ゆきのよる

花形編 2

初日のスキーは午後いっぱいで終了、ナイターはなし、翌日は朝からまた午後いっぱい滑り放題……という、本当にただ滑るだけの2泊3日なのだが、今年の2年生はそれでも大満喫しているようで、集合時間になっても半数近くがゲレンデから帰ってこないという事態に。

なので、先生たちのアシスタントはホテルに帰ってから、と思っていた3年生は早速2年生の連れ戻しに駆り出された。以外はスキー目的で参加しているだけあって、「上から回ってきます!」と飛び出していった。

「先生と私は無力」
「一緒にするな」
「だってさっきから何もしてないじゃん」
「待機組なんだよ」

時間通り戻ってきた2年生は既に別の場所に誘導されて待たされている。花形とはゲレンデの裾で戻ってくる2年生を待ち構えていて集める係だ。何しろふたりともスキー未経験者なので役に立たない。そして立ってるだけなので寒い。

「足が冷たい……温泉入りたい〜」
「部屋風呂で我慢しなさい」
「まさか6人一部屋だとは思ってなかった。しかも『きゃな』と一緒とか最悪」

が死んだ目をしているので、花形はつい顔を逸らして笑うのを堪えた。の言う「きゃな」は「かな」という名前の女子なのだが、とても自己中心的で主張が強く、「きゃな」もそう呼べと強制してのあだ名なので、彼女を敬遠している生徒は多い。花形も正直関わりたくはない。

そしてたち3年生女子は全部で6人、「きゃな」とその親友ふたりの3人が同室なのでげんなりしている。先生のアシスタントをやる都合上、3年生は部屋風呂を使えることになっているが、それもおそらく「きゃな」たちが好きな時に好きなだけ使った後にしか入れないはずだ。

「きゃな」とその取り巻きふたりがボーダーだったのは運が悪かったとしか言いようがない。

……お前、あんまり仲のいい女子って、いないよな?」
「きゃなたちみたいな毎日ベッタリくっついてるような友達はいないよ」
「そうじゃないのはいるのか」
「翔陽ではね。私1番仲いい子って中学ん時の友達だから」

2年3年と先生を追いかけ回してばかりだったがちょっと心配になった花形だったが、まあそういうパターンもあるだろう、ホッとして頷いた。自分も翔陽時代は部活ばかりで、部活外で親友と呼べるほど長い時間を親しく密接に過ごした友人はいなかった。

昔から型に嵌めたみたいに青春とか友情とか言いたがるけど、小中高の友達って意外なほど簡単に疎遠になっていくんだよな――ゲレンデの風に前髪を揺らしていた花形は自分の10代を振り返っていた。結局今でも親交のある「友達」は大学の時に知り合った男がほとんどだ。あるいは同じ幼稚園に通っていた近所住まいの姉弟となら今でも親しい。ほとんど家族だ。

長い時間を共に過ごしたはずの小中高のクラスメイトたちのほとんどはもう既に忘却の彼方で、しかも花形の場合はクラスメイトよりも部活の仲間の方が親密だったので、余計に過去の人々になってしまっている。さすがに翔陽時代のチームメイトとは連絡を取り合っているが、大学時代の付き合いの方が主になって久しい。翔陽時代のチームメイトたちもみんな同様だ。

だとしても、毎日こうして仕事と家の往復の中では彼らと会う時間も取りづらく、ちらほらと家庭を持つ人も現れ始めていて、のいう「ベッタリくっついてるような友達」はいないも同然だった。みなそれぞれに生活があって、それを大事にしていれば尚更だ。

雪山の斜面を滑り落ちてくる冷たい風に痛む頬、花形はぶるりと体を震わせて頭の中から湿っぽい考えを締め出した。そんなウェットなこと考えてる場合じゃない。遊びに来たんじゃない、仕事で来てるんだよオレは。

すると、隣のが携帯を耳に当てて着信に応じ始めた。

「えっ、誰? 誰が? 5組の……うん、女の子の方?」

何かあったのだろうか、花形は組んでいた腕を解いて少し屈み込んだ。

「どうした」
「いや、行かない方がいいよそれ、危ないよ」
、判断は先生がするから」
「ちょっと待ってて、すぐかけ直す。花形先生がうるさいから」

いくら3年生でも生徒は生徒、何かあった時は引率の教師の指示に従うべきなはずだが、は厳しい顔で通話を切ると、花形を見上げた。

「今電話してきたのは、ふうとゆず、それから大ちゃん。ゲレンデの左の端の方……たぶんあのあたりで、5組の女の子3人くらいが行方不明、どうやらそのうちのひとりが彼氏と喧嘩して、キレてコースを外れちゃったみたい。ふうたちが見つけた時、そこに残ってたのは彼氏の方の仲間の男の子4人と、行方不明の子の友達がふたり。先生、私たちが判断出来ることじゃないかも」

ふう、ゆず、大ちゃんは3年生だ。牧羊犬よろしく戻ってこない2年生をかき集めに出ていったが、ゲレンデの端っこで立ち尽くしている2年生を捕まえてみたら大変なことになっていたらしい。

花形は顔を上げてゲレンデを見渡した。もう薄暗くなり始めていて、いつの間にか風が強くなっている。益体もないことを考えている間に空模様が変わってしまったか。翻る前髪が不安を煽る。

「わかった。先生は主任の先生に報告するから、は全員動かないように伝えててくれ」

はすぐに頷いて電話を掛ける。花形も2年生の学年主任に指示を仰いだ。

すると、もう日没が近いし、何より急いだ方がいいとのことで、例の講習のインストラクターも含めたスタッフがスノーモービルで現場に急行することになった。それまで3年生たちに現場にいてもらい、大人が到着次第帰還という段取りになった。

「じゃあ先生も一緒に来てください。すぐに発見できるようなら後ろに乗せて連れ帰りましょう」
「わかりました」
「あ、あとさんも来てくれますか。現地との連絡係で」
「えっ、はい、いいんですか」
「先生の後ろに乗ってるだけです。行って帰ってくるだけ」

引率の先生たちは離れられないし、スキーは出来てもスノーモービルの講習を受けたのは花形とだけ。その上現場に向かうスタッフは全部で8人もいたので、花形は余計なことで頭がモヤモヤする暇もなくを後ろに乗せてスノーモービルに跨った。

「先生、ハンズフリーにして携帯を首に突っ込んで、それで掴まるからね」
「わかった。手を離すなよ」
「大きく曲がる時は言ってね」

片手で携帯を持ったままでは万が一ということもある。は携帯を襟元に差し込んでネックウォーマーで固定し、花形の背中にしがみついた。念願の二人乗りだが、そんなことを楽しめる状況じゃない。風も強くなってきた上に、はらはらと細かい雪も舞ってきた。

が現地組に今から向かうと声を張り上げると、スノーモービルは勢いよく走り出した。

2年生の女子がコースをそれてしまった場所に到着した一行だったが、やっぱり不明の3人とは連絡がつかないという。その上3年生から待機を命じられた男子2名が勝手に離脱、その場を動けないので以後所在不明とのことで、捜索対象が増えてしまった。

ともかく不明の女子3人の捜索のためゲレンデのスタッフが3名出発、さらに2名が離脱した男子の捜索に向かい、残った2名は大人しく現場で待機していた2年生と3年生を誘導してゲレンデを降りることになった。今度は花形とがもうひとりのスタッフと待機である。

「あの、お手数をおかけして申し訳ありません」
「いいえ、ないことではありません。安全が第一ですから、いいんですよ」
……天候、変わってきましたね」
「そうですね。これ以上荒れないといいんですが……

すると女子3人の捜索に向かったスタッフから無線で連絡が入った。管理事務所からの連絡で既に下山していてレストハウスの中で見つかったという。

「ひとまずよかったですね! 何も異常はなくて無事だそうですよ」
「あ、ありがとうございました」
「捜索に向かった3人もかなり下の方に降りていたみたいで、そのまま戻るようです」

男子2名の捜索の状況にもよるが、もしすぐに見つかるようならそっちと合流して戻りましょう、とスタッフは日焼けした顔でにっこりと笑った。どうやら捜索隊の中では年長らしく、冷静で頼りになりそうな余裕のある笑顔だった。

さんも寒いでしょう。よく頑張りましたねえ」
「えへへ、見込みがあるので!」

スノーモービルの講習で教えてくれたスタッフなので、はにこにこしながら頭を下げた。が、その頭を花形が突っつきながら「お礼を言いなさい」と突っ込んだのて、スタッフは声を上げて笑った。

「まあまあ先生、この状況で動じないんですから、これは褒めて伸ばすところですよ」
「はあ」
「それに女性は我々男より大人になるのが早いですからね。高校生でも頼りになります」

実は家内がアルバイトの女子高生だったんです、その時私は25歳で、とスタッフは照れているが、花形はサッと背中が冷たくなった。おい余計なことを言うな。そしてちらりと横を見下ろせば、案の定ニヤニヤを隠しきれないである。

するとまた無線で連絡が入った。風が強くなってきて聞き取りづらい様子だ。

「男の子、見つかったようです。コースの脇で木に寄りかかっていたそうなので、向かいましょう」

もうゲレンデは薄闇に包まれ始めている。相変わらず吹き続ける風に舞う雪は、大きさこそ変わらないものの、量が増えてきたように見える。無線の情報によれば翔陽高校の2年生は全員帰還、あとはが戻れば完了とのこと。

花形はスノーモービルに跨るに手を貸してやりながら、安堵のあまり、ついその頭を撫でた。

……よく頑張ったな」
「先生が褒めてくれるなんて、これ吹雪になるよ」
「失礼な」

はまた花形の背中にぎゅっと抱きつくと、腰を浮かせてこそこそと囁いてきた。

「ねえ先生、私がいてよかったでしょ? いい相棒だったよね?」

花形はそれには答えず、エンジンをかけ、ヘルメットのシールドを下ろした。

それから30分、風雪が強まってきたゲレンデの裾にあるレストハウスは大騒ぎになっていた。

花形とが戻っていないのである。

さらに、ふたりを先導してくるはずのベテランのスタッフも戻らず、無線も反応がなく、3人と連絡がつかないまま30分が経過、いよいよ大変な事故の様相を呈してきた。

だけを残して全員帰還できた翔陽の生徒たちは先にホテルに送り返され、学年主任だけが残っているが、これがまた花形が高校1年生の時の副担任だった人なので、とダブルで心配のあまり、真っ青な顔になっている。

とはいえ既にゲレンデは暗く、風と雪は止まる気配もなく、捜索に出るのは二次災害の危険が出てきた。3名が戻ってくるはずのコースは上級者向けのものだが、何もスノーモービルでそのコースを下ってくるわけではなくて、コースに沿ってゲレンデを降りてくるだけのはずだった。

その上同行しているはずのスタッフは生粋の地元民で、1歳からこのゲレンデで滑ってきたという最強のガイドだったはずだ。それすら連絡がつかないという事態にスタッフの表情も固い。

だが、それから20分ほどが経過した頃、監視塔のスタッフから無線で連絡が入った。ゲレンデをのろのろと横切る影があったので追っていたのだが、どうやらそれがベテランのスタッフらしいという。

スノーモービルがまた数台走り出て急行したところ、ベテランのスタッフはスノーモービルに乗ったまま意識を失っており、エンジンもかかったまま、どうやら自重に任せて滑降し続けていたらしい。彼は救急搬送された。

……もし彼がおふたりを先導していたのなら、見失ってしまった可能性が考えられます」

真っ青通り越して真っ白になってきた学年主任は、救急搬送されたスタッフと同様ベテランの風格漂う髭面のスタッフにそう言われてがっくりと肩を落とした。なんてことだ。

「3人が走っていたと思われる場所は普段なら見通しがいいのですが、この荒れ模様ですし、もし高いところで先導を見失っていたら、大きくコースを逸れてもおかしくありません。その先はよほどのスキーヤーでなければ危険な斜面になってしまいます。夏なら気持ちのいい登山道なんですが……

学年主任の先生は涙目になってきた。山より海の方が近い街に生まれ育ったふたり、雪の中はさぞ怖いだろう。寒いだろう。ああ、一体ふたりの親御さんになんて言えばいいのか。不幸な事故の重なりでしかなかったのに、翔陽高校創立以来、こんな事故はなかったというのに。

そんな悲壮な空気に包まれていたレストハウスだったが、学年主任の携帯がチャラチャラとわめき出した。こんな厳しい場面に陽気なリングトーンが響き渡る。

……花形!? 花形、無事か!」
「生きてます! ふたりとも無事です! 怪我もありません!」

教え子の声に主任は涙腺崩壊、レストハウスは歓喜に沸き、髭面のスタッフは有無を言わさずに主任から携帯を取り上げた。

「状況を教えてくれ!」
「風が強くてほとんど周りが見えません。足元はそれほど深くなくて、傾斜も緩いです」
「すみません、スマホに強いスタッフの方とお話させてください!」

花形の声が切れた途端、今度はの声が聞こえてきた。髭面のスタッフは通話をハンズフリーにすると、細面の小柄なスタッフを招いた。

「先生の持ってたポケットWi-fiがギリ圏内でした。私たちの位置をマークしたマップの情報を共有したいので、どなたかLINEで私と繋がってください! QRコードお願いします!」

レストハウスの一角にワッと声が上がり、スマホに強いというスタッフが急いでと友達登録を済ませた。するとすぐにふたりの位置情報が送られてきた。さらにそれを大きなタブレットで表示させてみたところ……

「よし、いいぞ! 助かった! 聞こえますか!」
「はい!」
「そこからほんの少し移動したところに、小屋があります!」

髭面のスタッフはよほど安堵したのか、優しげな笑顔だ。そしてにコンパスアプリの用意を指示、雪が降ってさえいなければ3分ほどの距離とのことで、スノーモービルは置いて徒歩で移動を試みてみることになった。

「鍵はかかってないんですか」
「もちろんかかってるよ。だけど作業小屋だし、隠し鍵があるから」
「少し逸れた、ちょっと止まって、北を背にして、東の方向、70くらい」

は少し移動しては現在地を送信し続け、スタッフは現在地と管理事務所にある地図を照らし合わせながら誘導を続けた。

「バッテリー大丈夫ですか。小屋は薪ストーブがあるのでその説明もしたい」
「大丈夫です。がモバイルバッテリー持ってるそうなので」
「実は電源もないんだ。家庭用発電機が物置にあるはずだけど、家電があるわけじゃないから」

スタッフによると、小屋はほんの6畳程度の広さしかなく、水道とトイレはあるが、それだけなのだという。小屋の真ん中に薪ストーブがあり、薪のストックはあるはずだから、一晩くらいならもつとのことだ。予報外れの雪と風だが、明日の間には通り過ぎる予報だという。

そうして誘導を続けること15分、数歩進んでは止まる道のりだったが、と花形は小屋を無事発見、双方再び歓声を上げた。これでひとまず生命の危険は回避できたと思っていいだろう。

隠し鍵でドアを開き、小屋の中に飛び込んだふたりは、今度はすぐに薪ストーブに取り掛かる。薪が重いので花形が担当を買って出ると、は小屋の中を改めひっくり返し、ランタンや水や救急箱を発掘した。その上棚の中からは賞味期限が切れているけれどカップ麺が出てきた。

「ふたりとも疲れてると思うけど、薪を足す必要があるので――
「大丈夫です。は休ませますが、私が起きてますので」
「いや、馬力があるのは先生の方なので、必ず交代で休んでください」
「なんなら決まった時間ごとに電話を差し上げましょうか」
「とにかく携帯のバッテリーだけは生かしておいてくださいね」

スタッフによれば雪崩の心配があるような場所でもないそうで、小屋までたどり着けただけで助かったも同然、あとは救助に向かえるようになるまで耐えられれば問題ないという。ホッとしたスタッフの皆さんの声は明るい。一緒に朝まで付き合うからな! と頼もしい。

薪ストーブに火を入れてから30分ほどでごうごうと火が燃え出し、花形とはかぶりつきで暖を取った。ふたりともスキーウェアなのでずぶ濡れではないけれど、小屋の中は冷え切っていてなかなか暖まらない。

それに、今のところ水道は問題なく使えているが、翌朝に凍結してしまわないとも限らない。今のうちに多少の水を汲んでおかないと、ストーブでのんびり雪を溶かす羽目になる。

それらが全部終わり、やっと小屋の中が常温程度になると、花形とはふたり揃って作り付けのベッドに倒れ込んだ。疲れすぎて立っていられない。

「ではひとまず2時間後にまた連絡を入れます。充電、しておいてくださいね」
「何かあれば遠慮なく連絡ください」
「わかりました。ありがとうございます」

レストハウスの臨時の対策本部もこれにて一旦解散となる。主要なスタッフが管理事務所に残り、ふたりと共に朝を待つとのことだ。学年主任は諸々の報告のためホテルに帰り、悪天候でナイター営業のないレストハウスはすぐにしんと静まり返った。

相変わらず雪の量自体は多くないものの、風が弱まる気配がない。漆黒の空にサイレンのような唸り声をあげて風が渦巻き、細かい雪の粒を縦横無尽に舞い踊らせている。

そして雪に閉ざされた山にぽつんと小屋の中、花形とだけが取り残された。