日曜の眠り姫

1

天気予報では火曜日ごろから天気が下り坂だと言い続けていた。それが結果として大雪になってしまったのは1月も下旬の土曜の午後。普段より低く感じる灰色の雲から綿を千切っては投げたような雪が舞い降り、都市部でも20センチ近い積雪となった。

降雪が止んだのは深夜2時頃であった。そんなわけで、翌日曜日、は家族と共に雪かきに追われる羽目になっている。20センチの積雪など1年に1回あるかないかという土地柄、突然これだけ積もられてしまうと何も出来ない。翌日のためにも玄関から表の通りくらいは避けておきたい。

だが、雪は重い。雪は止んだというのに雲が晴れないせいで溶けもしない。

「お母さん手が痛いよ〜」
「玄関にお湯置いてあるでしょ、もう少しなんだから頑張ってよ」
「お婆ちゃんだって頑張ってるだろ」

は16歳、海南大学附属高校1年生。両親と祖父母と猫の5人と1匹家族。全員で雪かきをしているのだが、祖父母が一番馬力があって雪をかくのも上手い。インドアな性分のは手が冷えて痺れてきた。

ぶつぶつ文句を言いながら、は雪をシャベルに乗せて運ぶ。この度の大雪は塀に沿って積み上げるしか今のところ方法がない。レインブーツを履いているが、要は可愛い長靴なだけなので、爪先も痺れてきた。塀に隠れて見えないので、勝手に休憩する。手が真っ白だ。

息を吐いて少しでも手を温めようとしていたは、道の向こうから積雪をものともせず疾走してくる人影を見つけた。こんな雪道を走るとかバカじゃないだろうか……と考えていたのだが、その人物の顔に見覚えがある。

「あれ、清田?」
「うお、じゃん何やってんだこんな所で」

雪道をスノーブーツで走ってきたのは同じクラスの清田信長だった。1学期半ばから2学期末まで席が隣だった縁で、そこそこ仲がいい。雪の日にしてはずいぶん軽装で、見ているだけで寒くなりそうな様子には身震いする。

「何って、ここ私んち」
「えっ、そうなん!? なんだ、近いんだな……ってアレ?」
「ああ、ここに越してきたのは中2の時で、転校しなかったんだよ」

家が近所なら小中と同じはず、と首を傾げた清田は納得がいった様子でを指差した。

「清田こそ何してんの、そんな薄着でこんな雪の中」
「お前今、バカは風邪ひかねえと思っただろ」
「思ってないけど言われてみればそうだね」
「うちは雪かき終わっちゃったし、アイス食いたくなったから、この間出来たそこのコンビニに行こうかと」
「アイス!? こんな寒いのに!」

は自分の体を抱きかかえてぶるぶると震える。のひっくり返った声に母親が顔を出した。

「ちょっと何やって――あらっ、ノブちゃん!?」
「えっ、小母さんなんでここに、ってそうだ小母さんさんだ!」
「ちょっとお母さん何の話よ」
「お婆ちゃん、ほら、清田さんのとこの」
「あらあ、なんだっけ、3番目の落ち着かないの」
「うわあ、婆ちゃんも久し振り! 信長だよ」
「なんなのあんたたち……

ついこの間まで隣の席で勉強していたクラスメイトが母親と祖母とキャッキャと騒いでいる。はわけがわからないのと、学校でしか顔を合わせない友達が、自分の知らないところで家族と面識があるという状況が少し気持ち悪い。許可もなく私室を覗かれていたような気持ち悪さだ。

「やだ、ほらお母さんがバイト行ってた」
「婆ちゃんの同級生の」
「そこの3人兄弟の末っ子、ってわけだ」
……ああ」

祖母が昔近所に住んでいた同級生のナントカさんちは大きな工場を持っていて、の母親は年末になると短期のアルバイトをしに行くのが恒例になっていた。そこで工場主の次女にあたる清田の母親と仲良くなっていたのだという。清田家に何度か出入りしていたので、清田家三男の信長と面識があるというわけだ。

「お婆ちゃんも味噌作り教えに行ったりしてねえ」
「ほんとに上の子ふたりはいい子なんだけど」
「婆ちゃんひでえ」

清田と自分の家族が知り合いだった事情についてはよくわかったが、はだからなんなんだ、という気がしてきた。それはわかったから早く家の中に入りたい。爪先の感覚がなくなってきた。

「まさか海南でと同じクラスだったとはねえ。清田さん何も言わないんだもの」
「ノブ、お茶飲んで行ったらいいじゃない」
「は?」

母親と祖母はにこにこして清田の背中をぽんぽんと撫でている。は冷えた手足でぴょんと飛び上がる。

「ちょっとお母さん」
「お父さん、ほら清田さんとこの! もう終わりにしてお茶にしようよ」
「なー婆ちゃんアイスある?」
「清田、あんたねえ!」
、なんて口の利き方するの!」

清田に対しては普段どおりなのに叱られてしまったはぐっと喉を詰まらせる。悪いことをしたとは思えないのに一方的に怒鳴られると泣き出しそうになる。そんなを清田が横から肘で突付いた。少し余裕を感じさせる清田の笑顔が小憎らしい。

「アイスなんかないけど」
「オレ、お茶も好きだし」
「どういうつもりよ」
「いいじゃん、招かれて断る理由もないんだから」

女の子みたいに上唇を尖らせて笑う清田を殴ってやりたかった。

「ほら、ノブ早く入りな」
も何してるの! そんなところ突っ立ってないで!」

は清田をほったらかして家の中に飛び込んだ。

「はあ〜」

居間でこたつに入り、お茶を飲みながら和気藹々と語らっている家族と清田など構わず、は風呂場で手足を温めている。さすがに清田が自分の家にいる状態で入浴はしたくなかったので、シャワーで手と足だけ温めている。感覚がすっかりなくなっていた爪先に温みが戻り、少し痒い。

それにしても、元から知った顔がいるとは言え、同じクラスの女子の家に上がりこんでよくお茶なんか飲めるものだとは思う。知った顔がたくさんいても、そこに同じクラスの女子という要素がひとつ増えただけで遠慮したくなるものではないのだろうか。

手足が温まったは部屋に戻り、雪かきで湿った服を着替える。日曜なのだから適当な部屋着で構わないのに、清田がいるせいで服を選ばなくはならない。面倒くさい。着飾らず、だらしなくせず、ほどよく部屋着風というのが一番面倒くさい。

なんとか母親に後で小言を言われない程度に身繕いしたは、居間に入る。こたつの4辺は自分の家族と清田で埋まっている。しかも猫まで清田の膝の上ででれでれと仰向けになっている始末。

「あ、、お茶入れて!」

そのくらい自分でやれよと思うが、そんなこと言おうものなら今夜はねちねちと説教されてしまう。は大人しく母親から急須を受け取り、キッチンへ向かう。自分の紅茶用に電気ケトルに給水しに来ただけなのに。先に自分の水を汲み、急須には雑に茶葉と湯を突っ込んで運ぶ。

話に夢中になっている家族は急須を差し出しても何も言わない。その様子には呆れるが、これなら自分が居間にいなくても気付かれないかもしれない、とは一歩下がる。だが、清田がひょいと顔を上げた。

「なあ、宿題やった? 現国のやつ」
「現国……それ水曜の話じゃ」
「明日までだろ、写させてくんない?」
「写させてあげなさいよ
……読書感想文を写すっての」

家族のいる前でこんなことを言い出す清田もどうかと思うが、やってやれと言う母親もおかしいとは思う。

「写してもわかんなくね?」
「前回の期末の現国、私は92点、あんたは赤点」
「だったらわかんないように考えてやればいいでしょ!」
「お母さん、何ふざけたこと言ってるの」
「3学期の宿題で読書感想文なんていいじゃないの適当で!」

普段は明るい気楽な母親なのだが、たまにこうしておかしなことを言い出す。はそれをどうしても理解できないのだが、逆らうと逆ギレされるのであからさまには反論できない。

「ほらほら、ノブちゃんにやってもらいなよ。そうだ、ご飯食べてく? 小母さんがお母さんに連絡しておいてあげるから、時間かかってもいいわよ」

男の子が高校生にもなってお母さんに連絡もないとは思うが、黙っておく。そういえば母親は男の子が欲しかったというのが口癖だった。清田が可愛いくてテンション上がっているのかもしれない。しかも清田は三男だというし、要領よく可愛がられるコツは熟知しているだろう。

「やってもらっていい?」
「いいわよ、ね、!」

あんたに聞いてるんじゃないと喉元まで出かかったが、飲み込む。母親がこうなってしまったらどうにもならない。反論したところで後で損をするのは自分の方だ。は出来るだけ細く息を吐いて気持ちを整える。清田、部屋に来い、ぶん殴ってやる。そう思えば少し気も楽になる。

「部屋、こっち」
「おっけー」
「ほら、ノブ、お菓子もって行きな」
、お茶出すのよ! ノブちゃんコップ持って行きな」

自分の家族が果てしなくウザい。は清田を振り返らずにさっさと居間を出て行く。清田はの家族に愛想良く返事をし、口にお菓子を咥えて手にマグカップを持ち、の後を追いかけてくる。

後からとんとんと階段を昇ってくる清田を突き落としてやりたい。彼氏でもないのになんで部屋に入れてやらなければいけないのだ。しかも家族に強制されて。清田とは仲がいいけれど、外で遊ぶならともかく、自宅でふたりきりになる理由などひとつとして存在しない。

……本気で読書感想文私にやらす気?」
「えっ、やってくれんじゃないの?」

はため息をつきつつ部屋のドアを開ける。テーブルの上に電気ケトルをセットして、スイッチを入れる。後から部屋に入ってきた清田がドアを閉めながら「うわっ」と声を上げる。女の子の部屋に入って第一声がそれか、とは睨むが、清田はの本棚を見て目を丸くしている。

「すっげえ、本だらけ! これ漫画じゃなくて全部本かよ!」

の趣味は読書。特に、児童書。120センチ幅の本棚に目一杯詰まっている本の半分以上が児童書、さらにその半分以上が岩波少年文庫である。漫画もないことはないが、あまり頻繁には読まないのでクローゼットの中である。あとは最下段に児童書原作の映画DVDが押し込まれている。

「どれがいい? この辺は全部児童書だから感想文にするんでも楽だし」

本棚の隣のディスプレイラックから紅茶の缶を取り出してテーブルに置くと、は本棚の前に立つ。母親はああ言うが、全てやってやるつもりのないは、簡単に読んで聞かせられる程度で、児童書以外にも翻訳があるようなタイトルを探している。なんにせよ感想くらいは自分で考えてもらわねば。

が二列収納になってしまっている岩波の棚を目で追っていると、背後に清田が歩み寄ってきた。

〜」
「ひゃあ!」

は乾いた悲鳴を上げて飛び上がった。清田に後ろから抱き締められたからだ。

「な、に、すんのバカ!」

は体を捻って腕を振り解き、振り向きざまに勢いよく高い位置にある清田の頭を叩いた。

「痛って。なんでよ」
「それはこっちが聞きたいわ! ここどこだと思ってんのよ!」
……の部屋」

は本棚を背にずるずると清田から離れ、距離を置く。

「しかも下に親とじーさんばーさんいるってわかってて、何考えてんだ」
「部屋に入れてくれたってことは、いいのかなーと」
「いいのかなって何がよ!」

部屋と言っても子供部屋である。その内訳は学習机に本棚にテーブルにテレビにクローゼットに、ベッド。は混乱している。それというのも、数分前まで家族に愛嬌を振りまいていた清田が、妙に落ち着いていてゆったりと構えているせいもある。いつも教室で目にしているお調子者の清田ではない。

「さすがのオレでもそこまでは……てか、って、オレのこと好きなんじゃないの?」
「はあ!?」
「違うのかよ」
「どうしてそんなことになってるのよ……

清田は少し傷ついた顔をしている。勝手に勘違いして勝手に思い込んで勝手に傷つかれて、悪いのは私か。は肩を落としてため息をつく。

「私、清田が好きなんて言ったっけ?」
「いや、言ってないけど……
「じゃなんでそんなことになってんの」
「よくわかんねえ。そうなんだろうなって思ってた」

じりじりと距離を開けていくの手を清田が素早く取る。さすがに普段強豪校の主力選手として頑張っているだけのことはある。驚いて振り払おうとしただったが、がっちりと掴まれていて、解けそうにない。

「今はもう席離れたけど、仲良かったじゃん、オレら」
「そ、それはそうだけど、じゃなくて、あんたはどうなのよ!」

少し拗ねたような顔をしていた清田は、今始めてそのことを考えているらしく、黙った。そして数秒考えて、掴んだの手を引き寄せて、また抱き締めてしまった。

「ちょ、だからやめ――
「オレは好きみたいだけど」
「みたいって何!」
「なんか当たり前な感じがしたから、意識してなかった」

清田の両腕がするりと体に巻きついて、は思わず身を縮める。頭の上にぱたりと清田の頬が落ちてくる。額に触れる清田の髪がくすぐったい。聞こえてくるのも普段の通りのいい声なんかではなくて、低くて少し掠れた声だ。しかも、こうして抱きすくめられると清田の体が随分大きいのだと改めて認識されられてしまう。

、オレのこと好きじゃないの? オレは好きだよ」

は湯気を立てている電気ケトルのように顔が熱くなっていた。あれ、私も清田のこと好きなの?