ホワイト・ストロベリィ

2

翌日、一日丸々無断欠席したは何も弁解せず、衆人環視の中で顧問に深々と頭を下げた。

それに対してねちねちと難癖をつけている顧問、何があったのか知らないのだから庇いようがないとは言え、黙ってそっぽを向いている2年と1年のマネージャー。牧は心底呆れていた。顧問やマネージャーに支えられて心置きなくバスケをしていると思っていたのに、一体どうなってるんだ。

いい訳ひとつしないに顧問は退部を促すような内容の話をしだした。マズい、このままではがバスケット部から追い出されてしまう。何か言わなければと牧は焦るが、よい案が思い浮かばない。何か、何かでなければならないことがあるはずなのに、わかりやすい言葉になって浮かび上がらない。

その時、牧の斜め後ろに立っていた神がスッと手を挙げて前に進み出る。

「先生、今先輩に辞められてしまうと困るんですが」

は顔を上げない。ギョッとした牧は神の横顔を見上げる。いつもの神だ。

「困る? どういうこと?」
「冬の選抜までは3学年体制です。先輩がいないと足りません」
「補えない人数ではないと思うけどね」
「人数の問題ではなく、実際の仕事量の問題です」

いつもの神がいつものように柔らかく微笑んだ。

「マネージャーが担う仕事のうち、半分以上は先輩がやってくれています」
「そんなことは――
「オレ、いつも最後なので先輩がひとりで片付けや掃除をしてるのを見てます。毎日、必ずです」

なんだって? 牧はと神を交互に見、ついでに1、2年のマネージャーも見てみる。全員下を向いていた。

「他の部員がやってもいいですけど……そしたらそもそもマネージャーなんか不要ですよね」
「だけど3年が無断でというのは示しが――
「他の人ならともかく、毎日頑張ってる先輩を見てサボろうとは思いませんが」

いつのまにか神は両手を腰に当てて仁王立ちになっていた。

「先輩とオレたち部員はちゃんと役割と信頼関係があります。先生の一存で排除されると困ります」

淀みなくすらすらとそんなことを言う神に、さすがの顧問も言い返す言葉がなかった。顧問を黙らせた神はくるりと振り返ると、牧に向かって普段通りの静かな片目を素早く瞑ってみせた。

「ねえ牧さん、ちょっと先輩と話しましょう。主将相手に先輩ひとりじゃ可哀想なんでオレも一緒に」
「あ、ああそうだな」
「先輩、行きましょう。先生、30分とかかりませんから、先に始めててください」

またにっこりと笑った神に背を押されたは、びくりと体を震わせ、足早に部室を出て行った。神に促された牧も平静を装いつつ後に続いた。後にした部室からは、不穏なざわめきしか聞こえてこなかった。

神はと牧を追い立ててランドリー室へと入った。まだ時間が早いので、無人である。左右の壁にずらりと並ぶ洗濯機の間に、背もたれのないベンチが2つずつ2対並べてある。ランドリー室のドアを閉めた神がを座らせ、牧にもかけるように勧めた。

「先輩、大丈夫ですか。あんなの相手にしたらだめですよ」
「神くんごめん、でも……
「なに弱気になってんですか、引退まであと少しでしょ。やり遂げてくださいよ」

少し離れて座る神がを諭している。口を挟めない牧は、からも神からも離れて座った。

「というか、牧さんさっきからどうしたんですか? ぼーっとしちゃって。先輩追い出されちゃいますよ」
「すまん、神、この件はオレが悪いんだ」
……どういうことですか?」
「いやその、そう簡単に話せることじゃないというか、ええと」

言いよどむ牧を見ていた神は、すっとの隣にずれて腕を取り、「先輩」と声をかけた。その瞬間。

「やっ……

はまた掠れた声を挙げて手を振り払った。顔は恐怖に凍りついていて、異常を察知した神は体を引く。

「神、ちょっと」
「あ、はい」

ランドリー室のドアの所で、牧は昨日の部室で起こったことをざっくりと説明した。

「はあ、そんなことでこんなことになってるんですか」
「そんなことってお前な」
「牧さん怖くないって解らせてあげなきゃだめじゃないですか」
「そんな簡単に言うんじゃねえ」
「牧さんも先輩もあれですね、中学生みたいですね」
「なっ」

深刻もいいところの牧とに対して、神は飄々と言ってのける。牧は引退後にはなんの不安もないと胸をなでおろす反面、あの状況下ですらすらと顧問に歯向かいと牧をここまでつれてきた神を少し尊敬した。来年の海南も大丈夫だな。いやむしろ今年より怖いかもしれんな。

「先輩、牧さんすっごい反省してますよ。あと、触っちゃってごめんなさい。オレ先輩尊敬してるので辞めて欲しくないです。1、2年のマネージャーが適当なのオレちゃんとわかってますからね」

これまた表情を変えもせずに淡々と言うと、神は「お先に」と言ってランドリー室を出て行った。

後に残された牧は、とりあえず一番から遠いところに腰を下ろした。は俯いて膝の上で手をギュッと握り締めている。牧はそこで気付いたのだが、まだ暖かい日が続いているというのに、は長袖で、スカートの下にジャージを着込んでいた。

、怖かったろ、怖がらせてすまなかった」

視界の端でが頭を振っているのがわかる。けれど、体を小さく丸めて怖がっているに何をしてやれるのか、さっぱりわからない。

「もちろん昨日のはわざとじゃないんだけど、申し訳ないことしたよ。オレがすぐ出て行けばよかった」
……き、牧は悪くないよ」
「だけど女の子がその、見られたらショックだろ。好きでもない男ならなおさらだ」
「違うの、牧、ごめんなさい」

はまた涙声になっている。その声に胸を締め付けられて、牧はの方を向いた。ベンチの上に膝を立てて両腕で抱き、背中を丸めて小さくなって震えているを無性に抱き締めたかった。抱き締めて撫でて、怖くないよと言ってあげたかった。

「お前が謝ることはないだろう」
「私があんなところにいたからいけなかったんだし、それに」
、隣に行ってもいいか」

ビクリと肩を震わせただったが、少し顔を上げて小さく頷く。牧は手のひらほどの隙間を置いてベンチを跨ぎ、隣に座る。自分の体の正面に置いてしまうと、普段見慣れているはあまりに小さく頼りなく、それが神の言うようにひとりで仕事をしていたのかと思うと頭が痛い。

「昨日、牧が、牧を怖いって、思って、何もしてないし、そんな人じゃないの知ってるのに」
「だからそれはしょうがないだろう、理屈じゃないんだし、そんなことは」
「ずっと……ずっと3年間信頼していたのに、ごめんね牧」

膝を落としたは両手で顔を覆って静かに泣き出した。

「私の信頼ってそんなもんだったんだって、誰も味方がいないと思ってた部の中でも牧だけは私のこと気にかけてくれて、仲間だって言ってくれてたのに、牧を怖いと思うなんて」

それがショックだったのだ。で、牧に対して恩を仇で返したような気がしていたのだ。

「あ、あんなの見られたくらいで取り乱して、大したことでもないのに」
、やめろ」

牧は思わずの手を取って勢いよく引いた。下を向いて背中を丸めていたが顔を上げる。

「それ以上自分のことを悪く言うんじゃない」
「だけど……
「部の中でお前がどんなことになってるか、オレはまったく気付いてなかった。情けないよ」

実際に見ていたからとはいえ、神の方がよくわかっていたなんて。鳩尾の辺りがイラつく。

「だって牧はそんなこと気にしたらダメなんだから」
「関係ない。主将とか番号とかそんなことは関係ない。オレはそんな人でなしにはなりたくない」

掴んでいたの腕をそっと下ろし、両手での小さな手のひらをつつむ。指先がカサカサしていて、擦過傷がいくつもある。この傷の上にオレたちは胡坐をかいていて、それを知らずに仲間だなんて調子のいいことを言っていたなんて。部員たちにも自分にも腹が立つ。

……さんが引退してから、少し変だなとは思ったんだ」

さんはではない方の、従兄のさんである。地味で大人しいが愛されキャラだった。

「けど、お前は何も言わないし何も変わらないから、オレはそんなことすっかり忘れて」
「あ、当たり前じゃない、牧がそんなことを気にしてたらうちの部は」
「そういう場の空気にオレは甘えてたってことだ」

自嘲気味に牧が笑う。かすかに震えているの手をぽんぽんと叩く。

「神はよくわかってたみたいだな、お前のこと。オレは情けないキャプテンだよ」
「だから、そんなこと」
「来年の海南は怖そうだな。さっきも牧さんと先輩は中学生みたいだと言われたよ」
「中学生?」

きょとんとしているに、牧はまた困ったように笑う。

「男の目線で失礼なやつだよな。裸に中学生も高校生も……

途端にの顔が赤くなり始め、それに気付いた牧も慌てて手を離した。あまりにも今更ではあるが、事の発端はブラが取れかかっているの上半身裸を牧が見てしまったというアクシデントであるわけで。牧も今度はかくりと首を傾けて俯いた。

……いやその、その件に関しては」
「お、お見苦しいものを……
「はあ!?」

勢いよく顔を上げられた牧の顔に、は思わずたじろぐ。

「見苦しくなんかないだろ、きれいだったじゃないか」
「ななな、なに言って」
「はっ、いやその、不可抗力というか、オレは動体視力がいいもんでって何言ってんだオレは」

跨いだベンチに両の拳を押し付け、牧は再度がっくりと頭を垂れた。

「本当にきれいだったんだ。大事なものだろうに、オレなんかが」
「や、やめ、そんなこと、私牧なら平気だから」

お互い自分の口走ったことに驚いて息を呑む。その上相手の口走ったことにも驚いて絶句。

……、そんな風に自分を安売りするなよ」
「そういう意味じゃないよ、牧だってそんな安っぽいお世辞とか」
「お世辞なんか言ってないぞ、本当にそう思ったんだ」

喧嘩のように言い合ったふたりだが、お互い顔を赤くしながら違う違うと言い続けている状況が次第に可笑しくなってきた。しかし笑って済ませられるような状況でもない。

……オレならいいってどういう意味だ」
「どういうって、そういう意味だよ、見られても嫌じゃないって、思って……
「だからどうして」

期待してしまうのと恥ずかしいのとで顔を上げられない牧に、は恐怖が和らいでいくのを感じていた。1年の時から頼りにしてきた牧、牧がいたから従兄のいないバスケット部でも平気だった。それだけ牧への信頼は篤かった。なにがあっても信じていられる信じ抜ける自信があったから。

「ええと、だから、そう、牧が素敵な人だからだよ」

その言葉に牧は一瞬息が止まる。一緒に過ごした時間が長いので、「好き」だの「嫌い」だのを超越してしまっている感は拭えない。仲間だから。けれど、その感情が少しだけぶれて、はみ出したところにの言葉がぴったりと嵌る。それを、恋に落ちる、という。

牧はの手をそっと取る。もう震えていない。その手を胸元に引き寄せ、大きく息を吸い込む。

「勘違いするぞ」
……してもいいよ」
「お前はいいのかよ」
「うん、牧だから」

牧は素早くに寄り添い、両腕で柔らかく体をくるむ。おずおずと伸びてきて背中に添えられるの手がくすぐったい。柔らかい髪に埋めた鼻にふんわりと優しい香りが漂い、胸が疼く。

「買いかぶりすぎだ。後で後悔しても知らないからな」
「しないと思うなあ」
「また見たいとか思ってるかもしれないんだぞ」
「だから牧ならいいって」
「苺柄だったことまで覚えてるんだぞ」
「本当に動体視力いいんだね」

はたまらず吹き出し、牧はそんなを抱く手にギュッと力を込める。

「あれ、上下おそろいなんだよ」
「お前はほんとにバカだ」