コドモの時間

藤真編 3

の父親は5人きょうだいの1番目、母親は4人きょうだいの2番目。そして妹と弟がひとりずつ。

には都合父方と母方にきょうだい分だけでも7人の叔父伯母叔母がいて、みなそれぞれ子供がいて、も含めると現在19人に上るという。だけでなく、それぞれの親の兄弟の末っ子はまだ若く、今後も続々と生まれてくる可能性はゼロではない。

「奇跡的に多産の家系同士の結婚だったんだよね」
はそれの」
「一番最初に出てきちゃった」

藤真は思わず身震いをした。現在自分たちが18歳になる年で、それより年下が18人ということは、それこそ奇跡的に同い年が生まれなかったとしたら、0歳から17歳までがコンプリートできてしまうという人数だ。リクひとりでも持て余していた藤真はちょっと背中が冷たい。

「しかも、私の父親が、弟とふたりで会社始めたんだよね。別に会社やってるったって裕福とかじゃないんだけど、それだけ身内がいるもんだから、いつのまにかみんなで一緒に働き始めて……

最初はそれぞれのきょうだいの中の女性がパート感覚で勤めていたのだが、何しろ身内の会社、多産の家系で子育てに奮闘する彼女たちにとっては最高の職場だった。子連れで出勤できてしまう。熾烈な保育園争いをすることもなく、保育料を払うこともなく、しかしほぼフルタイムで勤務が可能。

「その間、次々と子守を命じられていたのが私」
「そっ、それは……
「それでも小学校低学年くらいまではお祖母ちゃんとかも手伝ってくれてたよ?」

しかしが小学校中学年に差し掛かると、それに続く子どもたちも年齢が上がってきて、まとめて置いておけば安心という感覚になってきてしまった。というかの家は会社の2階と3階という状態なので、本当に緊急事態なら親たちを呼びに行けば事は足りる。

「でもねえ、そんなに緊急事態なんて実際起こらないし、結局私がひとりで子守をね」
「年が近いいとことか、手伝ってくれないのか」
「運の悪いことに私の下は5人続けて男の子で、私を見て育ったから、最近は寄り付かない」

は遠い目をしてそっとため息をつく。

「またね……私の親ふたりがさ、親が一生懸命仕事してんだから協力しろ、一番上に生まれたんだからしょうがない、昔は年長の子が幼い子を面倒見るのは当たり前だった、っていう考えの人で」

そんな遠い時代の村社会のことを持ち出されても……と思うが、藤真も言葉が出ない。

「でも高1の時にさ、父方の叔母がね、ちっちゃい子うちに預けて海外旅行行っちゃったの。おみやげ買ってくるからよろしくーとか言って、母親にはもっと自由な時間があるべきだからって言って、1週間近く帰ってこなかった。その1週間、私はお風呂もひとりで入れなかった。ひとりになれるのはトイレだけ。そこからなんかやる気なくしちゃって。みんなが生徒会に推してくれた時は本当に嬉しかった」

が「万能の人」だったのには、理由があった。そして、誰にでも好かれる生徒会長だったのにも理由があった。学校で見かけるはにこやかで楽しそうで、生徒会の仲間たちといつでも笑いながら過ごしているように見えた。そういう環境から正当な理由で離れられるからだったんだろう。

思わずを抱き締めたくなってしまった藤真だったが、リビングからリクの声が聞こえてきて手を止めた。目覚めたら見知らぬ景色で驚いたのかもしれない。ちょっと涙声だ。

こんな話を聞いてしまった以上、もうには頼れないと思った藤真だったけれど、は何も言わずにリクに駆け寄り、抱っこしてあやし始めた。子供の扱いに慣れているのは、18人もの子守の経験があるからだった。

、もう――
「いとこたちが嫌いなわけじゃないんだよ。まだ本当にちっちゃい子もいるし」
「でも、疲れただろ。オレの甥っ子だし、代わるよ」
「ありがとう。でも、適材適所、なんじゃない、監督?」

顔を上げたは、またいつものようににこやかな表情に戻っていた。

「バスケのポジションとかって、そういう風に決めるんじゃないの?」
「ま、まあ、そういう理由もあるけど」
「じゃあ、おやつ、作ろうか。リクくん、パンケーキ好き?」
「すきー!!!」

はリクを抱っこしたままキッチンへ向かい、さきほどスーパーで買い込んできた材料を引っ張り出してテキパキと支度を始める。その後姿をまた抱き締めたくなったけれど、それは後回しだ。今はの手助けをしなければ。藤真は気合を入れて、足を踏み出した。

想像以上にリクのお昼寝が短く終わってしまい、パンケーキ作りで時間を稼いだけれど、結局藤真の姉夫婦が処置をすべて終えて迎えに来た時には既に日が傾き始めていた。姉夫婦も体の変調で疲れているだろうが、と藤真もぐったりだった。

さん、本当にありがとうございました」
「いいえ、お昼もおやつも勝手にやってしまいました。すみません」
「とんでもないです。健司だけじゃ不安だったから、助かりました」

スーパーでが立て替えた分は倍になって帰ってきたし、夫婦揃ってペコペコと頭を下げているけれど、藤真の姉がそう漏らすと、は背筋を伸ばして表情を固くした。

「健司くんは一生懸命やってました。私は年下のきょうだいいとこが18人もいるので子守に慣れていますが、健司くんはそうじゃありません。普段部活では面倒見のいい頼れる監督で、その上優秀な選手です。普段から頑張りすぎるほど頑張ってる人です。今日1番大変な思いをしたのは健司くんです」

よもや高校の制服着た女の子に真顔で言い返されるとは思っていなかった姉はウッと詰まり、それを察した義兄の方がリクを抱いた状態で首を伸ばしてきた。

「そうだね。こういう緊急事態に子供を預ける場所を普段からよく話し合っておくべきでした。その辺は妻がどうするのと言っても真剣に聞かなかった僕が悪いです。健司くん、本当に申し訳なかった。彼女にも、君しか頼れる人がいなかったんだ」

突然と義兄が間に入ってあれこれ代弁しはじめてしまった藤真姉弟は大いに狼狽え、違うとかそうじゃないとかボソボソ言いつつ、姉は「ごめん」と言い、藤真は「気にすんな」と返した。

そうしてリクが帰ってしまうと、夕日に照らされたと藤真だけが残った。カラスの鳴き声がよりいっそう疲労感を加速させる。疲れたし、そろそろおうちに帰る時間だ。

だが、藤真はが姉に向かって言ってくれたことを無駄にしたくなかった。人は藤真に向かって笑顔で「あまりに恵まれた、人生イージーモード」というようなことを言うけれど、彼がもっとも注力しているバスケットだけはイージーでも何でもなかった。

生徒会長という役目上、活動が盛んなバスケット部の内情にも詳しいことはもちろんだが、それでも今藤真がひとりでバスケット部を支えていて、気持ちが休まる暇がないくらいには頑張っている、それをが知っていてくれたことが何より嬉しかった。

そういうが改めていいなと思ったけれど、それは後回しだ。というか、いいなと思ったことを今日限りのトラブルで終わらせないためにも、後回しだ。帰り支度をしているの傍らで藤真は制服をきっちり着込み、ネクタイもビシッと締める。

……、じゃなくて、!」
「えっ、何?」
「送ってく」
「えー、いいよお、そんなの。近いんだし、藤真も疲れたでしょ。貴重な休みなんだから」

はさも当然という顔で言うけれど、そんな気遣いは却下である。藤真は遠慮するを追い立てて家を出た。それでもはいいから帰りなよなどと言ってしつこかったけれど、藤真は無視。少し歩いてバスに乗り、15分ほどで下車すればの家はもうすぐそこだ。

「ていうか今日、なんでうちの近く通りかかったの?」
「図書館行こうとしてた。そこで少し時間潰して、その後買い物して帰ればいいかなと」
って進学?」
「ま、まあ一応ね……ちょっと成績が頼りないけど」

藤真の頭の中でカチャカチャとパズルが組み上がっていく。試合と同じだ。自分たちに有利な展開に持っていくには、十重二十重のシミュレーションの上で策を練らなければならない。が勇気を持って作ってくれたチャンスはしっかりと結果に反映させなければ。

藤真は遠慮するを追い立てて、家の玄関までついて行った。

一応、バスケット以外の部分では「人生イージーモード」と言われても仕方ないことは自覚している。2ヶ月前のバレンタインは50個もチョコレートが届き、全部開いて部員全員で貪り食った。試合やらで校外に出ても、対戦したことすらない高校の女子から声をかけられることも珍しくない。

それが主に「顔の良さ」が理由であることも、自覚がある。それは武器だ。玄関の中まで入り込んで来るので、さしものも訝しげな顔をし始めたのだが、藤真はひょいと顔を寄せて声を潜めた。

「あのさ、ちょっとオレが何を言っても否定しないでくれるかな。いい?」
……どういうこと?」
「お礼がしたいから」
「えっ?」
、どこ行ってたのよ遅かっ――あら!」

玄関に佇むと藤真を見て、奥から出てきた女性が華やいだ声を上げた。

「た、ただいま、ええと」
「あらお友達? 珍しいじゃない、男の子の友達なんて」
「初めまして、翔陽高校3年の藤真と言います」
「あらあら、初めまして。の母です」

お母さんはにこにこだ。そして玄関の向こう、開けっ放しのドアのさらに向こうに、ちらちらと顔がいくつか覗いた。大人がひとり、子供がふたりくらいか。藤真は息を吸って腹を決め、それはもうにっこりと最大級の笑顔を作っての手をぎゅっと握り締めた。

「え、藤真?」
「この春からさんとお付き合いさせて頂いています!」
「え!?」
「え!?」

大きな声に驚いたはしかし藤真の言葉を思い出したか、慌てて口元を手で押さえた。

そしてわざと上げた大声に、ドアの向こうに潜んでいた顔が我慢出来ずに首を伸ばしてきた。大人の女性がひとりに、小学生くらいの女の子がふたり。藤真は内心で拳を突き上げた。さあ、引っかかってくれよ! 君たちがこの作戦の肝なんだから。

「えっ、か、彼氏ってこと!?」
「はい、そうです。長くかかりましたが、やっとさんにOKしてもらいました」
「そ、そうなの
「えっ、えーと……

とその母親はしどろもどろだが、その間に3つの顔が引っ込み、ドタバタと騒がしい足音と、何やらくぐもった声が沢山ざわめいているのが聞こえてきた。よし、かかった!

「それで、今日はご挨拶に伺いたくて、遠慮するさんを引き止めてしまいました」
「そ、それはそれは、わざわざご丁寧に……
「僕はバスケット部に所属していて、部長と監督を兼任しています」

の手をぎゅっと握ったままそう言うと、ドアの向こうから雪崩のように人が溢れてきた。先頭にはいかめしい顔をした恰幅の良い男性、これは騒動を聞きつけたの父親だろう。そしてその後ろには大量の子供と、そしての叔父叔母と思しき人々。

男性の方はともかく、とにかく女性陣は目をキラキラさせて首を伸ばし、そして藤真の姿を認めると両手で口元を覆い、か細い悲鳴をあげた。背が高くてスタイルが良くて、おまけに桁外れな美形。のプライベートだから覗いたりしたら失礼なのでは、という気遣いをする余裕もない。

「何の騒ぎかと思えば……の父です」
「初めまして、藤真と申します」
「ええと、の彼氏なんですって。バスケ部のキャプテンだとか」
「それはそれは……君なんかずいぶんモテそうなのに、なんでまたうちの娘なんか」

繋いだの手がキュッと固くなる。藤真はその手を改めて握り直して、顔を上げる。

さんは僕のような何も出来ないバスケバカにはもったいないような人です。生徒会長に選ばれたのも、翔陽の生徒はみんなさんが好きだからです。もちろん僕も投票しました。いつでも明るくて面倒見がよくて、頼りになって、愚痴も不平不満も言わず、優しいさんがみんな大好きなんです。本来なら僕が独り占めしていいような人ではありません」

朗々と語る藤真の言葉にの家族は頷くことすら忘れて棒立ちになっていた。ハイスペックなイケメンが現れたと思ったらをベタ褒めし始めたので、頭の中で処理が追いついていない様子だ。

「僕も部活が忙しく、さんも生徒会が忙しく、正直遊んでいる時間はありません。昼休みとか、テスト前とか、それくらいしか時間がないです。それに、さっき耳にしたのですが、さんは進学予定だというのに、ちょっと勉強時間が足りてないそうですね。僕は既にバスケットで推薦入学が決まっていて、出来たら同じ大学へ進みたいと思うのですが、今のさんの成績ではそれも難しいかもしれません。生徒会長としても、出来ればいい成績は維持したいところだと思います」

藤真のイケメンオーラに圧倒されてぼんやりしていたが、ひとまずの母親が我に返った。

「ええと、それで――
「実は僕も部活に時間を取られて勉強は後手に回っています。もっと勉強する必要があります」
「そ、そうねえ」
「ですから、これからは毎日僕が部活を終わった後に、ふたりで勉強しようかと思っています」

家の玄関はしんと静まり返っている。学生の本分は勉学、それは当然の権利でもあり、自ら入学を願い出た以上は責務でもあり、それをダメとは当然言えない。

「当然帰宅は遅くなりますが、アルバイトや予備校に通うよりは早く終わらせて、そして必ず僕がここまで送り届けます。場所は学校の図書室です。寄り道もしません」

清く正しく美しく! そんなの口だけだろうが男子高校生が、という反論が出てきたのだとしても、藤真は本当に忙しくて時間がないし、翔陽のバスケット部が古くから強豪校として名を知られているのも事実だし、証明ならいくらでもできる。この場において唯一の嘘は付き合っているということだけだ。

これがを窮地に追い込むことになるかもしれない、というリスクは承知していた。もしが藤真を遮って止めに入り、余計なことをしないでと追い出したのなら、そこでやめようと思っていた。しかしは、繋いだ手を強く握り締めるだけで、何も言わなかった。

お礼をしたいから何も否定しないでほしいと言った藤真の意図を、受け取ってくれた。

それには応えねばなるまい。好きな女の子ひとり守れないようでは、監督たる資格もないだろう。

「ですから、さんを子守から解放してください。さんはもう充分働いたはずです」
……だけ遊ばせておくわけには」
「遊びではないです。勉強するんです。将来のために」
、あんたはどうなの、さっきから黙ってるけど」
「ええと、その……
さんは優しいから、言えなかったんです。だから、僕が代わりに言いました」

完全に自分が優勢である感触を得た藤真はことさら声を大きくする。勝負だ。

「今日、僕は、世界で一番大好きなさんを守るために、ここに来ました」

ちょっと言いすぎてしまった。の手が強張るのが分かる。しかしもう後には引けぬのである。

……名前はなんと言ったか」
「藤真です」
「藤真くん、そこまで言うなら君に任せよう。約束は守ってくれるだろうね?」
「もちろんです。そのために来ました」
「いいだろう、好きにしなさい」

そう言うなり、の父はくるりと後ろを向き、スタスタと去っていってしまった。

なんだかどエライイケメンが来た! と浮き立っていたのいとこたちや叔母たちも、を押しのけて藤真にまとわりつける空気ではなくなってしまって、そそくさと戻っていく。の母親だけが最後まで残っていたので、藤真は声を落としてまた笑顔を作る。

「信じてもらえませんか?」
「そういうわけじゃないんだけど……
「まあ、さん本人もあんまり信じてないと思います」
「えっ、ええと、私は」
「ずっと憧れてて、無理だろうなと思ってたんですが、奇跡的にOKしてもらったので」
「そう……そういうことも、あるのね」
「では、僕は失礼します。お騒がせしました」

なんとか納得したらしいので、藤真はの手を離して頭を下げ、そのままドアに手をかけて外へ出た。慌ててが追いかけてくるけれど、藤真は構わず階段を降り、明かりの消えた会社の駐車場のあたりまでどんどん歩いて行く。

「ちょ、ちょっと待って藤真、ねえ」
「あんまり近くで話すと聞こえちゃうかもしれないよ」
「えっ、うん、それはそうなんだけど!」

やっと足を止めた藤真の背中に追いついたは、息が上がっている。緊張したんだろう。

「思った以上に上手くいったな」
「待って、今の何だったの、どういうこと?」
「どういうこと、ってお礼と思って。もう子守しなくていいんじゃない?」
「そ、それはわかるけど、そうじゃなくて、なんであんな、つ、付き合ってるなんて嘘ついて」
「ただの友達があんなこと言い出しても誰も納得しないじゃん」
「だけど私の家族みんな、私が藤真と付き合ってるって思っちゃってるんだよ!?」
「別にいいんじゃないの、みんながそれをどこかで言いふらすわけでもないんだし」

藤真は淡々と答える。まあ、ある程度は想定済みのの混乱だ。彼女が言いたいことはそんなことではないのもよーく理解しておりますとも。おかげさまで女の子にキャーキャー言われる人生を送ってきたので、それはわかります。

「そうじゃなくて、その、藤真は、私が彼女だって思われてていいの!?」

ほら来た。

藤真はに向き合い、混乱で落ち着かないの両手を取ってゆったりと繋ぐ。少し震えていた。頼れる生徒会長で万能の人でも、女の子である。

「もちろん。ていうか少なくともオレは嘘ついてないんだよ。本当に思ってることを言っただけ」

オロオロしていたが一気に固まる。

「推薦決まってるのもほんとだし、がよければ同じ大学に進学したいし、もう少し勉強しなきゃなってオレが思ってるのもほんとだし、のことずっと憧れで投票したのもほんとだし、好きだと思ってるのもほんと。てかマジで部室で勉強しない?」

じわじわと頬が赤く染まっていくを引き寄せて、藤真は少し顔を落とす。

「ああでも、ひとつだけ嘘ついたかな。帰るの遅くなるけど変なことはしません、みたいに言っちゃったけど、それは無理かも。その意味は……わかるよな?」

真っ赤になってしまったはしかし、ゆっくりと、しっかりと頷いた。

「じゃあそういうことでいいですか」
「そういうことでいいです」
「ではこのままぎゅってしていいですか」
「どっ、どうぞ!」

わーい、などとふざけた藤真はを引き寄せるとしっかりと抱き締める。嘘はついていない、長く憧れだったのだ。誰かひとりのものになどならないと思っていた、みんなのものだと思っていた、だけど今日から自分だけのもの。

生徒会長とバスケ部のキャプテンのカップルとか、なんかよくない?

END