夜やどり

三井編 3

三井が風呂に入っている間、は来客用の寝具を引っ張り出して部屋に運び、テーブルをどかして設えた。幸い寝具はつい先月に友人が泊まりに来たときにも使ったので、しまいっぱなしで臭う、なんてこともない。枕にタオルをかければ準備OK。

だがはその寝床に膝をついて腕を組んだ。

でもこれ親がいない間に片付けとかないとバレるね? しかもシーツとかタオルとか洗濯しないとならないってことは、それもお母さんが戻るまでにやらないとバレんね? あれ? やばない?

明日の朝三井と一緒に家を出てしまえばそれで終わると思っていたが、イレギュラーな時間の後始末はCMを挟めば片付くわけではない。寝具を戻してシーツと布団カバーと枕に乗せたタオルは洗って乾かしてまた畳んで戻さなければならない。しかも、母親が気付かないように元通りに。

その後始末を明日自分ひとりでやらなければならないのは、なんだか理不尽な気がした。

「ねえ、期末どうだったの?」
……なんだいきなり」

風呂から戻った三井が部屋に入るなりは顔を上げて聞いてみた。

「留年しない程度にしかやってねえけど」
「そうじゃなくて、えーと、単位どう? 明日サボれそうな授業ある?」

の考えはこうだ。自身は普段から突然サボったりしない生徒のため、いきなり学校から消えることは出来ない。なので授業が終わるまでに三井にコインランドリーに行ってもらい、玄関先にでも置いてもらえないかと考えたのだ。

幸いカバーリング類は冬なので起毛のストレッチ素材となっており、旅館で敷くような皺になりやすい素材ではない。コインランドリーで洗濯乾燥をしてバッグに詰め込むだけでOK。

「ああ、そういう……わかった。やっとく」
「大丈夫?」
「昼食ったら出る」
「OK。えーと、乾燥までやるといくらくらいかかるかな……
……それはオレが出す」
「えっ、いいよ半分で」

はまだ腕組みのまま目を丸くした。だが、三井はタオルで髪をかき回しながらの対岸に座ると手のひらを突き出した。

「迷惑かけてんのはこっちだから、いい」
「バイトしてなさそうだけど」
「しっ、してねえけど、いいから」
「まあいいか。じゃあそういうわけで明日はどんなに遅くても8時には家を出ます」
……わかった」
「その前にこれ片付けなきゃならないから最低でも7時半には起きること。OK?」

三井が頷くのでは腕を解き、またベッドに寄りかかった。今夜のことをバレないよう片付ける段取りも出来たし、あとはもう寝るだけだ。途端に気が抜ける。アホなことやらかしたと思ってたけど、何事もなく終わりそう。

「てか朝ごはんないけど、それは自分でなんとかして」
「いいよそんなの」
「てか支度とか時間かかる方?」
「いや、起きて脱いだの着たらそれで」
……ちなみに普段でもそんな感じ?」
「えっ? まあ、そうだけど」

濡れた髪をかきあげて首にタオルを引っ掛けた三井がきょとんとした顔で頷いた瞬間、は自分のタオルを振りかぶって三井を叩いた。

「は!?」
「それであのサラサラ髪!? ずるいんだけど!!!」
「知るか!!!」
「どんだけ苦労して寝癖とかうねりとか取ってると思ってんの〜」

というか洗いざらしの髪ですらツルリと真っ直ぐに垂れていて、は羨ましいあまり三井の寝床に突っ伏してうめいた。男の子って固くてゴワゴワした毛質の子も多いのになんでそんなにサラツヤなんだよドチクショウ!!!

「じゃあ明日私が支度してる間に布団畳むのとかはやってもらおう。サラサラなんだから」
「サラサラ関係ねえだろ……
「ドライヤーそこね。好きなだけサラサラになるがいい」
「いや、いらん」
「自然乾燥であのサラサラか貴っ様ァ!!!」
「悪かったな!!!」

はまたタオルで殴りかかった。だが、タオルが敷いてあるとはいえ、濡れたままの髪を枕に乗せられては困る。ドライヤーを引っ張ってきたは渋る三井を布団の上に座らせてドライヤーをかけてやった。真っ黒な長い髪はドライヤーの温風で見る間にサラサラに、そしてツヤツヤになっていく。引っこ抜いてしまいたい。

ドライヤーを片付けたはつい口が滑る。

……1年の時、夜遊びしたの覚えてる?」
……ああ」

三井はすっかり乾いてふんわりサラツヤになった髪をかきむしりながら頷く。

「公園で遊んでて、ふたりだけになったの、覚えてる?」
……覚えてる」
「あの時はなんだかはしゃいでたよね」

明るくて元気だったのに、不貞腐れて陰気な感じになったよねとは言えないので、は遠回しな表現に逃げる。自分も初めて親に嘘をついて夜遊びに出たことで興奮していたのは否定できない。

……オレが自分のことばっかり話してたから、引いてたよな」
「まあそうね」
「そういう対応、慣れてなかったから、面白くなかった」
「なのになんで今日は助けてくれたんだろうって思ってる?」

つい何も考えずに先回りしたは、三井のバツの悪そうな表情に少し後悔したけれど、言ってしまったものは取り返しがつかない。

「まあ、あれ以来別に仲がいいってわけでもなかったし、私も気軽に男お持ち帰りするようなキャラじゃないしね。でも困ってるだろうと思ったし、たまたま親いなかったからだよ」

それは嘘じゃない。の中には複雑な思いもあったが、親がいたら連れて帰ることはなかった。

「正直言えば、一緒に夜遊びした時のこと思い出すと三井ってずいぶん変わっちゃった気がするから、今どんな人なんだろうっていう興味はあったよ。でもそれは別に、私がどうしても知ってなきゃいけないことでもないし、なんか、思ったよりフツーだったし」

三井はそれを聞くと首を傾けて怪訝そうな顔をした。ヤンキーだぞ、と言いたげな顔だ。

「普段のことには三井にも色々あると思うけど、今はなんか普通。にこにこしながらテンション高めでオレすげーんだぜ! なんてベラベラ喋る男の子より、慣れない女の家でなんとなく居心地悪くて喋りづらいって顔してる方が、普通な気がする」

言いながらは自分の言葉がすんなりと腑に落ちるのを感じていた。ヤンキーの方が自然とは言わないけれど、しかしむしろにとっては粋がっていた入学直後の三井の方が不自然に感じていたし、どちらも三井なのだろうが、今の方が話しやすい気さえしていた。

すると、三井は真顔が一転、フッと息を漏らして笑った。

……お前は変わんねえな」
「それは褒められてるの、それとも貶してるの」
「どっちでもねえよ。本当に変わらないと思ったから言ったまでだ」
「ドン引きしてたのと、助けてあげたのが変わらないの?」

突然緩い笑顔など見せるものだから、は驚いてぽかんとしていた。なのでまた何も考えずにそう言い返したわけだが、三井はまだ薄笑いを口元に残したまま、ちらと視線を外して言った。

「変わんねえよ。外面はいいくせに、オレには言いたいこと遠慮せずに言うだろ」

言い終わると、三井はもう無表情だった。

も「いい子」を顔に貼り付けておけなくて、黙った。

変に気まずくなってしまったふたりはそれから顔を合わせることもなく、は部屋の明かりを落とし、三井はのベッドに背を向けて布団に潜り込んだ。

その背中に「おやすみ」と言うでもなく、もベッドに入る。三井が電気敷毛布を最大温度で使っていたので布団の中は燃え出しそうな温度になっている。布団を浮かせて熱気を少し逃したもまた三井に背を向けて横になった。

無音だった。普段なら何も気にならない静寂が心をざわつかせて、眠気が遠ざかる。

冬仕様で少し重い布団を目元まで引き上げて潜ったは三井の言葉が頭を離れなくて、目も閉じられなかった。もちろんまるで自覚はなかった。外面がいい、なんていうことも初めて言われた。

でも三井の言うことは正しい気がした。自ら望んでいる部分もあるとは言え、の日常にある「いい子」は外面がいいと言い換えても間違いにはならない。そしてそんな顔を持っているというのに、三井には1年生の時も、今も、彼がどう思うかなんてことはあまり考えずに言葉をかけた気がする。

どうしてだろう、血の繋がった家族には慎重に言葉を選ぶこともあるけれど、三井に対してはそんな繊細な気遣いは心がけていない気がする。

三井が元々は自信過剰で調子に乗りやすそうなキャラだったから? それともそんな頃が見る影もないくらいに荒れ放題に転落ヤンキーだから? どちらも正しいような気がしたし、しかしどちらも正解とは思えなかった。そもそもそんなことを前提に意識したこともない。

言われてみれば普通は三井のようなヤンキーとかいう人種は、のような日常を送る女子にとっては「怖い」ものであるはずだ。しかし過去の記憶のせいかどうか、は三井を怖いとは感じなかった。もちろん今は非常事態ゆえ睨むか怒鳴るか殴るかというようなヤンキーの看板は一時的に下ろしているにせよ、気持ちを逆撫でするようなことでも気にせず口にした気がする。

だって、三井、怒らないじゃん。

深夜の公園でいつものように武勇伝を喋っていた三井に塩対応した時も、彼はの言葉や態度を「面白くない」と感じていたのに、何も言わなかった。今夜も何も言わない。の態度を変わらないとしたのは見たままで、褒めても貶してもいないと言うけれど、本当だろうか。

だったらどうして無表情になっちゃって、何も言わずに背中向けてるの。

今夜の自分の衝動的な行動は三井とは関係ない。これが三井でなくてもあるいは同じだったかもしれない。けれど、こんなふうに背中合わせに気まずくなっているのは三井だから、としか思えなかった。

真っ暗な部屋で悶々としていただったが、その背後にくしゃみが炸裂したのはベッドに潜り込んでから15分ほどだっただろうか。しかも2発も続けて三井がくしゃみをしたので、つい起き上がってベッドサイドの明かりをつけた。

……大丈夫? まだ寒いの?」
「す、すまん、寒い」

追い出される予定ではなかったせいで薄着だったとはいえ、三井は確かの家に来てから温かいものを食べて飲んで、その上風呂にも浸かってきたというのに、よほど冷え性らしい。というかこれは本人が言うように極端に体脂肪が少ないだとか、そんな理由もありそうだ。

だが、エアコンを付けたまま寝るというのはの方がつらい。夏でも冬でも付けっぱなしで寝るとだいたい喉がやられてしまう。電気敷毛布を貸してやることは出来なくはないけれど、自分の寝床を解体して引っ張り出し、また元に戻さなければならないのは正直めんどくさかった。

それならもっとモコモコした温かい素材の服を貸すのはどうだろうと思ったけれど、三井が着られるサイズの服はのクローゼットの中にはない。さあどうしよう。また温かいものを飲んでも、それは一時的なものという気もする。

というところでは三井の使っている寝具が納戸で約3週間よーく冷やされていたのだということに思い至った。冬の深夜に体を冷やした冷え性には自分の体温で寝床を温めることが出来なかったらしい。またくしゃみが出る。

は三井に聞こえないように、ちょっとため息を付いた。

いちいちめんどくさい、でもそんな手のかかる彼がやっぱりちょっと可愛かったからだ。

だけでなく、今夜は三井にとっても「いつもと違う」夜のはずだし、それは明日からの自分を180度ひっくり返してしまうものではないだろうし、むしろやけにリアルな夢くらいにいつか忘れればいいような、そんな程度の数時間のはずだ。だから「いい子」じゃなくてもいい気がした。

は鼻をグズグズ言わせている三井に向かって言う。

「こっち、来る?」

ピンと張り詰めた静けさの中で、三井はゆっくり振り返った。やはり無表情で、少し眠そうな目をしているくらい。ベッドの上で布団をめくりあげているを2秒ほど見つめていたが、やがて何も言わずに立ち上がるとベッドの上に腰を下ろし、そのままぎゅっと抱きついてきた。

ベッドのスプリングが軋み、がその勢いでよろけると、そのまま倒れ込んだ。

……誘ってるわけじゃ、ないけど」
「知ってる」
「前から好きだったとか、そういうのも、ないよ」
「わかってる」

額をくすぐるサラサラの髪を指で払い除けたはしかし、その指で三井の頬に触れた。

……こういう時どうすればいいか、知ってる?」

爪先で触れた三井の足は、本当に冷たかった。すっかり冷えてしまっていて、の爪先の温度すら奪われそうだ。でも、そっと降りてきた彼の唇は温かかった。ゆっくりと触れて、名残惜しそうに離れていく。そしてもう一度。

……知ってる。あの時と、同じ目、してるから」

はねだるように目を閉じ、暖かなキスを全身で感じながら記憶の景色の中に舞い戻る。

深夜の公園、よくわからない鬼ごっこのような遊びをしていた。その中で不意に三井とふたりきり、自分のことばかり話す彼に引いていた。の塩対応に気付いた三井は、それでもその場で軌道修正しようと試みた。しかしそういうことを上手にできる技術は持っていなかった。

結局また話は三井が中学生の時のモテ自慢になってしまった。

その中でファーストキスの話になったのはなぜだったのか、今では思い出せない。がキスなどしたことがないと言い返すと、三井はニヤリと笑って「してやろうか」と言ってきた。呆れるやら腹が立つやら、は三井に対して嫌悪感を抱いた。

だが、一方では「こいつ私が本気でキスしてって言うとは思ってないだろうな」と思い至ると、いたずら心が疼いた。ふさげてそんな言い方しかできない少年、自分で言ったことには責任持てよ。

そしては春の深夜に公園で知り合って間もないクラスメイトの男子と、唇の上を通り過ぎるような、ささやかなキスをした。

それでもあの時はボブカットのバスケ少年を好きだとは思えなかったのだ。

なのに今、ベッドの上で抱き合って唇を重ね合わせている三井のことは、ずっと好きに思えた。

もっとこうしていたい、ずっとこうしていたい、そう思った。