「それにしても、さっきのは面白かったわね。後で桜木がいじられて大変だったのよ」
「それは反省してます……リョータくんも散々殴ったし」
「いいのよ、流川だってちゃんと受け止めてくれたでしょうが」
「あいつはあの余裕が腹立つし、実はまだちょっと殴り足りない」
「桜木花道を殴ったらいいわよ」
彩子が赤木と同じことを言うので、は思わず吹き出した。
体育館の中では赤木と公延が後輩たちに囲まれて、なにやら話している。その中から今度は桜木と晴子が出てきた。見ると桜木が晴子の手を引いている。そこに複雑な表情の晴子を見たと思ったのはと彩子だけだっただろうか。に抱きつかれた桜木を見て、晴子は何を思っただろうか。
「さーん」
「花道、あんたってすごい選手だったんだね。びっくりしたよ」
「そうでしょうそうでしょう、海南を下したんですからね、県ナンバーワンですよ」
「気が早いわバカモノ」
彩子にどつかれる桜木をもまた殴る。
「さん、なんなんすかさっきから」
「なんかあんたたちに泣かされて悔しいから殴ってんの。リョータくんを殴りたくないから代わりにあんたを」
手だけでなく足も出ては桜木の足を蹴っている。晴子もとうとう吹き出した。
「ちゃん、泣くわけがないって言ってたのにねえ」
「ほんとにそのつもりだったんだもん。泣く理由がないって思ってた」
「まーしょうがないよな、今年の湘北は一味違うからな」
に便乗して桜木に蹴りを入れつつ宮城も来た。は片手を挙げる。
「キャプテン、ちゅーす!」
「お前にキャプテンとか言われたかねえよ。今はダンナがアレだしよ」
まだ公延も赤木も取り囲まれて話している。現在キャプテンである宮城は少し面白くないのだろう。
「何よ、今日はリョータくん見て泣いちゃったのに」
「えっ、そうなん!?」
途端に照れる宮城に彩子と晴子が声を立てて吹き出す。
「そこからはもう何やっても泣いちゃって困った。私もう見ない方がいいもしれない」
「でもお兄ちゃん新人戦終わったからまた時間取れるかもって言ってたよ?」
「公ちゃんたちはそりゃ見たいだろうけど。私心臓もたない気がする」
それに、これ以上神奈川の高校バスケット選手とお近付きにはならない方がいいという気もしている。この後どこと対戦するのかは知らないけれど、今日の公延や赤木のように藤真が来ないとは言い切れない。三井は来る気がないらしいと公延が言っていたが、湘北が善戦すれば気が変わるかもしれない。
もうそんな渦の中に飲み込まれて翻弄されるのはご免だった。ただでさえ4年という時間は長いのに。だが、宮城はゆるゆると首を振って腕を組み、静かに話し出す。
「そりゃ、お前は学校違うし部外者だろうよ。だけど、オレや花道、流川にしてみればアヤちゃんや晴子ちゃんみたいにずっと支えてもらってる仲間みたいなもんなんだよ。見に来てくれるとパワーもらえるよ」
キャプテンらしいことを言った宮城の言葉に、彩子と晴子が大きく頷く。これにはも照れずにはいられなかった。それなら見てもいいかなという気にさせられる。それに、受験が近付けば観戦どころではなくなるし、も進学したらどうなるかわかったものではない。見られるうちに見ておいた方がいいのかもしれない。
「じゃあまた見に来ちゃおうかな」
嬉しくてでれでれと照れたに、4人はぐいっと親指を立てて見せた。
公延とは結局ふたりきりになれないままだっただが、数日の間は試合のショックが大き過ぎて、その余韻がまだ抜けきらず、公延を恋しがる気持ちの方が引っ込んでしまっていた。むしろ何もせずに帰った公延の方が面白くなさそうな顔をしていた。
決勝リーグ残り2戦は一週間後の週末なのだが、そう簡単に都合がつけられるかどうかは怪しい。しかも、公延が家を出てしまった以上、とふたりきりで過ごすには、が公延の部屋に行くのが手っ取り早い。
それから何度も相談を重ねたが、決勝リーグ2日目3日目は公延は来られそうにないという。下校途中のは、駅のホームで携帯を耳に押し当てたまま、少し肩を落とした。
「そうかあ、まあ仕方ないよね。あと見るチャンスというと、インターハイ?」
「行かれればな。今年どこだったかな……国体もだけど近場とは限らないぞ」
「もうないの?」
「あとは冬の選抜の予選かな。秋以降になるけど」
秋以降はが厳しい。息抜きも大事だが、気持ちの整理がつけられそうにないので不安だ。
「あとはそうだな、晴子ちゃんに言って湘北席の近くに入れてもらうか?」
昨年までは全試合全部員ベンチ入りしていた湘北だが、今年は意欲のある新入生が多く入部したことで、観客席部員が出た。ベンチ入りするマネージャーもひとりと既定で決まっているので、晴子も観客席である。
「さすがにそれは図々しいよ」
「いや、観客席に区切りはないんだし、湘北席の後ろにでも椅子をひとつ確保しておいてもらえばいいんだよ」
公延の脳裏には桜木軍団の顔も浮かんでいる。は夏祭り以来会っていないが、水戸がいれば問題はないだろう。晴子も友人をそうやって連れてきているのだし、部外者であることを気にするだが、おそらくが顔を出せば中間合宿メンバーや晴子は喜ぶ。
「がいいなら行っておいでよ」
「なんかちょっと怖いけど……」
「うん、怖いね」
「公ちゃん!?」
は公延のさらりとした声につい声を上げた。
「宮城と彩子と桜木がいれば大丈夫と信じてるけど、そりゃ怖いよ。本当は傍にいたい」
「き、公ちゃん……」
「、清田に気をつけろよ」
「え、清田くん?」
夏祭りのときはしつこく纏わりついてくる清田を気にしない公延に腹を立てたが、には桜木と大して変わらない印象だけが残っていて、それは先日の邂逅でも同じだった。
「晴子ちゃんもいるし、大丈夫だと思うけど、一応な」
「うん、気を付ける……」
ぴょんぴょん跳ねては牧に鉄拳制裁を食らっていたあの男の子が? は公延の考えすぎなのではないかと思う。三井や藤真のようならともかく、清田はの世界に踏み込んでこなかったのだ。しかも2回しか会ったことがないのだから、と。
は胸元のリングに制服の上から触れながら、通話を切った。
一週間後、は結局彩子や晴子に事情を話して湘北応援席をひとつ確保しておいてもらうことになった。その際、宮城によるいたずら心では制服着用を条件に出された。一応公式な高校生の県大会なのだから、アナソフィアの制服を着た生徒がいてもおかしくはないのだが、ブランドイメージが強すぎる。
最初は渋っただったが、晴子がずっと一緒だというので了承してしまった。
しかし案の定アナソフィアの制服でが会場となる体育館に現れた途端、観客席にいた男子生徒がざわつき始めた。は下を向いて足早に晴子を探す。ちょうどコート脇のベンチの真上に金髪を見つけた。桜木軍団の大楠の頭だ。はその金髪に向かって走った。
「は、晴子ちゃん……!」
「わー、ちゃん制服だあ、カワイー」
「うおお、本物のアナソフィア!」
歓声を上げる桜木軍団、新入生。アナソフィアの制服は本当に威力がある。
「ちゃんはここね」
「えっ、晴子ちゃん私はじっこでいいよ、こんな……」
「ここの方がいいよ。メガネ君にも頼まれてるし」
「えっ!? 洋平くんそれどういう……」
「お姫様の護衛は花道やリョータくんに任せたかったみたいだけど、いねえからな」
マネージャーである晴子の真後ろであり、桜木軍団ふたりずつに挟まれてはどぎまぎしている。自分の後輩たちを可愛がってくれているに試合を見てもらいたい反面、公延は桜木も宮城も流川もいない状況にを送り込むのが不安だった。桜木軍団は最終手段だったのだ。
「木暮さんは心配性だよねえ、何も喧嘩するわけじゃないのに」
晴子はにこにこしているが、それを後ろから眺めつつ、水戸がため息をつく。
「メガネ君から直々に連絡が来たんだよ。花道たちの試合は見せてやりたいけどひとりで行かせるのはどうにも心配だって。制服の件は知らなかったみたいだけど、知ってたら来られなかったかもしれないよ」
は公延の気持ちが嬉しいのと、水戸たちに申し訳ないので俯いた。
「ごめんね、なんか、別に洋平くんたちにそんなこと……」
「関係ないのにって?」
「え、あ、うん」
「花道が世話になってんだろ。関係なくねえよ」
野間と高宮が割って入る。改めてはこの桜木軍団が不思議でならない。ヤンキーじゃなかったのか。
「まあそんなわけだから、安心して見て行ったら」
「……洋平くんて、年ごまかしてる?」
確か年下のはずの水戸は、なんだか頼りになるオーラがダダ漏れていて、は思わずそう零した。それを耳にした前列の晴子が音を立てて吹き出した。
「南関東ってどういうことになるの?」
「まあ主に東京だけど、神奈川千葉でも競技が行われるってこと」
決勝リーグ最終戦から数日後、は学校帰りにまた公延と携帯で話しながら駅まで歩いていた。無事に湘北がインターハイへの出場権を手に入れたので、なんとかして行かれないかと連絡を入れたところ、なんと関東開催だったという。それならどれだけ勝ち進んでも全部観戦出来る。
「バスケは神奈川でやってくれればいいのに」
「ははは、バスケは千葉だよ」
湘北にとっては近いようで遠い。通いになると移動だけで1日5時間ほど費やさなければならない。1回戦負けするつもりのない湘北にとってその毎日移動に5時間は大変なロスである。近場に宿泊することになるだろう。
「ていうか神奈川県内じゃなくてよかった、だろ」
「なんでよ」
「千葉ならうちの方が近いだろ。夏休みなんだし、泊まれるじゃないか」
「あ」
湘北の試合を観戦するということばかりに気を取られていて、は「公延と見る」ということをすっかり失念していた。は顔が赤くなるのを感じていた。忘れていたことが少し恥ずかしいのと、湘北が勝てば勝つだけ公延の部屋に連泊出来るというおいしい状況に頬が緩む。さてどんな言い訳を作ろうか。
「とはいえ、これだけ近いと誰が来るかわからないけどな」
「公ちゃんがしっかりしてくれれば済むことでしょ。どうせ赤木くんも一緒なんだし」
東京に進学した神奈川出身者は多い。千葉といっても船橋だ。遭遇してしまう確率は高い。それでも、ここまで来たらは湘北の試合を諦めたくなかった。わけても宮城と彩子にとっては最後の夏、それを友人として見届けたかった。それに比べたら他のことはどうでもよくなってきた。
例えその場に三井が現れても藤真が現れても、公延がいてくれさえすれば。
あくまでも目的は湘北のインターハイでの試合を観戦しに行くという前提なのだが、公延の部屋に連泊出来る嬉しさで、ついはめかしこんで出かけた。途中までは公延と手を繋いでうきうきだったのだが、待ち合わせた赤木の顔を見た途端に馬鹿なことをしたと気付いた。
「化粧だけ落としたって大して変わらんだろうが」
「でも……」
は船橋へ向かう電車の中で、公延と赤木の陰に隠れてメイクオフコットンで顔を擦っていた。赤木は言いはしないが、元々ノーメイクでも易々とナンパを引き寄せる容姿の持ち主なのだから、化粧をしようがしまいが何も変わらないと思っている。
ノースリーブのワンピースにサルエルを合わせ、髪も纏め上げてカラフルなシュシュで飾ってあるだけなのだが、は輝くばかりに美しく、また可愛らしかった。それは公延と一緒にいられるせいでもあり、普段とは少し違うのだが、他人の目にはそんな事情など映りはすまい。
そして案の定、会場にはよく知った顔がいた。
「よお、久し振りじゃねえか!」
三井である。
「……え、ミッチーだよね?」
「オレ以外の誰だっつうんだよ。お前寝ぼけてんのか」
三井はやたらとにこにこしていた。すっかり髪が伸び、長めの前髪がサラサラと揺れている。はヤンキー時代の私服か制服姿くらいしか見たことがないのだが、そんな過去は一体なんだったんだというくらいカジュアルになっていた。ウォレットチェーンとレザーブレスがいっそ恥ずかしい。
「うーわ、大学デビューとか……」
「お前はほんとにそういうところ失礼な女だよ。木暮、ちゃんとしつけしとけよ!」
「しつけって何よ人をペットみたいに」
が三井の足を蹴り、三井はのほっぺたをつねり上げる。公延も赤木も笑いつつ、なぜか無性にホッとしていた。と三井の間にあった苦悩、それについて具体的なことは何もわからない。それでもふたりが苦しみぬいた末に乗り越えたことを、公延も赤木もわかっている。
「、こいつは今中学以来となる注目を浴びてトチ狂ってるんだ」
「はっはっは、赤木、負け惜しみは見苦しいぜ」
「うわあ、ヤンキー時代よりウザいわ」
「三井、ひとりで来たのか?」
公延の声に三井はにやりと笑う。顎の傷跡がつり上がる。
「ま、ひとりで来たんだけど、さすがに近場でインターハイとなればな」
ちょいちょいと指で3人を招くと、三井はスタスタと観客席へ降りていく。何のことかわからないものの、たちは大人しく着いていった。湘北応援席と対戦相手の応援席のちょうど間あたりである。
「おーい、やっぱり来たぜ」
「うわっ、!」
「ああああ、さん!」
「……全員てどういうことよ」
三井の指差した先には藤真、牧、清田。そしてには見覚えのない数人がいっせいに顔を上げて見上げている。もちろんその中でも腰を浮かせているのは藤真と清田である。この年、海南は十数年ぶりにインターハイ出場を逃している。はもう笑うしかない。
「はっはっは、ミッチーてめえ、地獄に堕ちろ」
「はっはっは、これはお前の地獄だろうが、存分に苦しめ」
は公延と右手をしっかり繋ぎ、嫌がる赤木と左手を繋いでそのまま席に着いた。ひとりずつとは言え両側に置いておけば少しはましだろう。例えアグレッシヴなのが何人かいたとしても。
「、久し振りだな、元気だったか。文化祭以来だな」
「はあ、お久し振りです。おかげさまで元気です」
「さんやっぱりオレも来ちゃいましたよ」
「そっかー」
両側は固めたが、観客席には前も後ろもある。は前から藤真、後ろから清田に挟まれて生返事である。公延の隣の三井は口元を手で押さえて大笑いしている。
「公ちゃん、私晴子ちゃんたち来たらそっち行きたい」
「事前に席の確保頼んでおいたか? 湘北も今や人気チームだからな」
公延の肩に腕をかけて三井はニヤニヤしている。何があったのか完全にのことは吹っ切れたように見える三井は、が困っているのが面白くて仕方ないらしい。
「、三井はオレがブッ潰しておいてやるよ」
「あんだと藤真てめえ偉そうに」
「偉そうなのは二部のお前だ。そういうことは一部に上がってから言えよ」
「おう、入れ替え戦楽しみしてろ」
とうとう公延が我慢出来ずに吹き出した。誰がどこまでに対して思いがあるかはわからないけれど、を餌にこんな風にはしゃいでいる様子は不思議に可笑しかった。
「公ちゃんも地獄に堕ちろ」
「あっはっはっは、それじゃみんなで地獄行きだな」
しかしこの後、の周りに座った連中は後悔することになる。1回戦とは言え、パワー全開の湘北の試合には絶叫、基本的に宮城か桜木の名を叫び続けた。だが、全員じっくり試合を見たくて来ている。そのそしりを受けたのは当然三井である。晴子に預けておけばよかったのだ。
そしてまたは泣いた。湘北が勝ったからだ。
「まだ1回戦じゃねえか。そんなんじゃこの先もたねえぞ」
「うるっさいなあ、私のリョータくんとアヤちゃんへの思いなんだからほっといてよ」
「しかし宮城はいいキャプテンになったよなあ」
公延を挟んでと三井はまた言い合っている。
「さんまた泣いちゃったんすか、よしよし」 清田がの頭を撫でる。
「ほらこれ、使いなよ」 藤真がタオルを差し出す。
「お前らどんだけだよ。んで木暮は目が死んでんじゃねえか!」
「ははは三井、たぶんこれ一生続くんだぜ」
「お、おう、頑張れよ」
の引力の強さに改めて公延はため息、三井は少し怯み、赤木はその様子を微笑んで眺めていた。