清田家2020

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5. 姥桜

おこんにちは、由香里です。主婦業を引退したのにちっとも暇にならないわ、と毎日孫を追いかけてへとへとになってるというのに、まったく大変な世がきたものです。しかも、こんな状況の中、また同居人が増えたのよ。自分でも呆れるけど、でも今回ばかりはちょっと事情が違うの。

「狭いワンルームのアパートなんだけど家賃だけで3ヶ月の食費だから、助かりました」

私の目の前でサワヤカにハニカミな青年、沢嶋由多加くんは三男の同僚なんだけど、そもそもは三男の所属してたチームの花形選手で、私が年甲斐もなく心ときめかせるような、絵に描いたようなイケメンなの。年は次男くらいだったかしらね。

三男と沢嶋くんはテレワークどころか自宅待機で食い扶持を稼げなくなってしまって、ありがたいことにごく地元の細かな仕事が殺到してたうちの工務店でアルバイトすることになったの。だけどアルバイトじゃ家賃と食べるのでギリギリ。貯蓄はあるそうだけど、彼らの仕事は再開の見通しも立たないし、現状維持も厳しい状態だった。

沢嶋くんは母子家庭育ちで、お母様は町田市でひとり暮らしだから、よほど一緒に住もうかと考えたそうなんだけど、そのお母さんが昨今ではとても大変な現場である大型スーパーに勤務していて、彼女の方からすぐに同居する余裕はないと断られてしまったのだそう。

もちろんお母様もひとり暮らしで仕事がない息子を心配してたけど、そんなことで悩んでる間にうちへの転居が決まったので、テレビ電話で首が折れるほどペコペコ頭下げてお礼を言ってくださったのよ。そういうことされるとこっちも全力で応えなきゃって気がしてきちゃうじゃない。

今のところは空き部屋があるし、何もエンジュみたいに可能な限りこの家に生きてこの家で死にたいとかいう思い詰めたところはないし、三男ともども元の仕事に戻れるまでの「居候」ってことだから、まあいいんじゃないかしら。

前にウサコを会社の職員として「下宿」させる、という体で引き取ったことがあったけど、それと同じよ。これなら家賃がいらない分、うちにきちんと食費光熱費を収めても貯蓄を崩さずに生きていかれるし、捨てられない家具や当面必要のない私物はうちの倉庫にぽいっと放り込めばOK。

こんなときだから正直に白状しちゃうわね。還暦過ぎで孫が7人もいるおばあちゃんだけど、沢嶋くんは私の理想を絵に描いたような、好みのタイプなの! そりゃあ息子ほども年が離れてる男の子に唾つけたいとは思わないわよ。だけど生活が潤うっていうのかしら。心が躍るっていうのかしら。

でも頭の固い長男がとウサコがいるのに……ってまだ難しい顔をしてたのよね。そりゃあ全員が10代とか20代なら私も心配したでしょうけど、もうみんなお父さんお母さんなんだし、うちの子たちはみんな賢くて真面目だからそういうふしだらな心配は

「説明が後になって申し訳ありません、私はゲイなんです」

えーウッソー!!!

びっくりしすぎて声も出なかったわよ……。本人は隠していてすみませんとお母様みたいにペコペコしてるけど、それにしたってそんな素振りまったくなかったし、最近の子にしては厳格で折り目正しくて、きっと理想が高くてその辺の女の子じゃ上手くいかないのね……なんて思ってたのよ。

でもうちにはエンジュっていう前例もあるし、そういう意味でなら女の子も平気なエンジュより全然安全ってことになる。そのエンジュだってやウサコとは嫁同士感覚で生活してるし、大丈夫なんじゃないかしら。とはいえ、

「あらそうなの、人生に一度くらい間違いを犯してもいいかなって思ってたんだけどね」
「ちょ、由香里! なんてこと言うんだ!」
「母さん、そういう生々しいことは子供の前で言うな」

まったく親子揃って冗談が通じないわよね、新九郎さんと頼朝のツッコミの早さときたら。笑ってくれたのは尊だけよ、もう。それに私が本気で間違いを犯したいと思ってても沢嶋くんがその気になるわけないじゃないの、ちょっとくらい考えなさいよ。と思ってたら、

「由香里さん素敵だから、僕が異性愛者だったら間違いが起こってたかもしれませんね」

やっだもう、沢嶋くんそんなこと言いながらにっこり微笑んだのよ! やめてちょうだいこんなおばさん捕まえて! てか新九郎さんが泣きそうだからちょっとマジでやめてもらっていい?

まあそれは冗談としても、そういうわけで我が家はアルバイトの沢嶋くん、ユタを迎えてこの激動の時を一緒に乗り越えていこうとまた新たな出発をしたのでした。正直子供が7人なので、手はいくらあっても足りなかったりもするのよ。それもありがたいわ。

いいわよもう、我が家に人や犬が増えるのは今に始まったことじゃないもの。

6. それでも地球は動いている

どうも、です。とうとう同居してる大人の人数が2桁になってしまいました。それが親しい沢嶋さん……ユタだったから気楽だけど、あんまり大声で言えないような家族構成になってきました。

「でも、心にもないお世辞ってほどでもないんだよ。由香里さんほんとに素敵だよね」
「ユタってそういうキャラだったっけ……?」
「不慮のカミングアウトしてから解き放たれちゃったんだよな」
「だから、どっちかっていうとこっちの方が本来のユタなんだよね」
「じゃあサムライ時代って相当無理してたんじゃないの」

ユタとは私たちの結婚式以来会ってなかったエンジュは、柔和になってしまった彼に驚いてるけど、私がひとり暮らししてたアパートにこそこそとケーキ食べに来てたユタはこんな感じだった。特に女性的なところはないんだけど、物腰が柔らかくて可愛らしくて、とてもピュア。

そんな自分を取り繕う必要もないし、我が家はユタがゲイだろうがなんだろうが特に気にしてないし、元はと言えば信長の先輩だった人だけど本人が「アルバイトの居候なんだし、もうそういうのやめよう」と言い出したから、私たちは敬語もなければ「ユタ」と呼び捨てはじめた。

「無理というより、そういうキャラは自分でわざと作ってたものだったし、それがないと怖くて」
「あ、そっか、元々はクローズだったんだもんね」
「今も自分がゲイなんだって大きな声で主張したいわけじゃないから」
「不幸な事件のせいでつい代表に言っちゃっただけだしな」

例の不幸な「信長不倫疑惑事件」ね。それがきっかけでユタがゲイだということはチームの運営には知られている。この他に真実を知るのは彼のお母さんと、我が家だけ。

「てか解き放たれたのとこれは関係ないよな?」

信長はテーブルの上の端切れをつまみ上げてピラピラと振り動かした。このところエンジュとユタは時間が出来ると布マスクやマスクカバーを縫ってる。これがいい出来で、人にあげてもとても喜ばれる。

「お裁縫好きなんだよね」
「オレも。お裁縫いいよね、無心になれるし」
「楽しいよねー」
……も楽しいの?」
「いや別に。ウサコは自分の指なら縫ったことあるって」
「由香里は老眼だって」
「お裁縫が女子の心得だった時代はとっくに終わってんだよ、信長」

ひとまず全員問題なく生活出来てるので、引きこもりの日々も落ち着いてきた。落ち着かないというか、燻り気味なのはカズサくらいで、アマナと寿里はふたりで仲良く過ごしてるし、双子は毎日パパと一緒なのでむしろ楽しいみたいだし。

そういう意味じゃ信長も家で長く過ごす経験はあまりないので、退屈そうではある。ただ彼とユタは今アルバイトで慣れない仕事を頑張ってるところなので、家では静かに体を休めてる。

だから私たちは穏やかな状態を保ててるんだけど、殺伐としてるところもあって……

まず最初に揉めたのはおばあちゃんのデイサービスと、ヨシちゃんとの付き合い。おばあちゃんは血糖値が高くて重症化ハイリスクにあたるので、じいじがデイサービスを休むように頼んだんだけど、友達に会えないから嫌だと言われてしまった。その上カンちゃんをこれっぽっちも信用してないゆかりんにヨシちゃんとも会わないでくれと言われてへそを曲げてしまった。

だって死んだらどうするの、とみんなに懇願されたおばあちゃんだったけど、おばあちゃんはそもそも早く親方のもとに行きたいと考えてたような人で、死んだら死んだで結構! と交渉決裂。でも実際おばあちゃんはもう介助なしで生活できる状態じゃないので、2日くらいまともに話してくれなかった。

で、それを宥めたのが誰であろうユタ。母子家庭育ちでお母さんととても仲がいいユタが割とマジで「お母さんがこんな病気で死んだら子供は悲しくて悲しくて耐えられない」と訴えたら、なんとか納得してくれた。ユタあれ演技じゃなかったよ……

というかユタが助けになってくれたのはこれだけじゃなくて、デイサービスでは元々身体機能が衰えないように運動やストレッチをやってくれてたから、それがなくなることによる急激な衰えが心配なわけだけど、ユタは引退後しばらくスポーツジムでトレーナーをやってた。プロだった。

さらにみこっさんがじいじの幼馴染であるヘイさんを突っついてタブレットを導入、おばあちゃんとヨシちゃんはオンラインお茶会やら飲み会やらをやり始めた。おばあちゃん最初はあたしは機械なんか無理よと言って拒否ってたけど、これならいつでも毎日好きなだけヨシちゃんと喋れると分かってからは暇さえあればタブレットに向かって笑ってる。

……エンジュが死ぬまでこの家にいたいっていう気持ち、ちょっとわかるな」
「でしょ」
「あはは、大丈夫、オレは仕事に戻れたらちゃんと出ていくから」
「いやその、そういうわけじゃ」

驚いたのが顔に出ちゃったみたいで、ニヤニヤ顔のユタに肩を撫でられた。別におばあちゃんみたいに拒否ってるわけじゃないんだよ。ただまさか、と思ったから。ていうかこの家がもっと大きくて部屋があったらじいじが引き止めてる可能性はゼロじゃないし。

「この家は好きだけどオレはエンジュみたいに人懐っこくないし、向いてない気もするし」

私は今度はあからさまにため息を付いて肩を落とした。そう、何もかもが順調そうな巣ごもり生活だったけど、意外なところにトラブルが潜んでた。子供たちの友達やご近所さん。

学校や園はお休み、近所の公園は遊具にテープがかけられて遊べないようになって、児童館なんかももちろん閉鎖されてる。だけど我が家の庭は子供が全力疾走出来る広さがあって、双子が増えてから簡単な遊具を入れたので、小さな公園と変わらない。そこに入れてほしいと頼まれるようになった。

これは当然お兄ちゃんの許可が下りない。特に今私たちはお兄ちゃんの用意周到で重箱の隅をつつくような性格のおかげで安全な生活を守れてるので、これに反論する気はなかったし、みこっさんはじめ男性陣が在宅の時に不用意に女性を招き入れたくなかった。

おばあちゃんがハイリスクであることと、うちには犬が4匹もいるし、うち1匹はまだ1歳で加減がわからない大型犬だからという言い訳で大抵はなんとかなったけど、庭じゃなくても裏の資材置き場でいいとか、駐車場でもいいとか、なかなか引き下がってくれない人もいて、ちょっと持て余してた。

その中で、元は寡黙でストイックなイケメンアスリートであったユタによからぬ感情を抱いてしまった人がいた。園が同じで家が近所というだけのよく知らない人だったけど、子供がどうとかいうより、ユタと親しくなりたいのがバレバレで、ユタが庭で子供たちと遊んでると現れるようになった。

彼女は独身じゃなかった。無意味に近所の家に通ってたことが夫にバレて、外出出来なくてストレス溜まってた夫は逆ギレ、ユタが庭にいるところを狙って突撃してきて、なんと塀の向こうから卵を投げてきた。子供たちは恐怖で過敏になるし、こんな憎悪をぶつけられた経験のないユタも参っちゃって、しばらく私たちの部屋で一緒に寝てたほどだった。

清田さんちは何回警察呼んだら気が済むの、とお向かいの梶原さんにため息をつかれたけど、警察はまだ二度目。前回がちょっと大きな事件だったから何回もパトカーがやって来てた印象があるのかもしれない。ゆかりんは「あたしは3年くらいパトカーに追いかけられる生活してたけど」って笑ってたけど笑い事じゃない。お兄ちゃんもすごく怒ってて、ウサコが一生懸命宥めてくれてた。

だからユタは、いつか結婚出来ると思う人が現れない限りは、いずれ母親と暮らすことになると思うと零すようになった。自分は身長が192センチもあって、スポーツ選手だったから体も大きいけど、卵投げつけてくるような人に向かって怒鳴り返せない人間だってことがよくわかった、と肩を落としていた。そういう人間では、母ひとりを守るくらいが精一杯だと。

実際卵野郎をとっ捕まえて警察に突き出したのは信長とみこっさんで、ふたりはその日から一週間、事務所で隔離生活を送った。双子が卵を食べられなくなるくらいビビっていたけど、どうしようもなかった。ふたりは無事に済んだけど、子供たちはしばらく庭に出るのを嫌がったし、私たちもこのストレスが高じた社会の怖さを目の当たりにして不安が強くなってた。

そんな大人たちの息苦しさを少し和らげたのは、ぶーちんの娘であるナギサだった。

ちょっと前時代的なやんちゃ坊主である兄のカイトと違って、ナギサは生まれてからずっと「淡々」と生きてきた子だった。おしゃれやお化粧にはまったく興味がなくて、髪はずっとベリーショート、表情も乏しくて、部活楽しいと言うけど、朝から晩まで家にいてアニメを見ていても平気な子だった。

彼女は母親と一緒にうちに来ては犬の面倒見てくれたり、おばあちゃんのケアを手伝ってくれたり、コハルをおんぶして寝かしつけてくれたりしてた。お兄ちゃんはナギサがうちのお手伝いをすると必ず「報酬」を用意してて、それは彼女が小学校高学年になってからは現金で手渡してた。

それを溜め込んでたナギサは巣ごもり生活のためにゲーム機を買い込み、自宅でゲームをしているかアニメを見ているか、うちで手伝いをしているかという毎日だった。感染症の恐怖で大人しくなってたカイトはやっぱり腐り始めてだぁが現場に連れ出したりしてたけど、ナギサは変化なし。

そう、気付いたら私たちの中で一番動じずに日々を送ってたのは、ナギサだった。

それに最初に気付いたのはウサコだった。自分はテレビのニュースですらストレスで配信ばかり見るようになっちゃったのに、ナギサちゃんは毎日何が起きてもずーっと同じテンション。飛び跳ねるほど大喜びもしないけど、卵の人みたいに怒ったり、悲観して泣きわめくようなこともなくて、仙人みたいに見えてきたって言い出した。

それをナギサに聞いてみたんだよね。そしたらあの子、真顔で

「別に地球がなくなるわけじゃないし」

って言い出した。それを聞いてた私の斜め後ろにいた信長が小声で「すげえ」って言ったのが聞こえて、私もつい頷いてた。そうね、人間が死に絶えても地球がなくなるわけじゃないしね……

ナギサのスケールの大きさは私たちが少しずつ溜め込んでた閉塞感に穴を開けて、もしかしたら子供たちよりショックを受けてたかもしれないユタも慰めてくれた。

でもこれ以来、私たち清田家の大人がナギサに対してある種の畏敬の念を抱いてしまい、それに勘付いたカイトが余計に腐ってしまうという副作用に悩まされることになった。あっちが丸く収まればこっちの角が立ち、こっちが片付けばあっちが散らかる。

だけどまあ、地球がなくなるわけじゃないしね。

7. 私の心は夏模様

「しかしこうなると離れた場所に別荘とかあるといいよな」

ちゃーす。信長です。実は大工仕事もちょっと楽しいなと思い始めてて困ってます。仕事スタイルになるとが「かっこいい」って言ってくれるから余計に困ってます。ついでに親父が別荘ほしいとか言い出して困ってます。この間無駄な出費を抑えろって言ったのお前だろうが。

「別荘ってあなたね」
「いや、バカンスのためじゃなくて、災害のときなんかの備えとして言ってるんだよ」
「そなえって何?」

呆れる由香里に真顔でそう言ってる親父の膝にカズサがぺったりと寄りかかってきた。こいつは新九郎が家長であることを本能的に理解してて、それで何かというと親父にまとわりついてるフシがあるんだよな……。何もかもオレにそっくりだと思ってたけど、こういうところは尊譲りな気がする。

「どんなことが起きても困らないように準備をするってことだよ」
「地震が来てお水が出なくなったら困るから、お水を買っておいたりするのよ」
「ふーん。じゃあ宇宙人が攻めてきたらどうすんの」

黙って話を聞いてた頼朝がコーヒー零した。カズサの言うことが微笑ましくても反応すんなっつっただろうが。ていうかカズサは最近配信でヒーローものの映画をたくさん見たもんで、それでウィルスや災害よりも宇宙人にビビってる。ヒーローは実際に見たことないし、誰が宇宙人を倒してくれるんだろうかとマジで悩んでるっぽい。笑ったらダメ。カズサは真剣なんだから。

「う、宇宙人は、どうしようなあ……
「宇宙人来たらどうやって戦うの? うちは逃げるところあんの?」
「えーと」

戦国ドラマや映画は大好きだけどSFはほとんど知らない親父は言葉に詰まり始めた。ていうか親父にとって宇宙人襲来ってウルトラマンくらいしかイメージがないはずだ。そしたらオレの横でソファに並んで座ってたアマナと寿里がちょっと面白くなさそうな声を出した。

「宇宙人が来たら友達になればいいじゃん」
「はあ? 攻撃してきたらどうするんだよ」

予想だにしない妹からのツッコミにカズサは顔を歪めて反論した――ら、今度は寿里だ。

「ちゃんとお話すれば仲良くなれるかもしれないじゃん」
「そうだよ。宇宙人は悪い人だって決まってないよ」
「病気を治すお薬を持ってるかもしれないよ」
「宇宙船の作り方を教えてくれるかもしれないよ」
「オレこいつらやだ!!!」

カズサがリビングを飛び出して行ってしまうと、大人たちは我慢できずに声を殺して笑った。カズサの方が平均的な子供という感じはするけど、何しろ相手が悪かった。

アマナは頼朝の頭脳をちょっと受け継いでるらしくて、かなり理屈っぽい。寿里の方も頭いいけど、何しろこいつは既にアマナが世界の全てで、だからアマナの言うことは全肯定してしまうようなところがある。だもんで、カズサが逃げ出すのも無理はない。ふたり揃うと小賢しいからな。

「で、別荘だけど頼朝」
「オレかよ!」
「なんとかならんか」
「規模にもよるだろ。全員が滞在できて、安全で、なんて」
「別に豪華な邸宅である必要はないんだ。観光地なんかむしろ遠くていい」

けどそこでオレははたと止まった。現在我が家は居候のユタを入れると大人10人の子供7人、犬4匹。それを収容できて、土砂災害や河川の氾濫の危険もなく、神奈川とは距離があって「避難」になりうるところ。なおかつげんなりしてる頼朝が前向きに考えられるような価格。

「あのー、オレ、心当たりあるかもしれない」

そう、ブンじいのいとこの家だ。

あの家は元々ブンじいのいっぱいいるいとこのひとりが住んでて、古民家の宿をやろうとした家主が怪我で引っ越す羽目になった家だ。一応今でも家主は生きてて彼が所有しているらしいけど、当人は車椅子でグループホーム住まいだし、売却しようにも買い手がつかないような家らしい。

集落の中の一軒には違いないんだけど、正直隣の家は肉眼では確認できないし、川は遠いし、山は近いけど真裏に斜面が迫っているわけでもなくて、それなりに開けたところに建ってる。もう少し精査する必要はあるだろうけど、ひとまず我が家の全員を収容出来るだけの大きさはある。

「ふん、悪くないな。仕事車も使えば全員車で移動できる」
「家は完全に平地の上だし、沢より上に位置してるし、水の通り道からは外れてるぽかった」
「建物は?」
「絵に描いたような巨大な田舎家。母屋だけじゃなくて納屋というか、そういうのもいくつもある」

親父と頼朝はソファに沈めてた体を起こして腕組みを始めた。

「ねえ、それって夏休みに間に合う?」
「今でも一応数日滞在する程度なら何も問題なし。ただし網戸がない」
「いいわよもう、今年はそんなこと構ってられないわよ……

リビングから逃げ出していったカズサが騒ぐ声が聞こえてきて、由香里も腕組みを始めた。もし休校分が差し引かれずに夏休みになってしまったら、カズサがどうなってしまうか、確かにそれはオレも困ってた。感染症のことはあまり理解できていない様子だし、かといって普段通り遊びに連れ出すことも出来ない。だけど、あの家なら。ええとその、沢にさえ行かなければ。

「正直、親父と豪を派遣する余裕はうちにはないんだけど……
「いや、それならオレが残るから豪を使ってくれ。あと信長とユタ、カイトも連れてけ」
「信長、行けるか?」

親父の目はガチだ。頼朝はアレたぶん頭ん中で高速で計算してる。由香里も夏休みのカズサ対策が安全に確保できるなら……という顔をしてる。なんか話が大きくなってきてちょっとビビってるけど、つい頷いてしまった。オレは今しがないアルバイトだし、社長と専務の意向だし。

全員が疎開してしまったらこの家が長期間無人になるという問題はあるけど、それでも大人は仕事の都合で交代で行ったり来たりを繰り返せばいいし、そんな手間よりもカズサの夏休みという問題の方が重要だ。子供たちを1週間でも2週間でもあの家に送れるなら。

それにあの家はブンじいとの思い出の場所で、それを知ってるのはだけで、いつかとふたりで行きたいと思ってた。でもブンじいが生きている間でなければ不可能だったし、とあの夜空を一緒に見ることは出来ないだろうなあ、なんて思ってた。でももしそれがうちの別荘になるなら……

親父の突飛な思いつきだったけど、話はどんどん具体的になっていって、可能なら早いうちにと出張の予定が組まれ始めた。まったく、ほんの一ヶ月前までこんなこと想像すらもしてなかったぞ。オレが自分の手であの家を直して、いつでも行かれるようにするなんて。

色々相談に乗ってくれたブンじいもニヤニヤと笑いっぱなしだった。

毎日大変なことあるけど、またブンじいに会える。それだけでオレはもっと頑張れる気がした。