世界のはじまりについて

03

「男の約束」で自分を縛った公延にとりあえずの拒否を示されたは、自身もまた制約を課して公延にしつこく付きまとうのをやめた。もちろんこれまで通り仲のよい幼馴染として、2家族間での振る舞いには何も変化を見せていない。からのアプローチがなくなったというだけ。

またそのアプローチといっても、は基本的に公延とふたりきりのときにしかしないので、両の親たちに変化は感じられなかったはずだ。こういうところ、は実に周到に振舞うので、の父親が自分の娘を信用出来ないのも無理はない。むしろそれをよくわかっているから釘を刺す羽目になったのだ。

さて、公延にちょっかいをかけないと誓ったであるが、ただ黙ってしおらしく出来るかといえば、もちろんそんなことはない。あくまでも何やら心に秘めたる決意があるらしい公延の邪魔をしたくないのであって、そのほかは知ったこっちゃないというのが本音だ。

実際の公延の学校生活ではどうであれ、にとって公延は「優しくて勉強もスポーツも出来るイケメン」ということになっている。バスケットを始めたせいでニョキニョキと背が伸びてきて、なおイケメンに磨きがかかり、いつクラスの女子やらが騒ぎ出さないかと気が気でない。それを放置しておけるわけがなかった。

電車通学になり時間が出来たは移動の間、公延が北村中学の女子にモテないようにするにはどうしたらいいかを真剣に考えていた。そして、2週間ほど考えた末に「ダサくさせればモテない」という単純な結論に至った。幸い公延は部活に夢中なのだから、外見さえ抑えておけばやり過ごせるはずだと踏んだ。

これには公延の母親をじっくり口説いての思惑通りに運ぶ必要があった。コンタクトは言語道断、メガネもあまりかっこくよく見えないものを推薦しまくった。さらに、公延の母親の外出を目ざとく察知してはくっついて行き、何かと枚数が必要になるTシャツ選びにさりげなく口を出した。

公延の母親も「が選んでくれるんならそれでいいわよね、私が選ぶより感覚が近いでしょ」と、の策にきれいにはまってくれた。はいそいそと「どう転んでも女子受けしない」デザインのTシャツを選び続けた。公ちゃん、もっともっとダサくなれ。

当の公延がおしゃれにこだわる少年であったらこうは行かなかっただろうが、とりあえず部活だの普段着程度のTシャツにまでこだわりがないようで、彼はダサさ倍増アイテムを何の疑問も感じずに着用している。

ここまでくると少々異常かとも思えるが、最後の仕上げは美容室だった。も公延も小さい頃から髪を切ってもらっている馴染みの店だ。店主は公延の母親の友人で、恋多き女性だった。相手がそれならば、とはここでは正直に話すことで助力を得ることにした。

「公ちゃんどんどんかっこよくなってきて、心配なんだ〜。私なんか相手にしてもらえなくなっちゃうかも」

新中学一年生が頬を赤らめつつそんなことを言うので、店主はコロリと落ちた。何も言わず公延の髪形をダサめに仕上げてくれるようになった。してやったりである。

うまく事が運びすぎているようだが、は元々そういう要領のよさを持っていたし、どちらかといえば冴えないのは公延の方で、ハイスペックなが振り向いてもらえないことにささやかな胸を痛めているという状況はあまりに「オイシイ」ネタであり尚且つ「オモシロイ」のである。

とりあえずは周囲の大人を味方に付け、自分では手が回らない公ちゃんモテ妨害に勤しむのであった。

一方、アプローチはしないと決めたものの、自分という存在を想いを忘れてもらっては困るので、年に1度、は自分の誕生日にだけキスをねだった。誕生日プレゼントなどいらないから、1回だけキスして。それで終わり、またいつも通り。それくらいならと思ったかどうか、この要望は通った。

それからというもの、は毎年誕生日になると公延の部屋へ押しかけてキスしてもらうようになった。

年を重ねるごとに身長差が開いて行き、だけが爪先立っていたのが、徐々に公延もかがむ必要が出てきた。身長が伸びた公延はバスケットのせいもあって手も大きくなり、腕が長い。の妨害に反して顔も地味ながらもバランスよく整いつつある。もう少し手を加えたらなかなかのイケメンになりそうな、そんな状態だ。

だが、の必死の裏工作が功を奏してか、公延は特にモテるわけではないらしい。

これは勉強をしに木暮家にやって来ていた赤木から聞き出した。ちょうど公延たちが中学3年生で、受験を控えていたときのことだ。取り立てて活躍出来なかった部活を引退し、ふたりは湘北という県立高校を目指していた。

「女子が? そんな話は聞いたことないけど」
「そっかあ。まあ公ちゃんほどよくダサいからね」

公延はトイレのついでに母親に呼ばれてお茶を取りに行っている。は変わらず成績優秀なので、年下ながらふたりの勉強のスーパーバイザーを務めている。公延も赤木も成績は悪くない。むしろよい状態を保ってきた。だが、それ以上に隙のない学力を持つに穴を埋めてもらうと効率がいい。

「というか、受験なんだしそんなことしてる暇ないだろう」
「赤木くんはマジメだなあ。受験で心が荒むから余計に人恋しいんだよ」
「受験終わってからやりゃいいじゃないか、そんなこと」
「うわあ、公ちゃんとおんなじようなこと言ってる」

程度の差こそあれ、公延と赤木は努力の方法論が近いようだ。二心を持つ器用さはないが、集中すべきときに散漫になったりしない。面白みはないかもしれないが、ある意味では要領がいいとも言える。わりと何でもこなせてしまうにはよくわからない感覚でもある。

「公ちゃんも赤木くんも部活と勉強で手一杯だねえ。好きな子とか、ほんとにいないの?」

にしてみれば、14歳15歳で好きな相手のひとりやふたりいないなど考えられないのである。純粋な疑問を口にしただが、赤木の方はそんなことを聞かれるとは思っていないので、顔を赤くして固まった。

「まあ、公ちゃんに好きな子がいたら困っちゃうんだけどね」
……はほんとに木暮が好きなんだな」

いくら友達の幼馴染でも本来接点のない女子であるから、赤木はと呼びたかったのだが、1年前に本人に押し切られて名前で呼んでいる。特に意識していなかったが、派手な見た目も振舞いもない公延に、派手な外見とスペックを持つ幼馴染がいると知ったときは意外に感じたものだった。

さらにその可憐な美少女が「公ちゃん大好き」ときたもんだ。

公延は「お前の妹だって可愛いじゃないか」と言うが、見た目に関係なくあれは妹という生き物だ。

「あっ、それ公ちゃんに言わないでね。公ちゃん逃げるから」
「ははは、贅沢なやつだな」

はぱらぱらと参考書をめくりながら聞き流したようだが、赤木の方はとんでもないことを口走ったと冷や汗を流しながら真っ赤になっていた。贅沢? 何言ってんだオレは!

事実、公延は贅沢である。この点については公延に非はないのだが、中学2年生14歳という、中身も外身も安定しづらく、かつ混濁しがちな時期にあっては妙にきれいな少女であった。中身の方に若干の難があることでバランスが取れているが、それでも印象が良いのは間違いない。

外見とは裏腹にかなりの堅物である赤木自身、身近にこんな可愛い他人がいて、よく我慢出来るものだと思わずにはいられない。腕を取り口を開けば好きだと囁く美しい少女がすぐそばにいて、逃げるだなんて。誰かに取られたらどうするんだ? 取られてもいいのか?

誰かに取られても。誰かに。

あまり冷静でない状態での思考の飛躍は致し方ないのだが、その「誰か」に自分を当てはめて想像してしまった赤木は、そんな発想をしてしまった自分を恥じた。何も恥じることではないし、少年よ多いに恋せよというところだが、生憎彼はそんな風に思えなかった。軟弱な自分が情けない、そう恥じ入った。

トレイの上にお茶とお菓子を山と積んだ公延が帰ってきてくれなかったら、何とかして逃げ出したかった。

木暮は心配いらないだろ。心配なのは木暮より、お前のほうじゃないのか? 現に……

赤木はこの日の帰り際、公延が聞いていない隙を狙ってに声をかけた。

「木暮は心配いらないと思うけど……変な虫がつかないように、見張っててやるよ」
「マジすか。センパイ、よろしくッス!」

はふざけて敬礼などして見せたが、赤木は割と本気だった。

共に遊びに出かけるような間柄ではなかったが、赤木にとって木暮は間違いなく親友だった。おそらくこの先高校生になっても共に汗を流し戦っていくだろう。そんな大事な親友の、その傍らの守り人というのも悪くない。自分にはこのくらいがちょうどいい。果てのない夢のために、犠牲にせざるを得ないものが例えばの言うような恋であっても、それは構わない。しかし、親友とその幼馴染はそうではないかもしれないから……

「安心しろ、お前らはそのままの方がいいよ」

力にはなってやるけど、オレのような邪魔者が入り込む隙間を、作るなよ――

翌年、公延は赤木と揃って湘北高校に合格、春には高校生となった。ふたりは当たり前のようにバスケット部に入り、この頃から公延はたまに「全国制覇」という言葉を漏らすようになった。にはよく解らない世界だった。インターハイ優勝のことだと教えてもらっても、公ちゃん無理じゃないのと思うだけだった。

だが、公延と赤木は至極真面目にその夢を守っていた。どんなに遠く感じても、伸ばした手を引っ込めることはすまいとあがいていた。ここまでくるとも応援したいという気持ちが強くなってきたのだが、これまで無関心で通してきた手前、しかも彼女でもないのに応援になど行く勇気はなかった。

もしこっそり応援に行って、公延を真剣に見詰める女の子にでも出くわしたら……

公延は悪くないのに殴りかかってしまいそうだ。は自分の嫉妬の熱量をよく把握していたから、火力のコントロールは慎重に行っている。ただコントロールすれば持て余すから、は習い事をしてみたりボランティアに参加したりして、公延への気持ちを別の目的にすり替えてごまかした。

しかし、その翌年のの誕生日にひとつ、異変が起こった。

例年通り公延の部屋に押しかけ例年通りキスしてもらったのだが、いつもならパッと離れていく公延が、ほんの数秒ではあるが唇を離しただけの距離で留まっていた。この一瞬をは逃さなかった。なんだかわからないけれど公ちゃん余韻に浸ってる。チャンス!

は公延の隙を付いてもう一度唇を押し付けた。我に返った公延は慌てて身を引こうとするが、は両腕を公延の首に回して頭をガッチリ押さえ込んでいる。だが、にも舌をねじ込む勇気はまだなかった。

公延が少し抵抗を見せたせいもあって、ぎゅうぎゅうと押し付けただけのようではあったが、例年と違って2度のキスをゲットしたは、してやられた風な顔をしている公延に声もかけずに部屋を飛び出し、まっすぐに自宅の自室へと走った。

走った勢いのままベッドへ飛び込む。枕の下に頭を突っ込んで弾む呼吸と激しい鼓動にしばし身悶えしたは、しかし満たされる心と持て余す恋心で押し潰されそうになっていた。

なんでこんなに好きなんだろう。なんで公ちゃんなんだろう。どうして他の人じゃだめなんだろう……

どんなに難しい問題が解けたとしても、それだけは解らなかった。

さらに翌年、有り余る恋のパワーを発散すべくアルバイトなどに勤しむをよそに、公延はなんとインターハイ出場を果たした。聞けば、最後の出場枠をかけた試合で公延の得点が勝敗を決めたのだとか。少し自慢げな公延の母親の言葉を、は少しだけ遠くに聞いていた。

公ちゃん、私のいないところで青春してるんだねえ――

窓の外を振り仰いで、は小さくため息をついた。

公延18歳、17歳の夏のことだった。

END