ゆきのよる

木暮編 2

荷物を置いた組は早速木暮組の部屋へ向かい、わいわいと喋りながらゲームを開始した。木暮の仲間が持参したカードゲームは4種、どれも見慣れないものだったのでルール説明から始まり、その間にも横道にそれて余計なお喋りが加速するので、ひとつめのゲームを一戦やってみた頃には夕食の時間が迫っていた。

休憩らしい休憩も挟まなかったので若干疲れを感じないでもなかったが、興奮が取れないので気にならなかった。特に組は部屋に戻って防寒だけでなく髪やら化粧やらを直し、いそいそと外に出た。

雪の中でバーベキューと言っても、要はグランピングスタイルのテント張りの下で供されるグリル料理で、モダンな造りの2号館の宿泊客に向けたサービスのようだ。そもそも本館は純和風の造りで、趣が全く異なる。各種温泉施設も古い造りのようなので、2号館だけがちょっと浮いている状態でもある。

たち卒業旅行ツアーの一行は広くてラグジュアリーなテントに歓声を上げた。キャンドルの灯りが揺らめき、巨大なグリルでは既に食材が香ばしい匂いを放ち、ピザ窯の中では炭が真っ赤に燃えている。それほど高価なツアーではなかったはずだが、一体どうしたことか。

高校生向けのツアーだからなのか、食事は肉やピザ、あるいはフライなどの揚げ料理、そしてスイーツが中心というメニューだった。野菜も少なめ。魚はほとんどなし。しかしそれが嬉しいお年頃、参加者は大喜びで舌鼓を打った。もちろんアルコールはないが、ワイングラスのグレープジュースやアップルタイザーがまるでワインやシャンパンのようだ。

そして雪が舞う中を地元産のフルーツを使ったジェラートでシメとなったが、テンション上がりっぱなしの10代なのでペロリと平らげ、気付けばグリルの火も落ちていて、たちは大満足で部屋に戻った。時間はまだ21時にもなっておらず、ここ半年ほど受験勉強で深夜まで起きていた癖も抜けていないので、眠くもなければ疲れも忘れてしまった。

「まさか混浴てことはないよね〜」
「混浴って言っても、水着とか着てたらプールと同じだよね」
「ねえねえ、化粧どうすんの、落とすの?」

木暮組と露天風呂に行く約束をしたのはいいが、組は大騒ぎである。たかが風呂なので荷物は減らしたいところだが、どうにも部屋の貴重品入れは信用ならないし、4人分の貴重品全てが入るほど大きくなかった。それに携帯は手放したくないし、既にメイク顔で接してきたのでスッピンが気になる。

「でも男子ってスッピン好きなんじゃないの」
「それってスッピンでも化粧したみたいな美人がいいっていう意味でしょ」
「じゃなくて化粧顔好きじゃない人とかもいるじゃん」

お前ら安全安心な一夜のアバンチュールじゃないのか。は携帯を防水バッグに詰めながら心の中で突っ込む。まさかとは思うが深夜まで遊んでそのまま乱交みたいなことにはならんだろうな、という不安が頭の片隅にあるけれど、当の木暮がそうした不潔感を嫌うタイプなのでそこは信頼しておく。

さらに自分に限って言えば、木暮の仲間に可愛いと思ってもらう必要もなければ、木暮とは当然スッピンで何ヶ月も過ごした仲なので問題なし。遠慮なくメイクオフさせていただきます。

むしろ問題は備え付けの「浴衣」だった。2号館は全てベッドで部分的にはフローリングの部屋だったし、それは廊下も階段も同じなのだが、律儀にクローゼットの中には浴衣が置かれていた。

問題はふたつ。ひとつは浴衣に旅館羽織だけという防寒として弱い問題。外は既に雪が舞い、しんしんと冷え始めている。旅館羽織が綿入れになっているならともかく、ペラペラ。その上袖が短い。たちも夕食の時は発熱インナーにダウンを着ていた。風呂との往復だけとはいえ、ちょっと寒そう。

ひとつは当然ながら「旅館浴衣を着慣れないのではだける心配」である。はだけさせたいわけでもないし、そういうアピールをしていると思われたくないし、はだける心配があると気になって楽しめない気がする。違う意味で色気は出せるかもしれないが、正直色柄も可愛いわけではない。

……別にいいよね、普通の服で」
「てかさっきのジェラート、今頃冷えてきた。寒いから着ていきたい」
「帰りは着なきゃいいんだもんね。それ用にバッグ持っていけばいいし」

ということで組は化粧の問題だけを残して、それぞれそこそこ大荷物で部屋を出た。鍵はかかるが、旅館という性質上他にも鍵はあるわけだし、出来れば荷物は全部持っていきたいくらいだが、やむをえまい。

外に出ると、やはり木暮組も先程と同じ服のままだった。というか若干装備が増えている。

「食ってる時は気にならなかったんだけど、冷えてきたよな」
「雪の量は同じみたいだけど、ちょっと風が強くなってきたのかな」

と、そんなことを言いながら外の渡り廊下に出た瞬間、8人は悲鳴を上げた。寒い!

「今年、雪降らなかったからこんな冷たい風久しぶり……
「雪の粒が小さいから顔に当たると痛い〜!」
「温泉! 早く温泉!」

2号館を出て渡り廊下を行くと、やがて本館からの渡り廊下と合流する。そして一本になった廊下は風を吹き込ませながらくねくねと折れ曲がり、最終的には外に出る。そこからほんの数メートル行くと、この宿の名物である吊り橋が見えてくる。

風は強いが、吊り橋はピクリとも揺れておらず、頑丈な作りであるらしい。橋の袂では宿のスタッフが雪を掃いていて、どうもと頭を下げている。

「お寒いでしょう、ゆっくり温まってきてくださいね」
「あの、これ、吊り橋、大丈夫、ですよね」
「3ヶ月に1回メンテナンスをしているので大丈夫ですよ。しっかり補強してあります」

促されて見てみると、橋の袂には金属が見え隠れしているし、踏み板にはちらほらと新しい木材が使われている。表面の脆い綱や蔦などは演出なのかもしれない。安心したたちはしかしキャーキャー騒ぎながら吊り橋を越え、雪の積もった対岸に渡った。

するとまるでファンタジー映画にでも出てきそうな、純和風だが幻想的な建物が現れ、その向こうにはもうもうと湯気が立ち上っていた。湯気がライトアップの照明にかかると余計に雰囲気が増して、8人は感嘆のため息をついた。古い温泉宿だと思ってたけど、何これかっこいい。

中に入ると、男女に分かれる前に共用のラウンジがあり、自動販売機やこの温泉の起原の史料などが展示されていた。どうやらかつては湯治場として人気があったらしい。

この宿の温泉は全て源泉かけ流しで、傷や皮膚病、胃腸にも効くらしいが、美肌に効果ありという大きな文字には組全員が飛びつき、木暮組のひとりも食いついた。ニキビ痕がなかなか治らないらしい。一度入ったくらいでは効果はあるまいが、ちょっとテンション上がる。

混浴だったりしてー! などと騒いだけれど、もちろんそんなことはなく、8人はやっと元のグループに別れて暖簾をくぐった。外は寒いが、温泉の熱気がじんわりと漏れ出てきている。

秘湯と言う割に古さが感じられない脱衣所に入ると、どうやら他の利用者がいない様子。確かに温泉で温まるのだとしても外に出たくない寒さだった。どれだけしっかり温まっても、帰り道で全部冷めてしまいそうだ。

露天風呂は雪の残る岩風呂で、男湯とは竹を組んだ仕切りの壁があるだけ、屋根も申し訳程度。湯気はもうもうと立っているが、とにかく寒い。たちはそのまま湯船に飛び込んだ。そこそこ熱い湯だったが、素肌に痛い雪礫よりはましだ。

「あれっ、ねえ、体流さないで入っちゃったけど……
「えっ、ダメなの」
「だってみんな使うものでしょ」
「あ、あんなとこにシャワーあるじゃん」

4人はしまった、という顔をしたけれど後の祭り。というかシャワーは脱衣所のドアの脇に板塀で囲んだブースがふたつあるだけなので、正直気付きにくい。

寒くて湯から出たくなかったけれど、4人は渋々交代でシャワーブースに駆け込んで体を洗い流し、改めて湯に浸かる。かけ流しの湯量は多いようなので、早く流れていってくれると助かります。

そうしてやっと肩まで湯に沈むと、4人ははぁ〜っとため息をついた。ものすごく寒かったけれど、少しとろみのある湯が気持ちいい。広い岩風呂に足を伸ばし、そっと腕を持ち上げると雪に反射した照明が照り映えて肌を美しく輝かせる。

が、話す内容はやっぱり木暮組の話題だ。

「ムカつくこととか言ってこないし、すごく面白いってわけじゃないけど、楽しい子たちだよね」
「そうそう。いい人たちだなあって感じ」
「同じ学校だったら仲良くなれただろうな〜って感じ」

友人たちの話す内容が中学時代の木暮評そのもので、はこっそり笑った。そうなんだよ、誰にでもこういう印象を持たれるんだよ、付き合いの浅い人からは本当に誰でも。木暮組は見事に同類だけで構成されているようだ。が見てもそういう男の子たちだと思った。だが――

「でも付き合いたいかって言われると……
「そこだよねえ」
「なんかそういうのは考えずに友達でいたいなって感じ」

それもよく言われてた。はニヤニヤを抑えきれない。特別親しいわけではない女子から木暮もまったく同じことを言われていた。修学旅行の夜だ。身近な男子の一斉査定で盛り上がった2日めの夜、は彼氏が「B判定」になったことを大笑いしていた。自分の男がモテないのはいいことだ。

ただ、普段あまりこうした話題に積極的でない大人っぽい子がぼそりと「そのB判定と付き合ってるの反応を見てると、私たちは上辺しか見てないんだろうなって思う」と言われて冷や汗をかいた。

何しろ木暮は一見して目立たなくて無害そうなタイプ。部活を頑張っている快活な少年だったけれど、キャラの濃すぎる相棒がいつも一緒だったので、余計に地味に見えていた。それも嘘じゃない。決して派手なタイプではない。

だが、木暮という人はその一見地味な印象の中にたくさんの「意外」も持っていて……

は?」
「えっ!?」
「なに、聞いてなかったの。ぶっちゃけどんな男ならパーフェクトなのかって話」

木暮組の人畜無害さが物足りないらしい友人たちは「完全なる理想の恋人」とはなんぞやという話になっていたらしい。パーフェクト……昔木暮のことパーフェクトだと思ってたな……

「うーん、やっぱり自分のことを大事にしてくれる人、かなあ」
「何その逃げた答え」
「それはデフォルト。優しいとかムカつかないとかそーいうのはもう標準装備!」
「それ以上のオプションつけるなら何、って話だよ」

車みたいな話になってきたなとは笑いつつ、抑えようとしてもどんどん溢れ出てくる過去の記憶に流されていた。そういうのなくても、私はあの人が大好きだったよなあ……

「私あんまり装備がたくさんあるのは苦手かもしれない。シンプルがいいのかも」
「つまんなくない?」
「飽きない?」

真顔で首を傾げる友人たちの顔が面白くては笑った。

そして声を潜めた友人の「てか中2で付き合ってた相手、どこまでやったの」という問いにも笑いながら「軽〜いチューを何回かしただけだよ」と答えてしまった。

大好きだったのだ。そんなわけがない。

まだ幼いがゆえにどうしても一歩踏み込めなくて、今でもは処女のままだが、一線を越えてしまいたいという気持ちは持っていたし、越えることも不可能ではなかった。他人と素肌を重ねるということへの恐怖感も、嫌悪感も、木暮が相手なら気にならなかった。

湯にふっくりと浮かぶ白々とした乳房も、今より小さかった。

今だってまだ子供みたいなものだけど、あの時はもっともっと、子供だったな――

すっかり温まって熱いくらい! ……と思って湯から出るとまだ寒い、というのを何度か繰り返したたちは木暮組と連絡を取りつつ、風の勢いが強くなるばかりで、時折り遠くに空が光るのを目にしてやっと風呂を出た。

天気が荒れ模様になっても部屋にさえ帰りつければ問題はない。また暖かい服に着替えて木暮組と一晩中楽しく遊びたい。男女や恋愛や性や、そういうものを気にしなくていい友達という感じで実に心地がいい。木暮さえいなければもそれには同意だった。

温まったと思ったらまだ寒かった、というのは木暮組も同じだったようで、こっちの4人も真っ赤な顔をしていた。でもなんとなく寒い。

「あと温泉てどこにあるんだっけ」
「大浴場はまだ開いてるはずだけど、深夜はどうなんだろう」
「部屋風呂でもいいけど水道水じゃもったいないよな」

添乗員の説明では、本館の大浴場は23時で閉鎖だったはずだ。そして今入ってきた露天風呂と、その他にもいくつか温泉があったはずだが、把握していなかった。

「てか長湯したら腹減ってきた」
「うん、ちょっと小腹減ったよね」
「食べ物って……
「土産食うしかないのか?」

ひとまず部屋に帰って身支度を整えたのち、また木暮組の部屋に集合の予定である。カードゲームもジェンガも残っているし、深夜テンションで男女腹を割って話すのも面白いかもしれない。場の空気が悪くなったら部屋に帰ってしまえばいいだけのことなので、実に気楽だ。

どうせ今夜限りの友達だしね、なんてことは腹にそっと隠したまま、8人は冷たい風に肩をすくめながら2号館に向かって歩く。その殿でまたと木暮はぽつんと取り残されていた。友人たちのように積極的に話に入っていかないので、どうしてもいつも残される。

先を行く友人たちが組女子の「風呂上がりなのに化粧」はどうなんだ、とわいわい騒いでいるので、つい木暮はちらりとの顔を見た。が、は堂々のドスッピンである。ただ保湿はしてあるので若干テカっている。

……はいいのか、化粧、しなくて」
「公の友達に色目使いたいわけじゃないし、あんたに化粧して見せても」

ふたりはここで初めてお互いの名を呼んだ。はそのまま、木暮は公延という名が長くて言いづらい、とが縮めて公と呼んでいた。しかしそれもふたりきりにならないと滅多なことでは口にしない名だった。

そしての言葉に木暮も過去の記憶を引き寄せていて、つい遠い日の女の子を想ってしまった。

「化粧、してなくても、かわいいよ」

それは自分のよく知る記憶の中の中学2年生の女の子の面影への郷愁と、楽しかった日々と別れの険悪さへの後悔が混ざった複雑な感情が言わせた言葉だった。隣を歩く同じ18歳の女の子の素顔をしっかりと見つめて選んだ言葉ではなかった。

それを感じ取ったのだろう、は足を止めた。

……?」
「どうしてそういうこと言うわけ?」

木暮は意味がわからなくて一歩先で足を止めた。そういうことって……

「な、何かマズいこと言った?」
「私たちもう別れてて他人だよね? それを『かわいいよ』って何?」
「えっ、褒めたらダメなのか」

ひときわ強い風が吹いて、の乾ききっていない髪を揺らす。木暮の向こうでは吊り橋の篝火が大きく揺れ、吊り橋を渡っている友人たちのキャーキャー騒ぐ声が風に乗って渦巻いている。

……あの頃、付き合ってる時にそんなこと、言ったこともなかったくせに」
……そう、だったかな」
「覚えてないよね、当然――

公が覚えてるのは部活のことだけ、私のことなんか覚えてないくせに! そう言おうとしただったが、重い空気の塊のような風についよろけた。木暮が素早く手を伸ばして捕まえたけれど、木暮自身も真っ直ぐ立っていられない。

その瞬間、ふたりの背後で大きな音がして、辺りが閃光に包まれた。

は木暮の腕にしがみつきながら、耳に友人の声を聞いて顔を上げた。

「えっ、う、嘘でしょ……!?」

ふたりが風に目を凝らして振り返ると、唯一の道である吊り橋に火が付いていた。

、下がって、風が強くて危ない」
「橋、どうするのあれ、旅館に戻るの、橋の他に道がないのに!」
「だけど今は渡れない! 無理だよ」

雪で湿っていたはずの吊り橋だが、どうやら篝火には燃料が使われていたようで、倒れた篝火の周辺が勢いよく燃え上がっている。それが吊り橋の踏み板やロープに燃え移り、なんとそこに落雷が直撃したようだ。かなり強い風が吹いているが、火は勢いを増していく。

吊り橋の方に行こうとするを抱きかかえた木暮は力ずくで後ろに下がる。燃えている吊り橋も危険だが、落雷も危険だ。早く屋根のある場所に入らないと。かろうじて友人たちの叫び声が聞こえるけれど、それはまた携帯で連絡を取り合うしかない。

、ひとまずさっきの露天風呂に戻ろう」
「わ、わかった」

恐怖で目が泳いでいるとしっかり手を繋いだ木暮は、出来るだけ平静を装う。自分だって怖いけれど、を守らねばと思えばそれを振りかざす気にはなれない。

「大丈夫、きっと何とかなる」

それはへの励ましの言葉でもあり、自分へ言い聞かせるための言葉でもあった。