ゆきのよる

藤真編 4

問題は、躑躅館同様、薔薇館も内部が2部屋に別れていることだった。

薔薇館の場合は、温室、リビング、寝室と並んでいて、それぞれドアで仕切られている。だが、温室とリビングはガラス戸で仕切られているだけ、ベッドのある寝室は暖房器具なし、リビングの窓はカーテンなし、という微妙な状態。

それでもこの状況で一晩過ごすなら、暖炉があるリビング一択しかない。

「ベッドとソファをこっちに運んだらどうかな」
「そうだね。椅子に座っててもいいけど、足元けっこう冷たいし」
「それから寝室のカーテンを取って、こっちの窓に取り付ける」
「寝室の壁にかかってるタペストリーみたいなの、貴重な品なのかな」
「どうだろう。何に使うの」
「温室のドアに被せて塞いだらどうかなって」
「なるほど」

すぐにオーナーに電話をして確かめると、それなりに高価な品だそうだが、気にせず使っていいと返ってきた。そしてやはり本日中の救助活動は見込めないと報告が来たそうだ。するとの両親に代わった。ふたりは意識して心配な声を隠しているように聞こえた。

、健司くんの言うことを聞くんだぞ。健司くん、頼みます」
「お父さん、怖いのは健司くんだって同じだよ。ふたりで頑張るから」
「何か迷うことがあったら自分たちだけで決めないで、必ず電話するんだよ」

の両親はスピーカー通話ではなく、娘とだけ話したかったようだが、はスピーカー通話で健司が一緒に聞いている状態から変えようとはしなかった。きっと親御さんは知り合ったばかりの男とふたりきりというのが不安なのだろうに……

「そういうことを心配してるのかなあ。逆に失礼だよね。健司くんが信用できる人だっていうことは分かるでしょ。私たちは一晩ふたりで協力して乗り越えよう、って気持ちでいるのに、その関係にひびが入るかもって考えもせずに余計なことを言うのはよくない」

ふたりでソファを運びつつそう言うに、健司はちょっとだけ目を丸くした。過呼吸を起こしたから弱い女、とは思わなかったけれど、きっと繊細な女の子なのだろうという思い込みがあった。声は変わらず優しげだけれど、言っていることはなかなかどうして強気だ。

ソファとベッドを運び出し、クローゼットの中身も全部リビングに移すと、今度は一晩バイオエタノール暖炉だけで凌ぐ準備だ。頻繁に換気をせねばならない都合上、温度が下がってしまうのは止めようがない。なので「いかに効率よく温め直すか」を考えなければ。

「さすがに寒かったのかな、布団いっぱいあってよかったね」
「換気しても布団の中の熱が逃げなければ何とかなりそうだよな」
「あとは温かいものを飲むとか、換気してる間は動いててもいいね」
「それいいな。ちゃんはなんかスポーツ好きなのないの」
「遊びでなら嫌いじゃないけど、得意ってほどでもないからな〜」

は照れているようだが、思いつきは悪くない。ふたりともまだ10代とはいえ、ヒートショックによる危険な症状が出ないとは言い切れないし、ただひたすらじっと縮こまっているよりは、少しでも体を動かした方がいい。ただしそれは空腹と引き換えというリスクもあって……

「別にちょっとくらい食べなかったからって死ぬわけじゃないけど、食べなさすぎても体温が下がる」
「お湯は沸かせるからそれで温めつつ、少しずつ食べないとね」

ソファやらを移動させている間、温室に避難させていたテーブルを戻したふたりはオーナーが用意してくれたランチやたくさんのケーキを眺めつつ、腕を組んだ。とっくにお腹は減っていて今すぐ全部平らげてしまいたいくらいだが、救助がいつになるかわからない以上は節約すべきなのではと思える。

「これも換気のタイミングで少しずつ食べていく方がいいかな」
「健司くん、お腹減るよね……
「えっ、いやまあ、減るには減るけど」
「だってずっと運動部だったんでしょ。普段からよく食べるんじゃない? 昨日もほら」

健司はさっと両手で顔を覆った。親しい家族しかいないので、昨夜オーナーはディナーの際に「健司くん、ステーキもう1枚食べる?」とサービスしてくれた。当然もう1枚頂いて、ライスもおかわりをして、たらふく食べた。が、それでも足りずにラウンジでまたサンドウィッチを食べていた。

実際腹も減っている。だが、空腹が苦痛なだけで、このまま朝まで食べずにいても死ぬわけではなかろう。というかあの土砂を除去しなければ救助出来ないとしたら、薔薇館での孤立は翌朝までとは限らないかもしれない。

「わっ、本当に降ってきた。けっこう粒の大きい雪だな……

最後にカーテンを付け替えていた健司は窓の外の白いものに声を上げた。まだひらひらとまばらに舞い落ちる程度ではあるが、紛れもなく雪だ。

「屋敷に続く道は塞がれちゃったけど、ここって周囲はどうなってるんだろう」
「後ろは崖、塞がれた道以外は何段もの斜面になってると思う」

しっかりと補強された斜面なので薔薇館自体が押し潰されたり崩れ落ちたりすることはないようだが、確かにこの天候で夜間の救助活動は危険が大きい。この大粒の雪がこんもりと積もってしまったらさらに救助には時間がかかってしまうだろう。

薔薇館の中にあるものを使い、今出来るだけの準備を終えると、早速ふたりは換気をし、その間に湯を沸かして温まる準備を進めた。暖炉の正面にベッドとソファを並べ、動かせる本棚の中身を取り除いて運び、衝立のようにして囲った。

そして寝具を分け合えば温かいはずだ。室内は狭いので換気は3分でいいというオーナーの言葉通り、湯沸かしポットの湯気が出てきたあたりで窓とドアを閉める。寒いには寒いが、まだダメージは少ない気がする。はベッドに、健司はソファに乗り、布団や毛布にくるまってお茶を飲む。

換気をせねばならない都合上、すっかり眠ってしまうことは出来ないが、幸いと言おうかはずいぶん寝坊をしていたので、徹夜は余裕だという。

「てか普段でも2轍くらいはしちゃうよね」
「えっ、そうなん」
「えっ、しないの」
「だって、理由がない」
「受験は?」
「ええとその、推薦なので……

途端にがしかめっ面をしたので、健司は思わず吹き出した。は表情がくるくると変わるので、他愛もない会話でも新鮮な印象を受ける。

「もしかして高校も受験なしだったの?」
「そう。特待生だった」
「健司くん実はすごい人なんだね……
「てみんな言うけどさ、オレ、高校では結局あんまり成績残せてないんだよ」
「でも推薦の誘いは来る」
「まあそうなんだけど」

健司は毛布をかき合わせながらこめかみを掻いた。チームの成績だけで言うと、あまり大声で自慢できるような戦績だったとは自分では思えなかった。そんな中で高1の時から進んでいたスカウトの話を反故にしなかった進学先の監督には感謝をしているが、複雑な思いもある。

「ただほら、バスケットって団体競技だろ。オレがすごく優秀な選手で、ポジションがガードだとして、だけど希望してる大学に日本有数のガードが既に3人もいたとしたら、そしたらオレを欲しいとは思わないかもしれない。そういう、時の運みたいな要素も絡むから」

健司のゆっくりした声にはティーカップを傾けながら頷いている。

「翔陽の先輩なんか、スカウトされて進学したら中高とずっとライバルだったやつが一緒で」
「そういうこともあるんだね……。つらくないの」
「そういうもんだから」
「昨日の敵は今日の友っていうやつ?」
「まあ、そんなところかな」

その先輩がライバルと一緒になってしまってストレスのあまり円形脱毛症になってしまったことは黙っておこう。健司も温かいお茶を飲み込む。

「高い技術を求められるだけでも大変そうなのに、人間関係まで気を使わなきゃいけないんだね」
……ちゃんは人付き合い苦手?」

昨日から気さくに声をかけてくれて、とてもそんな風には見えなかったのだが、一応聞き返してみた。健司自身も「自分は社交的で誰とでも仲良くなれます!」とは思っていない。その辺はミニバスから始まったバスケット人生の中での「慣れ」でもある。

「苦手だとは思ってないんだけど、上手に出来ない人間だから」
「でも昨日から普通に話せてたと思うんだけど」
「それは健司くんが知り合ってまだ1日くらいの人だからじゃないかなあ」

苦笑いのにちょっとした距離感を感じて健司はそっと息を吐く。まあそうなんだけど。

「健司くん春から新しいチームなんでしょ? そういう時どうするの」
「どうするの、ってオレたちの場合は求められてる役割が既にあるし」
「ええと例えば、気が合う合わないとか、あるでしょ」
「高校ん時で言えば、基本みんなバスケバカだったからなあ」

真顔で言う健司には吹き出す。

「そっか。最初から大好きなものとか目指すものが一緒なんだもんね」
「それはそう。仲間と友達って、似てるようでちょっと違う気がする」
「どっちの方が距離が近いの?」
「精神的には友達だけど、物理的には仲間だな。ほとんど毎日一緒だから」
「ややこしいね」

慣れてしまうと疑問にも思わないが、はまたしかめっ面。健司は「でも1番近いのは彼女とかなんじゃないのかなあ」と言いかけてやめた。と親しくなりたいと思う一方で、自分には新たなバスケット環境が待ち構えているということをまざまざと思い出したからだ。

大学でバスケットしながらと親しくなるのが難しいとは思わないけれど、もしそんな関係になれたのだとして、「今度の連休に思い出のホテルに旅行しない?」などと誘われてもまず無理だからだ。学生が終わっても競技を続けたいという夢もある。そのために身軽でいた方がいいのだとしたら、それに誰かを付き合わせるのは申し訳ない気がした。

ちゃんも来月から学生だろ。サークルとかやれば」
「そういうの、ちょっと怖い気もするんだよね」
「怖い?」

は肩をすくめて、また苦笑い。

「私、本当に人に好かれるの下手なんだ」

……いやオレけっこう好きですけど? 健司はまた言葉をグッと飲み込んだ。

静かな雪の夜にふたりきり、暖炉の火を眺めながら青春を振り返るなんていうことをしているしかないわけだが、話がエモめになってきたところで屋敷から電話がかかってきた。屋敷で気が気じゃない大人たちが様子を伺いにかけてきたらしいが、変化があったらとっくに報せている。

「だから何も変わらないって。いや、雪は降ってきてるけど寒くないし……えっ? またその話? いい加減にしてよ何年経つと思ってるの、そんなの向こうにも失礼でしょ。やめて。ていうか全員で起きてる必要ないから、そっちも寝て」

健司は背を向けたが電話の向こうにあれこれと言い返しているのを聞きつつ、暖炉に揺らめく炎を見つめていた。「人に好かれるのが下手」ってどういう意味なんだろう。

健司から見ると、は実に「普通」という気がした。異様に馴れ馴れしいわけでもなく、極端に人見知りなわけでもなく、普通に喋ることが出来ている。大人たちともちゃんと話が出来るし、まだ知り合って間もないとはいえ、これで「下手」になってしまったら世の殆どの人が下手ということになる。

小中高とずっとバスケットをやってきて、そのたびに大量の男と仲間になってきた健司にとって、世にいう「人付き合いの難しさ」は理解できないことも多かった。幸い極端なケースに遭遇することがなかったからでもあるが、自身がチームの中のひとりと自覚できていれば難しいことはなかった。

その上高校生になった健司は中学時代とは比較にならないほど女の子に好かれた。たまにそれが困ることもあったけれど、それでも寄せられていたのは全てポジティブな感情だったはずだ。

「もういいって、わかったから。じゃあね。何かあればこっちから電話するから」

両親としばらく話していたは不機嫌そうにそう言うと、疲れた顔をして戻ってきた。

「お疲れ」
「ほんっと疲れる」
「心配なんだよ」
「あれは自分が不安なだけ。100パーセント私のことを案じてるわけじゃない」
「親ともあんまり上手くないの?」

ソファが低いので少し足が冷えてきた健司はベッドによじ登り、の隣に腰を下ろした。温かいお茶を淹れ直したは肩でため息を付いて、少し首を傾げた。

「上手くないというか、私の問題に首を突っ込みすぎるっていうのかな」
「過干渉ってやつ?」
「どうなのかな、私は自分で自分の生き方をしたいんだけど、それを認めてくれない、みたいな」

自分の生きる道を全力で応援してくれた両親を持つ健司は少し背を丸めてを覗き込んだ。バスケットを通じて知り合った連中の中にもこんな悩みを抱えていたやつはまずいなかった。みんなバスケットに熱中する息子を応援してくれる親たちばかりだったけど……

は健司が距離を縮めていることにも気付かない様子で髪をかき混ぜる。

「ねえ、どうやったら団体競技が成り立つくらい上手く人付き合いできるの?」
「えっ!? そ、それは……
「チームで喧嘩とかしたことないの?」
「うーん、意見の食い違いとかはあったけど、深刻な喧嘩はなかったよ」

改めて思い返してみても殴り合いの喧嘩だとか、二度と修復できない対立などは経験がない。一体それが普通なのか、それとも運が良かっただけなのか。

に対する淡い恋心よりも彼女を案じる気持ちの方が強くなってきた健司は、彼女の手を取って緩く包み込んだ。温かいティーカップを持っていたせいか、少し熱っぽい手のひらだ。

ちゃんの言う、自分の生き方ってのが、原因だったりする?」
……だから親が未だにあれこれと干渉してくるんだよね」

は健司の指をキュッと握ると、自虐的に微笑んだ。

「私ね、中学の時にちょっと登校拒否やってたことがあって」
「えっ」
「男子グループにターゲットにされて、いじめっていうか、まあそういうことされててさ」

健司はサッと背中が冷たくなった。それじゃあ君のご両親は過干渉なのではなくて、そういう過去を持つ娘がどこの馬の骨とも知れない男と一晩ふたりきりだから心配で仕方ないのでは?

だが、今度は真剣な顔では言う。

「でもそれって、原因は私なんだよね」

何やったんすかちゃん……