コドモの時間

牧編 2

平日の昼時でも児童公園エリアは人で溢れかえっていた。人というか、子供でいっぱいだ。

サナ姫はブランコをご所望だったが、4つしかないブランコは当然使用中、順番待ちの列もなく、子供同士の奪い合いから喧嘩で大泣きが出ては横から掠め取る子供が出る……というような有様だ。しかも児童公園ということは当然保護者の女性もいっぱいいて、制服ふたりはまた奇異な目で見られた。

なかなか遊具で遊べないのでちょっとばかりサナがヘソを曲げてしまったのだが、牧が上手に宥めすかして何とか滑り台だけは潜り込むことが出来た。が、こちらもやっぱり子供で溢れていて、滑り終わった後にちょっとモタモタしていると後ろから滑ってきた子に蹴られてしまう。

牧はまたサナを誘導して児童公園を離れてしまった。

「普段どんな風に遊ばせてるかわからないし、預かってる時に怪我させたくないしな」
「そっか、そうだよね。パパが来るまで安全に預かっておかないとだよね」

すると、児童公園を離れた直後は問題のなかったサナが少し渋い顔をし始めた。への字口だ。

「今度はなんだろう……
「サナ、どした? おむつかな」

一応が確認してみたところ、おむつは大丈夫な様子。滑り台で背中を蹴られてしまったし、公園に戻りたいというわけでもなさそう。高校生ふたりはまたしかめっ面のサナを前に少し考えていた。

「あ、もしかして腹減ったのかも。 サナ、ご飯食べるか?」

そういえば昼過ぎだ。は自分でもすっかり忘れていたことを思い出した。バッグの中にカフェラテとクッキーが入ったままだ。それにしても牧はよく気が付くな……は感心していた。いくらよく知った子だからといって一緒に生活しているわけでなし、自分なら怖くて預かれない。

サナはもじもじしていたが、やがて渋い顔のまま頷いた。お腹が減ったけれど、それを牧にどう言えばいいのかわからなかったんだろう。牧が何を食べたいかそれとなく探りを入れているが、これという希望はない様子。

「駅まで戻らないでこの近くだと、ファストフードかファミレスか……そのくらいしか」
「うーん、ファストフードはオレたちの独断ではマズそうだよな」
「えっ、そうなの」
「うちは平気だったけど、いなかったか? ファストフード絶対ダメっていう友達の親とか」

小学生の頃からバスケット生活の牧はそういう風にして仲間たちのご両親ともたくさん知り合ってきたんだろう。はそういう経験もなく、小中高と特に仲のいい女の子の母親くらいしか知らない。ファストフードは食べたらダメ、という親御さんがいるかもしれないということも初耳だった。

というか国産オーガニックにこだわるカフェとかいうならいざしらず、ファストフードもファミレスも大して違いはない気がするが、そこはいいんだろうか……と思いつつドッグラン近くの出口の向かいにあるファミレスへと向かった。レストランが見えてきたサナは一気に上機嫌だ。

「サナ、何食べたい? オムライス、ハンバーグ、グラタン」
「サナちゃんこれ」
「えっ、うどん」

お子様メニューを見せて選ばせていた牧は、シンプルなチョイスに吹き出している。その向かいでメニューを見ていたは、首を伸ばして囁きかけてみる。お子様メニューには低アレルゲンメニューというものがあるではないか。

「ねえねえ、牧、サナちゃんアレルギーとかないの」
「あ、それは平気。ママがアレルギー体質だからって心配してたけど何も出てないらしい」
「しーち、サナちゃんアイス食べる」
「えっ、ゼリー付いてくるからアイスは今度な」
「えーサナちゃんアイスがいい。ゼリーはしーちにあげる」
「しーちはゼリーいらないからサナ食べてよ」
「えー」

アイスも勝手に食べさせるわけにいかないのか……は牧とサナのやり取りを目を丸くして眺めていた。サナちゃんの欲求はごくごく普通のものだし、だけど大人なら自分で取捨選択できるものだけど、まだ3歳、こうしてコントロールしていってやらないといけないんだなあ、なんで牧あんなに簡単に相手できるんだろう。

も17歳、自分がもう半分くらいは大人になりかけていることには自覚があるけれど、さて触れ合ったことのない小さな子供を目の前にしたらパニックを起こすこと必至だ。何がわかって何がわからないのかもわからない。言葉は? 良いとダメの基準は? 何ならさせてもいいの? 何がダメなの? みんなそういうのどこで覚えるの?

そういう怖さがあるのに、確か同い年で部活で超多忙を極めるはずの牧は難なくこなしている。この違いは一体何なんだろう。私、いつかお母さんになれるのかな。牧は今すぐにでもお父さんになれそうだけど。ていうか今ほぼお父さんだけど。私は……お姉ちゃんにすらなれてない、よね。

ちょっぴりしょんぼりしてしまっただったが、牧がそれに気付いて首を伸ばしてきた。

も遠慮しないで好きなの頼めよ」
「えっ、何言ってんの、自分で出すよ」
「ここの払いは後でサナのパパに請求するから大丈夫」
「余計に悪くない!? 勝手についてきちゃっただけなのに」
「大丈夫だから何でも好きなのにしなさい」

いやそれはしかしでもでも……と、がどう反論したらいいかわからなくなっていると、牧は自分でも手元のメニューに目を落としながら少しだけ微笑む。

「少食じゃないとおかしいかな、とか、そういうのも気にするなよ。練習明けのオレたちに比べたらこの世の全ての人間は死ぬんじゃないかって思うくらい少食だからな。オレもメガランチだし」

の眼球の奥がグッと詰まる。もしかしたらこれは牧の気遣いなんかではないのかもしれない。今カノか元カノか、男の子の前でご飯をしっかり食べると恥ずかしい、という女の子を知っているから言っているだけなのかもしれない。けれど、はそう言ってもらえたことが嬉しかった。

「あっ、だけどサナの手前デザートはなしでお願いします」
「あわわ、そんな、もちろん」
「そっちは何ならあとで補填するから」
「そんなこと気にしなくていいって!」

意識してやっていることなんだろうか、それとも無自覚なんだろうか。は鼻の奥までギュッと締め付けられる感覚に襲われながらも、これは遠慮すると逆に失礼だな、と牧が選んだメガランチの下位版であるハンバーグランチを選んだ。

とはいえ何を思ったかうどんを選んだサナは、お兄ちゃんお姉ちゃんが揃ってハンバーグ食べてるので「やっぱりそれがいい」と言い出した。メガランチの牧はひょいひょいと切り分けて有無を言わさずサナの口に突っ込む。そのためのメガランチだったのかなと思うとまた少し凹む。

それでも牧とサナとのランチは本当に楽しかった。誰も血の繋がりなどない関係だったけれど、まるでもうずっと一緒に暮らしてきたみたいな、そんな楽しさをはずっと感じていた。改めて牧をいい人だなあと思った。

我ながら単純だなと呆れる部分はあるけれど、憧れや尊敬や、そういう同い年の同級生に対して抱くにはちょっと大袈裟な感情も、牧なら好きなだけ持つことが出来るような気がした。それを正直に申告しても不快に思ったりしないんじゃないだろうか。そういう安心感もあった。

悠々とサナを抱っこしている牧を見ているとその思いは加速する。私もあんな風に抱っこされてみたいと思ってしまっては慌てて心の中で謝罪する。お父さん感はすごいけれど、自分は同い年なのだし、もう子供ではないのだし。そして時間差で恥ずかしくなってくる。

私が牧に抱っこされたら、それはお父さんと子供じゃなくて、違うものになっちゃうでしょ。

たまたま出会ってご一緒させてもらってるだけなんだし、そういう方向に考えが飛躍しちゃうのは失礼だよね。よく言うでしょ、男は女の子をパッと見てまず付き合えるか付き合えないかで2種類に分けるって。ああいうのみたいで、よくない気がする。

ただでさえ牧の場合は県下トップのバスケットプレイヤーという実績がある。は廃部。

だから、憧れや尊敬や、そうでなければ手放しの賞賛か何かくらいにしておいた方がいいんじゃないだろうか。表現としては、同級生。友達、というのも実情に見合わない表現という気がする。

は前向きでポジティブだが、積極性に欠けるし、分相応な世界で穏やかに過ごしていたいタイプだ。それは牧の世界とは天と地ほども異なる。それ自体は哀しいこととは思っていない。そういうものだから。元からそういうことになっているから。

ファミレスを出てお腹がいっぱいになったサナが牧の背中でウトウトしているのをやっぱり少し羨ましく感じながら、はまた公園に戻っていった。

サナが牧の背中で寝てしまったので、ふたりは公園内をのんびりと歩いていた。サナのパパの仕事は午後になればなんとかなるのではと言われていたそうだが、未だに連絡はない。ママの方からも連絡はない。牧家に戻ってもいいのだろうが、がいるのでそれは迷っている様子だ。

話すことは他愛もない。学校の話、友達の話、先生の話、部活の話。特に牧の場合部活の話はネタに事欠かない。は牧が言葉を濁したりしないので、海南クラブ活動ヒエラルキーの頂点に君臨する男子バスケット部についてをあれこれとたくさん聞かせてもらった。

しかしサナはいっこうに起きない。牧が真剣な顔になる。

……
「は、はい」
「トイレ、行っていいか」

は遠慮なくゴフッと吹き出し、ケタケタと笑った。そんな怖い顔するようなことじゃない。

ふたりはまず静かなベンチに移動すると、サナをゆっくりと下ろしてが抱きかかえる。トイレまでは少し距離があるが、行き帰りを走ればほんの数分で済む。牧の足ならなおさらだ。牧はすぐ戻るからなと念を押して、凄まじいスピードで駆けていった。

それを見送ったは、抱きかかえているサナが思った以上に温かいのでほっこりしてきた。子供ってこんなに温かいんだなあ、こっちが癒やされちゃうなあ、ほっぺぷくぷくでかわいい、もしいつか自分が母親になる日が来たら、サナちゃんみたいな子がほしいなあ。

そういう想像と願望の中間のイメージはなんだか柔らかくて暖かくて幸せな気がした。

しかしサナのようなかわいい子供を授かるには相手がいなければ。正直そこはあまり自信のないだったが、何しろポジティブである。まあまだ17歳、最近では30代40代の初産も増えていると言うし、結婚相手もいつか見つかるさ! そうしたら子供もきっと授かるに違いない!

とりとめのない妄想でしかなかったけれど、はそんなイメージの中で幸せに浸っていた。私は一体どんな人と知り合ってどんな恋愛をして、そしてどんな結婚や子育てをするのだろう。そして、胸を熱くする疼きとともに、思った。牧みたいな人だったらいいなあ。

2年前に課外授業委員を一緒にやっただけで友達と言うほどではないだろうけれど、それでも牧はいつも真面目で温和で優しかった。そういう人と一緒にいられたら――

私何考えてんだろう――が少し恥ずかしくなって空に向かって静かに息を吐いた、その時だった。サナがもぞもぞと体を動かし、手で顔をこすりながら目覚め、そして自分を抱いているの顔を見た。その瞬間、サナは顔を真っ赤にしたかと思うと、火がついたように泣き叫び始めた。

「えっ、サナちゃん!? どしたの!?」

慌てたが背中を撫でたり揺すったりしてみるが、まるで効き目なし。サナは公園中に響き渡るのではないかというくらいの声で泣いている――というよりもはや絶叫している。顔は赤通り越して赤紫に見える。涙が頬に伝い、息をするのもつらそうなほど。

「サナちゃん、どこか痛いの? どうしたの? 泣かないで、もうすぐ牧帰ってくるから」

サナの鳴き声につられての声もひときわ高くなる。しかしサナはの膝に座ったまま両手で唇を引っ掻きながら泣き喚いている。やがてそれは金切り声に変わり、激しく泣いているせいで体が痙攣のようにビクビクと震え始めた。

――どうしよう、どうしよう、どうしたらいいのこれ。

はサナの泣き声に包まれているうちに耳が遠くなり、その金切り声しか聞こえなくなってきた。次に襲い掛かってきたのは恐怖。サナがなぜ泣いているのかわからない。病気だったらどうしよう。私何か変なことしたのかな。抱っこが変だった? 落ちないようにしっかり支えなきゃと思ってたけど、強すぎた? どうしたら泣き止んでくれるの?

なんで牧帰ってこないの、なんでまた私ひとりなの――

その頃、牧はたちのもとへ戻ろうとしていた途中で、サナのけたたましい鳴き声を耳にして慌てて走り出した。まさかがサナに乱暴なことをしたりするわけはないので、目が覚めたらしかいなかったので驚いたとかそんなところだろう。しかし大変な大泣きだ。

これではに申し訳ないと思うあまり、牧は猛スピードで公園内を駆け抜ける。サナは普段母親とふたりで過ごしていて、増えても父親、稀に祖父母か牧というくらいの生活なので、初対面の他人に免疫がない。ただそれだけなのだが、これではを驚かせてしまう。

急いで戻り、ベンチの背後からに声をかけようとした牧は、つい足を止めた。

「サナちゃん、泣かないで、ごめんね、どうしよう、サナちゃんごめん」

そう言いながらも泣いていた。サナに謝りながら声を震わせて泣いていた。牧は驚いてつい止めてしまった足で踏み出すと、とサナを両方抱え込むようにしてベンチに滑り落ちた。

、遅くなってごめん、びっくりしたよな、ひとりにしてごめん」

途端に落ち着き始めたサナを引き剥がして左腕に抱きかかえた牧は、右手での肩をそっと撫でた。すると、落ち着き始めたサナとは対照的に、は余計に泣き出した。

「ご、ごめん、サナちゃんいきなり泣き出しちゃって、私何か変なことしたのかも」
「いや、そんなことないよ、は何もしてないから」
「だけどサナちゃんあんなに泣いて、苦しそうで、ごめん、ごめんなさい」
、もう平気だから。サナはびっくりしただけだから」

今度はの方が口元に両手を添えながら嗚咽でしゃくりあげ始めた。牧は急いで辺りを確認すると、少しだけを抱き寄せて頭を撫でた。

「怖かったよな、でもサナを抱っこしててくれてありがとう」
「サナちゃん大丈夫かな、本当にどこもおかしくない? 骨が折れてるとか」
「大丈夫大丈夫、目が覚めたら今日初めて会った人だったから、びっくりしたんだよ」

怯えるをよそに、サナはすっかり泣き止んできょとんとしている。

「サナ、このお姉ちゃん知ってるよな」
「しってるー」
「このお姉ちゃん、誰?」
「今日サナちゃんと遊んだ」
「そうだよな。ご飯も食べて、ワンワンも見たよな」

サナはあれだけ大泣きしていたのが嘘のように、けろっとしている。目と鼻は赤いけれど、牧のネクタイを引っ張ってぐるぐる回している。はそれを見ながら牧に頭を撫でてもらい、ようやく落ち着いてきた。頭が冷静になると今度は強烈な羞恥に襲われ始める。

「あの、ほんとごめん、マジでごめん、わた、私帰るよ」
「落ち着いて、大丈夫だから」

あまりの恥ずかしさに逃げようとしただったが、牧は肩を抱いたま離してくれないし、そこから何とか逃れても今度は手をガッチリと掴まれてしまった。さすがにキャプテン、握力ハンパない。

「てか今遅くなっちゃったのはサナのパパから連絡来ててさ」
「パパー!」
「今近くだって言うから、ここまで迎えに来てもらうことにしたんだ」
「えっ、じゃあやっぱり私帰――

そうしたら牧も子守終了、サナは本物のパパの手に返すことが出来る。むしろさっさと帰らなきゃダメじゃん、とは立ち上がろうとしたのだが、牧はやっぱり手を離してくれないし、そのまま立ち上がってを引っ張り始めた。

「ちょ、何してんの」
「駐車場のところでサナのパパと待ち合わせ」
「え、だから私は帰った方が」
「ダメ。サナを返したらはデザート」
「は!?」

ご飯奢ってもらった上にデザートなんて必要ないとか、ダイエットしてるからいらないとか、はあれこれ並べ立ててみたけれど牧は聞く耳を持たない。手を繋ぐというより、手首を掴まれたままぐいぐいと引っ張られていった。

公園の南東と北が大きな駐車場になっていて、牧はその南東の駐車場に向かう。するとまだネクタイをぐりんぐりん回していたサナが歓声を上げた。パパだ。

「サナー! 紳一ー!」
「パーパー!!!」

今にも落下しそうな勢いでサナが前のめりになるので、牧がそっと地面に下ろしてやると、サナはたどたどしくも猛ダッシュでパパの元へ駆けていく。牧のように背が高く、ちょっと強面のパパだったが、両手を広げてサナを迎える姿は子煩悩なパパそのもの。サナもジャンプで飛びつく。

「ごめん、オレがトイレ行ってる間に目が覚めてびっくりさせちゃって、ちょっと泣いた」
「いいよそんなの。来年から三年保育の予定なんだよ、少し慣れないとな、サナ」

パパに抱っこしてもらって上機嫌のサナは聞いていない。今度はパパのシャツの襟を掴んでぐりんぐりんやっている。すると、サナのパパはぽかんとしていたに向かって少し屈み込み、ちょこんと頭を下げた。同じ目線で話をしてくれる人のようだ。

「紳一から聞きました。サナがお世話になりました。本当にありがとうございます」
「えっ、そ、そんな、私何も、むしろ泣かせちゃって」
「緊急事態だったので、僕たち家族全員が助かりました」

その上おどおどしている女子高生に対して敬語である。それに驚いてきちんと受け答えができないだったが、まだ牧が手を離してくれないので反対側の手を必死に振り、そんなことないですを連呼していた。パパさんは続ける。

「紳一のことは信頼してるし、サナも慣れてるけど、それでもまだ高校生、彼にも負担だったと思うので、それを助けてくれて、そっちもありがとう、という気持ちなんですよ。今日が短縮授業だったことも不幸中の幸いでした。というわけで、紳一、これね、お前もありがとな」

「そんなことないです」を封じ込められてしまったは返事に詰まった。するとパパさんは牧の手に何やらポンと手渡すと、じゃあね、と去って行ってしまった。ママさんを助けに行かなければ。

「そんな……大したことしてないのに」
「とりあえずオレはトイレ行けて助かったけど。てかほら、これ」
「何もらったの……ってお金」
「電話きた段階である程度話しておいたんだよな。そしたらデザート連れてってやれって」
「だから、別にいいってそんなの!」

また慌てて手を振り回していただったが、牧は掴んでいた手首を解放すると、今度は遠慮がちにゆるく繋いで、ちょっと照れたように微笑んだ。

「ダーメ」