コドモの時間

牧編 3

はそのままズルズルと引きずられて駅の方まで戻ってきた。すると牧は少し道をそれて広いフロアのあるカフェに入ってしまった。時間帯によっては近寄りがたい雰囲気のある店だが、平日の午後なので老若男女がのんびりとお茶を楽しんでいる。

そしてデザートメニューが豊富なのである。

「なんかたくさんくれたから何でも好きなのどうぞ」
「バイトできないんだから牧が全部もらっとけばいいのに……
「バイトする暇もないし使う暇もないからな」
「バッシュとか買えばいいじゃん」
「それには足りないよ。てかつべこべ言わずに選べ」

牧はまだグズグズ言っていたの頭を掴み、ショーウィンドウに向ける。私の頭一掴みとかどんだけでっかい手をしてんだこの人……とまた驚きつつ、はショーウィンドウの中のケーキやらパイやらを凝視した。昼にガッツリハンバーグ食べてるけど人類には別腹というものがある。

「オレはミートパイとチョコケーキにしよう」
「えっ、早、じゃあその私、ムラングシャンティで……
「なにそれ」
「あわわ、ええとこのクリームの乗ったやつで、甘くて」

別腹は元気だが容量は限られているので、質量の多くない物を! と焦って目を走らせた結果、はほぼクリームで構成されているムラングシャンティを選んだのだが、聞きなれない名前に牧が食いつき、また焦る羽目になった。何って見ればわかるよほぼクリームでしょ!

牧がパパさんからもらった金で会計している間、は彼の背後でこっそり深呼吸をする。

確か私うららかな午後を持て余して、バイト情報誌片手に公園でカフェラテとクッキーとかいうオシャンティーな時間を過ごそうかと思っていたのに、何で牧とムラングシャンティ食べることになってんだろう。てかさっき私、牧の前でワンワン泣いてたんだけど……スルーしてくれますように……

「泣いたから喉乾いたよな。水ももらってきた」

牧さん空気読まないー!

うーん、そりゃオールスルーする方も気まずいかもしれないけど、それにしてもこのダイレクトアタックはどうなんだろうか。は若干のモヤモヤを飲み込み、ふたりがけの席に着く。半円状のテーブルが壁にピッタリついていて、ふたりで座ると嫌でも顔を見ながら並んで過ごすことになる席だ。

テーブルいっぱいを埋め尽くすケーキやパイがダウンライトにキラキラ光っている。

「わ、私ちっちゃい子とか慣れなくて、取り乱してごめん」
「オレだってサナが生まれるまではあんな小さい子身近にいなかったよ」

恐縮しているに構わず、牧はケーキを突っつく。

「オレはいとこが遠くてさ。年下のいとこがふたりいるけど、どっちも初めて会ったのはサナより大きくなってからだったんだよな。てかその頃はオレも幼稚園とか小学校低学年とかだから、子供同士の距離感とはまた違うよな」

にもいとこがふたりいるが、こちらはどちらも年上。しかも男の子なので余計に縁がなかった。

「でも、私だったら急にあんな風に上手に面倒見られない気がする……
「そうか? あとオレはミニバス長いし、年下の面倒は見慣れてるのもある」
「あっ、そうか。私はそういうのなかったからなあ」

牧に比べたらなど狭い世界でしか生きてこなかった。ファストフード食べたらダメっていうお母さんがいる、なんてことも初めて聞いたくらいにはの世界は狭い。

「言われてみれば……ちっちゃい子の感覚なんだし、目が覚めて突然慣れない人に抱っこされてたら怖いだろうなってわかるんだけど、子供があんな風に泣くんだってこともピンと来なくて、もしかして病気なんじゃないかとか、私の抱っこの仕方がまずかったんじゃないかとか、パニックになっちゃって」

言われてみれば納得のギャン泣きだった。は肩を落としてソイラテを啜った。

「まあ、サナも人慣れしてないし、わがままなところもあるから」
「そうなの? パパママと離れてもいい子にしてるのに?」
「ひとりっ子同士のひとりっ子だからな。お姫様だよ」
「あはは、そりゃそうだよね〜! いいなあお姫様」

つい軽い相槌のつもりでがそう言うと、牧はかくりと首を傾げて目を丸くした。

「女の子なんてみんなそんなもんじゃないのか?」
「えっ、そ、そう?」
「オレ、いとこに女の子いるけどサナより激しくお姫様だった気がする」

若干嫌そうな顔をしている牧の表情に吹き出しそうになりながらも、はつい口が緩んだ。一瞬の後に後悔する「言わなくていいこと」だったはずなのだが、どうしてか牧に言ってしまいたくなったのだ。牧なら笑ったりしないと、そう思ったからかもしれない。

「そんなこと……ないよ〜」
「え?」
「私は、そんなことなかった」

の思った通り、牧は笑ったりしなかった。どころか、少し体を屈めて声を潜める。

……うん、ってなんか、遠慮がちっていうか、いい子に振る舞おうとしてるところあるよな」

それを聞いた瞬間、は顔を跳ね上げ、抗いようのない波に押し流されて目を赤くした。

「1年の時、課外授業担当やってた時も思ったんだよな。無理してる感じはないんだけど、遠慮したり一歩下がるのか当たり前になってる子だなって。まあその、ミニバスの頃にもそういう子ってたまにいて、試合はそれじゃ使い物にならないから、指導が大変なんだけど」

泣いたらダメだと思えば思うほど、逆に全てブチ撒けてわんわん泣いてしまいたい衝動が押し寄せてくる。さっき泣いたのに、あんなに泣いたのに。は唇を噛み締めて俯くしかできなかった。

「そういうの、つらくないのか?」

つらいともつらくないとも断言できるほどではなかった。ただ、どちらにせよ口を開いたら泣き出してしまいそうだった。牧はそんなの背をポンポンと叩くと、音もなく席を離れ、ペーパーナプキンをごっそり持ってきて押し付けてきた。

もう限界だった。はペーパーナプキンの束を受け取ると、顔を押し付け声を殺して涙を全部解き放った。牧は何も言わず、黙々とミートパイを食べていて、たまにちらりとの方を見るくらい。

時間にしてもほんの数分だったけれど、は押し殺していた涙を全部出しきり、牧が水をもらってきてくれたので、それを一気に流し込んだ。そうして息を吐ききると、体の中身がすっからかんになってしまったような感じがした。今の私は抜け殻。

「甘いの、食べな」
「うん」
「あとでまた水飲めよ」
「うん」
「言いたかったら言えばいいし、言いたくないなら言わんでもいいし」

午後のカフェは静かにざわめいていて、時折ご婦人方の楽しそうな笑い声が聞こえてくる。本を読んでいたり、新聞を読んでいたり、穏やかな音楽がそれをやんわりとくるみ込んでいて、は一瞬だけ気が遠くなった。泣いたせいで頬が痺れていて現実感もない。

「私……弟がいるんだけど、生まれた時に、心臓に穴が空いてて」
……うん」
「だからずっと親戚に預けられてて、親は弟にかかりっきりのまんまで」

よくある話と言えばそうかもしれない。だが、は不幸にも目をかけられないで育ってきた。泣いても喚いても重大な疾患を抱えた弟より優先してもらえるわけはなく、自然と前向きだが積極性に欠ける性格になってしまった。

「私はやたらと丈夫で風邪もひかないし、出来るだけ迷惑かけないように生きてきたつもりなんだけど」
……いいことじゃないか」
「でも、怒られるんだよね、弟はあんなに苦しんでるのにって」

の弟は何度も手術を繰り返して現在は普通に生活が出来ているが、姉は健康体のくせにわがまま、自分は体が弱くて不幸、とこちらも妙な刷り込みが行われてしまった。

「考えないようにしてたんだけど、サナちゃん羨ましいなあって、思っちゃって」
……そうだよな」
「私も牧みたいなお父さん欲しかったなあって」
「うんう……そっち!?」

しんみりと話を聞いていた牧は頷きかけて思わず声がひっくり返った。そこはサナのパパだろ!

「だって今日の牧って理想のお父さんすぎない?」
……さん、オレも一応17歳なものでそれはだいぶ心が抉られます」
「えー」
「えーじゃない」
「牧、私のお父さんになってー」
「嫌です」

心が空になって抜け殻のは淡々と言うけれど、とんでもない話です。牧は即答で却下するとアイスティーをぐいっと煽る。

「だってさ〜抱っこしてもらって肩車してもらって手繋いで遊んでくれてさ、ファミレス行ったって何でも好きなもの食べていいよって言うしさ、泣いてても怒ったりしないしさ」

は事も無げにさらっと言うが、牧は一瞬ウッと詰まった。偶然出くわした同級生は何だか大変な様子だ。しかし、お父さんは却下なのである。に言われるまでもなく、後輩たちがコッソリそんなようなことを囁いているのも知っているが、却下なのである。

「お父さんは却下だって言ってんだろ」
「じゃあお母さんでもいい」
「アホか。それはお前だ」
……んっ?」

グズグズとごねていただが、牧の言う意味がわからなくて止まった。私のこと?

「オレがお父さんでお前がお母さんなら考えてもいい」

頬杖をついた牧は真正面の壁の方を向いたまま早口でそう言うと、そっとの手を取った。

「そしたら抱っこでも肩車でも何でもしてやるけど」

泣いたことで空っぽになってしまった抜け殻はしばしポカンとしたのち、その意味がわかると一気に爆発、勢い余って繋いだ手をぎゅっと握り返して顔を真っ赤にしていた。

「どうする?」

そんな牧の問いかけにも、ただ頷くくらいしか出来なかった。

「はあ、伯父さんが」
「そう。あっ、でもちゃんと受験したよ」

後日、はバスケット部の部室でジャージを着てにこにこしていた。彼女は校内限定という条件付きでマネージャーに就任したのである。これは3年生が牧から事情を聞いていたところに監督が通りかかり、じゃあマネージャーやってもらえよと推したためだ。

で、蓋を開けてみたらの伯父が附属高校の事務員と判明。そういう縁で実家から離れて伯父の家に厄介になりながらこの高校に通っているという。監督はもしかしたらそれを知っていて口を挟んだのかもしれない。アルバイトするつもりだっただが、そりゃあ彼氏と一緒の方がいい。

「別に伯父さんの家で肩身狭いとかじゃないんだけど、いとこがいるし……
「合わないのか?」

急に牧が彼女出来たとか言い出した上に、その彼女がマネージャーになってしまったので、同学年の部員たちは好奇心に満ちた目を隠せていない。親身になって聞いている風だが7割方野次馬根性だと思われる。それを何となく勘付いている牧はあまり口を挟まない……が、

「ううん、そんなことないけど、ふたりとも年上の男の子だからさ」

そう言われてむせた。なんだその安っぽいラブコメみたいな環境は!

「あらら〜それは大変だ〜向こうもドギマギしちゃうよな〜」
「おい武藤ちょっと黙れ、、なんだそれ聞いてないぞ」
「あれっ、言ってなかったっけ? 海南大に通っててさ」
「聞いてない」
「そんな怖い顔しなくても。意外と心配症だよね、おと……紳一って」

武藤を押しのけて前のめりになった牧の目は真剣だ。いとこ氏ふたりは本当に大丈夫なんだろうな。

「心配とかそういう問題かよ。ちゃんと部屋はあるんだよな?」
「あるってば。おと……紳一なんか変な妄想してない?」
……さっきからちょいちょい『おと』って言いかけてるけど何それ」

敢えて牧がスルーしていたところを突っ込むのが武藤クオリティである。その意味に気付いていたらしい高砂が下を向いて肩を震わせている。せっかくスルーしてやったのに無駄だった、というのがありありとわかる堪えっぷりだ。

「そりゃあお父」
やめなさい」
「お父さん!!!」

部室なので不可抗力ですが聞いてませんという素振りで背中を向けていた1年生と2年生の方からゴハッという吹き出す声が聞こえてくる。武藤はもう涙目だ。

「ちょっと待って、彼女にお父さん言われてんのお前」
「許可してない」
「いやー……つい願望が口に出ちゃうんだよね……

一応申し訳なさそうなだが、牧は見事な渋面である。お父さんと言い間違えるだけならまだしも、大学生の男がふたりもいる家に寝起きしているなんて。そんな牧をちらりと見た武藤はニヤニヤしながら牧を覗き込んだ。

「これはお父さん出番じゃないの。いとこふたりに挨拶して来いよ」
「えー、いいってそんなの。てかみんなが考えてるようなことないから!」
「わかんねーよそんなこと」
「ないって! もう2年もそうやって生活してんだから!」

武藤とぶうぶう言い合いをしているを見ながら、牧はしかし、腹を決める。これはなんと言おうと捨ててはおけない。お父さんはそんなこと許しません。近々思いっきり彼氏ヅラしてお宅にお邪魔したいと思います。

お父さん扱いは納得行かないけど、今回だけは特例です!

END