コドモの時間

木暮編 2

「じゃあ順番にこっちから……
「タイガ!」
「タイガくんねー」
「オーガ!」
「お、おーが」
「人食いモンスター?」
「オレ、レイキ!」
「冷気?」
「キョウキ!」
「凶器?」
「狂気?」
「くるみ!」
「くるみちゃんね」
「みゅう!」
「みゆうちゃんね」
「みゆうじゃなくて、みゅう! 『ゆ』はちっちゃいの!」
「はあーい、ごめんなさーい」

明治の頃に建てられたという先輩の家にやって来た木暮とは、小学1年生だというキッズ6人を前にして早くも目が死んでいる。全員に名を名乗らせたところだが、名前とは裏腹に6人はそれほど特徴もなく、顔と一致するのには時間がかかりそうだ。

「一応服の特徴と一緒にメモっといたよ」
「助かる……なんで女の子お揃いの服で同じ髪型なんだろう……
「さっき見たんだけど、バッグも同じだった。唯一の違いはくるみちゃんの首にほくろ」
「名前は個性的なんだから外見もそうしといてくれりゃいいのに」

Tシャツ半パンだった木暮はジーンズにポロシャツという出で立ちになっており、眼鏡も相まってものすごく先生っぽいが、とにかく6人が食堂を出てもフルパワーのまま落ち着かないので不安しかない。この6人を全員机につかせてドリルをやらせるなんてこと、可能なんだろうか。

「じゃあドリルやっちゃおうか〜」
「持ってきてるドリル見せてくれ――ってゲームしないでー!」

男子4人は携帯ゲーム機、女子ふたりはスマホ。それぞれ座卓の上にドリルを放り出したままゲームを始めてしまった。かといってお喋りをやめたわけではなく、目はモニタに向けたまま相変わらず大きな声で騒いでいる。

「なあ、ゲームはまた夜でも明日でも出来るから、宿題やっちゃおうよ」
「宿題は夜でも明日でも出来るよ」
……でももう夏休み半分過ぎたし、早く片付けた方がよくない?」
「夏休みまだ残ってるから平気」
「お母さんたちが帰るまでにドリル終わってなかったら怒られない?」
「ママすぐキレるけど今日はおばあちゃんいるから平気」

ああ言えばこう言う。木暮とはまたため息をついて肩を落とす。この6人のキッズのうち、先輩の血縁なのはくるみちゃんである。どうやら彼女のお母さんは姑がいるので大きく出られない模様。

だが、実際この子供たちのドリルが終わろうが終わるまいが、ふたりはどうでもいい。ただちょっとでもドリルをやらせておかないと先輩に申し訳ないというのと、その先輩が後でくるみちゃんのママにキレられても困る、というだけだ。

先輩は現在自分の部屋で彼女と5年ぶりのふたりきり、せめて1時間は声をかけないでくれと言われている。出来れば先輩たちが満足するまではふたりっきりにさせてやりたい。

「ていうかそんなにドリルやりたかったらやっていいよ。簡単でしょ」
……どう考えてもバレるだろ」
「ほら、ノート1枚あげるからここに書いて。そしたら後で写しておくから」
「そういう『ずる』はいけないと思う」

正座で腕組みの木暮が新任の先生に見えてきたは可笑しくなってこっそり口元を歪めた。しかも「ずる」を提案してきたみゅうちゃんに対して真剣な顔つきをしている。

「宿題くらいズルしたってバレないよ」
「ズルがバレてみんなが先生に怒られることなんか心配してない。ズルは卑怯だ」
「いいの! チートチート! 裏技だよ!」
「おじさん、自分が楽したいだけじゃん」
「おっ、おじ……!」

ゲーム機から目を離さないキョウキの声に木暮は正座のままよろけ、は慌てて背中を支えた。

「木暮しっかりして……!」
「あっ、赤木ならともかく、オレそんなこと言われたこと」
「わかってる、大丈夫、木暮は正真正銘本物のお兄ちゃんだから」

木暮もついに縋った。周囲にはやたらと老け顔の高校生も多いけれど、自分は言うほどではないと思っていたのに。するとため息を付きながらオーガが顔を上げた。

「じゃあなんて言えばいいの? 名前言わなかったじゃん」
「あのねえ、このお兄ちゃんはすごいバスケ選手なんだよ」
「え」

膝立ちになったはつい座卓に両手をついて身を乗り出し、ふんと鼻息を吐いた。

「この間まで全国大会で試合してたんだから!」
「オレこんな人しらねえけど」
「そりゃそうでしょ、えーっとレイキくんはバスケやってんの?」
……やってない」
「じゃあ知るわけないじゃん! 日本一強い高校と戦って勝ったんだよ!」

女の子ふたりは興味がないようだが、男の子は全員顔を上げて訝しげな顔をしている。

「だ、だから何。先生みたいに偉そうなこと言って……
「うん、そうしよう、お兄ちゃんのことは先生って呼ぶこと!」
「えー!」
「先生はみんなより勉強も運動もすごいし、何でも出来ちゃうんだから!」

いい思いつきと思ったのか、は腰に手を当ててまた鼻息。だが――

「じゃあ、おばさんはおばさんでいいの」
「ババアの方がいい? BBA! BBA!」
「おばっ……! ちょっと!」
待ってダメダメ」

思わず腕を振り上げたを木暮は慌てて引き止める。

「木暮止めないで、私たち日本に暮らす女は『おばさんじゃない時間』がものすごく短い」
「わかった、わかった男が悪い、オレたちが悪かったほんとにごめん、だから落ち着いて」
「私まだJK、お母さんがJKだった頃ならまだ子供、お姉さんにもなってない年なのに」
「そうだな、日本の世の中は本当に女性に失礼だと思うよ、オレも反省する、だから殴らないで」

もそもそも言うほど老け顔ではない。充分高校生のあどけなさを表情に残している。まあ子供たちはそういう風に大人をバカにして楽しむことを既に覚えてしまっているのだろうし、ここでキレた方が負けだ。は木暮に後ろから抱きかかえられるようにして引きずられていった。

「木暮、これ無理だよ」
「オレもそう思う。でも今さら逃げ出せないだろ」
「てか親は子供丸投げして何やってんの? 電話して呼び戻せばいいじゃん」
「それが出来るなら先輩もオレたちを頼ったりしなかっただろ」

がっくりと背中を丸めて頭を落としているの背中を擦りつつ、木暮は声を潜める。

、引き受けちゃったもんはしょうがない、先輩は2時間くらいって言ってたし、ドリル1ページでもやらせることが出来れば責任は果たせたってことでいいと思うし、協力してなんとか乗り切ろう」

その言葉に顔を上げたは涙目で眉が下がりきっていた。だが、偶然こんなリトルモンスターたちのお守りをすることになってしまってげんなりしているのは自分だけではない。木暮も戸惑っているんだと思ったら少し気力が湧いてきた。

……弱音吐いてごめん」
「いいよそんなこと。あいつら完全にオレたちのこと舐めてるから、キツいのは当然だよ」

そういうと木暮はサッと立ち上がり、スタスタと戻ると座卓に手をついて厳しい声を出した。

「おばさんとかBBAとかは全部禁止。もしもう1回そういうこと言ったらWi-Fiの電源落とすよ」
「はあー!? ありえないんだけど!」
「だったら失礼なこと言うんじゃない。お姉さんのことも先生って呼びなさい」
「どっちの先生だかわかんねえじゃん」
「オレが木暮先生、あっちは先生! はい、言ってご覧!」

と言ってすぐに復唱してくれるなら苦労はしないわけだが、木暮はしつこく同じことを繰り返し、子供たちは根負けでふたりを先生と呼んだ。昨今依存傾向にある若年層にとってインターネットからの遮断は息を止められるほど苦しい。Wi-Fi切断を阻止できないくらいには、先生たちはオトナだった。

「はい、じゃあゲーム機とスマホしまって! 5分以内にやめないとネット切断」
「ずるいー!!!」
「何がずるいの? 宿題やっててねってお母さんに言われたのにやらないみんながいけないんだろ」
「宿題やだー!!!」
「はい、あと4分」

気持ちを切り替えて鬼教官と化した木暮は容赦しない。それを後ろから見ていたはまたこっそり笑った。とにかくバスケット部の先代の部長は自分にも他人にも厳しいことで有名だったが、木暮はそれに6年間付き合ってきた人物なのである。スイッチが切り替わればいくらでも厳しくなれる。

宿題をやってもやらなくてもネット絶ちさせられるということがわかったのか、子供たちは渋々座卓の上にドリルを引っ張り出した。ドリルは単純な計算問題と漢字の練習程度、しかしだからこそ面倒くさい、学んでいる気にもなりにくい反復練習タイプの宿題なので、特に面白くない。

その気持ちは大いにわかるが、そんなことは知ったことではないのである。鬼教官は続ける。

「今から20分、ドリルやります。そしたら10分休憩」
「20分てどのくらい?」
「学校の1時間の半分もないよ。目標はドリル5ページ!」
「そんなにたくさんやりたくないー!」
「でもみんながさっさと終わらせればそこで終わりだけど。あとはずーっとゲーム出来る」

いくら小学1年生の子供でも、その理屈は充分理解できる。木暮は休憩を挟んでくれるようだが、もしドリル5ページを20分で終わらせることが出来れば以後はずーっと休憩だ。全部で何ページ課せられているのか知らないが、5ページやらせることが出来れば先生ふたりの面目も立つに違いない。

「はいそこ、えーとタイガくん、電卓禁止。てかスマホしまって」
「なんで電卓で出来るのに計算しなきゃいけないんだよ……
「それは学校の先生に聞いてごらん」

木暮がにしか聞こえない程度の声で「先生も答えられないと思うけど」と付け加えたので、はまたこっそり吹き出した。きっと脳の訓練か何かなんだろう。たぶん。

全てが面白くないのでぶうぶう文句を言っていた子供たちだが、5分くらいすると黙々とドリルを片付け始めた。自由研究なんかと違って、この手の宿題は「やれば片付く」タイプのものなので、難しくはない。計算問題の答えが間違っていたところで、バツを付けられて点数を書き込まれることもない。

……なんかすぐに片付きそうじゃない?」
……飽きなければそんなに大変なことでもなさそうだよな」

だがその「飽きる」が最大の敵なのである。場所は学校ではないし、長期休暇だし、とにかく勉強やりたくない。8月はずっと日曜日、くらいの感覚しかないので、倦み疲れるのも早い。

……先生たちは、高校生って宿題ないの?」
「あるよ。すごくいっぱい出る」
「じゃあふたりもやれよ」
「えっ、もう終わってるもん」
「はあ!?」
「7月のうちに終わらせてあるよ。インターハイ行かなきゃならなかったからね」

特に木暮は今年はインターハイを控えていて、宿題にかかずらっている暇は本当になかった。全国大会出場ということで一部社会活動などの課題は免除、というかやってもやらなくても良いということになっていたが、それ以外の課題は合宿にも持ち込み、インターハイまでの数日の間には自宅で1日中机に張り付いて全部片付けてしまった。

先生ふたりが、宿題? そんなものとっくに終わってますけど? という顔をしているので子供たちはまた面白くなさそうな顔をしながら鉛筆を走らせている。

も終わってんの?」
「終わってる。この間ボランティア行ってきたからそれをまとめるだけ」
「てかそもそもオレたち予備校行ってなきゃマズい立場だしな……
「もういいよそれ……どうあがいても月末から行くことになってるし」

宿題どころか一応受験生であるふたりは余計に「そんなドリルくらいさっさとやればいいのに」と思ってしまう。先生たちはこれから失敗できないテストに挑まなきゃならないんだよ。君らは宿題怠けてもまだ怒られる程度で済むだろうけど、先生たちこれを失敗したら二度と軌道修正できないんだ――

大学受験という関門が現実として目の前に迫ってきて初めて、これをしくじったら「現役から外れる」という実感が出てきた。それが一生ついてまわるのだと思うと怖くなる。大人たちは不安を煽るようなことしか言わない。

「すまん、余計なこと思い出させた。それは今日は忘れよう」
「ううん、平気。現実逃避してる私もよくないんだよ」
「でももう予備校決まってるんだろ。ちゃんと準備できてるじゃないか」
「備えがあっても意欲が伴わないのはどうなんだろう、って」
「実は進学乗り気じゃない、とか?」
「そういうわけじゃないんだけど、なんとなく、やり残したことあるなあって、思っちゃって」
「やり残したこと?」

は少し首を傾げて、目を細めた。

「私、高校の間にやりたいって思ってたようなこと、何も出来なかったから」

どこまでが願ったことでどこまでが叶ったことなのか、それはもう一言では言えない木暮だったけれど、中高6年間をバスケットに捧げたことは自分自身の意志だった。インターハイなんて夢の舞台で、こんな弱小チームが予選を突破できるわけがないという悪魔の囁きを無視し続けてきた。それは意外な形ではあったけれど、報われたと思っている。

それを思うと、の呟きは少し胸に刺さった。

部活に忙しい木暮にとって、という人物はそれほど親しいわけではなく、したがって彼女のプロフィールにも詳しくなく、こんな風にふたりで長い時間を過ごすのも初めてだったが、それでも自分のように何かの目標に向かって邁進していたわけではないことは知っている。

教室にいたは、いつでも「どこにでもいる女子高生」でしかなかった。何かに熱心に取り組んでいる様子も見えず、友達と楽しげに語らい、笑い、そんな日々を繰り返すだけの。

そんなにも「やりたいと思っていたこと」という願いはあったのだ。

……まだ一応高校残ってるけど、それはもう、出来ないこと?」
「ちょっと難しいかなあ。ひとりで何とかなるようなことでもないし」
「なんか協力とか、出来るんなら……
……それはたぶん、無理だと思う」

少し踏み込みすぎてしまったか。困ったように笑ってまた眉を下げているの隣で、木暮は「そっか、ごめん」と言ったきり、何も言えなくなってしまった。一体が願ったことって、何だったんだろう。高校生活はまだ半年くらい残っているけれど、もうダメなのか――

ところで、そんな風にしんみりしている先生ふたりを見逃すほどキッズたちは甘くないのである。

……先生たちって付き合ってんの?」
「はあ?」

つい声がひっくり返ったのは木暮だ。何を藪から棒に。

「もうチューしたの?」
「ちょちょちょ、待て待て、付き合ってないよ」
「なのになんでふたりでいるの?」
「それはさっきのお店で偶然会ったからだよ」
「なんだよつまんねえ、付き合いなよ」
「なんでだ」
「何先生、この人じゃいやなの?」
「そういうわけじゃ……

ふたりをからかうネタが降って湧いたので、6人は見事なニヤニヤ顔である。

「私たちは同じ学校の友達だよ。ていうかお兄ちゃんはバスケで忙しくて遊んでる暇ないの!」
「バスケやってんのに彼女いないのかよ」
「ちょうどいいじゃん、彼女にすればいいじゃん。先生彼氏いないんでしょ」
「私そんなこと言ってな――
「じゃあいるの?」

いません。あはは、それもいいね付き合っちゃおうか! ごっめーん、私既に彼氏5人いるからー! なんていうふざけたことを瞬時に言えるようならリトルモンスターズの扱いももう少し楽だったかもしれない。根が真面目なは返答に詰まり、両手で顔を覆ってしまった。

「夏休みなのに彼氏も彼女もいなくて寂しくないの?」
「ていうか高校生なのに彼氏彼女いないって恥ずかしくないの?」
「君らの恋愛観てどうなってんの……

もう幼い子供だと思って気を使う気力もない。木暮はまたWi-Fi切るぞ攻撃で子供たちを黙らせると、そっとの背中を撫でた。

そして改めて思った。オレたち、なんでこんなところで目一杯傷付いてんだろう……