エンド・オブ・ザ・ワールド

03

「えっ、新潟?」
「そう」
「お家の都合とか?」
「まあそんなところだ」

ぽつりぽつりと雑談をする中で、鉄男は元々神奈川の人間ではなかったと言い出した。出身は新潟で、小学生の頃に神奈川へ越してきたという。それがよくいう「お父さんの転勤」だとか「両親の離婚」だとか、どんな理由であったかは話さなかったけれど、ともかく鉄男少年は小学校を転校してきた。

「んー、でも別に新潟も神奈川も変わらないよね」
「いや、オレがいたのは山の近くで、こっちは海だ」
「そのくらいでしょ?」
……ずいぶん田舎だったからな、子供の頃は山を駆けずり回ってた」

そのせいかどうか、転校してきてすぐに学年で一番のランナーになった。長距離でも短距離でも一番早い。

「あっ、それなら私も同じ! 小学生の頃は1年生からずーっと学年で1番!」
「へえ」
「あ、そっか話してないよね、私もバスケっ子だったの。だから短距離も長距離も負けたことなかった」

確かに鉄男はお喋りではないし、言葉も少ない。しかしミライは「話しにくい」とは思わなかった。そういう「普通の対応」、それを三井は「異常だ」と言ったが、こうして話しているととても落ち着くし、充分に楽しい。楽しいというか、幸せだった。

少々お値段は張ったけれど、シーフードをふんだんに使った料理は美味しかったし、ゆっくりと日が傾いていってきらきらと光る海は美しいし、ミライの意識の中からは完全にユヒトの存在は消えていた。どころか、と三井すらもいなかった。完全なるふたりの世界だ。

というかミライは食事をしている間、鉄男が想像以上にきれいに食べるので驚いた。はともかく17歳18歳の三井は少々お行儀が悪かったし、徳男はさらに食べ方が汚かったし、それでいくと鉄男なんか――と思ってしまいそうなところだが、充分に「普通」だった。が、その理由はすぐに判明する。

現在の勤め先であるガソリンスタンドの社長、これがどうも親代わりで頭が上がらないらしい。

「っても別にバイトで入って以来なぜかそうなっただけだけどな」
「厳しい人なの?」
「オレが躾のなってねえガキだったからな。普通のこと教えてるだけなんじゃねえか」

15歳でガソリンスタンドにバイトで入ってきた鉄男にあれこれと「躾」を行い、仕事のいろはも仕込み、ついでに現在は住居も面倒見てくれているらしい。鉄男はガソリンスタンドと道路を挟んだ場所にある事務所の2階に間借りしているのだという。元々物置状態だったので、家賃はタダ。

「その代わり休みでもどうしても手が足りなくなったら駆り出される」
「まあ、目の前じゃね」
「それが家賃だと思えば安いもんだからな」

その社長はガソリンスタンドを経営している傍ら中古車販売店も持っており、要は車好き。だが、その嫁である社長夫人がなんとバイカー。鉄男ははっきりとは言わなかったけれど、おそらく10代の頃はバイクに乗ってよろしくないことをしていたようだ。彼女もまた母親代わりのようなものらしい。

「お前より全然小さいってのに、喧嘩超強くてな……
「え。てっちゃんが強いって言うって相当なんじゃ」
「たぶん本気出したらオレでも勝てねえかもしれん」
「なんだその化け物」

真剣な顔のミライに鉄男は吹き出し、頬杖をついて窓の外をちらりと見る。

「この間のドラゴンフルーツとかいうの、持ってけって」
「あ、言ってたね! 店長の嫁がどうとかなんとか。美味しかったよ」
「へえ、すげえ色してたけど、美味いのか」
「うん。寿にも一口あげちゃった」
「ひとくち……

鉄男が差し入れたドラゴンフルーツは4つ。だが、三井はからスプーンですくった一口しかもらえなかった。鉄男はまた吹き出し、下を向いて肩を震わせている。

「てっちゃんて寿と私のネタ、よくツボに入るね……
「お前らが突拍子もないからだろうが」
「そうかなあ。てか寿と一括りにされたくないなあ」

また吹き出す。

「お前ら、似てるからな」
「それやめてよ、似てないからー。似るんだったらの方がいいよ〜」
「あのねーちゃん、お前らの母親みてえだもんな」
「でしょでしょ! 可愛いでしょ! しかも優しいしさ、それが今頃イチャついてるかと思うと……

を思い出してにこにこしていたミライが一転般若のような顔つきになってくいので、鉄男はまた吹き出した。吹き出すくらいなら笑えばいいのに、とミライは思うが、本人は片手で顔を覆ってプルプル震えている。

実際のところ三井はにビシバシ宿題を片付けるよう指導されている真っ最中で、イチャコラどころかむしろ苦行のド真ん中なのだが、ふたりは知る由もない。

「くっつけたいのかそうでないのか……
「しょうがないじゃんお互いが好きだっていうんだもん」
「本当はくっつけたくないのか」
「ていうわけでもないんだけど、寿がね〜」

もう遠い過去の話のようだが、ミライは父親である三井に過干渉を受けていて、遊びたい盛りの娘はそんな父親を嫌悪していた。憎んですらいた。今はもうそんな気持ちはほとんど残っていないのだが、だからといって過ぎた日の悔しさや憤りが消えるわけじゃない。

「私の父親にちょっと似てるんだよね、色々。だからなんかついカチンときちゃって」
「へえ」
「だってさ、17歳だよ、高2だよ。それが門限20時ってひどくない?」
……心配なんだろ」
「てっちゃんまでそんなこと言う……

まさかの諭しにミライは膨れた。が、今度は鉄男は吹き出さずに真顔である。

「お前、危なっかしいからな」
「やだ〜寿と同じこと言わないでよ〜」
「ああいうことするからだろ」
「ああいうことって……あ、が誘拐された時のこと?」

確かにあれはご心配をお掛けしましたが、しかし何ぶん緊急事態だったもので……とゴニョゴニョしていたミライだったが、鉄男はまだ真顔のままで低い声で呟く。ミライよりは確実に長くハデスを知る彼にとっては笑いごとではないんだろう。

「オレたちが間に合わなかったら、お前、半殺しにされてたぞ」
「まあそうなんだけどさ。でもほら、てっちゃんが助けてくれたから!」
「徳男に喧嘩してくれって頼まれただけだ」
「でも、床にへたり込んでた私に手を貸してくれたじゃん」
……そうだったか?」

エヘヘ、とニヤついて誤魔化したミライだったが、鉄男は覚えている、という感触を得て、またみぞおちのあたりがきゅっと締め付けられるようなときめきに耐えていた。そこでやっとユヒトを思い出すも、なんだかぼやけていてよく思い出せない遠い記憶のようで、鉄男の声が聞こえるとやがてかき消えていく。

てっちゃん、もし私が「好き」って言ったらどう思うんだろう。
その前に彼女とかいるのかな。
いや、いたらこんなデートみたいなことしてくれないよね?
だけどご飯食べてるだけだし、てっちゃんにとっては特別なことじゃないかもしれない。
ああもう私なんでこんなに恋愛経験値低いの。全部寿のせいだ。

それ以前に、自分が25年後の未来からやってきた「存在しない存在」なのだということ、それは今のミライの頭にはない。目の前にいる若き日の初恋のお兄さんしか目に入らない。そしてそれが自分のことをどんなふうに思っているのか――それだけが気になって仕方ない。

他愛もない雑談は途切れることなく続き、すっかり食事を終えたふたりはようやく店を出た。やっと夕日が差してきて、世界がオレンジ色に染まっていく。空調の効いた店を出ると熱い潮風が吹き抜ける。

「次はどこ行くの」
「海行きたいんだろ」
「え、目の前」
「見えるだけでいいのか?」

鉄男がそう言いながらヘルメットを差し出すので、ミライは何も考えずにふるふると首を振り、バイクの後部座席に跨る。唸りを上げるエンジン音の中を背中にしがみつく。Tシャツが少し冷たい。

状況に酔っているであろうことはちゃんと自覚があった。それでも高鳴る胸は本物だったし、三井の言う「凶悪」なはずの鉄男はもうずっと優しいし、期待と不安とで一杯になる。

期待と不安の両方を感じたミライはそこでやっと自分が未来人なのだということを思い出し、一転体の芯がつめたく冷えたような錯覚を覚えた。自分はこの時点から8年経たないと生まれてこない。それまではほんのはずみで消滅しかねない存在なのだ。

それが誰を好きだって? もしてっちゃんが私のこといいなと思ってくれたとしても、それがなんなの。私この世界にいられない人間じゃん。ていうかここから帰らないままだったらどうなるんだろう。25年後の私はあの最初にタイムスリップした時点から消えていなくなるのかな。

――お母さん、泣くよね。子供がいなくなったら悲しいよね?

寿も心配するよね? ユヒトも心配してくれるかな。友達は? 私のこと探したりするのかな。

タイムマシン、ふたりで飛ぶことって出来ないのかな。もしてっちゃんがいいって言ったら、未来に行かれないかな。いやダメだ、と寿はてっちゃんのことよく知ってるし、その前に未来には25年後の45歳になったてっちゃんがいるんだもん、だめだよ。

もしてっちゃんが私のこといいなとか思ってくれたとしても、一緒にいられる方法って、ないんだ――

そう結論づけたけれど、ミライの中の「好き」という気持ちは膨らむばかり。どんどん大きくなって、溢れ出しそうだ。例えば――1年とか2年とかくらいなら、この時代にいても大丈夫かな。私が自分の人生をそれだけ消費してもいいって思えるなら、タイムマシンはちゃんとあるんだから、戻ろうと思えば戻れる。

てっちゃんと付き合ったとして、だけどそれが必ず永遠に続いて結婚とかしちゃうまでになるとは限らないでしょ。と寿は結婚したけど、そう、例えば徳男のおっさんの嫁はアレ、あんな顔して5人目の彼女だし、それはわからない。ちょっと付き合ってすぐ別れるかもしれないじゃん? それまでこの時代にいるのって、ダメなのかな。

ダメなのかな、と疑問形で自問していたミライだが、取りも直さずそれはただの願望だった。鉄男が好きだ。一緒にいたい、離れたくない。付き合えなくてもいいから、今日のようなデートができる関係でいたい。なんなら都合のいい女だっていいよ、てっちゃんがそう望むならそれでもいい。

まだタイムマシンの花びらはいくつも残っている。10回以上はタイムスリップが可能だ。

降りられる浜辺にやってきたふたりは、言葉もなく歩く。夕日でオレンジ色に染まる砂浜に白い波が打ち寄せる美しい光景だが、位置的に日没が見えるわけでなし、背後は車がバンバン走っているしで、ひと気はない。少し先を行く鉄男を小走りで追いかけたミライは、意を決して鉄男の手に触れてみた。

簡単に反応を見るにはちょうどいいと思ったのだ。

そういう軽い気持ちだったミライは、直後にしっかりと手を繋がれてウッと詰まった。鉄男はミライの指が触れたことに気付くと、迷うことなく手を取って握り、繋いだ手を引き寄せた。歩く速度が速かったことにも気付いたようで、途端に遅くなる。そういうことに気付くたび、ミライの胸が締め付けられる。

これって大丈夫だと思わない? これがまさか子供扱いってことはないと思わない? バイクで海まで来て、ご飯食べて、海で手を繋いで歩くなんてこと、どうでもいい女と出来ることだと思う? こういう人だからこそ、しないよね普通。超好きとかじゃなくても、いいなくらいには、思ってないかな。

「う、海、きれいだね、真っ赤」
……ああ、そうだな」
「海来たの、久しぶり」
……泳いできてもいいぞ」

ねえてっちゃん、そのほんの少しの「間」ってどういう意味なの? もし私がうっとうしい女だったらデートなんてしてくれないよね? ねえ、初めてのデートだけど、好きって言ったらダメかな。ああだけど私は未来人だし、先に確かめておいた方がいいと思わない? ダメだったらさっさと帰ればいいんだもん。諦めもつくよ。

しばし砂浜を歩いていたふたりだったが、やがて防波堤に寄りかかって止まった。手は繋いだままだ。ミライはその手を頼りに距離を縮め、あとほんの少しで腕がぺたりと触れてしまうくらいまで近付いた。鉄男は何も反応を示さないけれど、繋いだ手も緩めなかった。

「ね、ねえ、てっちゃん、聞いてもいい?」
……何だ」

ほんの少しだけミライの方へ顔を向けた鉄男は、ちらりと首を傾げる。ミライは息を吸い込み、覚悟を決める。

「て、てっちゃんて、彼女とかいるの」
………………

ミライにとっては耐え難い沈黙が続き、そわりと吹きつけた潮風にやっと鉄男は口を開いた。

「いや、いないけど」
「じゃあ、好きな、人とか、いたりする?」
……どうしたよ、急に」
「あの、あのさ、彼女候補とかいなかったらさ、ため、試しでもいいんだけどさ――
「あいつらが許さないだろ」

付き合ってくれない? と言おうとしたミライは乾いた鉄男の声に遮られて言葉を飲み込んだ。あいつらって、と寿のこと? だけどそんなの、私とてっちゃんの関係には関係なくない……

「そ、そうかな」
「てかお前も何だいきなり」
「ご、ごめ……だけどあの、私、てっちゃんのこと、好きなんだよね」

やはり無理だったのか、という諦めの気持ちが押し寄せてきたミライは、ダメならせめてというヤケクソでつい言ってしまった。好きって言うくらいならいいでしょ、手も繋いでるんだし、そのくらい。

……よくわかんねえな」
「あ、あはは、ほんとごめん、ね……
「何がいいんだよ、こんなのの」
「へえっ?」

潮風に髪をさらわれたミライはひょいと顔を上げてマヌケな声を上げた。鉄男はやはり少しだけミライの方へ顔を向けていて、手はしっかりと繋いだままで、不思議そうな表情をしている。

「普通、女がいいなと思うようなところ、何もないだろうが」
……そんなこと」
「てか今日もそうだ。オレといたって、楽しいことないだろ」
「そんなことないよ!」

カッとなったミライは繋いだ手を振りほどいて鉄男の腕を両手で掴んでガクガクと揺すった。

「あの、私ね、ほんとは帰らなきゃいけないところがあるんだけど、だけど、今すっごく帰りたくないのね、てっちゃんのこと好きで一緒にいたいな〜って思ってて、楽しいとか楽しくないとかそういうんじゃなくて、私、てっちゃんと一緒にいると、嬉しいっていうか、幸せっていうか、もう戻れなくてもいいかもしれないなんて――

涙目になりながらまくし立てていたミライは、突然抱き寄せられて息が止まった。ふわっと体が浮いた気がした次の瞬間、ミライは遠慮がちな鉄男の腕にゆるりと抱き締められていた。そして、今にも涙が零れ落ちそうな目尻に指が触れる。ミライは震える手で鉄男の体にしがみつくと、顔を上げた。

また潮風に髪が踊る。

「ミライ……

風に紛れて掻き消えそうな、低くて微かな囁き声とともに、ミライは唇を塞がれていた。やがて離れても、息がかかるほどの距離に顔を置いていたミライは腕を伸ばして抱きつき、自分から再度唇を押し付けた。鉄男もそれを受け入れ、ミライの体を両腕でくるみこんでキスに応えている。

「てっちゃん、いいの……?」
……ああ」
「私、しばらく帰らなくても、いいかな」

未来に置いてきた両親や友達や、大好きだったはずの幼馴染、それを忘れたわけじゃない。けれど、今ミライにとっては視界いっぱいを埋め尽くす鉄男が全てだった。彼の視界からも消えたくない。こうして手の届く場所から離れたくなかった。帰りたくない、ここにいたい。

「帰りたくなったら、帰ればいいんじゃねえか」
……そっか、そうだよね、えへへ、そうだね」
「てかお前、体調はいいのか。帰るのも少し時間かかるぞ」

一昨日まで発熱していたことなどすっかり忘れていた。ミライは一瞬我に返ったが、首を振って額を合わせる。

「平気。もっと一緒にいたい」
「けど……
「大丈夫、どうせ寿の宿題なんか終わんないもん」

ミライは事実として言っただけなのだが、鉄男はまた吹き出した。三井と宿題ネタにはとことん弱いらしい。また顔を背けてくつくつ笑っていたが、ふいにそのまま顔を戻した。ミライの目に鉄男の笑顔が映る。

私の知ってるてっちゃんだ――

鉄男が三井家に来ていたあの頃、三井はプロ選手を引退したばかりで、収入がとても少なかった。が、反面家にいる時間は長く、無力感から腐ってしまわないように、とは何でもふたりでやるようにしていた。その一環で三井はとよくキッチンに立っていた。

当時のミライはまだ幼稚園に入る前で、しかし後年の片鱗が既に現れていて、大変な暴れん坊だった。父親に似て運動能力は高く母親のように好奇心旺盛で、祖母ふたりは「本当に女の子か」と言ったくらいだった。だが、女の子ミライはこの時鉄男に恋をしていた。

一緒にテレビを見たり、おもちゃで遊んでくれたりする程度だったけれど、三井夫婦がキッチンに入っている間、鉄男はずっとミライと過ごし、すっかり懐かれてからは食事も隣の席か膝の上、帰ろうとするとグズって泣かれるということを繰り返していた。父親が嫉妬で激怒するほどこの頃のミライは鉄男が大好きだった。

予期せぬ病に苦しみ一命を取り留めた鉄男は、こういうミライとの日々の中で優しく笑うようになった。相変わらずテンション低くてちょっと皮肉屋だったけれど、それでも三井夫婦に笑顔で礼を言える人になっていた。

今ミライの目の前にいる人は、あの頃の鉄男そのものだった。

てっちゃんは私といると、こういう風に穏やかに笑える人になる。

それはミライの自惚れではなかった。鉄男もそれを自覚していたのだ。ハデスと喧嘩してくれと徳男に頭を下げられたので、退屈しのぎに出かけていった。そこで今にもハデスにブチのめされそうになっていた女と出会った。彼女はなんだかいつでも突拍子もなくて、突っ張り尖る隙を与えない。自分が緩んでいく。

三井はだいたいいつもミライを「バカ女」とか「ガサツでどうしようもねえ」とか苦々しい顔で言っていたけれど、その辺は言う程でもないと思っていた。例えばこれがのような女なら、あんな女だったら自分が近くにいると壊れるような気がしたし、手に触れでもしたら自分も壊れるような気がした。

だけど、ミライなら。

自分には関係ないと思っていた感情、例えば優しさだとか楽しさだとか、好きだとか、そういうポジティブで温かい心も、ミライへならぶつけてもいいような気がした。この女なら自分は壊れない歪まない、どころか、驚くほどに柔軟になっていく、それを不快に感じない、むしろ心地いい――

「それならまあ、いいか」
……てっちゃん、私行きたい所あるんだけど」
「おう、どうした」
「ホテル、行こ」
「は?」

本当に突拍子がない。ミライの言葉に鉄男は真顔になり、一瞬本気で意味がわからなかった。

「何言って――
「私ふざけてるわけじゃなくて、それが一番いいんじゃないかって思ったから。私もあんまりうまく言葉にできてないと思うし、てっちゃんもあんまりベラベラ喋る人じゃないし、だけど黙ってても何も伝わらないし、だったら、だったらそういう方がいいんじゃないかなって、思った、から……

言葉より拳で語り合う、みてえだな。喧嘩かよ……と、鉄男は冷静にミライに呆れる気持ちもありつつ、しかしそれは確かに悪い提案ではないという気がした。ミライの言うように、歯の浮くような言葉は思いつかないし、だったら体でぶつかり合う方が伝わるんじゃないか――

……後であいつらが騒いだらお前がなんとかしろよ」
「大丈夫大丈夫、寿がそんなこと言い出したら前歯むしりとってやるから」

三井に「前歯ナシ」期間があったことを知る鉄男はまた不意打ちを食らって吹き出した。

「んもー、やめてよねー、てっちゃん笑うとかっこいいんだから」
「どういう意味だ」
「どういう意味も何も、てっちゃんはそのままでもかっこいいけど笑ってもイケメンなの」
「お前本当に熱下がったのか?」
……触って確かめて」

可愛い女の子からかっこいいだなどと言われた経験がなかった鉄男はしかめっ面をし、しかしミライにそう言われて首筋に唇を寄せた。ミライは楽しそうに鼻を鳴らしながらそれを受け入れると、見上げた暮れゆく空のかすかな星のきらめきに遠い未来を思った。

お母さんお父さん、ユヒト、ごめん、私、帰らないかもしれない――