コドモの時間

木暮編 1

青い空、白い雲、輝く太陽――ああ夏休み、開放的で刺激的で魅惑的で理由もないのに色んなものがメラメラと燃え上がりそうな季節! 恋にバカンスに青春に友情にちょっとだけなら危険なことも!

と、そういう人々の間で木暮はひとり魂が抜けた抜け殻のような顔をして空を見上げていた。中高6年間を捧げたバスケット部を引退して数日、自分の中ではきちんと整理がついていると思っていたのだが、最後の年が激動のシーズンだったせいだろうか、完全に燃え尽きている。

そろそろお盆休みも終わろうかという頃だが、それを狙って両親が里帰りをしているので、親戚づきあいで疲れたくない木暮はひとりで残った。だが正直やることもないし、部活を引退した以上は受験生なので羽目を外す気分でもなかったし――ということで、この日は幼馴染の家でアルバイトをしていた。

幼馴染と言っても小学3年生の時に同じクラスだった友人で、高学年の頃に転居で学校が隣に変わってしまったという程度の関係。彼の家は海の近くで古くから食堂を営んでおり、安価でジャンクなメニューが豊富なので特に夏は盛況する。

その焼きそばの匂いが充満する店内で働くこと1日、慣れないことをしている疲れも手伝って抜け殻が加速する。そもそもにっこり笑顔でいらっしゃいませえ! という性格でもない。引退して暇ならバイトしない? という友人の誘いに迂闊に乗ってしまったことが悔やまれる。

だが一度引き受けてしまった以上はやり遂げねばなるまい。報酬も悪くない。昼の忙しい時間が終わったので休憩していた木暮は窓の向こうの入道雲にげんなりしつつ、勢いをつけて椅子から立ち上がり、店内に戻った。するとそこには見慣れた顔があった。

「あれっ、木暮!?」
「おお、か。どうしたこんなところで」
「こんなところで、って地元だよ」
「あれっ、そうだったのか」
「いやちょっと待てなんだお前ら知り合い?」

木暮を見て高い声を出したのは、2年生の時に同じクラスだった女子だ。そして木暮との間で目を丸くしているのが幼馴染。

「知り合いっていうか、私湘北だし」
「あ、そっか」
「こっちはこっちで中学同じなんだけど……そっちは?」
「小学校同じ」
「絡まってるな〜」

3人はついへらへらと笑った。木暮と幼馴染は小学校が同じ、と幼馴染は中学が同じ、そして木暮とは現在高校が同じ。

「ふぅん、木暮の半パン姿とか貴重だね」
「えっ、練習のときはいつもこんなんだったけど」
「私制服しか知らないもん」

そういうもオフショルダーのトップスに薄っすらラメの入ったスキニージーンズで、木暮はちょっと気持ちが緩んだ。制服姿しか知らないのは同じなのだが、私服のはけっこうかわいい。

「じゃ木暮、オーダーお願い!」
「OK、えーと焼きそばメガMAX全部盛りでいいですか」
「殺す気か。焼きそばはハーフ!」
「かっこつけなくてもいいのに」
「違いますー。私はかき氷食べに来たの。ベリーベリーとキャラメルモカのダブルでよろしく」
「ダブル行くのか……

この食堂は最近の流行に便乗してかき氷メニューが豊富、の言う「ダブル」は通常サイズより少々小さめながら氷ふた山でフレーバーが2種類選べるメニューとなっている。さらに木暮がからかった焼きそばはメガ盛りが流行った頃の名残で、焼きそば6玉にトッピングを全種ブチ込んだチャレンジメニューである。

いくら盛夏と言っても、こんもり盛られた氷ふた山なんて完食できる気がしない木暮はつい感嘆の声を上げた。それならまだメガMAX全部盛りの方が食べられそうな気がする。

「ねえねえ木暮、ベリーベリーに練乳いっぱいかけて!」
「オレ運んでるだけだよ」

面白くなさそうなを残して木暮は幼馴染にオーダーを伝える。そしてかき氷ダブルとハーフの焼きそばを運んだそばから氷山がどんどん消えていくので、木暮はついそれを眺めていた。よく頭痛くならないな……

すると、ランチタイムが過ぎて人の少ない店内にわっと小学校低学年くらいの子供が何人もなだれ込んできた。一応いらっしゃいませと声をかけた木暮だったが、子供たちの喚き声にかき消えていく。そしてその子供たちを追い立てるようにして入ってきた男性を目にした木暮は「あ!」と大きな声を上げた。その声に振り返ったも「あ!」と言い、カウンターの中で幼馴染も声を上げた。

「あれ、木暮? えっ、も!? どうなってんだ?」
「先輩こそ……
「木暮木暮、この人も地元」
「えっ!?」

小学生の群れをなんとか席につかせた男性は、立ち上がろうとする男の子の頭を押さえつけながら振り返って疲れの見える顔で笑った。

とは小学校から一緒なんだよ。中学も同じで、その上湘北も」
「そうでしたか。近いからややこしいですね」

木暮に先輩と呼ばれたその男性はと小中高同じで家も近所、そして湘北ではバスケット部に所属していた。木暮たちの2学年先輩にあたる。現在は県内の大学に通っているはずだ。

「そしたらすまん、焼きそば7人前、オレだけ特大」
「オレたまご乗っける!」
「ねえねえ、かき氷食べたい!」
「ラーメンがいいー!」
「はいはい全部却下」

子供が6人、あれがいいだのこれがいいだのと大合唱で、木暮もも身を引いて逃げ腰だ。

「すまん……親戚の子とその友達で……
「先輩がひとりで面倒みてるんですか?」
「親たちは風呂入りに行っちまった」

虚ろな目の先輩によれば、この6人の中で親戚に当たる子はひとりしかいないそうだが、全員同じマンションで歩けもしない頃からの仲間。男子4女子2の組み合わせだが家族も同然で、先輩の家が祖父母の家にあたるとかで、なおかつ古くて大きな家なので旅行気分でやってきたらしい。

「そういえば先輩の家って明治の頃に建てられたとかなんとか……
「そうそう。地元とは言えよく覚えてんな
「確か小学生の時に見学にお邪魔した気がする」

先輩の家はかつて村落の中で首長にあたる、いわゆる庄屋さんの家だったそうで、とにかく古くて大きな平屋。なのでが通った小学校では中学年くらいで地域の歴史を学び始めた頃に徒歩で見学に赴くツアーが毎年組まれていた。

「それじゃ子供6人くらい余裕で収容出来ますね」
「それを丸投げされるとは思ってなかったけどな」
「先輩目が死んでます」

またキッズたち6人が凄まじい腕白ぶりで、一応出てきた焼きそばを大人しく食べているけれど、とにかく大声で喋るわ食器を打ち鳴らすわで店内は騒然としている。木暮やたちも含めた大人サイズたちは全員げんなり。先輩はなんとか鎮めようとしているが完全にナメられている。

そんな中、さくさくとかき氷を完食してしまったはハーフ焼きそばを平らげても帰るに帰れなくなっていた。キッズたちはいよいよ大暴れ、食べ終わった子が席を外れてはしゃぎまくるし、それを抑えようとして先輩が立ち上がれば彼の食事の手は止まる。いつまで経っても終わらない。

すると、またカラカラと店の引き戸が開いて女性がひとり入ってきた。それに気付いた木暮がまた「いらっしゃいませ」と声をかけると、またまたと先輩が「あ!」と大きな声を上げた。

キッズたちがぎゃあぎゃあ騒いでいる店内、さてどの席にご案内するかと迷っていた木暮の目の前で女性は足を止め、先輩と静かに向き合った。ゆるい巻き髪の女性は片手で口元を覆い、呆然と立ち尽くす先輩を見上げている。

「先輩? お知り合いで――

それはともかくこの子供たちどうするんすか、と言おうとした木暮の腕をが引っ張った。

「えっ、なに」
「しーっ、あの人、先輩と両思いだったんだけど引っ越しちゃった人なの」
「超展開だな……

カウンターの中の幼馴染も含め、高校生3人は固唾を飲んで見つめていたのだが、先輩とその女性は子供の声も耳に入っていないようで、そのまま少し離れた席に着き、俯き加減で話し始めた。

「注文、いいのか?」
「ま、ちょっとほっといてやろうぜ。もしかしたら彼女帰ってきたのかもしれないし」
「やばーい、親の都合で離れ離れになったふたりが大人になって再会ー」

子供が6人大暴れしていることを除けば、まあ比較的空いている時間である。この店の主である幼馴染の父親も休憩に行ってしまったし、問題はあるまい。客がいないので木暮と幼馴染はジョッキにウーロン茶をたっぷり注いでのテーブルに混ざる。

「ここって何時閉店なんだっけ?」
「一応19時だけど、早いときは17時くらいで閉めることもある」
「ずいぶん早いね」
「もう1軒母親がやってる居酒屋があるから、こっち閉めてそっち行くんだよ」

幼馴染の言うように、昼時を過ぎてしまった店内には新たに客が来ることもなく、特に今は夏休みなので1番近い中学と高校の生徒の寄り道がなく、午後も半ばになると閑散としがち。

「でも開店から昼までは充分忙しいからなあ……
「木暮いつからバイトしてんの?」
「いつからっていうか、短期? 引退したし、いきなり受験体制になるのもしんどくて」
「引退……そっか、してなかったんだっけ。あれ? てかインターハイどうしたの?」
「あ、そうか、知らないか」

大変元気に遊んでいらっしゃるお子様たちの向こう、入り口に1番近いテーブルだけ色が違って見える。先輩と女性はやはり少し俯いたまま静かに語り合っている。それをぼんやり眺めていたはひょいと顔を上げて木暮を見た。なんかバスケ部インターハイとか言ってなかった?

子供たちの声が大きいので少し身を乗り出した木暮は、ぼそぼそとこの夏の激闘をに説明した。全て夏休みに入ってからのことなので、この年のバスケット部の躍進については何も知らない生徒の方が多い。はやがて口元を覆って目をひん剥いた。バスケ部、とんでもないことになってた。

「ちょっと待って、こんなところで焼きそば運んでる場合じゃないでしょそれ」
「こんなところで焼きそばって失礼だな」
「でも実情は3回戦で敗退して帰ってきただけだから……赤木の推薦もなくなったし」
「赤木って、あの部長の? どういう世界なのよ」

運動部に縁がないはしかめっ面。幼馴染の方は中高と水泳部だったので、木暮と一緒に苦笑いである。競技人口や世の関心とは関係なく、勝負の世界は数字だけで割り切れないことが多い。

「そんな世界で活躍して帰ってきたのに受験生かあ。休む暇なしだね」
「木暮は受験、オレは専門、は進路どうすんだ?」
「私? いやまあその一応進学のつもりなんだけど……
「じゃ木暮と同じじゃん。こんなところでかき氷食ってていいのかよ」
「だからーいきなり受験生と言われましてもー」
「オレがここでバイトしてる気持ちがわかっただろ」

ほんの束の間の現実逃避をしているという意味では木暮もも変わりがなかった。一向に落ち着く気配のない子供たちの騒ぎ声の中、ふたりは苦笑いで肩を落とした。学生の夏休みは楽しいものというイメージが鉄板だが、受験生の夏休みが楽しいことは罪悪のように感じてしまう。

そんな風にげんなりしている木暮とを幼馴染が突っついていると、いつの間にかテーブルの傍らに先輩が佇んでいて、3人は慌てて背筋を伸ばした。

「ど、どうしました?」
……木暮、、頼みたいことがある」
「えっ、頼み?」

すると先輩は大きく息を吸い込んで気をつけの姿勢をとった。

「頼む、こいつらの面倒、手伝ってくれないか!」

そしてガバッと頭を下げた。思わず身を引いた3人は揃って「え!?」と大きな声を上げた。

「面倒!? えっ、どういう……
「すまん、は知ってるよな、彼女、5年ぶりにこっち戻ってきたらしくて」
「え、ええはい、そう、5年前ですね」
「でもまた戻らなきゃいけない。時間、あんまりないんだ。どうしても話したい」

先輩とあの女性は中学生の頃によく知られた両片思い期間を経てカップル成立寸前だった。だが、中学3年生の時に女性の方が微妙に遠い北関東に転居することになってしまい、強制的に離れ離れになってしまった。まだ始まってもいなかったので、遠距離恋愛もしようがなかった。

それが元で先輩は完全にやる気をなくし、同様「通うのが楽」という程度の志望動機で湘北を受験するに至る。その先輩がやっと持ち直したのはバスケット部に入ったから――という事情があるのは木暮もよく知るところなので、彼の気持ちはよくわかる気がした。そりゃ少しでも多く時間が欲しいに違いない。もう大人なのだし改めて連絡を取り合うことはできるけれど、10代の5年という時間は途方もなく長い。出来ることなら協力したい。

……6人のお子様たちという地獄絵図さえなければ。

「だって面倒って言っても、私たちまったくの他人で」
「オレだって親戚の子ひとり除いては他人だよ。これから宿題やらせなきゃならないんだ」
「全員の宿題ですか……
「で、でもそれぞれ持参してきてる算数とかのドリルくらいで」
「いやあの、どこでやるんですかそれ」
「オレんち」
「えええええ」

そりゃ確かに先輩の家はデカくて広くて巨大だけど! 仮にも2学年上の先輩なので木暮とは断ろうにも断れずおろおろしていた。

「もう店そんなに混まないよな? 親父さん戻れば木暮がいなくても……
「えっ、ま、まあそうですね、うちは、はい」
は? この後外せない用事とかあるか?」

外せない用事を入れたくなくてかき氷食いに来ていたことはさっき自白してしまったので、は目が泳ぐ。そしてちらりと木暮を見ると、ひとりだけ逃亡しようと思うな、オレたちは一蓮托生だ――という顔をしていた。無理もない。

「えーと、ない、ですけど……
「ほんの2時間くらいでいいんだ、頼む、礼はするから」

先輩がペコペコと頭を下げるので返事をしないのもつらくなってきた。木暮とはちらりと頷き合うと、わかりましたと返事をした。

「そしたら彼女お昼まだだっていうから、焼きそば頼む。オレの払いでいいから目玉焼きとホタテつけて、あとパイナップルジュース! 彼女食べ終わったらすぐに出るから木暮、支度しといてくれ」

話がまとまったので先輩はそう言いながら3人を追い立てて彼女のもとへ戻っていった。女性の方はどうにも気まずそうだが、木暮たちは意識せず視線も送らないよう努めた。彼女が悪いわけじゃない。ただ偶然が偶然を呼んで、最悪のタイミングで最高の再会が実現してしまっただけのことだ。

しかし、お子様たちを丸投げされなければ今日この日に先輩は焼きそばを食べに来なかったかもしれない。だからといって感謝はしないだろうが、とにかく先輩にとってはポイと捨てるわけにはいかないチャンスだ。

そういういくつもの偶然や必然が重なって生涯忘れようのない時間を過ごした木暮は、先輩を責める気にはなれなかった。そうやって紡がれていく物語もある。

「えー! なんでオレはたまごダメなのにー!?」
「パイナップル飲みたいー!」
「ねー、ここWi-Fiないのー!」

ただこのリトルモンスターたちの相手をするのだと思うと、心底げんなりする、というだけの話だ。