ゆきのよる

神編 1

のんびり一晩雪をやり過ごせばいい、その間は安全のために行動を慎み、楽しく遊んでいれば大丈夫!

……そう考えていたたちだったが、そもそも昼食を済ませただけで夕食は準備をしてくれるスタッフもいなくなってしまったし、1号館には大浴場しかないので、万が一のことを考えると心許なくなってきた。食料や応急処置に必要なものなどを運んだ方がいいのでは?

幸い人数は多い。全員で取り掛かれば雪がさらにひどくなる前に準備ができるはずだ。

「これからさらに雪の勢いが強くなるかもしれないし、遠いところからにしようか」
「でも全員でやってると時間がもったいないから、分かれた方がよくない?」
「遠いところは雪国トリオと監督に行ってもらおうか」

万が一雪の勢いが衰えずに1号館の中に閉じ込められてしまっても大丈夫なように準備をするため、先月末から新たに主将に就任した神と、それをサポートする役割がより強くなってきたマネージャーのはロビーで携帯を片手にあれこれ相談をしていた。

1号館に運ぶ必要のあるものはまず食料、次に応急処置のために必要なもの、そしてこの低気温に対する備えとして、予備の寝具。これらは厨房とダイニングのある本館、救護室のある体育館、そして備品倉庫にそれぞれ置かれているため、手分けして往復する必要がある。

本館と備品倉庫がやや近い位置関係ながら、中でも体育館は雪道ということを考えるとかなりの距離があり、その多くが湘南育ちである部員たちには大変な道のりになる。

幸い部員の中には北陸と東北出身の部員がいて、少しでも雪が降るとヨタヨタ歩きになってしまうたちと違い、10センチでも積もると大騒ぎの関東においては積雪時健脚を如何なく発揮している。なので1番距離のある体育館は彼らに任せる。救護室に行っての指示したものを取ってくる。

「備品倉庫の方は高砂さんに頼もうかな」
「そだね。そこは私みたいなのが行っても役立たずだろうし……
「で、あとは全員本館。夏に一度やってるからそんなに混乱しないと思うし」

備品倉庫からは寝具を運んで来なければならないため、部内でも特に体の大きい者に行ってもらうのが早い。そしてその選抜から外れた全員で本館の厨房。夏合宿の際にはの指導で何度か自炊もしているので、神の言うようにそれほど大変な作業ではないはずだ。

「よし、じゃあさっさと始めよう。なんかどんどん雪積もってるし」
「じゃ、私役割分担説明してくる。神は監督に報告お願いします」
「了解」

と神は同学年なので、入部したときからずっとこんな調子だ。の方はマネージャーとしての役割上3年生と一緒にいることが多く、そういう意味では神の相棒状態になり始めたのは昨年末からだが、ふたりは部活に対する「姿勢」が近い傾向にあった。

どちらも悪ふざけや怠慢からは程遠い人物であり、特に3年生が引退して体制が変わってからは若干厳しくなった。その絶対的大黒柱感でひとり部を取りまとめていた先代の牧と違い、神は寡黙で大人しいタイプなので、共々心を鬼にして厳格な姿勢を崩さないようにしている。

というか神が本来は優しいタイプなのでどうしても厳しくなりきれない時もあって、はそんなところもきめ細かにサポートしている。

それを稀に外部から「内助の功の押し付けだ、女性蔑視だ」と言いがかりをつけられることがあるが、男子バスケット部のマネージャーというポジションは自身が望んだものでもある。それを「対等な関係だ」と示すためには、部員たちが態度に表して証明していく必要があった。

部員全員でそれを実践してきたので、最近ではそういった雑音が聞こえてくることはなくなったけれど、そういうわけで神が主将で部長、副主将が副部長、ということにはなっているが、部の管理ということで言えば実質がナンバー2というのが正しい状況になっていた。

そんなわけで、この度の合宿所でのアクシデントへの対応もそれを取り仕切っているのは神とであり、マネージャーから役割分担を説明された部員たちは学年関係なく「わかりました!」ときちんと返事をする。3年生も同じだ。

「あ、でもすいません、高砂さん、備品倉庫の方お任せしていいですか」
「おう、もちろん。必要なもの、リストアップしてくれるか」
「はい、送ります。牧さんには本館をお願いしたんですが」
「了解。でもオレじゃなくて神が仕切った方がいいんじゃないか?」

牧はそのカリスマ性と老成した物腰で有無を言わさず部員たちを従えてきた人物である。後輩たちは彼の一声でなんでもやるだろうが、それでもとっくに引退した身であり、本来なら自由登校で学校にもほとんど顔を出さない時期。今後牧の立場に取って代わらなければならないのは神のはずだ。

「そうなんですが、管理事務所の方に戻ってるスタッフの方たちと連絡を取らないとならなくて、その間の厨房をお願いしたんです。1番人数が多いし、でも急がないとならないから」

何も後輩たちが新主将の神を舐めているわけではない。むしろ好かれている。だが、大人数に向かって大きな声を上げた時の迫力はどうしてもまだまだ牧に劣る。しかもこれが普段の学校での練習ならともかく、割と非常事態の合宿所である。牧の方が早い。

それは牧自身も自覚があるので、すぐに頷いてくれた。高砂率いる備品倉庫班は既に出発、1番距離がある救護室班も身支度をして戻ってきた。は彼らに必要なもののリストを送信、ないしはメモを手渡すと、残った全員を集め、牧に先頭を託して本館に出発した。

そのしんがりで神とまだあれこれと相談する必要があったからだ。

「確か去年、焼き肉みたいなの出たよな? ほとんど野菜だったけど」
……あった! 確か家庭用のカセットコンロに鉄板みたいなのが乗ってて、何人かで」
「厨房で調理して運ぶのもいいんだけど、それ持ってきて1号館でやった方がよくないかな」
「そうだね。ていうか風がさっきより強くなってるよね」

当初の計画では本館の大きな厨房で今夜と明日の朝食を作ってしまい、配膳用のコンテナに詰め込んで持ち帰る気でいた。だが、それでは本館での滞在時間が長くなるし、水分の多い料理はより慎重に運ばねばならず、雪道であることを考えると時間のロスが大きい。

「だったら炊飯器なんかも持ってきちゃおうか。元あった場所は全部撮影してくればいいし」
「そういやここの炊飯器って家庭用のがたくさん並んでるだけだったな」
「まあ、ホテルじゃないからね。たぶん高校だから調理スタッフ入れてくれてただけだと思うし」

そう、ここはあくまでも海南大学が有する合宿施設であり、スタッフによるサービスともてなしを受けられる場所ではない。夏の大学の方の合宿であれば全て自分たちで行う場合が多いとも聞く。なので厨房には素人でも見慣れた家電が多い。

それを運ぶだけなら途中でコンテナが転がり落ちたとしても問題ない。カレーを作って鍋を落としましたでは取り返しがつかないけれど、器具と食材を運び入れるだけならその方が早い。

「じゃあまずは厨房で必要なものをピックアップして、どこに何があったかを全部撮影して、それの梱包と搬出を牧さんにお願いして、フロントに行くのはそれからにしようか」

のまとめに神は鼻を啜りながら頷いた。ずいぶん風が強くなってきていて、何を措いても優先されるべきは「短時間で1号館に戻ること」になりつつある。備品倉庫班と救護室班にも逐一報告を入れるように頼んである。早く終わった所があれば別の班に加勢してほしい。

本館班は最後の出発だったため、の携帯には早くも備品倉庫班から到着の連絡が入った。備品倉庫には事務室があり、普段ならそこで備品の入出をチェック、管理しているらしい。だがそこを通さずに備品を持ち出すことは既に許可を得ている。

「備品倉庫班早そうだね」
「基本毛布とかだけだしね。まとめてビニールシートでくるんで引きずってくるって」

高砂の報告には、どこから何を持ち出したのか記録しておくとあった。ついでに管理室を覗いてみたらお菓子の箱があったので持って帰ってくるという。夏場に買い込んだまま忘れていったのだろう。

「前に、監督に昔は合宿の時にお菓子とか厳禁だったって聞いたことあるけど、すぐ近くにコンビニがあるような場所の合宿ならともかく、こうやって街から離れた場所の時はお菓子の持ち込みがあった方がいいね。これも書き残しておかないとな」

は神が主将に就任してからというもの、個人的に「女子マネージャーマニュアル」というものを作成していて、とりあえずノートに必要なことを書き記して溜めこんである。いずれそれらはパソコンで清書・印刷して後輩たちのために残すつもりだ。

そんなことをブツブツ言っていたら、はゆるい階段の最下段で足を踏み外し、雪で滑ってぐらりと傾いた。神が素早く腕を掴んで引き戻し、しっかり支えてやる。

「大丈夫か」
「ご、ごめ、ありがとう。あー、びっくりした。もう一段あるの、わからなかった」
……は余計に大変だよな」
「えっ、そんなこと。ひとりで雪の中何か取ってこいって言われてるわけじゃないし」
「それはそうだけど、普段から鍛えてるわけじゃないんだし」

マネージャーとして活動のほぼ全てに参加しているとは言え、確かに毎日何キロも走ったり飛び跳ねたり筋トレしたりしているわけではない。ちょこまかと歩き回る必要はあるけれど、女子運動部の部員ほどの運動量はもちろんない。

神が前方をちらりと見ると、全員牧の背中を追いかけて夢中で歩いている。が滑ってキャッと上げた声も風で届かなかったようだ。なので神はそのままとしっかり手を繋いで歩き出した。

「うう、ごめん」
「怪我のないようにしないと」
「でもふたり揃ってコケそうになったら絶対手を離してよ。神が怪我する方がダメだからね」

何しろこれから年末まで全国でも有数の強豪チームを牽引していかなければならない人で、元々チームの主砲でもあり、3年生が引退してしまった今、神はチームにとって1番大事な人なのである。それがマネージャー庇って怪我など言語道断だ。

神ははいはい、と茶化したような返事をして、またの手を引いて歩いていった。

本館はの目論見通り、牧に現場を任せたことで無駄なく無理なく必要な作業がすぐに終わった。

食品と調理器具をそれぞれコンテナに詰め込み、家電類は部員たちが空にして背負ってきたリュックやスポーツバッグに入れてどんどん運び出す。厨房の冷蔵庫はほぼ空っぽになり、ダイニングに用意されていた菓子パンやらドリンク類なども根こそぎ持ち出す。

今夜は1号館に缶詰で遊ぶことになっているし、雪の状態如何によっては明日の朝本館に移動するのも困難になるかもしれないし、晴れて日が昇り雪が溶け出すまで1号館から一歩も出なくていいようにしておきたかった。

持ち出した備品が元はどこにどんな状態で置かれていたか、それを全て記録し終わると、は神と一緒に本館1階のフロントに立ち寄った。そこに施設内の鍵やマニュアルなどがまとめてあるので、それらを管理事務所のスタッフに確認して、必要なら持ち出したかった。

「元々1号館の大浴場の鍵は開いてたけど……
「グラウンドの倉庫とか必要ないもんな」

とはいえフロントに並ぶ鍵のほとんどは必要がなさそうだった。体育館は午前中に使用した時点で開けてもらっていたし、備品倉庫は監督が事前にスタッフから預かっていたし、1号館の内部も全部開いていたし、そもそもこんな雪では防犯の面も心配なさそうだ。

本館班は既に牧の先導で1号館へ出発しており、残ったふたりが鍵を確認していると救護室班から報告が入った。無事に必要と思われるもののピックアップが終わり、今から体育館を閉めて1号館に戻るとのこと。監督が足を滑らせて捻挫したようなので時間はかかるが、雪国トリオはこの程度の雪なら自分たちだけで大丈夫だと報告してきた。

「捻挫……! やっぱり救護室に行ってもらってよかった」
「あったあった、これ1号館の大浴場のマニュアルじゃないか?」
「分厚い! 使い方っていうか、管理マニュアルなのか……

フロントはそれほど大きくなく、デスクひとつに固定電話、パソコン、マニュアル類の収めてある棚くらいの設えだった。ふたりはそこであちこちを漁り、マニュアル類を取り出してまとめてみたら、ずいぶん大量になってしまった。この雪の中、こんな重量のあるものを運ぶというのか。

「必要なページだけ撮影していった方がいいかな」
「じゃあオレその間に管理事務所に電話してみる」
「了解、よろしくー」

はマニュアルをめくって必要と思われるページを探し、その都度写真に収めていく。固くて重いバインダーに閉じられているマニュアルも多くて、とてもじゃないが全て持ち出せそうにない。

その間にもの携帯には続々と報告が入り、まずは備品倉庫班が無事に到着、少人数が気になって雪国トリオに連絡したら監督が捻挫と聞いて、高砂と数人が応援に出た模様。

その傍らでは神が管理事務所に連絡を入れたのだが、こっちはこっちで、合宿所を出たスタッフ数人が雪道立ち往生にハマってしまって動けなくなり、その上自分たちも帰れるかどうか怪しくなってきたのだと慌てていた。

……なんか下でも雪すごいみたいだな。事務所の人オロオロしてる」
「雪が降るかもって予報はあったけど、こんなに積もると思ってなかったしね」
「これは明日の午前中は雪合戦だな」
「チーム分けはどうしようか」
「きのこ派とたけのこ派」
「それ試合にならないんじゃないの」

フロントのカウンターの中でふたりはへらへらと笑った。デスクチェアに腰掛けてマニュアルを撮影しまくっているの隣で、神はデスクに寄りかかって保留音を聞いている。時間はそろそろ17時になろうかというところで、すっかり暗くなり始めている。

雪は確かにこんもりと積もっているけれど、施設内は街路灯が点々と灯っており、さながらスキー場のナイター営業のようだ。なので帰り道は心配ない。

最後のマニュアルを開いていたの携帯に牧から1号館到着の一報が入る。捻挫した監督も無事に帰着、さっそく救護室から持ってきた湿布を貼りテーピングで固定し、痛み止めを飲ませたとのこと。すると神の聞いていた保留音が途切れ、落ち着いたスタッフの声が聞こえてきた。

いわく元々冬期の利用は附属高校のバスケット部だけだし、備品などは夏場の利用に備えて3月に一斉に確認作業に入ることになっているし、そこで施設に不備があれば毎年修繕を行うなどしているので、節度ある使い方であれば、どのようにしてもらっても構わない、という。

既に1号館に籠もるために調理器具などを持ち出したと言ってみたけれど、それも後で元に戻せばいいから全員で1号館にまとまって凌いでほしいと返ってきた。

はそれを横で漏れ聞きながら、確かにこんな冬場に合宿やるのなんてうちの部くらいだし、それはイレギュラーなことなんだよなあと考えていた。湘南にある海南大学にウィンタースポーツの部はなく、従って全ての施設はこんな厳寒の季節に使う前提で管理されていない。

だったら強化合宿など、例えば学校泊で行った方がリスクは少ないんじゃないか……そんな風に思えてきた。そうしたら悪天候でもすぐに帰宅できるし、こんな大袈裟な事態にならずに済む。

ていうかむしろどうしてもこの時期に強化合宿するなら沖縄でも連れて行ってよ。そうしたら暖かい中をのびのびと練習でもチームの結束強化でも出来るのに!

本館は夕食までの利用が前提の施設であり、その上そもそもは夏場の利用を想定して作られている。はデスクの下で足をパタパタと動かし続けていた。寒い。

――はい、ありがとうございました。失礼します。……よし、オレたちも帰ろう」
「暗くなったらずいぶん冷えてきたね」
「夏場は全館エアコン入れっぱなしなんだろうな。ここだけ冷やしたり温めたりするものがない」

神も冷え切ってしまったらしい。フィールドコートを羽織ってファスナーを首までしっかり閉め、雪で濡れて冷たくなってしまったスニーカーの紐を締め直す。

「じゃあ帰ったらみんなで食事の準備だな」
「わー、なんかトラブルもなく終わりそうでホッとしたー」
「早く風呂入ってゆっくりしたいね」
「ほんとそれー。つま先冷え切ってるよ」

そんなことを言いながらふたりは本館の正面入口のドアを開いた。すると突然、雪の混じった風が吹き付けてきてふたりの顔を直撃した。既に暗くなり始めている空、そこに渦を巻いて舞い上がる雪、街路灯の明かりすらぼんやりとしか見えなかった。

「わ、ちょ、なにこれ!? うわ、風が……
!」

あまりの風の強さにがよろけたので、神はまた素早く腕を伸ばして引き寄せ、急いでドアを閉めた。ほんの数秒しかドアを開いていなかったというのに、ふたりの体の前側は吹き付ける雪で真っ白になっていた。

「どういうこと!?」
……ここは一応山だし、風が強くなってきたんだ」
「これ、いつおさまるの」
「それはわからないよ」
「じゃあ、私たちどうするの」
「こんな前も見えない中を1号館まで歩くのは……危険だと思う」
「じゃあどうするの」

寒くて小刻みに震えているを抱き寄せながら、神はため息混じりに呟いた。

「ここで風がおさまるのを待つしかないよ。取り残されたんだ」

薄暗い本館のロビー、ふたりはそのまま俯いて肩を落とした。