200日の助走

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春、バスケット部の新入部員自己紹介では、氏名と、未経験でなければ中学でのポジションを言うことになっていた。その中で、無名の公立出身である神宗一郎は「ポジションはセンターです」と言った。新入部員の中でも背が高く、センターとして重宝されたであろうことは想像に難くない。

一応監督は自己申告のあったポジションを参考に練習を開始、自らスカウトしてきた特待生はともかく、その他の新入生がどういった選手なのかということを吟味していた。

しかし、1年生にとっては始まったばかりの高校バスケットの世界だが、インターハイの県予選は5月に始まってしまうし、のんびり新入生のポテンシャルを値踏みしている暇はなかった。手練の先輩たちの中に突っ込まれた新入部員たちはあれよあれよと言う間に仕分けされていく。

中学からのポジションのままでよいと言われたのは実に5人、それ以外の新入部員はいずれポジションを変える旨を宣告された。神もそのひとり。中学まではセンターだったけれど、先輩たちの中にひとり突っ込まれた彼は何度も吹っ飛ばされ、現状ではセンターとして不足の烙印を押されてしまった。

そんな通告を受けたのは、予選が始まる直前のことだった。早くも退部する1年生が現れるゴールデンウィーク明けのことで、即戦力にならない1年生はひたすら体育館で練習に精を出すしかない時期。

練習終わりに監督からポジション変更を言い渡された神は、わかりましたとだけ言うと、そのままスタスタと部室に帰った。この時期先輩たち、特に主力の数名は予選に向けた練習で特別枠。なのでこの日は終わり時間が異なり、疲れ切った1年生もさっさと帰ってしまい、神はひとりだった。

1年生のロッカー区画、神はひとつだけ置いてあるベンチに腰掛け、細く息を吐いた。

監督の言葉に反応が鈍かったのは、自分でももしかしたらと思っていたというのがひとつ。先輩たちの中にひとり放り込まれると、センターとしての役割が果たせていないことは明白だった。先輩たちなんであんなにムキムキなんだろう。何食ったらあんなに筋肉付くんだろう。

もうひとつは、じゃあどうしようという戸惑いからだった。現状センターとしてチームに貢献出来ないのは分かった。監督の判断は間違ってない。自分はセンターをやりたいから嫌ですと喚く気にはならなかった。だが、だったら自分はこれからどうすればいいのか。

監督には監督の思惑があるだろうが、この海南大学附属という全国でも屈指の強豪校にそんな受け身では将来がない気もした。さあどうしよう、自分はどうするべきなんだろう。

ポジションが変わるのは大変だよ、という話だけは聞いていた。だがセンターというポジションに執着があるわけではなくて、神の目標はあくまでも海南大学附属という遥かな高みで自分を試すことであり、チームに、勝利に貢献できる選手になることだった。

と、そんなことを考えていたので咄嗟に分かりやすい反応が出てこなかった。しかも元から表情に乏しいので余計に無反応に見えたわけだが、彼は彼なりに落ち込んでいた。目標は明確なのだが、そのために自分で納得できる道筋が掴めそうで掴めない。

すると部室のドアが開いて忙しない足音が聞こえてきた。この歩き方は――

「あれ、まだ帰ってなかったの」
「そっちこそ」
「私は今終わったとこだよ。先輩たちまだやるみたいだから監督がもういいって」

1年生唯一のマネージャーであるだった。現在3年生の先輩にひとりマネージャーがいるので、まだまだ新人のはこうして早めに帰されることも多い。いきなり全力で参加させてすぐにヘバって退部されるのも困る。

「あ、もしかして監督から言われた?」
「知ってたの?」
「殆どの1年生がポジション変更になるって話は、聞いてた」

女子のロッカー区画から少しくぐもった声が聞こえてきた。着替えているのだろう。少し意識してしまった神は、頭を振って立ち上がるとロッカーの扉を開ける。

「まあ、確かに牧さんに何度吹っ飛ばされたかわかんないから」
……監督がちょっと心配してたよ。反応なかったって」
「反応出来なかった、の方が正しいんだけどね」
「ショックじゃなかった?」
「ショックっていうより、じゃあどうしたらいいんだろうって悩んでたところ」
「監督、新しいポジションのこととか言ってた?」
「言ってくれてたら悩まなかったんだけどな」

君にセンターは無理だよ、という判断は伝えた監督だったけれど、じゃあ今後神という部員をどう指導していくかということは、彼にとってもまだ未決事項だったようだ。そもそも予選は目の前、1年生の、しかも特待生でもない部員の今後についてなど、ひとまず後回しなのは仕方ない。

「神はやりたいポジションとかあるの?」
「こだわりはないかな。なんだったら全部出来ますみたいなのが1番だけど」
「じゃあ配置変えになることは問題じゃないんだね?」
「それ自体はね。ポジションにこだわってチャンスを逃すのも嫌だし」

中学時代からの慣れでさっさと着替え終わる神、はまだ慣れないので少し遅れて女子のロッカー区画を出てきた。心なしか髪がヨレているように見える。整える気力もなさそうだ。

「じゃあ監督の指示待ち?」
「そういう待ちの姿勢はちょっとやだなと思って、それで考えてた」

ふたりとも後は帰るだけなのだが、そのまま部室の真ん中にあるテーブルに並んで寄りかかった。

「神の目標ってどんな感じなの」
「インターハイで優勝したい」
「いきなりゴール行ったね」
「国体と冬も全部優勝したい」
「みんな同じことしか言わん」

しかめっ面で腕を組むに神は少し笑った。そりゃしょうがない。

「じゃあそれに到達するための、個人レベルの目標は?」
「だから――まあ、ひとまず試合に出ること、たくさん出ること、それからスタメン」
「そりゃそうだよね。じゃあ、どうしたら試合に出られる?」
「そりゃあ……使える選手になることだよ……な?」
「そうだよね?」

神も腕を組んだ。当たり前過ぎる話をしているのだが、こうやって解きほぐしていくと、ぼんやりとして見えなかった道筋がくっきりしてくるような気がする。それに、ひとりで考えるよりも気持ちの負担が少ない。余計な不安は目を曇らせる。

「監督にとって『使える選手』って、どういうことだろう」
「そりゃ……試合に勝てる選手だよな」
「ということは、うちの得点源になって、相手の得点を阻止する」
「つまり、シュートを入れるか、シュートを阻止するか、そのアシストをするか」

腕組みでしかめっ面だったは、ひょいと神の方を向くと、目を丸くした。

「だよねえ。例えばセンターって、その『阻止』の役割が多いわけでしょ」

当たり前過ぎて考えもしなかった。神もの方を向いて頷く。

「結局、点を入れるか妨害するかで……
「だからセンターで妨害が出来なくても」
「点を入れることが出来ればいいんだ」

ふたりは組んでいた腕を解いて、人差し指を突きつけあった。

「いや、そんなの当たり前の話なんだけどさ……
「そんなことないよ、ちょっと見えてきた」
「そう?」

神は目の前が晴れたような気がして、体が軽くなった。

「監督はセンター無理って言ったんだ。それはまだ体が細いせいもあると思うけど、でも現状『妨害』の方で役に立てないなら、オレには『点を入れる』方しか選択肢がないし、逆に言えばそれさえ出来るなら体格は関係ないし、貢献度は同じ」

アシストだけでチームの主力になるにはまだ時間がかかる。経験やチームとの関係性も関わってくるだろう。それまで監督の指示を待っているだけの部員でいるくらいなら、自分で道を決める。

「て言うのは簡単だけど……シュート練習でもする?」
「それが今、自分に出来る唯一の道で、でも近道という気もする」

やってみなければわからないけれど、日々のたゆまぬ努力は絶対無駄にはならないはずだ。練習すればするだけ自分の目標にも近付くに違いない。

「なんか目の色変わってるよ」
「うん、ひとまずやるべきことが見えたからね。テンション上がってる」
「上がっ……た顔してないのは突っ込まなくていい?」
「生まれつきなので察してください」

神の目は黙っていても丸くて大きいのだが、それも含め彼の表情筋はあまり仕事をしない。にもどんよりして見えていた目の光が強くなったな、という程度にしか感じられなくて、ふたりはまた笑った。そして揃って立ち上がると、部室を出た。

「予選始まると先輩たち観戦しにいくらしいし、そしたら1年生は基礎練習が増えそうだし」
「ちょうどよかったかもしれない。シュート練習、考えてみるよ」
「私も手伝うからね」
「お世話になりますマネージャー」

ふたりは駐輪場でまた笑った。どちらも自宅は自転車圏内、おつかれ〜と言いながら校門の前で別れる。体育館からはまだ先輩たちが練習をする音、大きな声が聞こえていた。

オレも絶対あの中に入ろう――神の心の中は燃えていた。顔には出なかったけれど。

「主力選手以外は置いていかれて基礎練習しか出来ることがないと思ってた」
「まあ、海南だし、そんなに甘いわけがなかった」
「そういうわけで神には部活時間外にしか余白がありません」
「だよなあ。体育館て何時まで使っていいんだろう」
「ごめん、それは調べとく。帰り遅いのは平気?」
「大丈夫。チャリだし」
「あとは単に勉強時間が取りにくいという」
「問題はそこ」

翌日の昼休み、神とは神の教室の片隅でまた腕組みになっていた。海南大学附属が誇る天下の男バスの部員とマネージャーなので冷やかされることもなく、本人たちも難しい顔をしている。

「自宅の近くに練習できるところはあるの?」
「なくはない、けど、ほとんど外」
「うーん、個人で第2とか第3の体育館借りられないのかな」
「先輩で個人練習してる人いないしなあ」

シュート練習をしてみようと思い立ったはいいけれど、思いのほか時間もなく、場所の確保も安定せず、マネージャーとしてサポートしたいだったが、予選トーナメント中の練習内容を確認したところでわけがわからなくなり、弁当片手に神の教室に突撃してきた。

というかこの予選トーナメント中、主力選手以外は学校に残って普通にキツい練習、はその管理を任されてしまった。会場に行くのは海南の試合の時だけ、いわゆる二軍の2年も3年も残るので、そこを全部投げられると思うと今から緊張する。

なのでどちらも放課後の「部活動」の時間内では出来ることがない。練習が終わるのはどんなに早くても18時を過ぎる。そこからさらにミーティングや追加の練習が入ったり、試合の前には主力選手だけ延長という場合もある。なので全員が引き揚げてからというと、

「最速で19時半くらいだよね。この間先輩たち21時近くまでやってたみたいだし」
「それで赤点ひとりもいないって改めて海南恐ろしいな」
「うん、マジでこわい」

ふたりとも頭の位置が下がっていく。なんか分かってたつもりになってたけど海南て底が知れない。

「どうする、キツそうだけど……
……いや、やるよ。もう決めたから」
「具体的なプランはある?」

あくまでも神の自由意志で行う個人練習なので、は練習内容については何も考えてこなかった。すると神は落ちていた頭を上げ、しっかりとを見据えた。

「シュート、1日500本」

はつい甲高い声で「マジか!」と叫んでしまい、慌てて俯いた。

「その、平気? いきなりキツい目標掲げちゃって」
「でも、そのくらい出来ないと、牧さんのチームメイトにはなれないと思う」

そう言われるとは黙った。1学年上の先輩は2年生ながら全国でもトップクラスの選手であり、現状海南で「使える選手」になるためには彼と肩を並べて試合が出来ることが絶対条件になる。おそらく歴代の部員と比べてもハードな世代のはずだが、その分チャンスもある。

……まさか特待生が退部するとは思ってなかったし」
……監督が見込んだ子だったのにね」

入部から1ヶ月半、北関東から進学してきた今年の特待生は監督が直々にスカウトした選手だった。卓越した技能を買われての「2年後の主将候補」だったわけだが、慣れない土地でひとり暮らしをしながら部活と学校生活を送ることになった15歳は1ヶ月で心が折れてしまった。

本人も必死に努力していたが、気持ちがついていかれなくなってしまった。それに対しては同情心がある神とだったが、そういうわけで自分たちの学年には「監督お墨付きの主将候補」が不在になった。今年の1年生は誰にでもそのポジションが開かれている状態でもある。

「だから、やる。どこかでダメになるかもしれないけど、それまではやる」

トップに躍り出る可能性の扉は開いた。あとはやるかやらないかだ。

も大きく頷いた。あくまではマネージャーだったけれど、入部の際、監督と先輩マネージャーに「マネージャーは雑用係ではなく、選手たちを後ろから引っ張って前に進む重要な役割」と言われて数日間悩んだ。やっとその意味が分かった気がした。

退部していった特待生の心が折れるのを止められなかったことには後悔もあるし、神の挑戦はマネージャーとして黙って見ていられない気がした。これをサポート出来なくてチームの勝利に貢献出来るか。マネージャーにはマネージャーの戦い方がある。

神が「使える選手」になれた時、自分も「使えるマネージャー」になる気がした。

そうして自分たちが3年生の時にインターハイで優勝出来たら最高じゃないか。

神の表情はやっぱり変わらなかったけれど、ふたりの心は燃えていた。やってやろうじゃん500本。その果てに見える景色を掴んでやろう。

は鼻息荒く手を差し出した。

「明日からぼんやりしてる暇なくなるけど、覚悟はいい?」
「覚悟した。よろしく頼む」

ガッチリ握手を交わすふたりに、やはり同級生たちは少しばかり怯えた目をしていた。

男バス、怖すぎない……