君と犬と僕が日曜の空の下

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早朝の住宅街を飼い犬と共に駆け抜けていた信長は、あまりきちんと信頼関係が築けていない様子の犬に引っ張られていつもとは違う道を曲がった。普段なら自宅から公園へ行き、公園を一周してまた戻るのがコースだが、今日の相棒は海の方へ行きたいらしい。

「お前なあ、海行ってもいいけど入るなよ!」

大型犬なので後が面倒だ。だがそんなことを犬相手に言った所で、本人はおかまいなしである。普段部活で忙しく、ほとんど家にいない上に末っ子の信長は犬にとっては格下の存在であるらしい。

視界が開ける。朝日を受けた海がきらきらと輝いていて、眩しさに信長は目を細めた。

「ん〜、いい天気だな。牧さん波乗ってんのかな」

車が1台も走っていない道路を犬と渡り、浜に下りる。犬はもう海に突撃したくてたまらない様子だが、そうもいかない。格下に思われていようと信長は飼い主である。リードをがっちりと手首に絡ませて押さえ込む。

「ふざけんなお前、オレこの後朝練なんだからお前のこと洗ってる暇ねえんだよ」

そんな信長の声をまるで聞いていない犬が、急にぐるりと向きを変えて後ろ足で立ち上がった。

「うおっ、今度はなんだよ」
……清田くん?」
「えっ、あれっ、?」
「おはよー」

犬を引き戻しながら顔を上げると、そこには信長と同じクラスのが小型犬を連れて佇んでいた。どうやら信長の相棒はの犬の方へ行きたくて暴れているらしい。しかしの犬の方はご免蒙りたい様子。の隣で歯を剥いている。

「可愛いね、男の子?」
……えっ? あ、こいつか! うんそう、オス3歳」
「名前、当てられそう」
「おっ、言ってみ」

まだ暴れている相棒のリードをぐいぐい引きつつ、信長はにやりと頬を吊り上げた。

「秀吉?」
「おお、正解〜! 似合わないけどそれしかないだろ」

エッヘンと胸を反らした信長をはにこにこ笑いながら見ている。朝日に照らされたその笑顔は目元がきらきら光っているように見える。普段教室では気にしたこともなかったの笑顔がやけに眩しくて、信長はしゃがみこみ、の犬に手を伸ばす。

「こいつはなんて言うんだよ」
「チロル、女の子3歳です。同い年だね」

がチロルの前足を掴んで立ち上がらせる。ピンと伸びたチロルの前足を信長は指先でつまんで握手する。途端に唸るチロルとの柔和な笑顔のギャップに、信長は吹き出した。

「可愛いなおい、歯ちっせえ〜」
「結構噛みます」
「えっ、そうなん!? こんなちっこいのにお転婆だなお前〜」

秀吉の半分もないチロルの小ささに驚きつつ、にこにこしているがなんだかちょっと可愛く見えてきて、信長はすっかり油断していた。手首のリードが緩んで、お預けを食らっていた秀吉は静かに回り込み、びょんと立ち上がるとに覆いかぶさった。勢いよく倒れる、構わず腰を振る秀吉。

「うわっ、コラァ! おいコラ離れろバカ! 大丈夫か」
「へ、へいき〜」

ギリギリとリードを引き手首に巻いて短く持つと、秀吉を背後に置いて信長はに手を伸ばした。

「す、すまん、うちのバカ犬が。怪我してないか。チロルも平気か?」
「だ、大丈夫大丈夫、なんともないから」
「あああ服、砂だらけだ、マジごめん! おいコラお前も謝れェ!」

もちろん秀吉は無反応。むしろまた飛び掛りたいくらいの勢いだ。が手に捕まると、信長は思い切りよくそれを引いた。片手に唸って暴れるチロルを抱いたは砂だらけ。信長も焦っていた。

「わっ!」

信長は秀吉を抑えるために力を入れていた右手と同じだけのパワーで引っ張る。少しは自分の力で立ち上がろうとしていたは、自分の勢いも手伝って立ち上がると同時に浮き上がった。たたらを踏んだはそのまま信長に激突した。

手を引いて立ち上がらせてやるだけのつもりが、自分の胸に飛び込んでくるとは思いもよらない信長。慌てて手を離してしまうと、今度は支えを失ったがぐらりと傾く。まだ暴れているチロルが宙に舞う。

「あわわ、危なっ!」

片腕だが、を抱きとめる以外の選択肢はなかった。チロルも無事。

さて、事なきを得たはいいが、片腕にギュッとを抱き締めている状態である。信長は心臓が跳ね上がる音を耳にして身を強張らせた。すぐ離せばいいのだが、気の強いチロルがまだ暴れて身をくねらせているので、はそれをどうにか落とさないように必死だ。

「ちょ、お、落ち着いて、こら」

グルルというよりクルルと唸り続けていたチロルだが、とにかく前向きに抱かれたことで暴れようがなくなり、やっとも安堵の息をつく。そこでやっと信長の腕に支えられていることに気付き、顔を見上げ、驚いて少し飛び上がった。頬も赤い。ふたりは慌てて離れた。

「ご、ごめん、ありがと」
「いやっ、ホラ秀吉が悪いんだし、はなんも! 怪我とかねえか」
「うん、平気」

途端に気まずい。

「あはは、秀吉、元気だねえ」
「ははは、こいつ暴れん坊で……
「飼い主に似たのかな?」
「えっ、オレ飛びついて腰振ったりとかしねえよ!?」
「え!? そういう意味じゃ」

ますます気まずい。

「ド、ドッグランとか行ったりしないの」
「ドッグラン? この辺にあんの?」

ドッグランなど近所にはないと思っていた信長は、気恥ずかしさも忘れて食いついた。

「あれ、知らない? 学校の近くにあるよ」
「うわ、知らなかった」
「場所、教えようか。ええと携帯……

斜めがけにしていたポシェットを探るの、俯いた睫毛を見ていた信長は、無意識に呟いた。

「明日、一緒に行こうぜ」
「え!? き、清田くん部活は……
「日曜だけど午後からなんだよ。学校の方なら走れば自主トレみたいなもんだし」

快い波の音がふたりの間をすり抜ける。

「わ、わかった、明日ね」
「じゃここで待ち合わせ! 時間も今日と同じな」
「わ、わかった」

朝日に照らされていても、ポッとピンク色に染まるの頬が胸を締め付けるので、信長はそこで「じゃ!」と片手を挙げて大声を出し、くるりと向き直ると全速力で走り去った。まだまだ元気の有り余っている秀吉も全力で駆けて行く。その後姿をはまだ唸るチロルを抱いて見つめていた。

朝練の休憩中、信長は神を捕まえて話しかけた。フロアにぺたりと座る神の隣で信長はウンコ座りである。

「ドッグラン? 知らないなあ。学校の周辺なんてファミレスとかコンビニくらいしか……
「そーっすよね。どこにあるんだろ?」
「犬連れて行くの?」
「明日行こうかと思って」

犬をドッグランに連れて行くだけなのに、照れている。察しのいい神はピンと来た。

「ひとりで?」
「あー、クラスのやつと行くんすよ、今朝海で……あ、いや、その」

何も女の子だとは言ってはいないのだが、そのモゴモゴと濁した言葉尻が自爆の証拠である。

「へえーその、犬、って可愛いの?」
「えっ、いやまあ普通? すかね、わりと大人しくて静かというか」

犬、の所だけ音量を下げて聞いてみたら、簡単に引っかかった。

「へええ! 大人しくて静かな犬って、ちゃんと躾できてるんだな。それともそういう犬種?」
「あわ、や、ちが、おおお、大人しいのはクラスのやつの犬でオレんとこのはその」
「なに真っ赤になってんの」
「なってねえっすよ!」

何かを感づかれたことにようやく気付いた信長は、ぴょんと飛び上がり、腕を振り回している。これでは同じクラスの女の子とドッグラン行きますと言っている様なものだ。神はスタコラと逃げていく信長の後姿を見送りつつ、吹き出してしまいそうになるのを堪えていた。

……ありゃドッグランデートだな」
「だろうねえ。学校の近くだなんてチャレンジャーだな」
「あいつバカだからたぶん今日の間にかなり漏れるな、この話」

少し離れた位置にいた小菅にも読まれていた。

「うーん、そう言われると見たくなってくるな」
「みんなそう思ってるよ」

明日の日曜は午後からの練習とはいえ、本当に昼過ぎにやってくるのは3年生くらいなものだ。1、2年は早めに来て準備をしたりしている。もちろんその前に自主的に練習やランニングをしてくるという場合も多い。それが少しばかり早朝になったところで、なんということはない。

部活ばかりで娯楽の少ない彼らにとっては、あまりにも楽しそうな話題である。