、邪魔するなんて」

そうは言っても中学の部活動、ふたりの時間はゼロではなかった。幸いどちらの家族もふたりの関係には好意的で、お互いの部屋で過ごすのも難しくはなかった。それでもは木暮を独占したがり、木暮はを遠ざけるようになった。

強く吹く風が脱衣所をガタガタと揺らし、ふたりはことさら強く抱き締め合った。

、さっき『かわいい』って言ったのは、オレあの頃のこと本当にかわいいって、好きだなって思ってたのを思い出したから、つい」

そう、異様に会話が弾んで付き合っただけじゃなかった。気も合うけれど、ふたりはお互いの容姿もとても好みで、それはもう学校を離れるとずいぶん盛り上がったカップルだった。それだけに、すれ違う心を不満に思った。自分たちの間に拗れる隙間なんかなかったはずなのに。

……今も、かわいいって、思って、る。やっぱり一緒に、いたかったって」

の腕が緩み、ふたりは至近距離で見つめ合った。

「今度は、うまくやれるのかな。失敗せずに、いられるかな」
「ずっと後悔したままの方がいいのかな、本当にもう取り返しがつかない?」
「そんなこと、ないよ、ね?」

そして吸い寄せられるように音を立てて唇が重なる。の肩にかかっていたバスタオルが落ち、その背中を木暮の腕が掻き抱いた。そのまま床に敷き詰めた敷布団に倒れ込むと、風の音の中で何度もキスを繰り返した。遠い日の感覚が蘇る。

「あの頃も……ずっとこうしてたね」
とキスできた時は、いつも毎回、嬉しかった」
「知ってる。いつも目がとろんとなって、嬉しそうだった。そういう目が、好きだった」

の指が木暮の頬をなぞり、ふたりは目を閉じた。あの時の気持ちはいつでも思い出せる。

「今も、そういう目をしてた」
「またとキス出来て、嬉しいから」

またぎゅっと抱き合ったふたりは静かに息を吐き……が大きくくしゃみをした。肩にかけていたバスタオルが落ちた寒さを感じたのだろうか、木暮に抱きついたまま、くしゃみの勢いで彼の首を締め上げてしまった。の耳元で「ぐえっ」という声がする。

「ご、ごめ、くしゃみが」
「平気平気。てかまた寒くなってきたな……

座布団で隙間を塞いであるのだが、脱衣所が風でガタガタと揺れるたびにそっと冷たい空気が流れ込んでくる。ファンヒーターはつけっぱなしにしているが、家庭用のコンパクトなサイズのものだし、どこかに隙間があるならその暖気も結局は漏れてしまう。

そろそろ臭う毛布に包まらねばならないか……と考えていた木暮だったが、体を起こしての手を引くと、ぼそぼそと言った。

「風呂、入る?」
「え、あ、そうだね、また温まれば……
……一緒に」
「え」

自分の手のひらをぎゅっと握り締めている木暮の手を見たはしかし、その誘いを受けたいと思った。木暮の手はの記憶にある15歳の男の子のものではなくなっていて、自分では変わったように見えない自身の手をすっぽりと包み込んでしまっている。

3年も離れている間に、公には私の知らないことがたくさん増えたんだな……

そんな思いでいっぱいになってしまったは、今の木暮の全てを知りたいと思った。15歳の初夏にはまだ理解できないことも多くて、知りたくないこともいっぱいあった。でも今なら、18歳になった今なら、木暮の全てを受け入れられるような気がしたから。

……うん、入ろ」
「え、いい、の?」
「今さら、隠したいものなんかないでしょ」

むしろ曝け出してしまいたかった。何もかも後悔とともに吐き出してしまいたかった。

それでも一応ふたりはひとりずつ露天風呂に向かい、湯に身を沈めてから向かい合った。やはり体が冷えていたようで、熱い温泉に急に温められた肌がむず痒い。ふたりは湯の中でまた抱き合い、額を合わせてゆったりと揺れた。

「ねえ、クリスマス、覚えてる?」
……あのときは、ショックで、しばらく引きずってた」
「その後、誰かとしたの?」
「まさか。そんな暇、なかったよ」

中学2年のクリスマス、ふたりはの部屋で過ごしていた。木暮の部活が午前中で終わったので、午後から誰もいないの家でイチャつきまくっていた。この日はの両親はクリスマスと早めの忘年会で遅くなる予定だったので、ふたりはずっと抱き合ってキスしていた。

それはやがて互いの体に触れ合うようになり、1時間経たないうちに木暮の手はの乳房に到達、ゆっくりとその未発達な胸の感触を確かめていた。それは取りも直さず次の段階へのステップであって、特に同意を得るようなことは言い交わさなかったけれど、そのまま一線を越えるつもりだった。

だが、結果的にはふたりとも要領を得ずに失敗、時間だけが過ぎて気力が萎えてしまった。せっかくの楽しく幸せなクリスマスがどんどん嫌なものになっていってしまう。そして有耶無耶に誤魔化し、「慣れてないんだから上手く出来るはずない、またチャレンジすればいい」と取り繕い合った。

しかし中学生に再チャレンジのチャンスなどそうそう巡ってくるはずもなく、キスするのが精一杯の関係のまま別れてしまった。以後、どちらも恋愛とはずっと距離を置いてきてしまった。

「好きな人もいなかったの?」
「なんか……そういう気になれなくて。忙しかったし。は?」
「私もそんな感じ。あんなに好きだったのに別れるなら、恋愛なんて意味ないって思ってた」

幸か不幸かふたりとも高校生活は暇ではなかったし、充実していたし、よい友や仲間にも恵まれて、苦い過去の恋愛の記憶は薄れつつあった。こんな卒業旅行で再会しなければ、別れとともに蓋をしてしまった気持ちが息を吹き返すこともなかった。

木暮はの首筋にするりと指を這わせると、目を細めた。

「そんなに好きだったの?」
……そんなに好きだったの。公は?」
「そんなに好きだったよ」
……過去形?」
「いや、まだ、続いてる。というか、途切れたこと、なかったのかもしれない」

関係は最悪に険悪になったけれど、そもそもお互いのことには不満がないカップルだった。いくら時間が経っても、相手がどんな人物かは熟知しているし、後悔は全て洗い流してしまったのだし、今度こそ失敗しないように努力していけると思えた。

そして、いつか取りこぼしたチャンスがまた巡ってくるのなら。

、もう1回好きになっていい?」
「私ももう1回好きになっても、いいなら」

ぽちゃん、と湯が跳ね、雪の上を撫でる風が吹き込んで湯気を攫っていく。木暮はの体を抱きかかえて唇を落とし、も木暮の頭を抱え込んだ。

湯の中にふたりの体がふわりと浮いて、また辺りは全て湯気に包まれた。

ふたりの元に救助隊が到達できたのは翌日の昼頃のことだった。本館の方から谷底の川へ降りる小道を除雪し、川に即席の橋を差し渡し、また上に登る小道を除雪という重労働に時間がかかったからだ。

しかしと木暮はふたりでゆっくり温泉に浸かっていたら強烈な睡魔に襲われ、寄せ集めの布団に潜り込むとぐっすり眠ってしまい、電話で起こされるまで意識がなかった。というか「今から向かう」という着信には出たが二度寝、登りの小道を除雪したら帰れるぞと連絡をもらってようやく起きた。

「いや、確かに若いよ? 18だもん、若いよ? だけど除雪めっちゃ疲れる。もうこれ明日腕上がんない。若いんだから大丈夫よすぐに筋肉痛も来るしってすぐに来ても数日遅れて来ても痛いことには変わんねえじゃねえか。で、苦労して救助に向かったらヨリ戻りましたってアホか!!!」

帰りのバスの中で愚痴愚痴言っているのは木暮組のひとりで、女将の采配により救助隊に放り込まれて寝ずに働いたと思ったらと木暮がしれっとカップルになっていたので面白くない。

というかこのバスは旅行社が新たに用意したマイクロバスで、組と木暮組、そして神奈川から応援に飛んできた旅行社のスタッフだけを乗せて帰路についている。ツアーの他の参加者はふたりの帰還を待たずにチェックアウトをし、予定通りのコースに向かっている。なので好きなだけ騒げる。

そして愚痴愚痴文句を言われているカップルは苦笑いで手を繋いで並んでいる。

「ていうかさ、オレら寝てないしずっと働いてたしすっげ心配したけど何やってたんよ一晩」
「どうにも隙間風が防ぎきれなくて、食べては風呂入ってを繰り返してたんだけど」
「1時頃だったかな、突然ものすごい眠気に襲われて、そこからほとんど記憶ないんだよね」
「ほんとに寝てたの? 寝てただけ? 眠る方の寝たでいいの?」

というかこの愚痴愚痴言っているひとりを除き、全員ぐっすりである。彼らは妙に張り切っている女将に働かされて徹夜、先代のオーナーに捕まっていた那須与一も救助隊に放り込まれていたし、の友人たちは女将に連行されて厨房で炊き出しの手伝いをさせられていた。

「さっきざっくりとしか聞いてなかったんたけど、何、元サヤっていつの話?」
「中2から中3にかけて」
「でも一度は別れたんだろ。それなりの理由があって」
「子供だったからさ」
「今だって大人っていうほどでもねえだろい」

どうもと木暮以外はカップルに発展しそうにない。どちらもやはり「友達としては楽しいけど……」という範囲を出なかったようだ。なので余計に急転直下で付き合い始めたふたりにツッコミをかましたくなるようだ。

苦笑いでそれに付き合っているふたりはしかし、遠慮せずに手を繋ぎ、肩を寄せ合っている。後悔が湯に流れて消えたことで気が緩んだのか、髪を乾かすのですらやっとで寝てしまったが、目覚めても気持ちはそのままだった。深夜テンションではなかった模様。

たちのツアーは2日目の行程を全てキャンセル、と木暮が地域の診療所で簡単な診察を受けたのち、有無を言わさずに神奈川に送り返されることになった。自然災害という不可抗力のアクシデントだったので返金などは行われなかったけれど、宿からは地元の特産品詰め合わせダンボールがひとりひとつずつ押し付けられ、いや贈られ、旅行社からはテーマパークのパスポートをもらってしまった。若干結果オーライ。

なのでぐっすり眠っている仲間たちも愚痴愚痴言っている彼も、言うほど機嫌が悪くはない。

だったらみんなでテーマパーク行くか! という話にならなかったのは、カップルが誕生してしまったからか。もちろんと木暮は学校が始まるまでにふたりで行くつもりである。

ひとり愚痴愚痴言っていた木暮組のひとりであったが、やがて「オレも眠くなってきた。到着30分前くらいになったら起こして」と言い残して眠ってしまった。

友人たちの寝息だけが静かに響くだけの車内、は木暮の肩にそっと頭を寄せた。脱衣所で臭う毛布だったが、夢も見ずに熟睡だったおかげでちっとも眠くない。

「なんか、楽しかったね。一生忘れられないよ、こんなの」
「今度はふたりで旅行、しようか」

がちらりと目を向けると、木暮の横顔はちょっと照れているように見えた。

友人たちによりを戻して一晩何もなかったのかと散々突っつかれたが、それはもう気持ちよく寝ていた。すっきり目覚めている今となっては、ちょっともったいなかった気がしてくる。一緒に温泉まで入ったのに、温まっただけで終わってしまった。

は繋いだ手に手を重ね、音を立てずに笑う。

「じゃあ、今度は雪のないところに、しようね」

よく晴れた青空の下、マイクロバスは春の風に追いかけられながら神奈川に帰っていった。

END